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歴史と日本史に関するpipoのブックマーク (2)

  • 北条氏が台頭する以前の関東の状況(関東公方と関東管領について) | 攻城団 〜日本には、城がある。〜

    関東の戦国時代は伊勢宗瑞(以下、北条早雲)の相模乱入にはじまり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で終わったといわれています。 じっさい徳川家康が江戸城に移ってからは大きな戦も起きていませんし(江戸時代に「桜田門外の変」のような局所的な戦闘行為は起こってますけどね)、関東は平和な地域でした。 では北条早雲が小田原城を奪取して相模に進出し、その後、氏綱・氏康の時代に武蔵に進出する前の関東はどういう状況だったのでしょうか。 じつはここがおもしろいんです。戦国時代の関東というと北条氏をイメージしがちですが、その少し手前から理解するとより楽しめると思います。 たとえば、鎌倉公方、古河公方、堀越公方、小弓公方。 なぜこんなに公方だらけになっているのかちゃんと説明できますか? ぼくも名前だけは知ってたんですけど、どういう経緯で乱立したのかまでは理解してませんでした(小弓公方なんて読み方

    北条氏が台頭する以前の関東の状況(関東公方と関東管領について) | 攻城団 〜日本には、城がある。〜
  • 明治維新150年の秋に、明治政府の犯した「罪」を学ぶ(真鍋 厚) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)

    偉業を称えるだけではなく 来年2018年は、明治改元(1868年)から150年目に当たるため、政府や地方自治体では「明治150年」を謳ったイベントが数多く準備されている。 政府が手掛けるものは、近代国家の成立に尽力した明治維新の偉業を称える「明治礼賛」色が強く、一方、地方自治体では、それに加えて明治維新ゆかりのスポットを観光客誘致に最大限活用するといった「地方創生」戦略の一環という面がある。 例えば、10月7日に東京ビッグサイトで開催された「明治150年記念薩長土肥フォーラム」は、明治維新の原動力となった薩摩(鹿児島県)、長州(山口県)、土佐(高知県)、肥前(佐賀県)の4県が、各県出身の偉人にまつわる功績にスポットを当てながら、観光名所や特産品を大々的にアピールしたものだ。 もっとも、このイベント自体に政治性はなく、開催理由はもっぱら経済的な動機付けによる。しかし皮肉なことに今日の地方の衰

    明治維新150年の秋に、明治政府の犯した「罪」を学ぶ(真鍋 厚) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
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