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ポストモダンに関するprisoner022のブックマーク (45)

  • Hang Reviewers High / ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

    東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」は、とても親切なであり、まずはそれに感心した。 前作となる「動物化するポストモダン」に限らず、これまで東浩紀の著作のやり方は、主張を固めるための検証作業がともすれば大雑把であるし、また、さほどに関連性が深いとは言えない事例を強引に繋ぎ合わせて一つの流れを意識させようとするものがあった。僕はこのやり方を批判するものではない。むしろ、あざやかに全体の論旨を生み出していくダイナミックさに感銘を受ける。 しかしもちろん、このような書き方は批評の言語としては今の日で例の少ないものだから、読者は彼のやり方に違和感を感じるかもしれない。だが彼がなぜこれを選んでいるかということは、現在に至るまでの東浩紀の批評活動のルーツがすべて収められた「郵便的不安たち#」を読めば明確に分かるはずだ。ここでは簡単に触れるまでにしたいが、要するに彼の動機にはポ

    prisoner022
    prisoner022 2009/12/25
    今の日本はポストモダン化が徹底された状態/「ゲーム的リアリズムによって自然主義的なリアリズムは駆逐されたりしない」/異質だという理由でうち捨てることができないというのがポストモダン的な状況
  • 散文@相関言論空間アミノユラク 「ゼロ年代の研究者・決断主義アカデミズム」

    (西嶋) 二〇〇九年は、ゼロ年代最後の年である。評論家宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』(、二〇〇八年)において、九〇年代後半の『新世紀エヴァンゲリオン』やセカイ系に象徴される、「引きこもり/心理主義」と「~しない」という倫理に対比させて、ゼロ年代の作品を『バトル・ロワイヤル』や『DEATH NOTE』に象徴される「引きこもっていたら殺されてしまうので、自分の力で生き残る」という、ある種の「決断主義」的な傾向を持つ「サヴァイヴ感」を前面に打ち出したものとしている(宇野二〇〇八・一三~二六)。この「サヴァイヴ感」あるいは「決断主義」の問題は、宇野が取り扱ったサブカルチャーやポップカルチャーの作品群だけでおきているわけではない。それはアカデミズムにおいても、まさにおこっている事態なのである。 「大きな物語」崩壊以後、アカデミズムは、政治的活動や社会へのコミットメントを控えることにある種のモラル、「

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    prisoner022 2009/12/01
    相対性を前提にした再帰的な決断主義はとるが、それを正当化することによって思考停止するのではなく、他者との対話と自らの変化を受け入れるくらい開かれたものにしていく
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena

    7月頃、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 」に関する原稿を書いたのですが、諸事情につき刊行されない運びとなったとのことなので、せっかくなのでウェブサイト上にアップしたいと思います。約8,000字です。 ■ 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(以下、『新エヴァ』と略す)の総監督である庵野秀明は、いまから約三年前にあたる二〇〇六年の九月に、同作品を制作するにあたって「我々は再び、何を作ろうとしているのか?」と題された所信表明を公開している(注1)。そこでは次のように書かれていた。なぜいまエヴァの再映画化を手がけるのか。それは「疲弊しつつある日のアニメーションを、未来へとつなげたいという願い。蔓延する閉塞感を打破したいという願い」を実現するためである。もちろん、いまさら十年以上も前の作品を映画化するのか、という思いはある。事実、「エヴァはもう古い、とも感じ」る。しかし、庵野はこうも断言している。「この

    『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』論考 - 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
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    prisoner022 2009/09/10
    前作からの明白なまでの反転操作が施された結果、それは「すべて調和と秩序で成り立っている」との印象を禁じえない
  • ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去

    また南京事件で盛り上がってますね。 中国は南京事件政治利用しているという人がいますが、少なくとも日中国交正常化以降、中国が南京事件に関して「謝罪と賠償」を要求したことは一度だって無いし、毒ガス問題など個別イシューを除けば日中間で歴史認識が政治問題になっているのは唯一靖国くらいのものですが、もちろん中国は南京事件があったことをもって靖国神社への参拝に反対しているわけではないのです。 さて、この問題が蒸し返されるときにはきまって、南京事件あったかなかったか「どうでもいい」と思っているのに南京事件「論争」にはいっちょ噛みたいと思っているのが多すぎるのが問題をややこしくしていると思うのですが、それはポストモダニズム系リベラルの問題として表すことができるかもしれません。 つまり、劣化版東浩紀です*1。 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c122932

    ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去
    prisoner022
    prisoner022 2009/06/09
    ポストモダニズム系リベラルの時代には、史実もウソも、フラットな情報としてしか扱われない。だからぼくは南京事件があったかなかったかは関心がないんだよ!と公言できるわけです
  • ポストゼロ年代の想像力――近代の脱構築とその不可能性(レジュメ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    今日Ustで話した内容について、似非原さんのためにレジュメを載せておきます。 竹内好の語る日の「近代への徹底的な従属性のその超克」という問題意識 竹内好は、日における近代とは絶対的な従属性の歴史であり、これを克服するためには近代自体を一度解体するほどの激しさが必要だと。そして彼は「内面の暗黒」というもの――自らの近代性とそれに反発する民族性の双方を否定し、超克しようとした。 これは戦後――敗戦による日の「近代の超克」というアポリアから高度成長期に至るまでの一時期――という特別な言説空間においてのみ意味を持ったが、後に脱近代という意味合いにおいて関わってくる。 高度成長期の「大きな物語」――米ソ冷戦下の経済成長と、それを米帝の搾取システムの上に乗っかっていると批判する新左翼について 高度経済成長自体は卑近な欲望の総和として発現したが、米ソ冷戦というシステムの下で自己目的的に発展し、さら

    ポストゼロ年代の想像力――近代の脱構築とその不可能性(レジュメ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病

    さて なぜこんなことになってしまったのか僕もさっぱりわからない 来週とかにひきずらなければいいけど まあやりましょうか 結局この授業で何を言い続けているのか 公的なものと私的なものの境界 政治的なものと非政治的なものの境界 そういう境界がポストモダンにおいてはどういうふうになるのか 『リアルのゆくえ』が出発点 僕と大塚さんは話が合わない 公共性をどう捉えるかというところ 大塚さんはある信念を持って人々を啓蒙する 自分は正しいと思っていることを人に伝わると信じて言う それが公共的 僕はそうではない さまざまな意見がぶつかり合う 公共的というのは、ある特定の意見を言うことではない ある特定の意見がヘゲモニーを握らない 絶対的な真実が無いまま議論が続く それが公共性 大塚さんはそれはシニシズムだという 自分が正しいと信じることを人に言えないのであれば、 それは公共的でもないし、そんな奴は批評家で

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第10回(12/12) - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/12/18
    いろいろさらけ出してるなぁ。現状肯定して、まったり・・・に聞こえてしまうけどなぁ。
  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

    東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第3回(10/17) - メタサブカル病

    どうもこんにちは 今日もプリントがある 今コピーしてもらっている 授業がネットにアップされるという状況から逃れられると思ったんですが、 ICレコーダで録音していたらしく、 人がいなくてもアップされる ひどいもんだ 毎年同じことをやれと言われているからやる気がなくなるのだということが分かった この際あまり考えず毎年新しい講義をするのがいい 昨年まではポストモダンとは何かという話から、如何にも教科書的なことをやっていたが 今回は軽めでいく 『リアルのゆくえ』の話から入って、動物化と公共性の話 動物化 コジェーヴの仕事から引いている コジェーヴも味わい深いから読んでみよう、というのが前回まで - 『動物化するポストモダン』では大澤真幸さんの話と絡めて話をしているから 大澤さんの文章を読んでみたい プリントが来ないので、まず大雑把な話 ・日的スノビズム ・アメリカ的動物 2つのポスト歴史の可能

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第3回(10/17) - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/10/26
    一番影響を受けたのは柄谷行人/理想がなくなってしまった時代を体現している批評家 /虚構の時代は主体とはなんじゃらほい/成熟モデルもない /95年以降、思想や文学に政治を求めるように/倫理的問題と存在論的問題は違う
  • 最後の映画の呪い日記 : 批評にとって「面白い」とは何か?

    prisoner022
    prisoner022 2008/10/24
    近代社会は異常性を特定の文化表現のなかに「囲い込む」社会/ポストモダン社会は異常性を社会のなかに拡散させ「飼い馴らす」社会/オタク的な想像力/この社会で異常性がいかに「飼い馴らされ」ているのか
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第2回(10/10)- メタサブカル病

