僕が父親の話をすると妻は「すごく綺麗」と言う。「思い出補正がかかっているんじゃないのー?」と笑いながら。そんなとき僕は、そうだね、メチャ補正入ってんし、フォトショもキメキメだよーつってアホみたいに笑う。アホな笑いの裏で自動補正じゃないけどねとアテのない言い訳を浮かべながら。そうさ。その補正は自動じゃない。僕は意図的に父親と父親と過ごした頃の記憶に補正をかけているのだから。色鮮やかに塗り直している。枯れた花を咲かせ、影を消すようにして。 自ら命を断った父親の人生のすべてが綺麗なものであるはずがない。今思えば終わりに近づけば近づくほど影の部分が増していた気がする。色鮮やかな部分に落ちる影は深い。父親が死んだときの僕の記憶は、細部について曖昧になりつつあるけれど、コアの部分は消えていくどころか、細部がぼやけていくにつれ、フォーカスされはっきりとしていっている。ともするとあの死に様は目を背けてしま