ブックマーク / maotouying.hatenadiary.org (9)

  • 春運エレジー - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    来年の春節は1月23日、あと1週間です。もうみなさんもテレビなどでよくご存知かと思いますが、“民族大移動”が始まります。いえ、もう始まっています。 今年は、1月8日からの40日間が「春運」といって、特別ダイヤが組まれたり、取締りが厳しくなったりします。政府の発表によると、1桁違っているのではないかっ!と思う、のべ31億5000万人以上が交通機関を使って移動するのだそうです。 そしてこの“春節切符”を手に入れることが、もうとても言葉だけでは説明できない想像を絶する困難さで、巷間「春節切符はいつから宝くじになったのか?」ともいわれているのです。私はこの最悪の時期は避けるので、中国の“老百姓”ほどではありませんが、この間の事情、光景、汗と涙と絶望は容易に想像することができます。 何でも今年からインターネットによる予約販売が始まったそうですが、その恩恵に浴することができるのは、ほんの一部の“有産階

    春運エレジー - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2012/01/16
    『春節に家族にお金を持って帰る、ということのみを過酷な労働の唯一の目的としている人たちが、億という単位で存在しているのです』
  • 3袋目の紅棗 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    23日付けの六文銭さんのコメントは、おっしゃるとおりだと思います。村のバスは経営者も運転手もみな知り合いや親戚だったりで、お客さん同士も顔なじみばかりです。いわば村落共同体の環の中を行ったり来たりしているわけで、私がたびたび書くようなこともすべて織り込み済みなのだと思います。これが、環を外れた太原くらいまで来ると、文句をいうお客さんはいるし、北京、瀋陽まで行けば、そもそもバスは定刻に発車します。 実はこれに関して、以前書いた文章で、タイミングを逸してアップしなかったものがあるので、それを思い出して書いてみました。2005年6月にこの地に引っ越して、初めて日に帰るときのことです。 太原行きのバスは時間になってもなかなか発車しません。これでは高速バスとは名ばかりで、実質時間はローカルバスと同じです。どうやらこちらのバスは、定刻発車ではなく定員発車のようです。1時間以上も待たされ、もう1/3く

    poppen38
    poppen38 2011/11/14
    『「中国人として恥ずかしい」といったときの彼の瞳には、明らかに苦悩の色/では、おそらくは紅棗がみのる農村の出身であろうあの青年に、恥ずかしいといわしめた、日本人としての私の優位とは何だったのか?』
  • 『黄土地上来了日本人』 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    こちらもご紹介が遅くなりましたが、私のは、3月30日に「東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センター」という長たらしい名前のところから刊行されました。700部作って、そのうちの500部ほどが国内外の図書館、大学、個人等に寄贈されます。私には100冊ほどいただけるようです。 先々週、そのうちの19冊を北京で受け取り、2冊を手元に残して、今は残りの17冊を配っているところです。まずは賀家湾の村長さん(彼の暗黙の了解がなければ、ここには住めなかった)、前に住んでいた部屋の大家さん(2年間タダで住ませてもらったし、お母さんを取材している)、薛老師(これから一緒に暮らすわけだし、お母さんを取材している)、賀登科老人の息子(老人には3回取材し、もっとも多くを語ってもらった)に4冊を配ったのですが、すぐに別の3人がやってきました。いわく「ウチのオヤジは字が読めるからくれ」「前書きを読んで感動して涙

  • 日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    ネットの繋がりがよかったせいで、普段なら間違いなく目にすることもなかったであろう一文を読みました。東浩紀という人がニューヨークタイムズに寄稿したものです。私は恥ずかしながら読書という習慣を持たない人間なので、この人がどういう人か知りませんが、なんでも若手の気鋭の論客なんだそうです。 彼は東京で今回の大地震に遭遇して後、次のように書いています。日人は敗戦後、ずっと自分たちの政府や国を誇りに思うことがめったになかった不幸な民族だが、今回の災害以降、自らの国を肯定的に捉え始めている、と。 【日人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日人は完全に「キャラ」を変

    日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2011/04/24
    『この気鋭の論客はいったいどこを見ているのだろうと、私は不思議に思ってしまうのです』『まさしく、日本人が“一丸となって”略奪、強姦、放火、殺戮の限りを尽くしたという過去です』
  • 哀悼 孫引喜老人 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    私が村を留守にしていた先月27日、ひとりの老人が亡くなりました。孫引喜という今年80歳の男性です。彼は、この村の壕で273人が窒息死させられた事件の、いわば最後の生き証人でした。 1943年旧暦12月、壕に逃げ込んだ民兵の姿を見た日軍が、壕の入り口を包囲して「出て来い!」と叫んだのですが、出れば殺されると思っている村人たちは出てくるはずはありません。それでも、年寄りと乳飲み子を抱えた女性と11歳だった孫引喜など7、8人が壕から出たそうです。一緒に隠れたお兄さんが出るなと引きとめたけれど、同じ死ぬのなら外の方がいいと振り切って外に出たそうです。壕に残った24歳の兄と10歳の妹は亡くなりました。 彼を最初に取材したのは2007年の秋でした。その時はあまり多くを語りませんでしたが、ちょっとクセのある感じの人で、「お前たち日人のことなんか、俺は信用しないぞ‥‥」といったオーラが自ずと滲み出てい

