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2007年12月18日のブックマーク (28件)

  • ワンダースリー 鈴木良武演出家の思い出 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 ワンダースリー 鈴木良武演出家の思い出 第3話「シャングリラの謎」を担当した鈴木良武演出家は当時を思い出して次のように書いていました。 絵コンテの校閲をやっとのことで終わらせて、演出と各パートの監督や、チーフとの打ち合わせにこぎつけた。そこへ、たまたま仕事を終えた、手塚先生も来た。そして「ボクも原画を描きますから、任せてください」と言われた。手塚先生のその言葉は来なら大変ありがたく、感謝しなければならない、しかし、今までの経験が、それがどういう結果になるかは、想像しなくてもわかっていた。「ああ!これは遅れるぞ」内心叫んでいた。 進行に再度スケジュール表を作り直すように指示した、放送日から逆算して、最悪ぎりぎりのスケジュールを立てた。もちろん師には言ってはいけない。そして最

    ワンダースリー 鈴木良武演出家の思い出 - 真佐美 ジュン
    prisoner022
    prisoner022 2007/12/18
    「ボクも原画を描きますから、任せてください」と言われた。手塚先生のその言葉は本来なら大変ありがたく、感謝しなければならない、しかし、今までの経験が、それがどういう結果になるかは、想像しなくても・・・
  • ワンダースリー 演出家座談会 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 第4話「くすのき物語」演出柴山 達雄さんと斉出 光布さん このお話はアトムでも使われたし、のちの ふしぎなメルモや 森の伝説 などでも使われている、手塚先生お気に入りの話であった。 第5話「浮かぶ要塞島」 演出は鈴木 良武さん ほか何人かがお手伝いしたので、虫プロ演出部となっております。 「十年ひと昔」というが10年過ぎた昭和53年7月、手塚治虫アニメ特集の中で「演出家座談会 W3を語る」がありましたが、 参加者は杉山 卓さん 、高橋 良輔さん、月岡 貞夫さんでありました。 高橋:ところでW3をやってて、ぼくが一番つらかったのは、第6話「摩天楼動物園」ですね。 これはもうやめちゃった漫画家志望の山室くんと、斉出君が絵コンテを書いたんですよ。 二人は漫研で一緒だったから、絵は

    ワンダースリー 演出家座談会 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    高橋:「それじゃあとの一分半はよろしく」って言われてもぼくの処理能力なんて先生のスピードの十分の一も無いもん。
  • ジャングル大帝 5 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 山暎一さんは森柾さんや撮影の広川和行さんらと話し合っっていた。 どのようにしたら役員会で言う「制作費の範囲で「ジャングル大帝」を作る」ことが出来るのかということであった。 制作費の無駄を省くことが一番である。それは“スケジュールを守ること”これが基姿勢となる。 アトムではシナリオや絵コンテがスケジュールどおり上がらなかった。このことは大勢の作画から撮影編集まで、待ち時間を作ってしまい、遅れの結果徹夜で仕上る このことが費用のかかってしまう理由だった。 なぜスタッフが手空き時間の待ち時間ができてしまうのか?それは、手塚先生の仕事が忙しすぎるためで、漫画原稿の締め切りが優先され、シナリオや絵コンテチェックが、どうしても後回しされるのが原因であることは明白であった。 現場では

    ジャングル大帝 5 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    虫プロへ入ってくるのは、みんな好きだからですけど、その好きをいいことに、全人格的な、没入と犠牲を強いることで成り立っている。アニメ界の古い体質で作家プロダクションなのです。
  • 悟空の大冒険 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 第5スタジオでは「ぼくの孫悟空」のパイロットフィルムの制作が始まっていた。チーフディレクターに杉井 儀三郎、制作担当が、手塚先生の連絡役をしていた、富岡 厚司さん、演出には出崎 統さん、作画は山 繁さん、や吉川 惣司さんと、近くのスタジオアートフレッシュが全面的に協力していた。 5月には完成 次の虫プロの放送予定として題名が「孫悟空がはじまるよー 黄風大王の巻」として6月12日の 虫プロ友の会の映画大会で上映し、アンケートをとった。 その後も東京都内の小学校で試写会を開き、やはりアンケートをとった。その結果は「キャラクターがおとなし過ぎて優等生だ」と言う意見が多いと、手塚先生に報告された。 しかし、子供がそんな難しい意見を筈があるであろうか、疑問が残る。「手塚が口出しする

    悟空の大冒険 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    「キャラクターがおとなし過ぎて優等生だ」と言う意見が多いと、手塚先生に報告された
  • ふしぎなメルモ - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 手塚先生に母屋へ来るようにと呼ばれた。 昔の社長室に入ると手塚先生の傍らに一人の男が立っていた。 「商亊の西崎 弘文氏です」と先生が西崎さんを紹介してくれた。 「実は西崎氏が「アポロの歌」2クールの放送を大阪朝日放送(ABC)で決めてきてくれたんだよ」 先生の顔が喜びであふれていた。 そして私に「プロディースしてくれるよね」と言った。 今まで虫プロでは、何度も手塚治虫原作のパイロットフィルムを作っていた、営業したが、誰も放送を決めて来なかった。今考えると営業の力不足だったように思えるが、力不足を隠すためか、手塚原作はもう古い、どこも買ってはくれない、と言う伝説まで作られていた。 そんな事はない社員からは、ほかのプロダクションは、ああも簡単に放送を決めてくる、手塚原作のほうが

