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2017年3月14日のブックマーク (6件)

  • 『地上の星』の歌詞の意味がやっとわかった話~東日本大震災から6年経って考えたこと~ - 鳥頭奮闘記

    東日大震災からもう6年になったんですね。 あの日の衝撃は今も忘れられません。テレビで見ているだけでもそうなのに、実際被災した方々の心の痛みは察するに余りあるものがあります。 被災地の方々の心の傷が一日でも早く癒えることを願ってやみません。 今日は「そっかーあれが6年前になるのかー」とぼんやり考える中でわかった中島みゆきの『地上の星』の歌詞の意味について。完全なる自己解釈になりますので、そういう考え方もあるんだなーぐらいのノリで捉えておいてくだしあ。 『地上の星』中島みゆき www.youtube.com 地上の星の歌詞はこんな感じです。 スポンサーリンク 「地上の星」とは忘れ去られたスターのこと この歌を知ったのが小学生の頃。なんか難しい歌詞だと子供ながらに思った気がします。そもそも何がわからなかったって「地上の星」という言葉の意味がわからなかったんですよね。この言葉が意味するものとは一

    『地上の星』の歌詞の意味がやっとわかった話~東日本大震災から6年経って考えたこと~ - 鳥頭奮闘記
  • ニンテンドースイッチは親子関係を悪くするかどうか問題

    Nintendo Switch(ニンテンドースイッチ)には、久々に物欲を刺激されました。 すごくすごく欲しいのですが、ひとつわからないことがあって、躊躇しています。 それは、「スイッチは親子関係を悪くするんじゃないか」ということ。 まず前提として、我が家のゲーム環境のご紹介をば。 個人としてはゲームという業界や世界には魅力を感じていますが、子どもには、あまり背中を丸めて長時間画面とにらめっこして欲しくないので、たまにiPadのカジュアルゲームを触らせるくらい、にしています。 で、スイッチ。 僕の勘違いだといいのですが、確かスイッチは、据え置きゲーム機として遊ぶ場合にはテレビ画面に映し、ドックから取り外すと自前の液晶画面で携帯ゲーム機になるんですよね? 基的には、ドックはテレビにつなげるんですよね? そして、ドックから取り外したゲームは、持って外出もできるし、一方で、ドック単体とコントロー

    ニンテンドースイッチは親子関係を悪くするかどうか問題
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/14
    愚かな。それは、家庭内の統治と政治の問題をゲーム機のせいに転化しているようなものだ。むしろ一台のゲーム機を家族全員でシェアし、分かち合うための取り決めが必要だろう?父親よ、あなたは何をやっている!
  • コミュニケーション強者は、他者の承認欲求を極めて巧みにコントロールする。

    人は多かれ少なかれ「承認欲求」によって突き動かされる。 ということはつまり、自分の承認欲求は抑制し、他者の承認欲求を満たせる人、つまり 「自らは控えめにし、代わりに他者を持ち上げる人」 が、いわゆる「コミュニケーション強者」になりやすいということだ。 そして、一部の政治家、経営者など、カリスマ的能力のある人は、この承認欲求の操作に極めて長けている。 例えば、最もカリスマ性があるとと言われた政治家の一人、田中角栄には、次のようなエピソードがある。 田中は秘書から金を配るとき、秘書の方から頭を下げて、納めてもらうべく丁重にお願いするように指示した。 「いいか、きみが候補者にカネをくれてやるなんて気持ちが露かけらでもあればかならず顔色に出る。そうすれば相手は百倍、千倍にも感じる。百万、二百万を届けたところで一銭の値打ちもなくなるんだ。」*1 この言葉こそ、承認欲求コントロールの達人の言葉だろう。

    コミュニケーション強者は、他者の承認欲求を極めて巧みにコントロールする。
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/14
    なんやかんや言っても、自然と人の上に立っていく人には、こういうのが上手な人が多いと思う。人たらしだ。
  • 僕の「あちら側」 - ←ズイショ→

