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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (220)

  • 『パーティーが終わって、中年が始まる』にかこつけて日本社会を語ってみる - シロクマの屑籠

    2024年7月は複数の原稿・ご依頼が重なり合い、生きた心地がしなかった。でも、phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』には目を通してみたくなって、頑張った私へのご褒美として週末に読んだ。この文章では、前半で同エッセイについて簡単に紹介し、後半は同エッセイにかこつけて日社会のパーティーが終わった件について好き勝手なことを書く。 パーティーが終わって、中年が始まる (幻冬舎単行) 作者:pha幻冬舎Amazon 『パーティーが終わって、中年が始まる』は、かつてはシェアハウスを運営し、京大卒ニートとして一世を風靡したphaさんが2024年に出した新作エッセイだ。SNSなどをとおして、phaさんが既にシェアハウスから退き一人暮らしをしていたことは知っていたから、そうしたライフスタイルの変化が綴られている書籍だろうと予測していたが、実際、そうだった。phaさんが実体験したライフスタイル

    『パーティーが終わって、中年が始まる』にかこつけて日本社会を語ってみる - シロクマの屑籠
    peketamin
    peketamin 2024/07/29
  • RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp 「郊外都市には文化が無い」、というタイトルの文章がはてな匿名ダイアリーを読んだ。 タイトルが、なんだか大きな釣り針だ。ただし、この名古屋近郊に住んでいる筆者はあるていど誠実だ。というのも、 この街の文化と呼べるものに触れ合った記憶が無い。 生まれも育ちもここなのに郷土史とか一切知らねえ。 名古屋やその近郊に文化が無いと言い切っているのでなく、名古屋やその近郊の文化を自分は知らない、と書いているからだ。 たとえば自宅と職場とショッピングモールだけを往復している生活をしていたら、自分の暮らしている場所の文化についてロクに知らないこともあるだろう。交通網が発達し、地域共同体への依存度が低いニュータウンで暮らしていれば尚更だ。 それについて、名古屋を街歩きした時を思い出しながらちょっと書いてみる。 名古屋近郊の住宅地には文化が[無い|ある] まず、名古屋近郊のg

    RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠
    peketamin
    peketamin 2024/07/12
  • 「向精神薬で自意識や虚無感の悩みが治る?」&「近代に根ざした自意識や虚無感は時代遅れでは?」 - シロクマの屑籠

    物語のパターンは既に出尽くしてる問題に絡めてだけど、近代に流行した屈とした自意識や虚無感、20世紀後半にいい薬がたくさん発明されたおかげで「心療内科にいってお薬を飲めばいいのに」で解決してしまって、物語としての強度を保てなくなってる。— 小島アジコ (@ajico_k) 2024年6月25日 6月25日、小島アジコさんが上掲のような投稿をXにしているのを見かけました。でも、あまりに忙しかったから私は、「向精神薬は個人の気分や行動に作用するし精神疾患に有意差のある改善をもたらすけれども、自意識や虚無感の問題は解決してくれないんじゃない?」とXに書きました。ただ、これは返信の半分(をダイジェスト化したもの)でしかなく、7月になったらブログにまとめよう、と思っていました。 そうしたら、アジコさんのほうが手が早くて、6月27日に「物語のパターンは既に出尽くしてる問題に絡めてだけど、近代に流行した

    「向精神薬で自意識や虚無感の悩みが治る?」&「近代に根ざした自意識や虚無感は時代遅れでは?」 - シロクマの屑籠
    peketamin
    peketamin 2024/07/05
  • 「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠

    最近、忙しくてブログがなかなか書けないなか、面白そうな話題がTLを駆け抜けていった。togetterに、それがまとめられている。 togetter.com 「昔の方が暴力が横溢していたのに、なぜ今になって不登校やひきこもりが増えているのか」について、いろんな人がいろんな意見を述べている。不登校、というのも意外に新しい概念で、昔は登校拒否という言葉が使われていて、それ以前には、農業手伝いなどの理由で親が子どもに学校に通わせない、なんてこともあった。昭和の終わりになっても、田植えや稲刈りの時期になると学校を抜けて家業を手伝うクラスメートがいたものである。もちろん、今日の不登校においては農業手伝いのために学校に行かない・行けないという事情は滅多になくなっているだろうけれども。 で、不登校については、増加し続けている。少しネット検索してもらえれば右肩上がりのグラフにいくらでも出会うはずだ。コロナ禍

