id:p-4が主張するように雇用の流動性を論ずるのであれば、切り捨てられる側のことにも目を向けねばなるまい。ここでの汎用機オペレータやCobolプログラマは、汎用機の運用やCobolコードの保守の仕事がある会社に転職できるかも知れないし、LinuxやJavaを勉強し直すのかも知れない。問題は誰がキャリアデザインに責任を持つかということだ。日米で状況は違うが、どちらが正しいというものでもない。 id:p-4 システム全般, 興味深い 「汎用機オペレータとCobolプログラマを切って、LinuxオペレータとJavaプログラマを雇い入れる」→この後の汎用機オペレータとCobolプログラマがどう食うかを語らないとたぶん駄目なんだと。良い方に目がいきがちだけど。 日本では今なお組織が責任を負う一方、米国では本人の責任だ。ここでいう汎用機オペレータやCobolプログラマがプロジェクトに残ったり、よりよ