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サッカーに関するpinball1973のブックマーク (165)

  • 松田直樹「オレ、マジでサッカー好きなんすよ」 - サポティスタ

    今季限りで横浜FMを退団する松田直樹が、0-2で敗れた大宮戦後、サポーターを前に挨拶を行った。 「いや~、ちゃぶられました。いらないか(笑)。16年間、当に生意気で、わがままな自分を応援してくれて当にありがとうございました。オレはバカでずっと生きてきましたけど、みんなが応援してくれたから。マリノスでの1試合1試合は気持ちを込めて戦ったと思うし、もちろんオレにキレた人もいると思うけど、みんなの声援が自分の力になりました。マリノスのサポーターはマジで、最高っす。今ここでしゃべってますけど、社長みたいに頭良く紙に書いたりも出来ないし、こんな時間でみんなに対しての気持ちは伝えられないんですけど。とにかく、みんなが、何回も言うけど最高としか言えないんで。あとは、ほんとうに感謝の気持ちしかないです。ただ、もう何言ってるかわかんないけど、ただ、オレ、マジでサッカー好きなんすよ。マジで、もっとサッカー

  • 【セルジオ越後コラム】すべての日本人へ「倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ」 - FOOTBALL WEEKLY - ライブドアブログ

    コラム 【セルジオ越後コラム】すべての日人へ「倒れた人の分まで走るのが、サッカーだ」 Tweet 2011年03月18日09:40 Category:コラムセルジオ越後 日は今、大変な困難に見舞われている。あまりにもスケールの大きい自然災害であり、戦争以来の大惨事と言ってもいい。被災者の方々が大変な傷を負ったのはもちろん、日人全体の心に深い傷が刻まれてしまったね。 この悲劇からの復興は、被害にあったその地域だけの宿題ではない。すべての日人、それだけでなく日に住むすべての外国人も含めて、みんなが固い結束の下に、全力を傾けなければならないよね。 逆境を跳ね返す、困難から立ち直るメンタリティは、世界に誇れる日の素晴らしい部分だ。阪神大震災も、新潟県中越地震も乗り越えてきた。どの国にも真似のできない日文化、精神の強さを、今こそ発揮すべきだ。何年か経って、あの時は大変だったねと、日常

  • スポーツナビ|欧州サッカー|オランダ[エールディビジ]|カレン・ロバート、新たなチャレンジを求めて(1/2)

    「カレン・ロバートが海外移籍へ」――その第一報を耳にした昨年末、正直なところ驚いた。ここ数年、人の海外志向を間接的に耳にすることはあったが、どことなく現実のものに思えなかったからだ。なぜかといえば「顔は外国人だけど、学生時代の英語の成績は(5段階評価の)3。家族で唯一、英語が話せない」と自らを茶化して笑わせることがあるように、その印象が強く、まさか気で海外移籍を実行に移すとは考えられなかった。だがもちろん、そんな単純なイメージから来る驚きだけではない。実際にJリーグでの活躍自体、聞こえなくなって久しいものとなっていたのだ。このまま、プレーヤーとしては若くしてフェイドアウトしてしまうのではないか? そんな不安さえ抱かせるほど、カレンは過去の選手になりかけていた。 あらためてキャリアを振り返ってみると、カレンはサッカーエリート街道を何の躊躇(ちゅうちょ)もなく進んできた。市立船橋高では2

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|松田直樹「カズさんがやめない限りやめたくない」(1/2)

    ■16年間マリノスにいたので不安はありました 今日はお忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます。長野県松市にある松山雅というチームに入団させていただくことになった松田直樹と申します。会社、チーム、ファン、サポーターが一丸となって必ずJ2に上がりたいと思っています。今日はよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。 ――J1の横浜F・マリノスからJFLに移籍することの不安や葛藤はなかったのか 正直、16年間マリノスにいたので不安はありましたけど、スタジアム(アルウィン)を見に行って、(大月弘士)社長の熱意や加藤(善之)GM(ゼネラルマネジャー)の話を聞いたところで、不安は消えていきました。そして松山雅は目標が決まっているチームなので、そこに向かって自分の経験や力を協力させてもらえればと思い、入団を決めました。ですから今は葛藤とかはありません。 ――横浜で引退せず現

  • 清水で完全復活を遂げた小野伸二。2010年の心残りは天皇杯で晴らす!(佐藤俊)