    「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠
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    peketamin 2024/06/10
  • 取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠

    今、研修医時代ぐらい忙しくて生きた心地がしない&働きすぎで急速に老け込みそうだと感じていますが、そうしたなか、書評のお仕事をいただきました&こなしました。 gendai.media 書評させていただいた作品は村雲菜月さんの『コレクターズ・ハイ』。上掲リンク先にも書いたように、コレクション大好き系のオタクの物語だと決めてかかると足元をすくわれる思いがするかもしれません。 コレクターズ・ハイ 作者:村雲菜月講談社Amazon 作品にどのようなメッセージが含まれているのか。これは読み手次第でしょうけど、私には、以下のポイントが刺さりました。 1.たとえばキャラクターグッズをコレクションしている時、私たちはどこまで癒されていて、どこまで行動嗜癖的に病んでいるのか 2.資主義の商品を作ったり、資主義の商品そのものになったりして疲れ、傷ついている私たちが、それを癒す際にも資主義の商品に依存し、と

    取引みたいなコミュニケーションは、誰にとって都合良いのか - シロクマの屑籠
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    peketamin 2024/05/14
  • 40代の終わりに、年の取り方について私が考えていること - シロクマの屑籠

    残り時間がどれぐらいかわからないなかで、どう日々を過ごし、年を取っていくか。 1975年生まれの私は、今、40代最後の時間を過ごしている。40代のはじめのうちは、中年になったことの驚きがあり、そこに今までに無い面白さを見出していた。その驚きと面白さを言語化したのが『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』だったが、5年以上の歳月が流れ、当時の驚きと面白さは過去のものになった。老年期が始まった時に再び面白さと驚きを発見するかもしれないが、現在の私は中年期のたぶん真ん中にいて、とにかく中年をやっている。 そうしたなか、40代最後の時間を全力で駆け抜けてきた。寿命が縮むような橋も渡ってしまっただろう。そのかわり自分がやりたいことをやりたいように・悔いの残らないように挑戦できたのはとても良かったと思う。 年を取っていくスタンスには大きな個人差があり、年齢の数字にこだわ

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    peketamin 2024/03/27
  • 現代人は本当に思想に飼われている - シロクマの屑籠

    president.jp リンク先の文章は、拙著『人間はどこまで家畜か』を一部引用しつつ、ひとまとまりの読み物として再編成しプレジデントオンラインさんに載せていただいたものだ。私たちは資主義にいいように飼い馴らされ、その資主義をますます充実させるための資の乗り物、それか家畜として使役されちゃっていませんか? といった話が中心になっている。 だが、現代人のマインドに根を下ろし、現代人をいいように飼い馴らし、現代人を動機づけている思想は資主義だけでもあるまい。 ぜんぶ挙げようとするときりがないが、『人間はどこまで家畜か』では、現代人を飼い馴らす思想として、資主義に加えて個人主義と社会契約、それから功利主義を挙げている。思想などという実体のないものに何ほどの力があるのか? と疑う人もいらっしゃるだろうし、そうした思想をつくりだしたホッブズやルソーやベンサムといった思想家の重要性は実感し

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    peketamin 2024/03/19
  • 反出生主義という人類滅亡のミーム - シロクマの屑籠

    ※この文章は、黄金頭さんへの返信のかたちをとった、私なりの反出生主義についての考えをまとめた文章です※ blog.tinect.jp こんにちは黄金頭さん、p_shirokumaです。拙著『人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』をお読みくださり、ありがとうございました。今回私は、どうしてもこのを読んでもらいたいブロガーさん数名におそれながら献させていただきました。受け取ってくださったうえ、ご見解まで書いてくださり大変うれしかったです。 『人間はどこまで家畜か』を黄金頭さんに献したかった理由は2つあります。 ひとつは、黄金頭さんが書いたこのブログ記事のおかげで『リベラル優生主義と正義』に出会えたからです。 リベラル優生主義と正義 作者:桜井 徹ナカニシヤ出版Amazon 今は8000円台で推移していますが、一時期、このには30000円ぐらいのプレミアがついていま

