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1991年に関するorticaのブックマーク (6)

  • ゾーイ・ウィカム「デイヴィッドの物語」書評 闇の底から浮かび重なる声|好書好日

    デイヴィッドの物語 [著]ゾーイ・ウィカム 舞台は、ネルソン・マンデラ釈放後の1991年の南アフリカ共和国である。おそらくこの国ほど文学が国民の〈声〉となることが困難な土地はないだろう。長年にわたって人種隔離(アパルトヘイト)政策で国民が深く分断されてきたからだ。 しかも、白人支配層から差別され抑圧されていた黒人たちの闘争と解放の物語を描けば、それがナショナル・ヒストリーとなって一件落着とはいかない。南アには白人と黒人だけではなく、「カラード」という混血層が存在するからだ。この人々の〈歴史=物語〉を、アパルトヘイト以降の南ア文学は、どのように描けばよいのか? 書は、「グリクワ」と呼ばれる、先住民とヨーロッパ系移民との混血層出身の主人公デイヴィッドのルーツ探しの物語だとひとまず言える。彼は反アパルトヘイト運動の闘士であり、子ある身ながら、活動の中で出会った女性闘士ダルシーが忘れられない。

    ゾーイ・ウィカム「デイヴィッドの物語」書評 闇の底から浮かび重なる声|好書好日
    ortica
    ortica 2013/04/28
    [h:keyword:isbn:9784272600519][h:keyword:ゾーイ・ウィカム]
  • 「メモワール―写真家・古屋誠一との二〇年」書評 なぜ撮ったのか、思考を迫る言葉|好書好日

    メモワール―写真家・古屋誠一との二〇年 [著]小林紀晴 小林紀晴は写真家であり、同時に抑制の利いた文章を書く作家である。その小林が取り憑(つ)かれるように写真家・古屋誠一を追った長い年月の記録、思索が書だ。 最初は1991年。著者は古屋の写真展に出かけ、古屋が精神を病んでいくクリスティーネを撮り、“負のエネルギーが充満”した風景を撮り、ついには投身自殺直後のを撮った写真と出会う。 衝撃を受けた著者はその後、ニューヨークで同時多発テロに出会い、無性に現場を撮りたいと思う。しかし日で体験した大震災では今度は撮ることを躊躇(ちゅうちょ)する。 なぜ撮るのか。撮っていいのか。なぜ発表するのか。発表していいのか。表現の根幹に潜む倫理、自意識、権利などの大問題を小林紀晴は背負い込む。なぜなら、古屋誠一がを撮った写真が、そして古屋が写真集に書き込む言葉が小林に思考を迫るから。 ソンタグの『他者

    「メモワール―写真家・古屋誠一との二〇年」書評 なぜ撮ったのか、思考を迫る言葉|好書好日
  • http://book.asahi.com/ebook/master/2013011000002.html?ref=rss2

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    ortica 2013/03/11
    [h:keyword:isbn:9784094021912][h:keyword:メタルカラー]
  • 足利事件当時の新聞報道 - どうにもならない日々

    「足利事件」を伝える当時の読売新聞の記事*1の一部です。 地裁・高裁の判決文(e-politics - 刑法・刑事政策/足利冤罪事件)と合わせれば、事件の流れの概要がつかめるのではと思います。 なお、被害者とその遺族の名前は伏せました。 1991年12月1日 読売東京 朝刊 一面 14版 1頁 幼女殺害 容疑者浮かぶ足利 45歳の元運転手 DNA鑑定で一致 栃木県足利市の渡良瀬川河原で昨年五月、同市内のパチンコ店員Mさんの長女M・Mちゃん(当時四歳)が他殺体で見つかった事件を調べている足利署の捜査部は、三十日までに、容疑者として同市内の元運転手(四五)を割り出した。一両日中にもこの男性に任意同行を求め、殺人、死体遺棄の疑いで事情を聴取、容疑が固まり次第逮捕する。M・Mちゃんの衣類に付着していた男の体液のDNA(デオキシリボ核酸)と元運転手のものが一致したことが決め手となった。同市とその周

    足利事件当時の新聞報道 - どうにもならない日々
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    ortica 2012/03/03
    [h:keyword:http://b.hatena.ne.jp/hotentry/20090608][h:keyword:元運転手(四五)][h:keyword:いわゆるロリコンもの]
  • あの夏、地上最大のオッパイが。- Everything You’ve Ever Dreamed

    ピーチジョンのエロティックな広告写真。ホームに滑り込む電車の騒音をバックミュージックに、それを舐めるように見ている僕の後ろを一人の淑女が通り過ぎて行った。振り返り横顔を見る。間違いない。彼女だ。あの夏、僕の人生を、僕の未来を変えてしまった地上最大のオッパイの主。ヴィーナス。声をかけようとしたが名前を思い出せなかった。あれほど追い求めた存在であったのに。 1991年の夏。高校三年生だった僕と悪友の西ヤンは腐っていた。真面目にやっている連中、反抗している連中、すべてを斜めから見ていた。授業。夏期講習。体育祭の創作ダンスの練習。すべてをサボタージュして大半の時間を第二校舎の屋上で潰していた。僕らは屋上を「ヘヴン」と名付けて、毎日のように、流れていく雲や富士山のシルエットを眺めたり、昼寝をしたり、買ってきたエロを模写するという意味のない行動をしていた。空は青く、太陽の陽射しは心地よかった。いつか

    あの夏、地上最大のオッパイが。- Everything You’ve Ever Dreamed
  • テクノ音楽の第一人者 「電気グルーヴ」の石野卓球さん | 静岡新聞

    イベント「JAKATA Presents slipout」でDJプレーを披露する石野卓球さん=2011年12月23日、静岡市の「Gaest.」 6畳一間で創造力育む  ここ数年、年末は故郷・静岡市でDJを行うのが通例だ。昨年12月23日深夜、石野卓球さん(44)は葵区呉服町で行われたイベントで約400人を踊らせた。「今も一定の緊張感がある。昔は勢いだけでやっていたけどね」  1991年にバンド「電気グルーヴ」でメジャーデビュー。DJとしても世界的知名度を誇り、98年にはドイツ・ベルリンで150万人を前にプレーした。99年から始めた日最大の屋内テクノイベント「WIRE(ワイアー)」は、夏の風物詩として定着している。文字通り、テクノ音楽の第一人者だ。 ♪ 静岡市駿河区生まれ。小学5年生で、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に出会い、音楽に開眼した。  高松中に進むと、青葉公園近くの輸

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    ortica 2012/01/25
    [h:keyword:石野卓球]
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