関東の戦国時代は伊勢宗瑞(以下、北条早雲)の相模乱入にはじまり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で終わったといわれています。 じっさい徳川家康が江戸城に移ってからは大きな戦も起きていませんし(江戸時代に「桜田門外の変」のような局所的な戦闘行為は起こってますけどね)、関東は平和な地域でした。 では北条早雲が小田原城を奪取して相模に進出し、その後、氏綱・氏康の時代に武蔵に進出する前の関東はどういう状況だったのでしょうか。 じつはここがおもしろいんです。戦国時代の関東というと北条氏をイメージしがちですが、その少し手前から理解するとより楽しめると思います。 たとえば、鎌倉公方、古河公方、堀越公方、小弓公方。 なぜこんなに公方だらけになっているのかちゃんと説明できますか? ぼくも名前だけは知ってたんですけど、どういう経緯で乱立したのかまでは理解してませんでした(小弓公方なんて読み方