    反出生主義という人類滅亡のミーム - シロクマの屑籠
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    peketamin 2024/03/02
  • 『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠

    人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書) 作者:熊代 亨早川書房Amazon 先日、大和書房さんから『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』という書籍を発売していただくことになりました。 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯から成り立っていて、私たちにどんな課題が課せられ、どういった現代特有の生きづらさを生み出しているのかを考えるタイプの書籍で、2月21日発売予定の『人間はどこまで家畜か』は後者のタイプにあたります。 同

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    peketamin 2024/02/01
  • 私にとって、オタクやキャラクター消費の話は社会の話なんです - シロクマの屑籠

    cider_kondoのブックマーク / 2024年1月23日 - はてなブックマーク シロクマ先生、今ホッテントリってる意地悪婆さん話もそうだけど、こういう業と社会の変化踏まえた考察の方が(よく書いてる迷走してるオタク論みたいなのより)圧倒的に面白いよな… こんにちは、はてなブックマークユーザーのcider_kondoさん。熊代です。先日のブログ記事に上掲コメントをくださりありがとうございました。これに関して、cider_kondoさん個人に返信したいと思います。 長く相互認識している人でなければ返信は難しい 少しだけ前置きを。 私は現在、ブログ側からはてなブックマークに返信するのは難しい、と感じています。00年代の頃は見知らぬはてなブックマークユーザーに返信するのも気軽で、ブロガーがそうしている様子をしばしば見かけたものです。しかしはてなブックマークを中心としたコミュニティが希薄化し

    私にとって、オタクやキャラクター消費の話は社会の話なんです - シロクマの屑籠
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    peketamin 2024/01/26
  • 「無限労働中年になれた」が勘違いだった話 - シロクマの屑籠

    年齢とともに気持ちが変わり、ライフステージも変わる。すると、生活や趣味や働き方も変わる。そういうことに関心をずっと寄せていた私にとって、2023年という時は「オレ、無限に働ける中年になれたのでは?」と思える一年でした。 その気持ちを書いたのが『50歳が近づいてきた中年の人生は「香車」のよう』というタイトルの、books&appsさん向け文章だったのですが、12月も後半になってきて、だんだん「香車」やってられなくなってきまして。 blog.tinect.jp 上掲リンク先を書いたのは11月の後半ぐらいで、その頃はまだ仕事やミッションに全力投球を続けていたんですが、12月に入って疲弊してきて、年の瀬に入って「これじゃ身体かメンタルのどちらかがぶっ壊れる」と思って全力投球モードをやめました。で、全力投球モードをやめて最近は何をしているかというと、宇宙探索です。 2020年に紹介記事を書いたことの

    「無限労働中年になれた」が勘違いだった話 - シロクマの屑籠
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    peketamin 2023/12/28
  • 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

    今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面 この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。 おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見て

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    peketamin 2023/12/21
    90年代のネット参加者は「回線の向こうには人間がいる」ことをわきまえてる人たちだったなあ。小さな共同体的な雰囲気があった
  • いつまでも あるかわからぬ 長寿の国 - シロクマの屑籠

    今日、ある方から「日人のエイジングについて」質問をいただいたこともあり、久しぶりに日人の平均寿命についてググってみたんですよ。そうしたら、以下のような読み取りやすいグラフがあって。 *こちらのグラフは高齢者住宅ジャーナルさんが出典となります* 皆さんは、この表を見て何を感じますか。病院に勤務している人なら、2020~2021年あたりは高齢者があまり亡くならない年だった、そのぶん2022年は亡くなる高齢者が多かった、などと思い出すかもしれません。コロナ禍の影響はここにも現れていますね。 私は、ぼんやりグラフを眺めながらこう疑問に思いました。「20年後、同じぐらい高齢者の平均寿命は長いものだろうか?」と。 このグラフの目の付けどころはどこでしょう? 医療行政の充実や医療技術の発展によって平均寿命が延びているさま、ひいては国民の健康が促進されているさま、と着眼する人は多いでしょうし、それ自体