    背番号は清水入団時の年齢30歳からとった「30」。ベテランとして、リーダーとしての自覚溢れるプレーが小野を輝かせる 12月25日、天皇杯ベスト8で清水エスパルスはモンテディオ山形をPK戦の末に破り、ベスト4に進出した。チームは、得点できずに苦しんだが、再三チャンスを作っていたのが、小野伸二だった。途中交代まで、キレの良い動きとパスワークでリズムを作り、存在感を示した。この試合に限らず、小野は今シーズン好調を維持してきた。30歳で日に帰国し、清水で自分を取り戻すことができた理由とは、いったい何だったのだろうか。 小野は今シーズン、ドイツのボーフムから清水に入団した。入団当初は、当に活躍できるのか、懐疑的な視線で見られていた。 2006年フェイエノールトから浦和に復帰した時は、ブッフバルト監督が守備重視の戦術を志向したため、次第にベンチスタートが増え、思うような活躍ができなかった。2008

    清水で完全復活を遂げた小野伸二。2010年の心残りは天皇杯で晴らす!(佐藤俊)
  • スポーツナビ | 全国高校サッカー選手権大会 | 第89回 | コラム・会見 | ユースが示す高校サッカーの意味(1/2)

    「ウチの子はまだ人間的に甘えがある。教育ができていない。このままではプロでやれないから、大学で4年間頑張ってもらって、そこで人間的に成長してほしい」 レコーダーを回していたわけではないので、記憶から引っ張り出してきた言葉だが、大筋では間違っていないと思う。そんなことを言われたのは、ある年の暮れだった。「今年はユースから誰も上げないんですか?」という問いに対するJリーグ某クラブの強化担当者(いわゆるスカウト)の答えである。恐らく正直な見解だったと思うのだが、この答えにある種の違和感を覚えたのも事実だ。 そもそもこの問いを発したのは、そのクラブが高校サッカー部に所属する某選手を獲得すると発表した直後だったからだ。「ポジションのかぶるユースのあの選手は上がらないということかな?」と確認したくて聞いてみたわけだ。 このやり取りから、その強化担当者が4つのことを考えていたと推測できる。つまり、

  • 若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)

    横浜F・マリノスのホームスタジアム、日産スタジアムはブーイングに包まれ、サポーター席からは1人の選手の名前がコールされていた。 2010年シーズンを戦い終え、木村和司監督や嘉悦朗社長がサポーターに向けて挨拶を行なった最終戦のセレモニーは異様な光景となった。 サポーターたちの叫び声によって挨拶の言葉はかき消されていった。 彼らは8位で終戦した今季の成績に、悲しみと怒りの声を挙げていたわけではない。松田直樹を筆頭に山瀬功治、清水範久、坂田大輔、河合竜二といったマリノスを長年支えてきた選手たちが次々と来季の契約非更新を伝えられてクラブを去ることになった事態を嘆くとともに、クラブ側の対処を激しく責めていたのだ。 1995年から16年にもわたってマリノス一筋でプレーし、マリノスが獲得したすべてのタイトルを経験した“ミスターマリノス”こと松田直樹は、唇を震わせ、目を真っ赤にしながら自分に向けられたエン

    若手に追い出して欲しかった……。松田直樹にみるベテランの存在価値。(二宮寿朗)
  • スポーツナビ|欧州サッカー|欧州その他|本田圭佑が語る“メンタリティー”(1/2)

    田はクリリヤ・ソビエトフ戦で後半の45分間プレー。ボールを落ち着かせるなど自らの役割を果たした【Getty Images】 CSKAモスクワは7日、クリリヤ・ソビエトフと戦い、乱戦の末に4−3で逃げ切った。田圭佑は後半の45分間プレーした。 12位のクリリヤ相手に、CSKAは立ち上がり8分間であっさりと2点を先取した。一見、CSKAが力の差を見せつけたかのような立ち上がり。しかし、ピッチの上では巨漢MFイバノフのゲームメークにCSKAは苦しめられていた。9分にネチドの見事なシュートでCSKAが2−0としていたが、その直前のプレーではイバノフのスルーパスが際どくオフサイドとなり、CSKAは命拾いした。このシーンでは、右サイドバックを務めたA・ベレズツキがラインを見失っていた。 その後、前半はクリリヤの一方的な展開になった。CSKAはどうしても中盤で負けている。この日のCSKAのセンタ

