政治学者の吉野作造は、1918年11月『中央公論』に寄せた「言論自由の社会的圧迫を排す」において、言論の自由を圧迫するものとして「国家的なるもの」と「社会的なるもの」のふたつをあげ、とくに見落とされがちな後者に注意を促している。 言論の自由に対する圧迫は、国家からの弾圧だけではなく、社会からの突き上げによっても起こる。この指摘は、今日でも学ぶべきところが少なくない。 吉野の論考は、白虹(はっこう)事件に関連して発表された。これにはやや驚かされる。というのも白虹事件は、国家権力がメディアを弾圧した典型的な事件といわれているからだ。 今年はちょうど白虹事件の発生から百年にあたる。有名な割に、この事件の全体像は必ずしも広く知られていない。メディアバッシングが激しい今日、このことは惜しまれる。そこで、社会的な圧迫の観点から白虹事件をあらためて振り返ってみたい。 不用意な言葉づかいが命取りに はじめ
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