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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (25)

  • ■ - シロクマの屑籠

    当の敵対者からは、限りない勇気がお前のなかに流れこんでくる。 フランツ・カフカ[自撰アフォリズム]

    ■ - シロクマの屑籠
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    ortica 2016/01/31
  • 模倣・自作・車輪の再発明の重要性 - シロクマの屑籠

    「ごっこ遊び」って悪いこと?/自己満足で終わらないために - デマこい! リンク先に書いてある「模倣」の重要性。 模倣は、文章上達にとても役立つ。ただ、模倣やコピーだけで上達するのではない。そのあたりについて、補足してみたい欲求が沸いてきたので、空き時間で書けるだけ書いてみる。 模倣についてまわるリスク 「まず、上手な人のかたちを真似てみる」「形からはいってみる」のは実際有効で、ジャンルを問わず、文章を書く人にとって有益と思う。私も、人のウェブサイトを見てあっちこっち模倣させてもらったり、ブログの書き方、ネット揉め事の楽しみ方をマネさせて頂いている。参考にしたも数知れない。 ただ、この模倣、あまりにも素晴らしい人を尊崇し、コピーを心がけすぎてもたぶん駄目だ。ゲーテは、 芽生えつつある才能にとってシェイクスピアを読むことは危険である。 シェイクスピアは否応なしに彼らをして自分を模作させる。

    模倣・自作・車輪の再発明の重要性 - シロクマの屑籠
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    ortica 2014/08/22
  • 生の有り難さに思いを馳せること - シロクマの屑籠

    死を目の当たりにする場面から隔絶されたまま生活する者が、生の貴重さや有り難さに思いを馳せることは、多分、かなり難しい。

    生の有り難さに思いを馳せること - シロクマの屑籠
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    ortica 2014/05/30
  • インプットした知識を血肉に変えるためには - シロクマの屑籠

    文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい - デマこい! 数ヶ月前、id:Rootportさんと「どうすれば文章が書けるようになるか」を議論した。クオリティの高い文章を作るためには相応のバックグラウンドが必要になるんじゃないか、という話題で三時間ほど盛り上がり、内容はリンク先の記事とおおむね矛盾しない。筆者のバックグラウンドに100冊しかが無い人と、1000冊分ぐらいの知識がある人では、アウトプットされる文章はかなり違ってくるだろう。 ただし、「インプットが多ければそれでOKというものでもない」という話も出た。 たくさんの知識や文献が引き出しに入っていたほうが有利には違いない。けれども、引き出しに入った知識を、必要な場面ですぐに取り出せるのでなければ、インプットとして巧くないのではないか。どれだけ博覧強記な人でも、文章を書いている最中にインプットされた知識がぜんぜんフィードバックされな

    インプットした知識を血肉に変えるためには - シロクマの屑籠
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    ortica 2013/05/09
    [h:keyword:コモンプレイス・ブック][h:keyword:commonplace book][google:images:commonplace book]
  • 俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠

    Geekなぺーじ:ブログ論 最近のブロガーってどこで運営ノウハウ習得しているんだろう? - 情報の海の漂流者 ブログの運営については何も知らない。 だが、“長文ブロガー道”や“ブロガー精神論”についてなら語れる。 『シロクマの屑籠』も今年で7年目を迎え、ブログはすっかり自分の生活の一部となった。書きたい時に書きたいことを書き、誰かに声を届けたくなったら躊躇せずトラックバック記事を書く――そういう素人ブロガーらしいブログライフを楽しめていると思う。 この7年間、欲望の赴くままに書いてきたから、俺はブログの運営なるものを知らない。マネジメントを欠いているからこそ、デフォルトのままのデザインで、記事の方向性も散らかっている。じゃあそれで損をしたかと言われたら、あまり損をしていないような気がする。自分が書きたいことだけに意識のリソースを集中させることが出来たという意味では、“下手の考え休むに似たり

    俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠
  • ネット利用におけるノイズコントロールの重要性について - シロクマの屑籠

