やっぱり、余裕がないですから、 どうしてもネタになることが 優先されるんですね。 とにかく、ネタ、ネタって、 鵜飼いの鵜のように、 ネタを飲みこんでは、すぐに吐き出して。
やっぱり、余裕がないですから、 どうしてもネタになることが 優先されるんですね。 とにかく、ネタ、ネタって、 鵜飼いの鵜のように、 ネタを飲みこんでは、すぐに吐き出して。
もう、それすら忘れかけてますけど、 震災が起こる前っていうのは、 じつは世の中にいろんな行き詰まりがあって。
そのあたりのことは、 『できることをしよう。』という本の インタビューのときにも答えているんですが、 まず、できないことを言うのはやめようと思った。 つまり、ヘリコプターをチャーターして助けに行く、 なんてことをやれるような スペシャリストじゃないぞ俺は、と。 医者でもないし、道もないところに 駆けつけたからってなんにもできないし。 だからといって、 どこどこに孤立した人がいます っていうのをリツイートし合って、 救援部隊の数が限られているときに、 危ないぞ、危ないぞって、 でかい声だしてるのも怖いなと。
ぼくは、おもにツイッターを通じて 佐々木さんのことを知っているわけですけど、 最近、佐々木さんがおっしゃっている 「当事者主義」っていう視点が おもしろいなあと思っているんです。
あのね、ま、言いづらい話なんですけど、 世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが すごくたくさんいてね、多くの場合、 その人たちが迷惑をかけるんですよ。 なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、 すごく頭のいいことを考えて、 みんながそれに従えば 世の中がよくなると思ってるんです。 で、法律や、決まりや、 マニュアルをたくさんつくる。 それに従えば幸せがやってくると思って。 「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。 でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、 「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、 「俺、じつは読んでないんですよ」とか、 「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。 そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、 「どうして大衆ってバカなんだろう」って もう、涙を流しながら思うんです。 「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。 でもね、彼らが言うようなことが
Aかな、Bかな、っていう話をしているときに、 「Fもあるんですよね」みたいなことを 言い出す人がいるんですよね。 で、「がんばります!」の人って、 Cもあって、Dもあって、EもFもGもあるんです、 みたいな方向に行っちゃうんですよ。 いったん、ぜんぶそろえようとする、みたいな。 でも、ほんとうに価値を生むかっていうと、 AとBしか知らなくて、それだけを、 じーっと見つめていたときのほうが おもしろかったっていうこともあるわけで。 Googleみたいに、 ものすごい規模で徹底的にやるならべつですけどね。
糸井さんがおっしゃったように 性に関するいろんな欲望が薄れてるってことは、 ほんとに日本の消費社会、 消費にはものすごく影響があると思います。 まったくそうだと思いますね。 なおかつ、いままで 生産が足りなかったときの、 性に対する見方っていうのが 過剰にケツを押すものだった。 つまり、ジンギスカンが羊を連れてって、 男の性欲を羊に代用させたとか、 日本軍が従軍慰安婦を連れて行ったとか、 ほんとに、そんなに「したい」ものなのか、 ほんとは、したいしたい言ってもなんとかなる。 つまり、死んじゃうわけじゃないのに、 したいって思わせて、 報酬系を刺激してたっていうふうに考えるのが 妥当だと思うんです。 つまり、権力が時間をつかさどってたり、 食料をつかさどってたのとおなじに、 性もつかさどって、与える材料にしてたんだと。
ぼく、正直言って、 性から解脱してますもん、もう。 とっくに。 性欲って思えるようなものは いくらでもあるし、 いつでもスイッチ入れられるけど、 その、なんだろう。 そんなにたいへんなこと考えなくても、 他でおもしろいわ、っていうような。 そうなんですよね。 まぁ、ほんとに、 いまネットとかいろんなのあって、 あまりにもエキサイティングなことが たくさんあると、今度は反対に、 昔の報酬系がもうそのぐらいのことでは、 活性化しなくなったってことで あったとすればですよ、 これはもう、しょうがないですよね。 うん(笑)。 で、そのわりに、アメリカ人って、 プロテスタンティズムの 裏返しじゃないかと思うんだけど、 バイアグラ売るじゃないですか。 外国の調査を見ると、 とにかく性的にアクティブですよね。 で、日本人だけが異常なんだっていう 調査になっちゃうんですけど、 人類そんなにアクティブに性に
生産についてのクリエイティブっていうのは、 どんどん発達したんですね。 つまり、肉の獲り方については、 弓矢が発明されて、 組織的な動きが発明されて、 貯蓄が発明され、流通が発明され、 全部、できたんですけど、 消費と贈与のクリエイティブっていうのは、 結局、後回しになった。 つまり、エネルギーが足りない時代、 少ない生産者で、全員の食料ぐらいは 確保できるっていう時代に、 脳もふくめ、人体って、できてるんで、 冷蔵庫作っても倉庫に眠ってるような、 過剰生産の時代っていうのが 来ると思ってなかった。 だから消費のアイディアっていうのは、 いままで芸術以外では、 なかったんだと思うんですよ。 休み方っていうのも、 レジャーで稼ぐ人の 生産のクリエイティブとして発明された。 お金の使い方もおなじ、 寄付の仕方もおなじっていうことで、 消費をクリエイティブするっていうことは、 やっぱり、まだはじ
報酬系って、もともとは、 たとえば、好きな食べ物を食べてるときに、 すごく活性化してるんですが、 それがだんだん動機づけになるんです。 好きな食べ物を手に入れるために 一所懸命働けと促す役目を果たすようになるんです。 どちらかっていうと、 手に入れられるかもと期待するときのほうが、 活性化するようになる。 お金もおなじで、 手に入れられるぞ、って 期待するときの方が活性化するんですね。 それはつまりなぜ人間ってこんなに 金に関して強欲になるのかっていう話で、 100万円を手に入れられるかもしれない、 っていう期待をしてるとき、 報酬系の活性度がすごく高いんですね。 でも、実際に手に入っちゃうと、 それほどでもないんですよ。 活性度が下がるんです。
それから、吉本隆明さんが ずっとおっしゃってる 「人間の体は何も変わってないんだ」 ということ。 目の位置も同じだし、 声帯の使い方も同じだし、 ということは心が変わっていない。 さらにおまけ的に言えば 人類の中の偉人を指折り数えていったら、 だいたいギリシア時代までの人で 80人ぐらいは済んじゃう。 そんな話を聴いていたら、 ぼくは、勇気が出たんですよ。 人類50万年の歴史がどうだとか、 おさるっぽかった人たちが いつ頃から、どういうふうに、 何を感じて、っていうのを、 ちょっと辿るだけで、 いまの人たちと昔の人たちってそんなに 変わんないんだ、って。 で、変わってると言う人たちが、 自分の商いをしてるだけで、 ほんとうは、ものすごく普遍的なことだったり、 あるいは、言葉の少ない人たちが持ってる 良さみたいなものに価値があるのに──と、 そういうことをずうっと思ってるときに、 ルディーさ
まぁ、いろいろ言うけど、オレはやっぱり、 自分の経験から実際に学んで、 「自分はこう思うんだけど」とか、 「こう自分に言い聞かせてきたけど」 っていうことしか言えないんだよね。
オレはね、まぁ、ないと思うんだ。 だって、焼いちゃったら、灰だしね。 だから、死んだあとになにかが残るっていうのは、 生きてる人たちが考えた 理屈なんじゃないかって思うんだよね。
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