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    peketamin 2023/11/11
  • 恩義と報恩の間で自分に何ができるのか - シロクマの屑籠

    年を取って、報恩、ということを考えるようになった。 報恩。恩に報いること。私には恩義のある人がたくさんいる。そのような人がたくさんいたこと、且つ、そのような人がたくさんいたと認識可能であることは幸福なことだ。このふたつの条件が揃っている人は必ずしも多いとは言えない。ゆえに、輪廻の輪のなかでそうであることが次にいつ訪れるか想像もつかない。 では自分は、恩義のあった人々に応えることができているだろうか。 恩義を返すといっても、世代差、教える側と教わる側の差、そういったものがある。だから恩義を返すといった時、いわゆる親孝行のようなかたちで直接的に恩義を返せる間柄は思うほど多くない。自分が研修医だった頃を思い出す。そのとき、教授や指導医をはじめ、多くの人から教えをいただきお世話になった。その範囲は自分の科だけではない。医師という職業だけに限ったものでもない。なかには、比較的短い期間だけお世話になり

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    peketamin 2023/11/06
  • いろいろ役に立つ「体」の運用について - シロクマの屑籠

    saize-lw.hatenablog.com つい先日、「体(てい)」というキーワードで実践的な内容を見事に言語化しているブログ記事を見かけた。昔は、こういう面白くてためになるブログ記事、有用だけど一部の人たちの嫌悪や反感を買いがちなブログ記事には大勢のブロガーが言及記事を次々にアップロードしたものだった。残念ながら2023年にはそんなブロガーはほとんど存在しない。はてなブックマークの100文字以内のコメント、それかツイッターの140字以内のコメントで言及欲や言語化欲を満足させてしまう。 私は、何かグシャグシャと書きたくなった。 いろいろ役に立つ「体」の運用について、私なりに言語化してみたい。 その前に、リンク先のブログ記事の優れっぷりについて少しまとめてみたい。 筆者は採用面接や職場における「体」の重要性を説明している。ここでいう「体」とは体裁の「体(てい)」のことだが、「他の人に向け

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    peketamin 2023/10/25
  • 介護されたい高齢オタクを引っかける釣り針がすごい──『葬送のフリーレン』 - シロクマの屑籠

    これから書くことは『葬送のフリーレン』評ではない。なぜなら『葬送のフリーレン』という厚みのある作品の全体像をうんぬんするものでなく、作品のごく一部、作品に仕掛けられている数ある釣り針のひとつに注目し、「これは介護されたい高齢オタクが釣られるしかない、見事な釣り針ですなぁ」とテカテカする趣向のものだからだ。 釣り針というのは他でもない、『葬送のフリーレン』が、介護されたい高齢オタクが過去と現在に思いを馳せて願望するのに都合良い作品としてつくられているからだ。繰り返すが、『葬送のフリーレン』の魅力はそれだけじゃない。エルフと人間の寿命の差や時間感覚の差、勇者の遺したもの、人類の英知と技術革新etc...、そういったものを支える作者の洞察の泉はどうなっているんだろう? と惚れ惚れしてしまう。ただ歳月を感じさせる作品でなく、まして寿命チートを連想させる作品では決してなく、歳月の果てにしか宿らない旨

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    peketamin 2023/10/19
  • 働きすぎるとブログもSNSもできなくなって視野も狭くなるな - シロクマの屑籠

