広州の物流業界で働くソマリア人のアリ・モハメド・アリさんは大卒だ。「きょうだい5人はみな欧州に行ったが、結局タクシーの運転手や警備員になった」と述べる。自身は東洋に向かうことで機会が広がったという。 ギニア出身のマディナ・ディアロさんはマットレスやポップコーン製造機などあらゆる製品をコンテナで輸出し、母国で販売するビジネスを展開。2002年には37万5000ドルの年収があった。ギニアの1人当たりの国民総所得は470ドルだ。 模造品もお金になった。こう指摘するのは、かつてセネガル空軍で航空機エンジニアを務めていたムスタファ・ディエンさんだ。セネガルでは一時、中国で買い付けたアディダスやナイキの模造品を正規品と同じ値段で売れることができた。中国製の模造品だとは誰も気づかなかったという。 広州は約束の地となり、移住してくるアフリカ人はさらに増えた。 ◇ 次回「色あせるチャイニーズ・ドリーム<2>