〈群馬県館林市生まれ。14歳で都内の中学に転校するまでを過ごした〉 一番長く住んだのは米ヒューストンですが、今の私を形成したのは群馬の大地と、そこに住む人間のコミュニティー。暖かいけど冬が厳しい大地で、父母、親戚だけではなく、うるさいくらいおせっかいな近所のおじさん、おばさんがいて、子供たちがワイワイガヤガヤ。みんな貧乏で、父母も必死で働かないといけませんでした。ご飯は大皿料理みたいに何人分か分からない量を作り、それを近所の子もうちで食べたり、逆に私もよそで食べたり。昭和のよき時代で楽しかった。 4人きょうだいの長女で、弟や妹を引き連れていました。近所の小学生から中学1年生くらいまでが一緒に遊んでいて、私は世話役。男のおみこししかなかったので、町内会長のおじさんに、女の子のおみこしを出すべきだって交渉して、作ってもらったり。 〈小学5年生のとき、作文に医師になりたいと書いた。志を貫き、慶応