過去100年以内に世界各地で発生した記録に残る大規模地震が海外サイトにてまとめられていた。地震発生を正確に予測することは未だ難しいとされている。起こりやすい地域はある程度限定されているとは言え、その規模や被害状況はタイミングによりけりで、文明が進み、地震対策も進んできたとは言え、更なる試練を地球は我々に課すことで地球生物の存在意義を確認しているように思えてくるんだ。
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過去100年以内に世界各地で発生した記録に残る大規模地震が海外サイトにてまとめられていた。地震発生を正確に予測することは未だ難しいとされている。起こりやすい地域はある程度限定されているとは言え、その規模や被害状況はタイミングによりけりで、文明が進み、地震対策も進んできたとは言え、更なる試練を地球は我々に課すことで地球生物の存在意義を確認しているように思えてくるんだ。
東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日本大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津
日本人が日本人であることの誇りを失ったのは、戦後GHQの占領政策にまんまと嵌った左翼的な教科書作りに負うところが大きいと、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の著者、竹田恒泰氏は言う。 同書では、英国BBCの世論調査で日本が2006年から3年連続「世界に良い影響を与えている国」第1位になったことが紹介されている。 一方、日本人の自国に対する評価は、他の国と比べて肯定(良い影響)の割合が極めて低い。 この自虐的な自己評価の原因は何か、なぜ日本人は日本の良さに自信が持てないのか、竹田氏に聞いた。 神話も、建国の経緯も教えないのは日本だけ 竹田 恒泰(たけだ・つねやす)氏 作家。慶應義塾大学講師(憲法学)。1975年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇 の玄孫に当たる。2006年に著書『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で山本 七平賞を受賞。その他著書に『ECO.MIND【エコ・マイ
日中戦争や、太平洋戦争で新聞やラジオが戦争を煽るように書き立てた事が、 今問題になっている。 新聞が戦争を礼賛し始めた最初は日露戦争である。 日露戦争の始まる前、実はほとんどの新聞が戦争反対だった。 ところが戦争が近づくと戦争反対の新聞はどんどん売れなくなった。 経営が危なくなった。 そこで、どの新聞も戦争礼賛に転向した。 特に萬朝報は最後まで戦争に反対したが、 倒産の危機を迎えて結局戦争賛成に変わった。 これをきっかけに戦争が近づくと、日本の新聞は戦争を賛美するようになった。 満州事変、日中戦争の時もメディアは戦争礼賛になってしまった。 戦争を礼賛すればするほど、よく売れるのである。 そこで大新聞がみんな戦争礼賛になると、雑誌や小新聞に対して 政府は過酷な弾圧を加えるようになった。 それでも反対すると、監獄にぶちこむ。 こういう状態で太平洋戦争を迎えるのである。 もちろん新聞社の中にも、
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