    この日の授業は出席できなかったので、後で録音を聞いて講義録を作りました。わざわざ。しかしこれは今後はあんまりやりたくない作業です。まず時間がかかりすぎるのが問題。音声というのは、当に限定された情報しか持っていないということがわかります。高速にメモるには仕草とかも重要。それに、丁寧に書きすぎてしまうというのも大きい。かかる時間を無視しても、リアルタイムに書くのはスポーツみたいで面白い一方、録音から書くのはまるで仕事のよう。 でも講義内容はとても面白いですね! プロジェクター等の機材を使うための鍵を忘れてきたので ちょっと取りに行ってきます プリントが5枚あるので取って見といてください # 8分くらい待つ どうもお待たせしました 鍵はなかった もしかしたらここにあるのかもしれない 教務課の人が来るかも 当はパワポ作ったので上映したかった 先週は低調だった 今日は元気良く力を入れていこう コ

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第2回(10/10)- メタサブカル病
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度初回 - メタサブカル病

    今年も頑張って粘着していこうと思います。ちなみに毎週金曜日16:40から18:10まで東工大のH111でやっています。 どうも こんにちは 僕がこの授業を担当する東浩紀です ポストモダンと情報社会 去年も一昨年も同じタイトル 内容については便覧に書いたとおり 毎年同じことをやればいいということになっている 単位は一回しか取れない でももぐりとか何回も続けて出ている人とか ネットに内容に公開している人も居るので 変わることが宿命付けられている - 僕は基的には物書き 2001「動物化するポストモダン」 オタク論の中ではそれなりに知られている 現代社会分析も僕の仕事のうちのひとつ 1998「存在論的、郵便的」 「存在論的と郵便的」にしておけばもっと普通のタイトルだった ジャック・デリダについて 僕はもともとフランス現代思想の研究者としてキャリアをスタートした これが博士論文 大学院時代からい

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度初回 - メタサブカル病
    prisoner022
    prisoner022 2008/10/04
    今までの社会でイメージされていた公共性は話し合って決めようということだった/真面目に喋っても真面目に聞いていないということがあまりにも明らか/何かを言っても無化されていくのが前提
  • 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』

    伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 書は、漫画表現論、あるいは漫画表現史の方法論であり、なおかつ、それ自体が一種の漫画表現史になっている(後述)。 内容の乱暴な要約――漫画のモダン=手塚にしばられるな 書の内容を乱暴にまとめると次のようになる。 90年代後半に「漫画がつまらなくなった」という言説が漫画評論家などのあいだでふえはじめる。しかし、それはそう言う評論家たちが、漫画に「人間」や「内面」や「物語」といった「モダン」なもの、もっといえば近代的なリアリズムを基準にみようとするからで、そうしたモダンなものがない漫画、ポストモダンな漫画が読めなくなったせいだ。 もともと漫画は、独特の存在感のある線の束で表現されるもの(キャラ)をもち、それが近代的な「内面」や「物語」をかかえこんであたかも実在の身心をもつかのような人間としてうけとられるようになった(キャラクター)。しかし80年代後半以降、「内

  • 偉い主体でいいじゃないか、近代だもの――つみを

    先週の土曜日(5月26日)は大谷哲学会の合評会。 『哲学論集』第53号所収の諸論文のうち、我らが池上ポンポコ哲司教授の「存在の傍らに在ること」と、人類学の田辺繁治教授(著書に『生き方の人類学』講談社現代新書など)の「生社会における未来性――北タイのエイズ自助グループ」を、これまた我らが朴パ(ン)ダ一功教授の司会で合評する。 参加者には、長老・長谷教授はもちろん、イタリアから帰国された人類学の谷泰先生(著書に『カトリックの文化誌』などなど)のお顔も見える。 考えてみれば、ギリシア哲学の泰斗から文化人類学の世界的権威までが一堂に顔をそろえた豪華メンバー。 なかなかこれだけのメンバーを集めようと思っても集まるものではない。 という学際的な合評会でした。 もちろんわたくしCKPことカドワキもヘーゲル的反則技をくりだし、参加しておりました。 奇しくも二つの論文は、近代的主体あるいは近代的共同体をいか

    偉い主体でいいじゃないか、近代だもの――つみを
    prisoner022
    prisoner022 2008/05/22
    ここで悪者にされている「近代」とは、「近代的主体」として、みずからを正義として措定し、その主体を基点として、世界を自分の理解のうちに包摂しようとするあり方
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    prisoner022
    prisoner022 2008/05/22
    うふふ。よく分からないけど面白そう
  • 塚田憲史「社会システム・テレビゲーム・NPC」『筑波批評 2008春』所収 - らいたーずのーと