    インターネットは、ノイズに溢れている。 情報を収集したり情緒的なニーズを充たしたりするにあたって、インターネットには邪魔な表示・集中力を妨げてしまう表示が少なくない。例えば、2ちゃんねるのまとめサイト系にありがちな、チカチカと明滅する大量の広告バナーなどは、あたかも集中力を奪うためのトラップのようである。大量の広告を貼り付けているサイトは、注意力というコストを視聴者に強制的に支払わせ、それを換金していると言っても差し支えないかもしれない。 SNSにおいてもノイズの問題は無視できない。自分自身にとって有意味な情報も情緒的メリットももたらさないような、そんな書き込みを連投する人を視界内に入れるほど、そのユーザーの情報/情緒の収集密度は低下する。限られた時間と精神力だけをSNSに割り当てたい人にとって、単位時間あたりの情報密度/情緒密度の低下は軽視してよいものではないだろう。 このため、インター

    ネット利用におけるノイズコントロールの重要性について - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/11/30
  • 世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる - シロクマの屑籠

    非モテはてなーが有料メルマガや単著を出せる分水嶺 - syncのにっきver3.0 リンク先について、ちょっと思ったことを。 ブロガーのなかで「単著」とか「有料メルマガ」で“生活の糧”を得ている人って、当にいるんですかね?いるのかもしれませんが、私の周囲にはいないような気がします。medtoolzさんにしても、ココロ社さんにしても、まなめはうすさんにしても、まず業ありきで、それとは別に、ネットで文字を書いていたら出版に繋がっちゃった、という話ではないでしょうか。 世の中には、出版とか有料メルマガとかで“プロ”をやっている人達もいます。しかし、そういうプロがブログを経由して(まして非モテはてなユーザーを経由して)プロに到達したという類例は知らないので、ブログを経由して“物書きとして生活の糧を得る”のは難しいと思っています。たぶん、他のルートで目指したほうがいいんでしょう。 それはそれとし

    世の中には「書く」ことが好きで好きでしようがないブロガーがいる - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/10/23
    [search:好きで好きでしようがない]
  • “承認欲求の流動食”に依存する人々 - シロクマの屑籠

    医療や介護の世界では、栄養補給の手段として流動がよく用いられる。普通の事が摂れない人も何もべなければ飢えて衰弱してしまうから、そういう人にとって、流動は命綱になる。べる機能が回復不可能な場合は、いつまでも流動を使い続けなければならないかもしれない。 メンタルヘルスの世界でも、あたかも似たようなことが起りがちだ。“承認欲求の流動”“自己愛の流動”で心の飢えをしのいでいる人をあちこちで見かける。それどころか、すっかり依存してしまって、並みの心理的充足が難しくなってしまっている人もいるようだ。 人間は、心理的に充たされる体験無しでは心が飢える 人間のメンタルは、心理的に充たされたと感じられない状態が続くと衰弱してしまいやすい。ストレスを回避するのも大切だが、そこそこの頻度で心理的に充たされたと体験できなくてもキツくなる。もし、心理的に充たされたと感じない状態が長引くと、ストレスや

    “承認欲求の流動食”に依存する人々 - シロクマの屑籠
  • ショーウィンドー越しに「手の届かない自由」を眺める - シロクマの屑籠

    現代社会は個人の自由が尊重された社会、といわれている。実際その通りかもしれない。昭和時代に比べれば、私達はイエの事情や地域のしがらみに縛られることなく、自由に職を選択し、自由に住まいを選択できる。結婚相手も自由だし、そもそも結婚しない自由というものもある。そういえば、「恋愛するのが若者として当然」という、一時期の、あの陶しいほどの空気も大分希薄になった。結構なことだと思う。 こうした自由な社会のなかで、水を得た魚のように活躍している人達がいる。仕事を選び、住居を選び、パートナーや友人を選び、どこまでも伸びていく人達。あるいは困難なトライアルに挑みかかっていく人達。『ニートの歩き方』を書いたphaさんのように、ちょっと風変わりな生き方に自由を用いる人達もいる。これまた結構なことだと思う。 では、こうした自由は、私の、あなたの手のうちにどの程度あるだろうか。 “素晴らしき自由人達”から自分自

