前回の「「lemon」に流れる無常観|より深い解釈のための仏教の視点(前)」では「lemon」は亡くなった人へ生きている人が伝えたいことを歌った曲として、蓮如上人の「白骨」という文章を通して見てみました。 今回はその逆に、「lemon」を亡くなった人が生きている人に伝えたいことを歌った曲だとして、仏教を通して考えてみたいと思います。 「lemon」を逆再生すると?「lemon」の映像は初めは静かな様子で始まります。 踊っている女性も最初は静かで、外国の方々も静か、米津さんも静かです。 それが曲の後半になるにつれてだんだん静→動となり、動きが激しくなります。 私はこれを見て、大事な人が亡くなったとき、初めは信じられず、受け入れられなかった。それがだんだんと受け入れられるようになり、同時に悲しみや苦しみが溢れてきた、というような印象を受けました。 「lemon」にはアメリカでは欠陥品、不完全な