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哲学に関するpj1200100のブックマーク (32)

  • 国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想|MasakiUeta

    人類学篇が人気だったので、たぶん求められているだろう──いや、作成者自身が求めている──フランス現代思想版をつくりました。例により作成者は専門家ではありません。またおそらく漏れているひともたくさんいます(特に1900年以前に生まれたひとは適当)。なにとぞご了承ください。 2024年6月1日 植田将暉 (6月5日更新) アンソロジーJ.デリダ ほか著 ほか『現代フランス哲学12講』,青土社,1986.10. 〔レヴィ゠ストロース、フーコー、バルトとの対話〕レーモン・ベルール 著 ほか『構造主義との対話』,日ブリタニカ,1980.2. ジャン=ルイ・ド・ランビュール 編 ほか『作家の仕事部屋』,中央公論社,1979.5. 1900年代以前の生まれガブリエル・タルド(1843–1904)タルド 著 ほか『タルドの社会学原理』,岩波書店,1923. ガブリエル・タルド 著 ほか『模倣の法則』,而

    国会図書館デジタルコレクション個人送信サービスで読めるフランス現代思想|MasakiUeta
  • ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート

    (注意:この論考はヒュームの趣味論にかんして、LevinsonやMothersillらと同様に発見論的な立場に依拠しています。すなわち、批評家の合意は美を発見するという見方。それに対して、構成論的な立場もありえます。批評家の合意こそが美をつくりだすという立場で、たとえば飯田隆の『新哲学対話』における『アガトン』などはその立場からの論考です。いないとは思いますが、この論考を読んで「ヒュームはこんなことを言っていたんだな」と考える方がいると、僕も(おそらくヒュームも)困ります。) 早速だが、ヒュームが前提するように、趣味の多様性というものは疑いえないだろう。ゴダールやロメールを愛する「シネフィル」もいれば、ハリウッドのアクション映画を熱狂的に好む「シネフィル」もいる。かくして生まれるのが、カントも指摘した趣味のアンチノミーである。すなわち、趣味の主観性(趣味は主観的なものであり争いえない)と趣

    ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート
  • 無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい

    ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが

    無思想はなぜヤバいのか|小野ほりでい
  • https://www.hup.harvard.edu/series/loeb-classical-library

    https://www.hup.harvard.edu/series/loeb-classical-library
  • CENTRE of THEOLOGY and PHILOSOPHY | John Milbank’s Stanton Lectures 2011

    This year Professor John Milbank is delivering the Stanton Lectures at Cambridge, titled ‘Philosophy: A Theological Critique’. All eight lectures are now linked to below, which can also be found on the Working Papers page. Lecture 1 (19 Jan): The Return of Metaphysics in the 21st Century [PDF version ] Lecture 2 (26 Jan): Immanence and Life [PDF version ] Lecture 3 (02 Feb): Immanence and Number [

  • 介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由

    昨日、今日と大学は事務休止でお休み。 昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。 ご人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す。 それでもなかなか日がとれないからと、でかける。 親戚に寄って、77歳のおばさんも誘う。 店に着くと、親切そうな店員さんから介護保険を申請していると安くなる、場合によっては1割の値段になると告げられる。 が、なんだかその言葉にカチンと来るところがあったらしく、申請のことはあまり聞きたがらない。 歩行器が目当てで合ったはずだが、横目でチラッと見るだけであまり関心を示さない。 結局、シャワー用の椅子を買う。 が、家に帰ると「まだ使う必要はないから、片付けておいて」と言う。 鷲田先生の『「ぐずぐず」の理由』の一節を思い出す。 「人間の、人間としての基礎にかかわることがらは、すぐには答えの出

    介護と人間ドッグ――ぐずぐずの理由
    pj1200100
    pj1200100 2011/09/14
    "昨日は、このごろとみに歩行に困難を訴えるようになった86歳の母親を介護用品店に連れてゆく。ご本人の希望であったが、出かけるときには「別に今日でなくても・・・」と言い出す"
  • アール・コニー+セオドア・サイダー『形而上学レッスン――存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド』 - logical cypher scape2

    タイトルにあるとおり、形而上学の入門書である。 が、そもそも形而上学とはなんぞやというところが分からないとならないだろうが、それはそれ自体が一つのトピックになるほど、実は厄介であったりする。 とりあえず、訳者あとがきから要約しておくと、 形而上学とはまず哲学の中の一分野であり、わけても「時間」や「自由意志」や「必然性」などといったことを扱う哲学である。 「時間」や「自由意志」など誰もが哲学的だと思うトピックであろう。つまり、形而上学は、言うなれば哲学の中の哲学、「ザ・哲学」なのである。 さらに付け加えるならば、書が扱う形而上学は、分析哲学のスタイルで行われるそれである。それはすなわち、「アメリカン・スタイル」の形而上学のことである。 「アメリカン・スタイル」であるということは、分析哲学であるということに加えて、例えば「ターミネーター」などの例が使われていることや、過去の哲学者の引用が使わ

    アール・コニー+セオドア・サイダー『形而上学レッスン――存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド』 - logical cypher scape2
  • 浅田彰によるフーコーの整理 - Hello, How Low?

