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統計と認知に関するotori334のブックマーク (7)

  • 第一種過誤と第二種過誤 - Wikipedia

    第一種過誤(だいいっしゅかご、英: Type I error)または偽陽性(ぎようせい、英: False positive[1])と第二種過誤(だいにしゅかご、英: Type II error)または偽陰性(ぎいんせい、英: False negative[2])は、仮説検定において過誤を表す統計学用語である。第一種過誤をα過誤(α error)やあわてものの誤り[3]、第二種過誤をβ過誤(β error)やぼんやりものの誤り[3]とも呼ぶ。なお「過誤」とは、誤差によって二項分類などの分類を間違うことを意味する。 統計的過誤と系統過誤[編集] 過誤は次の2種類がある[注釈 1]。 統計的過誤(Statistical error) 計算や計測で得られた値と真の理論上の値との誤差が、無作為で質的に予測不可能な変動によって生じている場合[注釈 2]。 系統過誤(Systematic error)

  • 相関関係と因果関係 - Wikipedia

    因果関係は相関関係を含意するが、相関関係は因果関係を含意しない。 相関関係と因果関係の関係は、以下のようにも説明される。 因果は相関の十分条件である。 相関は因果の必要条件である。 相関は因果の十分条件でない。 因果は相関の必要条件でない。 「相関関係は因果関係を含意しない」[注 1]は、科学や統計学で使われる語句で、2つの変数の相関が自動的に一方がもう一方の原因を意味するというわけではないことを強調したものである(もちろん、そのような関係がある場合を完全に否定するものではない)[1][2]。全く逆の言葉である「相関関係は因果関係を証明する」は、同時または前後に生じた二事象間の因果関係を主張するが、これは誤謬である。このような誤謬は虚偽の原因の誤謬[注 2]という(ラテン語では「Cum hoc ergo propter hoc.」、直訳すると「それとともに、そしてそれ故に」)。前後即因果の

  • 細胞の理論生物学の学び方(学部前期向け)

    独学をする時の注意点 ここに記載した教科書はあくまで目安です。 前提となる知識や定番の記法やお約束がわからずに教科書や論文を読んでも理解はできません。特に初学の場合は、自分に馴染みのある問題を手がかりにした教科書を探すほうが早いです。いきなり分野の名著を無理に読むより、学生向けに書いたテキストのほうがよっぽど理解は進みます。 また数学や物理の基礎の場合は、必ずしも最新の教科書がいいわけではなく、昔の教科書のほうが良いこともしばしばあります。今の自分にあった教科書を見つけられるのは自分だけなのです。 数学基礎 理論生物学の教科書を読む場合、どうしても最低限必要となる数学(微分方程式・線形代数・ベクトル解析・確率統計など)があります。ここではその基礎的な数学をまとめます。 また志賀先生の30講シリーズは、数学的厳密さより各分野の気持ちを重点的に記載しており副読として使うととてもよいです。 数

    細胞の理論生物学の学び方(学部前期向け)
  • 自己同一性をもたないもの:その知覚と認識 - Humanoid K’s diary

    (少々無謀でも、単純この上ない話) 私たちの視覚は他の感覚より長けている。だから、人は視覚的な動物だと言われてきた。まず強調せねばならないのは、知覚は一朝一夕に可能になるのではなく、生まれて以来長年の学習によって(正常に)見ることができるようになるのである。私たちは視覚の学習訓練の結果、見たものを記憶し、言葉の助けを借りながら、表象し、意識し、想起することができるようになる。そして、その能力が人を人たらしめてきたのである。 ところで、知覚と思考は共通部分をもちながらも、はっきり違っている。ここで、私が主張したいことは「私たちは自己同一性をもつものしか知覚できないが、表象や思考においては自己同一性をもたないものをイメージし、考え、扱うことができる」ということである。普通なら、自己同一性をもつことは思考レベルで認識され、知覚レベルには登場しないと考えられるのであるが、それとは逆の主張である。

    自己同一性をもたないもの:その知覚と認識 - Humanoid K’s diary
  • https://www.omnh.jp/iso/argo/nl11/nl11-1-2.pdf

    otori334
    otori334 2021/08/13
    数えすぎたタニシ “「微小貝」がいくら小さいといって素粒子ほどに小さいわけではなく、カニが光速に近いスピードで走り回っているわけでもない” “推測統計は、すべて見ることができない時に使う、次善の手段”
  • 読書メモ:統計学を哲学する(大塚淳 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    統計学を哲学する 作者:大塚 淳 発売日: 2020/10/26 メディア: 単行(ソフトカバー) 発売後すぐに入手し、夢中になって読んだ『統計学を哲学する』。とても大事なだと感じ、Twitterで次のような(押しつけがましい)投稿もした。 大げさに聞こえるかもしれないことを言います。大塚淳『統計学を哲学する』は、自然科学・情報科学に従事する日語圏のすべての学生や研究者が、まる一週間手元の勉強や研究を止めてでも読む価値のあるだと思います。https://t.co/DHQ1SwnuKb — R. Maruyama (@rmaruy) 2020年10月28日 ところがその後、書店で『統計学を哲学する』を眺めたという知り合いから、次のようなことを言われた。 「哲学者が統計学を語る意味がよくわかりません。」 「数ページ読んでみたけど、哲学用語が頭に入ってこず、やめてしまいました。」 これに

    読書メモ:統計学を哲学する(大塚淳 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 「統計」と「確率」の意味と違い - 社会人の教科書

    「統計」と「確率」の意味と違いとは「統計」や「確率」といった言葉は、仕事や普段の暮らしでも触れる機会の多いものです。どちらも同じ場面で使われる印象があり、意味合いを混同しやすいこの2つですが、実際にはどういった違いがあるのでしょうか。詳しい使い分け方が知りたいところです。 そこで今回は、「統計」と「確率」の意味や違いについて解説していきたいと思います。 「統計」とは 「統計」とは、「集団現象を数量的に把握すること」という意味の言葉です。集団の個々の構成要素がどのように分布しているかを調べ、その集団の属性を数量的に把握することを言います。例えばサイコロを数回振って、1回ごとに出た目や、特定の目が出る割合などを調べるといったことが、「統計」にあたります。読み方は、「とうけい」です。 「統計」の「統」という字は、「すべて」「全体で」の意味を持ち、「計」の字は「かぞえる」「はかる」を意味しています

    「統計」と「確率」の意味と違い - 社会人の教科書
    otori334
    otori334 2020/10/04
    “「確率」は「ものごとが起こると考えられる割合」を調べるのに対し、「統計」は実際に起こったことを元に、そこから振り返って「ものごとが本当に起こる割合」を扱う” 分析と総合
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