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橋本治に関するphaのブックマーク (10)

  • 内田樹「説明する人−橋本治」in 橋本治「明日は昨日の風が吹く」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    集英社 2009年9月 以下に論じるのは、内田氏の橋治論なのだが、橋氏の既刊の6冊の「ああでもなくこうでもなく」から抜粋したコラムと「広告批評」に掲載されたまま単行未収載のままであったコラムを収めた「明日は昨日の風が吹く」に附された「解説」である。しかもこのは、「まえがき」?で橋氏が、内田さんの書いていることは大体その通りかなとも思うけれど違うところもあるよと書いている、そういう変な構成になっている。 前に「橋治と内田樹」という妙ながあって、橋氏の前で内田氏がただ、じたばたしているというような印象のであった。そうなってしまうのは内田氏が普通のを書くひとであるのに対して、橋氏が来なら絶対になど書かないはずのひとであるからである(それにもかかわらずとんでもない量のを書き続けているが)。 要するに内田氏はインテリであるのに対して、橋氏はインテリではない。知識人業界

    内田樹「説明する人−橋本治」in 橋本治「明日は昨日の風が吹く」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 橋本治さん 「ひらがな日本美術史」完結 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    作家の橋治さんが書き継いできた『ひらがな日美術史』(新潮社、全7巻)が完結した。「芸術新潮」誌で連載を始めてから13年半、一人で通史を書き切った形だ。その才気あふれる視線は何を見て取ったのか。(前田恭二) 「埴輪(はにわ)はかわいい」――縄文時代でなく、いきなり古墳時代の美術を取り上げた。似絵(にせえ)は「線の美しさを見ればよいのだ」と言い切り、懐月堂安度(かいげつどうあんど)の美人画を「大津絵の都市版」と喝破する。ただし、仏像はあまり登場しない。最終7巻の近代編では横山大観らを取り上げず、亀倉雄策の東京五輪ポスターで、あっさり幕を閉じた。 独断のようだが、好き嫌いでは書かなかったという。「好き嫌いは自分で開けたドアから入ること。そうではなくて、『いい悪い』で書いたつもり。いいんだろうか……という探り方をすると、ぱたーんとドアが開くことがある。すると『好き』に変わる」。自身も書きながら

  • 『ひらがな日本美術史7』 橋本治 | 新潮社

    シリーズ最終巻は近代篇。高橋由一「鮭」、川端龍子「源義経」、竹久夢二「立田姫」、亀倉雄策「東京五輪ポスター」など、明治から昭和30年代までをひとっ飛びに総括。「国宝であろうとなかろうと、いいものはいい」――硬直した「日美術史」を柔らかく解きほぐし、ビジュアルを以て日史のあらすじを描く壮大な試み。画期的美術批評!

    『ひらがな日本美術史7』 橋本治 | 新潮社
  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

  • ニコニコ動画で見る橋本治 - phaの日記

    ニコニコ動画に橋治の講演とラジオの録音なんてものがあってびっくりした(声のみで映像は静止画)。 88:30 07/08/29 22:00 投稿 橋治 ぼくたちの近代史(@池袋コミュニティ・カレッジ '87.11.15) テープからなので音はあまり… 50:27 07/09/11 14:18 投稿 「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋治]その1 07/08/14にNHKラジオ第一で放送されたものです。 47:39 07/09/11 14:05 投稿 「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋治]その2 07/08/14にNHKラジオ第一で放送されたものです。 僕は高校生の頃からもう10年くらいずっと橋治の読者なのですが、文章を読むばかりで動画や声は全然見たことも聴いたこともなくて、まあ別に文章だけ読んでたらいいやとも思ってたんだけど、やっぱり声を聴いて

  • 「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋本治]その2

    07/08/14にNHKラジオ第一で放送されたものです。

    「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋本治]その2
  • 「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋本治]その1

    07/08/14にNHKラジオ第一で放送されたものです。

    「源氏物語」・真夏の夜の夢トークスペシャル[第三夜 橋本治]その1
  • ニコニコ動画(RC2)‐橋本治スーパー6時間講演会「ぼくたちの近代史」(@池袋コミュニティ・カレッジ,1987年11月15日)

    テープからなので音はあまり…

    ニコニコ動画(RC2)‐橋本治スーパー6時間講演会「ぼくたちの近代史」(@池袋コミュニティ・カレッジ,1987年11月15日)
    pha
    pha 2008/02/01
    こんなものが!
  • 橋本治「小林秀雄の恵み」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新潮社 2007年12月 橋治氏の「小林秀雄の恵み」を読んで、久しぶりに“を読んだ”という気がした。“”を書くというのは、何かいいたいことがあり、それを充分な紙幅にわたって展開することだと思う。橋氏の近著「日の行く道」(集英社新書 2007年11月)も面白かったが、これはあきらかに紙幅がたりない。事実「当はもっと長くてもいいのですが、新書には「限界」もあるらしいので、これで終わりです」とある。最低でもこの3〜4倍の長さは必要なのだろうと思う。それを新書におさめるために、エピソードを二つならべて、次にいきなり結論、エピローグという構成になっている。これで理解できるためには、橋氏の論に普段せっしていることが必要で、それをしていない人間は「日の行く道」を読んだら、何がなにやら、であろう、と思う。そういうものを単著として出すというのはいかがなものなのだろうか? 「上司は思いつきでも

    橋本治「小林秀雄の恵み」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 2008-01-11

    昨日は橋治氏の講演。時間をかなりオーバーして終了。文章そのままな感じの話しぶり。面白く聞いた。 今回のメインは橋氏の古典関連仕事についてだったのだけど、橋氏は「なぜ古典がわからないのかというと、そこに「わからないこと」が書いてあるからなんだ」という話をされていた。 「わからない」とは、「そこにある言葉について、知識も何もなくちんぷんかんぷんな状態」と言えばいいか。「頭の中に何も思い浮かべられない状態」と言えばいいか。 橋氏は編み物のを出すに至った経緯について「編み物が身近でもなんでもない男性が、さて編み物をやろうと言うとき、どこに行けば材料が用意できるのかと言うこともわからないわけだから、そこから書いた」という話をされていた。その物事に既に慣れていて、親和性のある人にとっては「別にどうってこともないこと」になっていることだと、「わからない」と他の人に言われたときに、「何故わからな

    2008-01-11
    pha
    pha 2008/01/11
    橋本治の講演
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