  • 「そりゃリバプールも欲しがるわけだ」ロシア・プレミアリーグ ゼニト・サンクトペテルブルグ-CSKAモスクワ(3-1)

    1位と3位の直接対決とは言え、両者の勝ち点差は9もあり、この試合でCSKAが引き分け以下だとゼニトの優勝が決まる試合だったが、意外なことにアウェイのCSKAが勝ってしまった。 とは言え、ゼニトが弱かったわけではもちろん無く、試合は開始からゼニトがCSKAに対して中盤の数的優位を生かして攻め込む展開になる。が、14分に田の縦パスを受けたヴァグネル・ラヴが一瞬のドリブルでマークを交わしてミドルシュート、これがポストぎりぎりに決まるスーパーゴールとなって、CSKAが個人の力だけで先制点をもぎ取ってしまう。 これで勢いが出たCSKAは、田を中心としたパスワークで徐々にペースをつかみ、35分にはGKのスローイングのミスをラブがカット、それをマルク・ゴンサレスが抜け目無くゴールを決めたが、そこに至るまでの展開も田からのワンタッチスルーパスでラヴが抜け出し、ドゥンビアのシュート(ミス)という良い流

  • スポーツナビ|欧州サッカー|欧州その他|巻誠一郎、30歳からの伸びしろを感じて(1/2)

    ロシアの大きな国土には、さまざまな地域があり、時差とも戦わなければならない【Photo:photoXpress/アフロ】 今回のロシア取材では2つのゲームを取材した。1つが10月27日のディナモ・モスクワ対CSKAモスクワ戦、もう1つが31日のトム・トムスク対アムカル・ペルミ戦だった。 前者は優れた外国人選手を擁する両チームの激突とあって、華麗なアタッキングフットボールが繰り広げられた。田圭佑が「ロシアはミニチュアプレミアリーグみたい」と言うのもうなずける内容だった。 けれども、後者の方はフィジカルを前面に押し出した守備的なサッカーに終始した。ディビジョン1(2部リーグ)降格危機にひんする下位同士の争いだけに、つぶし合いの色合いが濃くなってしまうのだろう。 巻もそんなロシアの現実を目の当たりにし、この3カ月間で自分のプレーに工夫を凝らしている。ロシアの難しさとは一体どんなところなの

  • スポーツナビ|欧州サッカー|欧州その他|巻誠一郎、未知なる異国で生きる道(1/2)

    2006年ワールドカップドイツ大会のサプライズ選出から4年。巻誠一郎は今夏、ロシア・プレミアリーグのアムカル・ペルミで、新たなるキャリアをスタートさせた。 ドイツで世界の舞台に立ち、その後のオシムジャパンではFWの大黒柱に据えられた男にとって、ジェフ千葉のJ2降格、そして今季の苦境は予期せぬものだった。1年でのJ1復帰を誓った彼が直面したのはまさかの控え生活。そして今季限りでの契約打ち切りを通告される。「僕にとってはマンチェスター・ユナイテッドやバルセロナと同じ価値がこのクラブにはある」と口にするほど、千葉を愛していた巻にとっては、大きな挫折だった。 そこで決断したのが、ロシアという新天地への移籍である。異国から届いたオファーを快諾した彼は今、慣れない環境で日々、模索を続けている。そんな巻に現地で会い、ロシアでの生活やプレーの難しさなど近況を聞いた。 ■ロシアサッカーは全く分からな

  • <長谷部、大久保、内田を抜擢した猛将> フェリックス・マガト 「私が日本人を好む理由」(木崎伸也)

    ブンデスリーガきっての厳格さと理論を併せ持つ 鬼軍曹は、なぜ日人選手を重用し続けるのか。 長谷部誠、大久保嘉人、内田篤人――。 彼らに共通する資質と評価のポイントとは。 鬼軍曹は、日人に手厳しい。だが、絶対に見放したりしない。 フェリックス・マガト監督が、ヴォルフスブルクを率いていたとき、長谷部誠が固定式のスパイクで試合に臨み、芝生に何度も足を取られてしまったことがある。通常、滑りやすいときは、裏の突起が金属の取替え式のスパイクを履く。つまり、選択ミスだ。 マガトは激怒し、ハーフタイムにロッカールームで声を張り上げた。 「こんなスパイクを履くから悪いんだ!」 怒鳴るやいなや、長谷部のスパイクをつかみ取り、部屋にあった箱の中に思いっきり投げ入れた。マガトは試合で決定的なシュートを外した選手を2軍に落としたこともあり、これがきっかけで長谷部の出番が激減することも十分あり得た。 だが、マガト