    週刊ダイヤモンドの記事「続・憂国放談」で、浅田彰×田中康夫の対談のゲストに宮台真司が来たときのこと。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200512/ ぼーっと見てたら、浅田彰のフーコーの権力論(と統治論)の明快な整理があったので、ちょっと長いけれど引用。 (…)ギデンズやベックは第二の近代として再帰的近代ということを言っている。それに対して、ポストモダン思想などと言われる側では、ミシェル・フーコーが考え、ジル・ドゥルーズが延長した図式、ソヴリンティからディシプリンを経てコントロールへという図式があるんですね(フーコー自身は、早すぎた晩年の講義録などを見ると、ソヴリンティ/ディシプリン/セキュリティという三幅対で、ただし歴史段階論的にではなく考えていたようですが)。ソヴリンティ(主権)とは、要するに君主権ということで、神とか王とか父とかいうような超越的

    浅田彰によるフーコーの整理 - Hello, How Low?
  • 「親鸞と学的精神」 今村仁司: Last Days

  • 「君主の統治について―謹んでキプロス王に捧げる(岩波文庫)」(トマス・アクィナス)、読んだよ。 - finalventの日記

    君主の統治について―謹んでキプロス王に捧げる (岩波文庫): トマス アクィナス, Thomae Aquinatis, 柴田 平三郎 2009/9/16出版で、元は2005年慶大出版のもの。廉価だし、気になるのでこれも読んでみた。まあ、読んでおくべき古典というのはたしかだし、アリストテレス哲学がこのように消化されたのかみたいな部分ではテクニカルな面白さもあるのだろうけど、現代的な意義はほぼないというか、聖書の引用が多く、聖書批判学以前なのでやはりべたに中世的なコンテキストなので、読んでいてつらい。逆にプラトンとかだとそういう部分がないだけわかりやすい。

  • 覚えておいてよ、ヨナス君 - 恐妻家の献立表blog

    厄介な仕事が一区切りついたので、通勤電車での読書を再開。いきなり難しいを読むと目が回るので、まずは肩慣らしに薄いにした。 哲学・世紀末における回顧と展望 作者: ハンスヨナス,Hans Jonas,尾形敬次出版社/メーカー: 東信堂発売日: 1996/08メディア: 単行購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る碩学晩年の講演録。眼目は後半の将来の哲学の展望(フォイエルバッハの『将来の哲学の根命題』を連想させる)にあるのだろうが、読んでいる人間の根が後ろ向きなものだから、波瀾万丈の人生を送ったヨナスの回想の方が興味深かった。 ハイデガーに師事したユダヤ系知識人のヨナスは、同世代のレーヴィットやアーレントやマルクーゼと同様、かつての恩師に屈折した思いを抱かざるをえない。ナチスに加担したハイデガーへの幻滅をソクラテスと比較して語っている。 他の様々な学問とは違

    覚えておいてよ、ヨナス君 - 恐妻家の献立表blog
  • 廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog

    2009年10月31日11:12 カテゴリ 廣松渉の哲学 70年安保のころの学生運動が残した知的な遺産はほとんどないが、当時の教祖的な存在だった廣松渉だけは、戦後の日を代表する哲学者として歴史に残るだろう。当時、彼の講義には、他大学からも多くの聴講生がやってきて、いつも500人の大教室に立ち見が出た。その講義も、原稿なしで古今の文献を詳細に引用する濃密なもので、1回の授業で1冊分の内容があった。 書は、廣松のデビュー作(卒業論文!)である『世界の共同主観的存在構造』(第1章)を中心にして、彼の代表的な哲学論文を集めたものだ。彼のわかりやすい講義とは違って、文章は一見むずかしい漢字が多くて読みにくいが、彼の認識論の基である「四肢構造」はきわめて単純で、いわばそれを公理系として展開する数学の論文のように書かれているので、基的な図式が頭に入ると意外にわかりやすい。 廣松はマルクスの研

    廣松渉の哲学 : 池田信夫 blog
  • 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか: 極東ブログ

    このエントリを書こうか書くまいかためらっているうるに、なんとなく書かなくなりそうな感じがして、それはそれでいいかなと思うものの、まあ少し気楽に書いてみるかな。おそくらほとんどの人にとってそれほど関心のないことだろうし、そういう話題を扱うのがこのブログだしな、と。さて、結論からいうと、「我思う故に我有り」は誤訳だとは断言しづらい。また、「思う」じゃなくて「考える」だとかそいうレベルの話でもない。 このことが気掛かりになっていたのは、先日の「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)で取り上げたコラムの標題"Buy American. I Am."をどう訳すかということだった。コメント欄でいろいろご示唆をいただいたけど、正直なところあまりピンと来なかった。来ない理由は、なんとなくこの英語の意味を、ちょっと変な言い方だけど、自分の英語処理脳でなんとなくわかっている部分があり

