2007年10月29日 コスモバルクの「斜行」について 今朝のスポーツ各紙の報道を見て驚いた。 バルクの斜行が まさかこれほどの大問題になっているとは思わなかったからだ。 その報道内容に違和感を覚えたので、 すぐにレース映像を見直した。 あわせて20回近くは見ただろうか。 記事を見たスポーツ紙は「ニッカン」「サンスポ」「スポニチ」の3紙である。 で、僕の意見をハッキリ言っておけば、 「サンスポ」と「スポニチ」の五十嵐バッシングは明らかにおかしい。 書いた記者は、騎手のコメントをつなぎあわせただけで、 自らによるレースの検証を怠っているのではないか。 さもなくば、何らかの作為を持って、 あのような記事を書いたのだろうか。 直線を向き、たしかにバルクは外によれ、 その後もう一度内側に斜行している。 直後にいたカンパニーがその影響を被っているのは間違いなく、 だから福永祐一は五十嵐に対して文句を
97年に皐月賞、日本ダービーの2冠を制したサニーブライアン(牡13)が種牡馬生活を引退。北海道浦河郡浦河町の優駿ビレッジAERUで余生を過ごすことになった。 サニーブライアンは、父ブライアンズタイム、母がJRA4勝のサニースイフト(その父スイフトスワロー)という血統。96年10月に美浦・中尾銑治厩舎からデビューし、2歳時は4戦1勝。年明けのジュニアC(OP)で2勝目を挙げてクラシックレースへの出走権利を取ると、弥生賞(GII)3着、若葉S(OP)4着と大崩れのないレースを続け、11番人気で出走した皐月賞(GI)では大外枠から積極的なレース運びをして、3コーナー手前から先頭に立ってそのまま逃げ切った。続く日本ダービー(GI)は6番人気の評価だったが、ゲートからハナを奪い、シルクジャスティスやメジロブライトの追撃を抑えて再び逃げ切った。 98年から種牡馬となり、01年にはNARファーストシーズ
第1回ジャパンCダートを制したウイングアロー(牡12)のシンジケートが解散。今後は青森県の東北牧場に移動することが決まった。 ウイングアローは父アサティス、母がJRA3勝のサンヨウアロー(その父ミスターシービー)という血統。98年1月に栗東・工藤嘉見厩舎からデビュー。3歳時には交流重賞を含むダート重賞4連勝で同年のJRA賞最優秀ダートホースを受賞した。4歳時は5戦して2着2回3着3回と勝ちきれなかったが、5歳になって第1回ジャパンCダート(GI)に優勝したほか、フェブラリーS(GI)、ブリーダーズゴールドC(交流GII)など主要なダートグレード競走に勝って再び最優秀ダートホースに選出された。通算成績31戦11勝(うち地方14戦6勝、重賞8勝)。 02年に静内スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度産駒から岩手の最強牝馬サイレントエクセル(牝4、岩手・千葉博厩舎)を送り出していたが、シン
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