    <長谷部、大久保、内田を抜擢した猛将> フェリックス・マガト 「私が日本人を好む理由」(木崎伸也)
  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|清水の決断、長谷川監督退任が意味するもの(1/2)

    今季限りでの退任が発表された長谷川監督(左)。6年にわたって清水を率いたが、タイトルは獲得できず【写真は共同】 10月31日、全国紙の朝刊に「今季限りで長谷川監督が退任」という一報が打たれた。前日の30日、清水エスパルスは台風の中、ホームのアウトソーシングスタジアムでFC東京と対戦した。しかし、相手に先制を許すといいところなく1−2で敗戦。「監督退任」の報が流れたのはその翌日のことだった。 この日、クラブはオフに入っていたため、11月1日、月曜日の朝になって初めてクラブから、「長谷川健太監督 今シーズン限りでの退任のお知らせ」と正式なリリースが出され、やや遅れてではあるが、コーチングスタッフの退任も決まった。バタバタ騒ぎが続く中、選手たちには、練習が行われる前に早川巖社長自ら説明が行われた。これにより、6年にわたる長谷川政権は今シーズンいっぱいで幕を閉じることとなった。 そして、そこか

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|ナビスコファイナルを堪能する(1/2)

    両チームの看板選手である前田(左)と槙野が競る。ナビスコカップの決勝は、白熱した好ゲームとなった【写真は共同】 ナビスコカップ決勝には、ほかのファイナルにはない独特の高揚感がある。元日の晴れがましさがあふれる天皇杯とも、そして新シーズンの到来に胸ふくらませる富士ゼロックススーパーカップとも違う、同じ国立競技場で行われる優勝決定戦とは明らかに趣を異にする何かが、ナビスコカップのファイナルにはある。秋晴れの11月3日、聖地・国立に向かう道すがら、そんなことを考えていた。 Jリーグ開幕に先立つこと8カ月前、1992年9月にスタートしたナビスコカップの歴史をひも解いてみると、現在のフォーマットに至るまでにはさまざまな曲折があったことが理解できる。当初はJリーグのプレ大会として「オリジナル10」(※Jリーグ初年度に参加した10クラブ)のみが出場。その後、旧JFL所属のJリーグ準加盟チームが参加した

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|未来を感じさせる日韓戦(1/2)

    今年最後の日韓戦が行われるソウルにやってきた。 これまでの訪韓は、うだるような猛暑が続く夏か、あるいは極寒の冬だったりしたのだが、この時期のソウルは気候もすがすがしくべ物も実に美味しい。これであとは、勝利をお土産に持って帰ることができれば、言うことがないのだが……。 ところが、さっそく出鼻をくじかれてしまう。そう、前日の11日に中国で行われた、U−19の日韓戦だ。来年のU−20ワールドカップ(W杯)出場を懸けたAFC U−19選手権の準々決勝。日は前半に2点リードしながらも、その後は相手の徹底したキック&ラッシュに圧倒され、あれよあれよという間に失点を重ねて逆転されてしまう。後半はさらにイライラが募る展開。戦術以前に、日の選手がすっかり腰が引けてしまっていることが非常に気になった。もっともこの試合については、すでに現場で取材された方のレポートがアップされているので、これ以上の言

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|日本人の心をつかんだデビュー戦(1/2)

    はチーム全体での守備を徹底し、アルゼンチンをシャットアウト。メッシにも決定的な仕事をさせなかった【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】 埼玉スタジアム2002のプレスの受け付けで手続きを済ませて、この試合のパンフレットを受け取る。いつもと比べて、ずい分と斬新なデザインだ。白をバックに、白いシャツを着て、腕を組みながら静かに微笑むアルベルト・ザッケローニ監督。頭上に「LEON」のロゴが入っていたとしても、まったく違和感がない。こうして見ると、やはりこの人はイタリアの人なんだな、とつくづく思う。今回のアルゼンチン戦のパンフレットは、いつものように代表選手ではなく、これが日本代表監督としての初陣となるザッケローニをフィーチャーしていた。ここに、日サッカー協会の並々ならぬ意気込みが感じられる。 さて、代表監督、とりわけ海外から招へいされた指揮官の場合、「自分はこのような方針でチームを運営し