  • 自己同一性 | 小さな哲学~雑想の世界

    pj1200100
    pj1200100 2008/03/25
    "現代社会の問題が、物と心を分けて考えたデカルトの二元論を源とする科学技術の進歩によって生じた‥‥などと書いているが、彼らの誰も、自然科学を知らないし、ましてやデカルトの著作など読んではいないのだ"
  • ニコニコ動画にあがっている哲学系動画たち - 荻上式BLOG

    以前「動く思想家たち(海外編@youtube)」というエントリーを書いたけれど、ニコニコ動画内にも思想家動画がたくさんあったので、いくつか紹介。「哲学」などのワードで検索して、「再生が少ない順」で並べると見つかりやすいという罠。ちなみに「こういう海外の動画や記事を訳して紹介してくれるサイトがあればいいのにな〜」と思っている方もいらっしゃると多いのでは。chikiもその一人。だから今度、そういうサイトをシノドスで作ることにしました。詳細はまた今度。メールマガジンと合わせて、乞うご期待。 ジョルジョ・アガンベン講義 「The Power and the Glory」(続きあり) ソール・クリプキ講演 「The First Person」(続きあり) ドゥルーズの「Abe'ce'daire - Animal(動物)のA」(続きあり) ジャック・ラカンの「LES DEUX SEXES」(続きあり)

    ニコニコ動画にあがっている哲学系動画たち - 荻上式BLOG
  • 年賀状の嘘(『同朋』1994年1月号)

    元日の朝はゆっくり起きて、郵便受けに年賀状の束を取りにいく。ほんの数歩玄関から歩く、そのときの気分がなんとも言えない。毎年やりとりをしているのだから、誰からくるか大体予測はつくのだが、それでも落ち着かない気分になる。ひょっとすると、いつの間にか音信不通になってしまった友人から来ているかもしれない。 恋人からの手紙を待つとき、こういう気持ちになったものだが、それも二〇年以上前の遠い思い出にすぎない。逆に、その頃は年賀状など出すのも、貰うのも面倒だし、嬉しくもなかった。どうして、こんなに変ってしまったのだろう。それとも、これが歳を取るということなのだろうか。 まだ正月にもなっていないのに、新年明けましてお目でとうなどと書くことには、誰でも抵抗を感ずるはずである。とりわけ若い頃には、そういった嘘がどうしても我慢できない。そんなこともあって、学生時代には、あまり年賀状を熱心に書かなかった。ところが

    年賀状の嘘(『同朋』1994年1月号)
    pj1200100
    pj1200100 2008/02/02
    "われわれ人間は、真実だけで生きているのではなく、嘘によっても生きているからである"
  • アルチュセール ヴェイユ | 現象学 便所の落書き

    Althusser, L'avenir dure longtemps Althusser, Montesquieu, la politique et l'histoire Simone Weil, Le pesanteur et la grace 『未来は長く続く』はアルチュセールの自伝。 長年にわたり双極性障害(いわゆる躁病)に苦しんできた著者が、1980年11月にを絞殺してしまった「事件」について、精神疾患による免訴ゆえに行われなかった刑事的な供述に代わって、「自伝」としてつづったものである。その経緯については冒頭で刑事訴訟法の該当部分とあわせて説明されている。 核となる300頁は、1985年に2週間で一気に書かれている。その直後にまた病が悪化して入院治療を受けているようだ。 今回読んでいるのは、2007年に出た新版で、新しく未公刊の草稿が加えられている。持っていないので確認できな

    アルチュセール ヴェイユ | 現象学 便所の落書き
  • 新世界より | 小さな哲学~雑想の世界

    pj1200100
    pj1200100 2007/12/29
    "高校や大学の友人たちがそこそこ稼ぎはじめ、役職に就きはじめたそのころ、ぼくはまだ学費を払っていたのだ。人生そのものを捨ててしまったのかもしれない、と思っていたころでもあった"
  • finalventの日記

  • 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える:ハムスター速報 2ろぐ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:20.28 ID:Ecteuiyz0 アカポスとか就職とか、俺がになる質問以外。 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:49.38 ID:sR2Rucw20 世界中の童貞はどうしたら救われるのか・・・? >>2 セクロスしても救われるとは限らない、ってのが問題だよな。 信仰からの回答が一番手っ取り早い。信仰を持て、正当化しろ、価値観をひっくり返せ ニーチェは読むな、これに尽きる。 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:10:02.67 ID:W7cwMSVl0 悪の起源 >>4 悪ってのは、関係性の中に成立する。 つまり、善が存在するためには悪がなければならない。 フーコーが権力装置概

    pj1200100
    pj1200100 2007/11/10
    コメント200番"あらゆる質問に対し、柔軟に即答できる程の有意性を考えれば、社会でこれほど応用の効く学問はない"