    自分にとってのふつうとは違った形をしていて得体が知れなくて正面からまじまじと見据えるのがなかなかに堪える存在どもを人はたびたび「あちら側」に追いやる。そこには大抵の場合、嫌悪か憐憫か嘲笑かの色がつく。 そういう態度がいかにも立派だとは当然言い難いわけだけれど、それが彼らの世界とうまくやるためのせいいっぱいなのかもしれないな、とも思ったりする。 みんな、せいいっぱいでいっぱいいっぱいなんだなということが最近は想像できるようになってきた。みんな自分が一番かわいくてその次にかわいいものと次の次にかわいいものとを自分の都合で選んでる。そうして自分のかわいいものを全部抱え込むより遥か手前で気付けば両手はいっぱいいっぱいになっている。人間は優しくしたい風には優しくできない。人間は優しくしたいだけ優しくはできない。人間が優しくない生き物だとするならば、その理由は1日が24時間しかないからだ。1年でひとつ

    僕の「あちら側」 - ←ズイショ→
  • 「承認欲求」はレベルアップできる――独り勝ちではない幸せを求めて――『認められたい』をよむ : 正田佐与の 愛するこの世界

    ネット時代の「承認欲求」について語らせたら第一人者、Dr.シロクマこと精神科医・熊代亨氏の新著『認められたい』(ヴィレッジブックス、2017年2月28日)が出た。 表紙の可愛らしい男の子と女の子のイラストの目がまっすぐにこちらを見てくる。(を読まない時代、「イラスト」の存在は大きいですね。) 「私は精神科医として、一人のインターネットマニアとして、私自身と他の大勢の人々の『認められたい』気持ちと、その気持ちに引っ張られた人生模様を観察し続けてきました。」 と、熊代氏は書く。 きわめて大きな切り口だ。ネットで否応なく肥大した承認欲求の観察というのは。 (アメリカではそれを「ナルシシズム」という文脈で考えているようにみえる) わたしはちなみに、承認を長くやっていますがここまで丁寧に「承認欲求」を観察していない。多くの人がそうであるように「承認欲求」の観察というのは気恥ずかしいものだ。自分の奥

    「承認欲求」はレベルアップできる――独り勝ちではない幸せを求めて――『認められたい』をよむ : 正田佐与の 愛するこの世界
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/14
    承認欲求や所属欲求そのものにも、レベルアップ(=成熟)があり、それを育てていくための副読書として『認められたい』を書きました。
  • 性の悦びおじさんを笑った人へ|yuzuka|note

    「性の悦びおじさんが死んだ」 その書き込みを見た時、得体の知れない胸騒ぎが「形になった」気がした。 私が最初に彼を知ったのは、彼を知る殆どの群衆と例外ではない「Twitter」での拡散動画を見たのがキッカケだった。 タイムラインにリツイートされてきたその動画を再生して、悲しくなったことを覚えている。 「こんなものを平気で拡散する人がいるのか…」 これはなにも、彼の動画が初めてではない。 今までも数多くの「一般人の奇行」を盗撮した動画が、不特定多数の人に拡散され、ネット界を独り歩きしてきたのだ。私はそんな動画を見る度に、心が痛んだ。 あの動画を「撮った」人がいる。ネットに流出した動画を見て「笑った」人がいる。そしてそんな彼をまた、他人に「見せようとする」人がいる。 彼らの動画を見て、もしくは彼らの実際の姿を見て、当に何も思わないだろうか? 乗客が多数いる車内で、大声を出す。道を歩きながら突

    性の悦びおじさんを笑った人へ|yuzuka|note
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/14
    この問題は、ユーザーのレイヤー、本人のレイヤー、「病院外で遭遇した人に精神疾患に該当するのではと思った時にどう振る舞うのか問題」のレイヤー等が錯綜していて、整理しながら語るのは結構大変、という印象。