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満州に関するorticaのブックマーク (7)

  • 朝日新聞デジタル:慰安所行った、でも話せない 元兵士「妻や子にも迷惑」 - 社会

    慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内  【武田肇】旧日軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。  「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。  太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」  月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にす

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    ortica 2013/07/02
  • 岩波ホール総支配人の高野悦子さん死去 - MSN産経ニュース

    ミニシアター「岩波ホール」総支配人として内外の名画を日に紹介、映画を通して国際交流に努めた文化功労者の高野悦子(たかの・えつこ)さんが9日、大腸がんのため死去した。83歳だった。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は岩波ホール支配人でめいの岩波律子(りつこ)さん。 旧満州(現中国東北部)生まれ。昭和19年、富山県に疎開。日女子大卒。27年、東宝に入社し文芸部で制作企画調査を担当。映画監督を志して33年、パリ高等映画学院監督科に日人で初めて留学。37年に帰国、テレビドラマの脚、演出を手がける。 43年、岩波ホール(東京・神田)の創設に伴い、総支配人に就任。映画講座を開講し、講師に著名監督や原作者らを招いて名作を上映。津軽三味線などの民俗芸能や、現代美術、ジャズなどの講座、アングラ演劇上演なども好評を得た。 49年、東和(現東宝東和)の川喜多かしこさんとともに、岩波ホールを拠点にした名

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    ortica 2013/05/09
    [h:keyword:高野悦子]
  • 東京新聞:高野悦子さん死去 83歳 岩波ホール総支配人:社会(TOKYO Web)

    世界の埋もれた映画の上映運動を主宰してきた岩波ホール(東京都千代田区)総支配人で、文化功労者の高野悦子(たかの・えつこ)さんが九日午後二時四十一分、大腸がんのため死去した。八十三歳。旧満州(現・中国東北部)生まれ。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主はめいで、岩波ホール支配人の岩波律子(いわなみ・りつこ)さん。  日女子大(社会心理学専攻)卒業後、一九五二年に東宝文芸部に入社するが、映画監督を目指し、パリの高等映画学院(イデック)に留学。帰国後は、テレビドラマのシナリオを書き、六四年に芹沢光治良・原作「巴里に死す」を脚色・演出した。 六八年に岩波ホール創立と同時に総支配人に就任。当初は音楽や芝居も上演したが、七四年、故川喜多かしこ氏とともに世界の埋もれた映画を発掘するエキプ・ド・シネマ(フランス語で映画の仲間の意)運動をスタート。インドのサタジット・レイ監督「大地

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    ortica 2013/02/15
    [h:keyword:岩波ホール][h:keyword:高野悦子][search:高野悦子]
  • 東京新聞:伊藤博文暗殺 漱石「驚いた」 旧満州の新聞に寄稿文:社会(TOKYO Web)

    作家夏目漱石(一八六七~一九一六)が一九〇九(明治四十二)年、旧満州(中国東北部)の新聞に寄稿した文章が見つかった。全集未収録で、初代韓国統監伊藤博文が独立運動家安重根(アンジュングン)に暗殺された事件への驚きや、満州を旅行した見聞などが記されている。 (大日方公男) 寄稿文は「韓満所感」と題し、日語の「満洲日日新聞」に同年十一月、上下二回に分けて掲載された。作家の黒川創さん(51)が二〇一〇年、韓国で購入した安重根に関する資料集に、この寄稿文が切り張りされて載っていたのを見つけた。 漱石は十月半ばまでの一カ月半ほど、南満州鉄道総裁だった旧友・中村是公の招きで朝鮮半島や満州を旅した。ハルビン駅で伊藤博文を狙撃した暗殺事件は、帰国後の十月二十六日に起き、満州で漱石の世話をした知人らも巻き込まれて負傷した。

  • 安部公房:未発表の短編小説見つかる デビュー前に執筆- 毎日jp(毎日新聞)

    「砂の女」「他人の顔」などで知られる作家、安部公房(1924〜93年)がデビュー前に書いた、未発表の短編小説が見つかった。終戦の翌1946年秋、満州(現中国東北部)からの引き揚げ船内で書かれたとみられ、人間の根源的な狂気や不安を、高い言語感覚で描いている。後年ノーベル文学賞候補ともされた作家を知る上で、貴重な発見と言えそうだ。 札幌市内の安部の実弟宅で見つかった。タイトルは「天使」。精神を病んだ主人公が天使となって病室を抜け出し、妄想の中で天使の国をさまようという内容だ。 原稿はA5判ノートに黒インクで縦書きされ、全37ページ。訂正の跡が少なく、清書とみられる。安部が当時、東京大医学部の後輩に宛てた書簡には執筆中の小説「天使の国」に触れた箇所があるが、実物はこれまで確認されず、「幻」の作品だった。 執筆当時、安部は22歳。文芸評論家の加藤弘一さんは作について「ここには生命への肯定がある。

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    ortica 2012/11/07
    [h:keyword:天使の国]
  • 安部公房、22歳の未発表短編「天使」 引き揚げ船内でつづった“皮肉屋”の萌芽+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    「砂の女」などで知られる小説家で劇作家の安部公房が終戦直後の昭和21年秋、22歳で書いた未発表の短編小説が見つかったことが6日、分かった。北海道に住む安部の実弟、井村春光さんが自宅に保管していた。7日発売の文芸誌「新潮」12月号に全文が掲載される。 短編は「天使」という題で、A5判ノート19枚に黒インクで書かれていた。旧満州から日への引き揚げ船内という過酷な環境下で執筆されたとみられ、安部の3作目の小説になる。左右の行を空け、横書きノートに縦書きしていくスタイルは初期の自筆原稿と同じで、安部の長女、安部ねりさん(58)が安部の青年期の筆跡であると確認した。保管していた井村さんは文学への関心が強く、安部が発表前の作品をよく見せていたという。 「天使」は、監禁されていた病棟を抜け出した「私」が主人公。通行人や看護人ら外界のすべてが天使に見え、自らをも天使と認識していく主人公の奇妙な一日が滑稽

  • 【レビュー・書評】満洲の情報基地 ハルビン学院 [著]芳地隆之 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    満洲の情報基地 ハルビン学院 [著]芳地隆之[掲載]2010年10月31日[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)■ロシア専門家育成機関の実像描く 20世紀の歴史に翻弄(ほんろう)された日露(にちろ)協会学校(のちのハルビン学院)。これが素朴な読後感だが、この幹のもとにさまざまな枝葉がある。たとえば日と革命後のロシアとの複雑な関係、外地に設立された語学教育機関の役割とその推移、軍事と語学の相互扶助の変質などをすぐに指摘できる。著者はそのすべてに目配りを続けて記述を進める。 もともとは大正9年に日露協会の幹部であった後藤新平などの肝いりでハルビンに設立される。建学精神は「学生は常に露国人に接し語学を実習し(略)彼等(かれら)の人情・風俗・習慣を直接目撃し、研究する」など5項が挙げられていた。ロシア研究をそれまでのように大陸浪人に任せるのではなく、専門的に従事するスタッフを体系だって育てよう

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    ortica 2011/04/25
    [search:ハルビン学院][asin:9784103998020][h:keyword:http://book.asahi.com/review/TKY201011020126.html]
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