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|日本代表メンバー発表 ザッケローニ監督会見(1/2)

    日本代表メンバー発表 ザッケローニ監督会見 (1/2) キリンチャレンジカップ2010・アルゼンチン戦 国際親善試合・韓国戦 原 これから10月8日のアルゼンチン戦、10月12日の韓国戦のメンバーを発表したいと思います。おかげさまで10月8日のアルゼンチン戦のチケットは完売となりました。当にありがとうございます。この場を借りて、サポーターの皆さん、キリングループ各社様、アディダス様、それから日本代表をサポートしてくれている企業の皆様に心からお礼を言いたいと思います。 テレビ放送は、アルゼンチン戦はTBS系、韓国はフジテレビ系列にて全国放送の予定です。チケットを買えなかった方はテレビの前から声援を送ってもらいたいと思います。 今回の試合はザッケロ−ニ監督の最初の試合になります。いい試合をやってくれることを僕も期待しています。彼らコーチ陣がいい成果を出せるように、全面的にサポートしていき

  • スポーツナビ|欧州サッカー|ドイツ[ブンデスリーガ]|小野伸二はなぜ輝けないのか?(1/3)

    小野はホッフェンハイム戦で久しぶりに好プレーを披露したが、けがのため今季残り試合の欠場が決まった【Photo:アフロ】 小野伸二にとっては千載一遇のチャンスだったのだ。 2009年4月11日。レギュラーを争うライバルであるミムン・アザウアグが負傷したことで、ボーフムの指揮官マルセル・コラーに選択の余地はなかった。今シーズン、ほぼ戦力として計算していなかった小野をトップ下で起用する。相手は今季トップリーグに昇格して旋風を巻き起こし、ヘルプスト・マイスター(秋の王者)となったホッフェンハイム。その強敵のホーム、ライン・ネッカー・アレーナで、小野は自身の進退を懸ける大勝負に出た。 42分、ボーフムのCKを相手GKダニエル・ハースがはじくと、そのボールが小野の足元に来た。小野が躊躇(ちゅうちょ)なく左足を振り抜くと、そのシュートに反応したエースFWスタニスラフ・シェスタークがつま先でボールを押

  • スポーツナビ | サッカー|日本代表|もっと攻撃的に、もっと前へ(1/2)

    「もっとリスクを冒せ!」 このほど発売されたテクニック「松井大輔のサッカードリブルバイブル」(カンゼン)には、帯部分にこのような一文が掲げてある。同書の監修者である松井の姿勢、そしてサッカー観を的確に表現したコピーだと思う。 2010年ワールドカップ(W杯)出場に王手をかけたバーレーン戦から、一夜明けた3月29日。都内某所にて、松井大輔に話を聞く機会に恵まれた。「南アフリカまであと1勝」に迫ったにもかかわらず、松井の表情は決して明るいものではなかった。無理もない。前日の試合はベンチスタートで、出場時間はわずか11分。持ち味であるドリブルを披露することもなく、結局シュートゼロで終了のホイッスルを聞いたのだから。 前線に敏しょう性のある選手を並べ、高速パスをつなぎまくるという日のコンセプトがより明確になるにつれ、リスクを冒して自らゴールに向かっていく松井の存在感は、次第に薄れつつある

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|元U−17日本代表、一木太郎のセカンドキャリア(1/3)

    サッカー選手としてさまざまな舞台を経験した一木。写真はソニー仙台時代のもの【写真提供:ソニー仙台フットボールクラブ】 「一木太郎」という元フットボーラーをご存じだろうか? もしご存じなら、おそらくそれなりに年季の入ったサッカーファンではないかと拝察する。しかし、だからといって「一木太郎」は大昔のプレーヤーではない。1976年9月1日生まれの現在32歳。現役のJリーガーでいえば、宮恒靖(神戸)や財前宣之(山形)と同期である。いや、むしろ上記2名とは、93年に日で開催されたU−17世界選手権(現U−17W杯=ワールドカップ)の日本代表として共に戦ったチームメート、と紹介すべきなのかもしれない。ちなみにこの時のU−17代表には、松田直樹(横浜FM)、戸田和幸(慶南FC/韓国)、そしてあの中田英寿(引退)といった2002年W杯の日本代表の中心選手たちも名を連ねていた。2年後の「黄金世代」の登