    ショーウィンドー越しに「手の届かない自由」を眺める - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/10/14
    [h:keyword:ショーウィンドー]
  • Googleが精神疾患を診断・治療する未来 - シロクマの屑籠

    http://www.eng.fau.edu/news_twitterresearch インターネット上の書き込みから精神疾患を診断する――荒唐無稽のように見えて、そろそろ現実味を帯びてきたかな、と思った。リンク先(英語)はtwitterの発言から人格傾向を抽出する試みだが、この延長線上として、オンラインで精神疾患を診断する技術が生まれてきても不思議ではない。カネをかけて気でやれば、現行技術でもスクリーニングぐらいはできるだろう。 というのも、「オンライン上に記録された言動を観測し、それを根拠に診断する」という発想が、現代精神医学の診断体系と相性が良さそうに見えるからだ。 現代の精神医学は、診断と治療に際して「無意識」「内面」といった、第三者には観測できない、いわゆる“こころ”を忖度する必要があまり無い。 一昔前の精神医学、とりわけ精神分析的なアプローチでは、「無意識」「内面」といった、

    Googleが精神疾患を診断・治療する未来 - シロクマの屑籠
  • 孤独感がデフォルトになった時代 - シロクマの屑籠

    第三者からみて孤独そうに見える人が必ず精神的に打たれ弱いかと言うと、そうでもありません。少数ながら、孤独に対する耐性が異様に高い人が存在しますし、第三者からは目に見えにくい繋がりをどこかに持っている人も珍しくありませんから。しかし、人自身が孤独に悩んでいるような人――つまり孤独感に苛まれている人―――は、必ずといってよいほど精神的に打たれ弱いように見受けられます。 独りぼっちは辛いんですよ。 「自分は独りではない」と感じている人が新しいことに挑戦するのと、孤独感に苛まれている人が新しいことに挑戦するのでは、体感されるストレスが何倍も違ってくるのではないでしょうか。世の人間の大半は、どうやら孤独には弱いようにみえます。「自分は独りぼっちではない」という感覚無しには生きていけないというか。[誰かが自分のことを見てくれている感覚][誰かが自分と一緒にいてくれる感覚]を持っている時なら簡単に我慢

    孤独感がデフォルトになった時代 - シロクマの屑籠
  • 「引きこもるプライベート」から「持ち運ぶプライベート」へ――子ども部屋、そしてスマートフォン - シロクマの屑籠

    私達がプライベートなるものを手に入れたのは、割と最近のことだ。 かつて庶民は、隣近所の物音や話し声が聞こえるような間取り・建屋のなかで暮らしていた。また、典型的な農家のように、部屋と部屋をしきるのは板一枚だけの、家庭内にプライベートが存在しない状況を生きていた。いわゆる地域社会において、ウチとソト、イエと個人の境界が曖昧だった理由の一端には、そうした曖昧さを生み出ずにはいられないようなアーキテクチャに由来する部分もあるだろう。 それが、高度成長期も後半になってくると、コンクリートの壁、防音壁、頑丈なドアといったものに仕切られた住まいが出現してくる。『「51C」家族を容れるハコの戦後と現在』によれば、最初期の公共住宅*1は、必ずしも現代風の間取りを狙ってつくったものではなかったらしい。むしろ、農家の間取りなどを参照したうえで、フレキシブルに運用ができるよう配慮してつくられていた、という。 「

    「引きこもるプライベート」から「持ち運ぶプライベート」へ――子ども部屋、そしてスマートフォン - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/09/08
    [h:keyword:プライベート][h:keyword:部屋]
  • いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう - シロクマの屑籠

    いじめについて色々な事がネットで書かれているのをみると、「誰が悪い奴か」「不可避なことか否か」「いじめられた側/いじめる側はどうすべきか」について書かれているものが多い。また、いじめの多発する現状を異常事態と騒ぐ人も多いようだ。しかし、「いじめの機能を解剖」してみようとか「いじめを通していじめる側が獲得するメリット/コスト」について書かれたテキストは数があまり多くない。 確かにいじめは憂うべき事態なのは分かるけど、ここまで全国津々浦々の中学校に蔓延している以上、いじめを非機能的異常現象として捉えることはもはや適切ではないだろう。私が中学生だった十数年前以来、いじめの構造はほぼ一貫して思春期前期〜中期の学校に存在していたと思う*1。現代の思春期の子にとって、実はいじめは「機能的なもの」で「個人の適応を促進させるもの」で「抑止力が働かない限り必然的にエスカレートするもの」ではないだろうか?いじ

    いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/07/06
    [h:keyword:機能][h:keyword:蝿の王]
  • あなたのネット仲間は、五年後も一緒にいてくれそうな人ですか? - シロクマの屑籠

    インターネット上でのコミュニケーションを、「今日は誰々が面白いことを言った」「今日はtwitterでこんなにリツイートされた」といった賑やかさのうちに過ごしている人は多いと思います。誰の文章を読むのか・誰に対してreplyを送るのかを決めるにあたって、「今、面白い事を言った人」「今、私の承認欲求を充たしてくれる人」「今、私が興味を持っているコンテンツの話をしている人」などを評価基準に選んでいる人も多いでしょう。 でも、そんな「今」という評価基準だけでネットコミュニケーションしてもいいんでしょうかね? ここで、ちょっと違った角度で、あなたが今ネットコミュニケーションしている相手について思考実験してみてください;その人は、五年後もあなたに面白いことを呟いてくれる人でしょうか?五年後も仲良く意見交換していそうな相手でしょうか?それとも人気作品についての情報交換が終わったら「コンテンツの切れ目が縁

    あなたのネット仲間は、五年後も一緒にいてくれそうな人ですか? - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/05/26
    [h:keyword:ネットコミュニケーション]
  • 最悪なのは、ネットじゃなくてあなたのダメージコントロール能力なんじゃないですか? - シロクマの屑籠

    最近、いい感じの発言が増えていたid:amamakoさんが、いつもの悪い癖が出て「ぼくはいじりに弱いんだから特別に保護されるべきだー」的なことを村道で叫んでいたので言及してみます。 ブログを非公開にした理由 - Togetterまとめ http://d.hatena.ne.jp/amamako/20120505/1336149643 私は昔のid:amamakoさんの発言の幾つかは、「なに馬鹿な事言ってやがる」とか思っていました。が、最近は感心させられる発言が増えていただけに、今回の発作的憤怒は意外でした。第一印象を正直に書くと「なんだこれ?あんたまだこんなことやってたの?こりゃネット向いてないよ。やめない限り、ずっとジクジク傷ついて転げ回ることになるんじゃない?」でした。自分の発言を無言でリブログした人にいちいち詰め寄って詰問している姿は、異様としかいいようがありませんでした。 勿論、ネ

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    ortica 2012/05/05
    [h:keyword:ダメージコントロール]
  • メイド属性は消え、“メイドコス”が残った - シロクマの屑籠

    久しぶりにTYPE-MOONの『月姫』を触る機会があって、ふと思い出した。 昔、メイドキャラクターは虐げられた存在だった。『殻の中の小鳥』に出てきたキャラクターなどが典型的だけど、彼女達は調教や折檻の対象であり、“メイドのコスプレ”ではなく当の意味で服従を強いられていた。メイドキャラクター達は拭いきれない悲壮感・厳格な主従関係といった絶望的距離感を漂わせているのが常で、まただからこそ、そういった障害を克服した時の喜びも大きい、という感じだった。オタク界隈にメイド属性が登場した頃、メイド達はそういう暗さを帯びていた筈だ。『To heart』のあの健気なマルチにしても、メイドロボという設定が与えられていた点は見逃せない。メイド属性は、明らかにハードなカテゴリだった。 ところが最近見かけるメイドの大半には、そういった悲壮さ・暗さが欠けている。 ライトノベルやアニメにおいて、メイド服は頻出という

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    ortica 2012/04/18
    [search:まなざされる][google:images:pink house]
  • 「真面目系クズ」と依存性 - シロクマの屑籠