    poppen38
    poppen38 2011/03/20
    ひとりの老人が亡くなりました。孫引喜という/彼は、この村の壕で273人が窒息死させられた事件の、いわば最後の生き証人でした/「お前たち日本人のことなんか、俺は信用しないぞ‥‥」といったオーラが自ずと滲み出て
  • 『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    私がこの5年半の間に老人たちから聞き取った記憶=『証言集』(証言という言葉は使いませんが、とりあえず)の発刊についてですが、けっきょく、来年3月、東京大学東洋文化研究所の叢書の一環として出させていただくことになりました。 私にはおよそ似つかわしくない“象牙の塔”からの刊行となりましたが、一般の出版社から出しても「売れない!」ということがはっきりしているし(2500部刷った『記憶にであう』は、未だに出版社の倉庫に山積みになっているらしい‥‥)、彼らの記憶を一次資料として残すには、こちらの方がより賢明であろうと、この研究所の教授のお勧めに従うことにしました。 ただし、全文中国語になります。というのも、このは東文研から日および世界の大学と図書館に寄贈されるもので、そのためには、日語などというローカルな言語より、原文である中国語の方がより国際的に通用するであろうと思われるからです。いずれ時を

    『証言集』の刊行について - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2010/11/07
    三光作戦の村に住み、老人たちからの証言を集めた本が日本人女性によって刊行。
  • “Inter- Asia Cultural Studies” - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    怒涛の2週間が終わり、瀋陽から特急列車で8時間、いま太原のホテルです。ほんとうに久しぶりにゆっくりとネットを繋ぎました。この間のニュースも見ました。 日から小山のようなメールが届いていたのですが、その中に“Inter- Asia Cultural Studies”が送られてきたという知らせが入っていました。 私はその方面にもまったく疎いのですが、この雑誌はイギリスではかなり有名なものらしく、タイトルからしても日の出版社などとの繋がりは深いようです。3ヵ月ほど前に、北京の清華大学の院生から声がかかって、写真と原稿を送ったものですが、随分時間もたってほとんど忘れかけていたところでした。 添付されていた写真を見てみると、思いのほか立派なものに仕上がっていてビックリ!な、なんと表紙にも私の撮った写真が使われていたのです。おまけに、お隣は柄谷行人大先生の論文だそうです。それはスゴイコトです。でも

  • 到了李家山了! - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    きっとみなさんのご期待に背くかと思いますが、実はこれまでになく順調に李家山に着いてしまったのです。 まず、朝8時過ぎにターミナルに着いたのですが、思っていたほどの人波ではありませんでした。考えてみれば一番のピークはすでに過ぎていたし、現地の人々の多くは、さそいあって小型車などをチャーターして、下の道を通ってすでに帰郷しているのです。私たちから見たらたいした積雪ではなく、タイヤチェーンさえ用意できれば走れます(最もこの地では、それが難しいと思いますが)。それにしても今年はほんとうに雪が多く、先日乗ったタクシードライバーは、中華人民共和国建国以来の大雪だといっていました。 そしていよいよ高速道が開通した今日は、切符売り場の前にはロープが張られ、たくさんの係員が出て人民を誘導をしていたのです。最近はときどきこういう光景を見るようになりましたが、我々年寄りにはありがたいとはいえ、あの“熱血中国”の

    到了李家山了! - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2010/02/19
    『あの“熱血中国”のド迫力が徐々に消滅してゆくなぁという危惧感もないではありません』
  • 私が日本人であるということは。 - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    どうやら先週、開化へ行った頃が“不運のどん底”だったのかも知れません。 膝の方は自分でも意外なほどの回復力で、3日目には平地ならなんとか歩けるようになりました。最も、その後もほとんど毎日外出しているので、3日後からの状況は今も変わらず、やっぱりズルズル足をひきずって移動しています。 暑さの峠も過ぎたようで、40℃を越える日はなくなりました。雨も適度に降って、農民たちも喜んでいます。もっと早くに気がつけばよかったのに、金鳥の蚊取り線香があるのを発見して、虫もぐっと減りました。ステロイドの効き目はやはり抜群で、腕の痒みも止まりました。電気もあれ以降はほぼ順調に来ています。仕事を止めてしまった息子がぶらぶらしているので、水汲みも頼めます。なつめのことはもう、なるようにしかなりません。 近所の二龍という青年は招賢でコックをしているのですが、四川人が一斉帰郷したので店が臨時休業してしまい、(個人的に

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