    2023年に入ってから働きすぎているが、9月ぐらいから労働が極まってきて、次第に息が詰まりそうになったり睡眠がとりづらくなってきた。実働時間でいえば研修医時代を上回っている気がする。寝ている時間以外、だいたい何かをやっているからだ。 20代や30代の頃、働くのはとにかくイヤなことで、それが仕事である限りともかく負担だった。それに比べれば今は仕事慣れしているし、その一部が自分の関心領域に寄ってくれたとも言える。特に文章をつくる方面は今でも好きだ。手が痛くならない限りで、カルテを書くのだってそれなり好きだったりする。 で、朝から晩まで、楽しみといえば『葬送のフリーレン』を観ることぐらいの毎日を過ごしていると、時間的制約以上に体力的制約から、ブログやツイッターを書くことが難しくなり、新しい小説やアニメやゲームに触れることも難しくなる。『ブルアカ』や『セーリングエラ』が遊びかけのまま私の帰りを待っ

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    peketamin 2023/10/18
  • 人間は身勝手な危険動物だから、ザリガニを勝手に増やし勝手に殺すのも通常運転 - シロクマの屑籠

    www.asahi.com 虐殺が行われるのを、ただ見ていた。 令和5年の夏のある日のこと。現場には少し前の日からロープが張られ、午前8時頃、作業着姿の中年男性たちが白いハイエースに乗って現れた。発動機の音高く、草刈り機が起動する。土地を覆う植物たちは無残に薙ぎ払われ、小さな蝶やバッタ、コオロギたちが逃げ惑っていた。地面に放り出された芋虫が、鳥たちについばまれていく。 しかしそれも前奏曲でしかなかった。 当の破局はお昼過ぎに訪れた。小さなダンプカーがやってきて、草刈りが行われたばかりの大地に土砂を流し込んだのだ。小さな命を揺籃してきた緑の楽園が、茶色い土や礫に埋め尽くされていく。作業はその日いっぱい続けられ、おそらく、蝶の幼虫たちはなすすべもなく死に絶えた。背の高い草木にはセミの抜け殻もついていたから、地下に残された彼らも助からないだろう。コオロギやバッタのなかにはアスファルトを横断し、

    人間は身勝手な危険動物だから、ザリガニを勝手に増やし勝手に殺すのも通常運転 - シロクマの屑籠
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    peketamin 2023/09/04
  • 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠

    今回の内容は、以前にも誰かが書いていたかもしれない。でもこれから私が書くことを一字一句違わず書いた人はいないはずだから、誰かに届くかもと期待しながら記してみる。 インターネットの普及期と現在を比較して、違っているところを挙げるとしたら何が挙がるだろう? アングラ感の強弱。インターネットの多数派がどんな人なのか。コミュニケーションの主な手段がウェブサイトかブログかSNSか動画か。挙げれば色々ある。 今日、まとめたいのは「誰もが表現者になれる時代の終わり」についてだ。 インターネットではさまざまな新しいネットサービスが流行っては廃れを繰り返してきた。そして共通点がある。どのサービスでも、流行期には「誰もが表現者になれる」という夢が薄らぼんやりと漂い、それに釣られて集まってくる人々がいた。 90年代から00年代のはじめはウェブサイトの時代だった。この頃インターネットをはじめたアーリーアダプターた

    誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠
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    peketamin 2023/08/30
  • 「俺が借りなきゃ誰が借りる」──図書館の利用、それと貢献 - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp 黄金頭さんがbooks&apps図書館利用について文章を書いてらっしゃった。エッセイと呼んで似合いの文章だと思う。はてなブログのエッセイストとして、はじめのほうに名前の挙がるブロガーではないだろうか。 図書館の利用については私にも来歴があり、思い入れがある。 触発されてそれを書いてみたくなった。書いてしまえ、と思う。 図書館を借りることを忘れていた 私は小さい頃から図書館に連れていってもらっていたので図書館を借りることには抵抗がない。当時の実家には蔵書と呼べるものはなく、狭い廊下の棚には父の職業上の専門書と『史記』が、それと母が親族からもらい受けた、古びた子ども向け図鑑一式と絵が収納されていた。それらのおかげで小中学生の頃は国語と理科と社会については苦労しなかった。 けれども高校時代からしばらく、図書館のことは忘れていた。大学生時代、レポートをつ

    「俺が借りなきゃ誰が借りる」──図書館の利用、それと貢献 - シロクマの屑籠
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    peketamin 2023/08/09