    ■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受けて稲葉振一郎が『「公共性」論』などでより広い意味で用いた「動物」という概念を、そこに含まれるネガティヴなイメージをむしろポジティヴなものとするためとして「ゲーマー」という概念に置き換えること。稲葉の言う「動物」とは、「慣習や制度などの人々を取り巻く人工的な環境」*1である「社会システム」を「自然」として体験する主体のことを示している。だが、その体験とは、「動物」という言葉からは能的な、受動的なものとして捉えられる。塚田氏はそれを否定し、自ら合理的に判断し、あえて「社会システム」に従う道を選んだ主体として彼らを「ゲーマー」と名指す。 評論の後半では宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』との接続が行われる。彼が提示する「決断主義」という物語ムーブメントを「(東が提示する狭義の)動物」ではなく「ゲーマー

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    prisoner022
    prisoner022 2008/02/20
    「ポストモダニズム」思想は《概念や用語の乱用》を確信犯としてくりかえしているわけで、いかんともしがたいのも事実
  • メタ-優越感ゲーム - シロクマの屑籠

    三度の事は優越感、三時のおやつも優越感 - シロクマの屑籠 三度の事は優越感、三時のおやつも優越感、などという視点もアリだと思えるぐらいに捻くれている人ならば、すぐに思いつくであろうことが、「優越感ゲームが酷いっていうなら、そんな振る舞いを隠すようにしたほうが格好いいんじゃない?」「控えめな態度をとったほうが見苦しくないんじゃね?」というジェスチャーだろう。しかし気をつけなければならないのは、そのジェスチャー自体が優越感ゲームである可能性、である。「みんなが顕示的になるなら、僕は控えめな優等生!」というのは、がつがつしたライバル達に差をつけるには良い手法といえる。皆ががつがつにのめりこめばのめりこむほど、ガジェットに溺れれば溺れるほど、質素倹約や控えめな態度が逆に目立ってくることに気づかないあなた達でもあるまい。よく訓練された優越感ゲームとしての控えめな態度や質素さ加減、目立たないファ

    メタ-優越感ゲーム - シロクマの屑籠
    prisoner022
    prisoner022 2007/11/25
    「ライバル達に差をつけるのは優越感ゲームだ!質素に控えめに振舞っているのはよく訓練された優越感ゲームだ!」前のブクマは読み違えではなかったらしくて安心しました(笑)
  • 国道16号線、それは昔からその他 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070512 深町秋生氏、「国道16号線」を語る; ジャスコ系ショッピングセンターや巨大パチンコ店、それにファミレスやチェーンラーメン店、ダイソーとブックオフといった激安ショップが並ぶ。ああ、あと当然無人の消費者金融店舗も忘れちゃならない。あとヤマダ電機とコジマをつければOKだろうか。あとオートバックス。そんな情景が目に浮かぶ。あと、「忘れちゃならない」ものとしては、安売りの紳士服店があるだろう。さらに、 私が小学校ぐらいの頃はこうしたロードショップは夢のテーマパークでもあった。コジマがほとんどただ同然でカセットテープを叩き売り、ジャスコには欲しいものがなんでもあった。マックのハンバーガーは今は単に田舎者の貧乏に成り下がったが、当時はヒップない物だった。小松左京原作の珍映画「さよならジュピター」で主役の三浦友和がいかに

    国道16号線、それは昔からその他 - Living, Loving, Thinking, Again
    prisoner022
    prisoner022 2007/09/19
    しかし、そうしたことが「ポストモダン」とか「ネオリベ」に結びつけられることによって、それらが殊更最近の現象であるかの印象を与えてしまう
  • うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)

    蒸した部室に、Aさんが帰ってきた。 帰省先でも町角のしなびた屋で『SFマガジン』の最新号をせっせと買い込み、宇野常寛さんの連載「ゼロ年代の想像力」を読んでいたというのだから驚きだ。なんという宇野萌え。 S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る B「好きだねえ・・」 A「まあね」 B「で、どうよ、今回は」 A「うーん、『ワタクシは決断主義を徹底して前提化し、謙虚でエレガントな決断主義、つまり、思考停止と暴力とを肯定しない決断主義を、めざすのであります』っていう結論になっているんだけど、、」 B「ほほう」 A「なんだか、決断主義って言葉の意味がだんだん広がってきているような気がして、ちょっとねえ・・」 B「ちょっと?」 A「うーん、もっと明確に言葉を使っ

    うのもえ 第4話 「三つの決断主義」 - ukparaの思索メモ (つねに未完成)
    prisoner022
    prisoner022 2007/09/06
    決断主義の語義の混乱/決断主義2(サルトル実存主義)は、ポストモダン時代では不可避な生き方だから、当然の(歴史相対的な)前提/こういった自覚がない人は、自分の発言の政治性を自覚できないので、危険