    「真面目系クズ」というのを知った 完全に俺のことでワロタwww : 妹はVIPPER リンク先には、比較的新しいネットスラングと思われる「真面目系クズ」について意見が集まっている。私の知る限り、この単語は1〜2年前ぐらいから時々見かけたような気がするが、「非モテ」「非コミュ」に比べればずっと歴史が浅い。 さて、真面目系クズとはどういうネットスラングだろうか。ニコニコ大百科には、原典にあたる人物の発言を引用しながら、 ・非リア充であり、DQNのような明るさはない ・資格や勉学に打ち込んでいるとアピールし、それを就職から逃げる理由にする ・かといって気で打ち込んでいるわけではなく、他に勉強している者からすれば明らかにボロが出るレベル ・それでも自分は努力しているとアピールし、大言壮語を吐く。 努力しているけど要領の悪い者、自分がクズだと自覚している者とは明らかに異なるのである。現実から目を逸

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  • ネットの社会化、「死にたい」の社会化 - シロクマの屑籠

    先日、総合病院の内科医から「死にたいと言っている患者さんがいるので診て欲しい」というコンサルトを受けた。『主訴:希死念慮』と書かれた紹介状を持って来院したのは若い女性で、診察してみると、精神疾患の兆候が全然みられない。人は「内科の先生に精神科を受診するよう言われました。心から死にたいわけではないです」と当惑気味。リストカットや大量服薬の既往も無く、衝動コントロールもそれほど悪くない。仕事や私生活も順調のようだった。ただし、この女性は「死にたい」がほとんど口癖らしく、ちょっと厭世的で、ちょっと夢見がちな人物ではあるらしかった。 結局、「現時点では治療は不要。何かあるなら再受診を」ということになり、女性はそのまま帰宅した。当人は無駄足だと思っているかもしれないが、この件で内科医を非難するわけにもいかない。最近は、精神科医以外のドクターも精神疾患を見逃さないよう気を遣っているし、それで早期治

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  • “自尊心が低い人ほど、自尊心を高めるリソースも乏しい” に関して - シロクマの屑籠

    先日、厚生労働省が発表した国民健康・栄養調査のなかに「所得が比較的低い人ほど喫煙率が高く、女性では肥満の割合が高い」というものがあった。 [参考]:平成22年国民健康・栄養調査結果の概要 |報道発表資料|厚生労働省 「所得が低い」ということは、おそらく金銭的に余裕が無いだけでなく、知識面も含め、健康増進に割り当てられるリソースが総合的に少ない、ということなのだろう。金銭に余裕が無い→ストレスが溜まりやすく、喫煙や大に走ってしまう→ますます金銭に余裕が無くなる という悪循環。喫煙や大の部分が“ギャンブル”に置き換わっている人も多そうだ。 この話を見ていて私は、「メンタルの領域でも同じ悪循環があるなぁ」と思った*1。例えば、自尊心や自信を欠いているせいでストレスが溜まりやすい→コンテンツやガジェットに溺れてストレス解消&劣等感をしばし忘れる→時間もお金も費やしてしまう→ますます自尊心や自信

    “自尊心が低い人ほど、自尊心を高めるリソースも乏しい” に関して - シロクマの屑籠
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    ortica 2012/02/05
    [search:ローリスク・ローコスト]
  • 「ガチな専門家ほど、ヤバい素人になる」 - シロクマの屑籠

    http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111208-OYT1T00946.htm 国立大学の教授が“不適切な”発言をツイートを連投したために学長から訓告処分を受けるという出来事があった。「一教授の、ネット上での私的な発言を訓告処分する」というのは大学側としても難しい決定だっただろう。とはいえ、この教授の原発関連のツイートが一時期から非常に過激な内容になっていた事を思い出すにつけても、大学としても庇いきれなかったのかもしれない。 震災のあった3月以来、この教授がtwitter上で積極的に発言していたのを私もリアルタイムで見ていた。概ね善意に基づいて発言しているように見えたが、当初から「火山学の考え方への固執」「他領域の専門家の話に耳を傾けない独走」する傾向があったように思う。そうこうしているうちに、彼の発言のトーンはエスカレートしていった。 私は「

    「ガチな専門家ほど、ヤバい素人になる」 - シロクマの屑籠