    ふしぎなメルモ - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    それを目先を変えて大阪のテレビ局へ、商亊へ入ったばかりの平の営業が決めてきた。大英雄である、私も尊敬のまなざしで彼を見て、よろしくと固い握手を交わした。
  • ふしぎなメルモ 5話 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 第5話「もえる無人島」 演出が富野善幸さん、手塚先生との打ち合わせは、カセットテープで取って、富野さんにお渡しして絵コンテを描いて貰い、やはり池原成利さんに清書してもらった。 この話は「アポロの歌」でえがかれた、話が元になっている。 メルモとワレガラスが、軽飛行機で移動中に、遭難して無人島に不時着する。 パイロットが、料探しで、拳銃でウサギを撃って持ってくる。 (パイロットがなぜ拳銃を持っているのかは、問わないことにした、やはりアメリカモノの影響だったと思う) メルモ、ワレガラス、パイロットは、その島に住む獣たち、動物たちに取り囲まれてしまう。よく見るとその動物たちは、それぞれ、雄と雌の一つがいであった。ウサギの雌が殺されたことに、怒っていて、今にも殺されそうであった。

    ふしぎなメルモ 5話 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    演出が富野善幸さん、手塚先生との打ち合わせは、カセットテープで取って、富野さんにお渡しして絵コンテを描いて貰い、やはり池原成利さんに清書してもらった
  • ふしぎなメルモ 13話 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 第13話 「クリスマス・メルモ」 営業の西崎 弘文さんから良い報せが来ていた、「青いトリトン」が4月からの放送にきまりそうというのであった。 「青いトリトン」は1969年からサンケイ新聞に連載された手塚先生の漫画で、この10月、虫プロダクションのスタッフを借りて、パイロットフィルムを作り、虫プロ商亊営業の西崎さんが、メルモに引きつづいて、大阪朝日放送に売り込んでいたのであった。 そんな、喜びの知らせとは裏腹に、現場は、地獄の様相を呈していた。12回の放送で、何とか余裕ができるはずであったが、今回のクリスマスメルモと次回の話は、クリスマスの日と、お正月の話なので、遅らせるわけにはいかず、ほとんど平行作業で進ませており、ここさえ乗り切れば、少しは、スケジュールが取り戻せるのであ

    ふしぎなメルモ 13話 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    「青いトリトン」は1969年からサンケイ新聞に連載された手塚先生の漫画で、この10月、虫プロダクションのスタッフを借りて、パイロットフィルムを作り、虫プロ商亊営業の西崎さんが、メルモに引きつづいて、
  • ふしぎなメルモ 14話騒動 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 ふしぎなメルモ 第14話 「身代(みが)わりにされちゃった!」 手塚先生と富野さんとのストーリーの打ち合わせができたのが、12月21日深夜になってしまった。お正月用の話ということで、入れ換えることは出来ず、手の空いた制作は進行の井出君を助けることになった。 富野さんが絵コンテに取り掛かり、雑誌の手空きを待って手塚先生の校閲を受ける。OKの出たものから、池原君がすぐに清書をして、待機してくれている、タマプロの作画班へと届ける。 なんとか富野さんが書上げても、手塚先生の校閲が終わらず、手の空くのをただ待っているだけの時間が過ぎて行った。 絵コンテ全体の最終的OKが出たのが、アフレコ前夜の午後11時を過ぎてしまっていた。 アフレコ用に、絵コンテの絵をトレスマシンでコピーして撮影し

    ふしぎなメルモ 14話騒動 - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    なんとか富野さんが書上げても、手塚先生の校閲が終わらず、手の空くのをただ待っているだけの時間が過ぎて行った
  • 海のトリトン

  • 手塚治虫アニメ年表

  • YouTube - 千夜一夜物語 A thousand and one nights (Senya ichiya monogatari)

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    prisoner022 2007/12/18
    何と豪華なメンバー
  • YouTube - Cleopatra - Trailer

    -=UPDATE=- I am currently working on an english subtitled version of this film. Follow me to be notified as soon as it is uploaded. The trailer for the Mushi Productions film "Kureopatora". This is a stunning piece of art from Osamu Tezuka, the creator of Astro Boy, Kimba the White Lion and Blackjack. Often considered the Walt Disney of Japan. Description borrowed from Wikipedia: "Kureopatora (

  • 海のトリトン - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 海のトリトン 一般的に語られている海のトリトンのスタッフを書いてみます。 原作          :手塚治虫 プロデューサー     :西崎義展 演出          :富野喜幸 作画監督        :羽根章悦 美術監督        :伊藤主計 :牧野光成 音響監督        :浦上靖夫 音楽担当        :松原武俊 音楽          :鈴木宏昌(蛙プロダクション) 効果          :森 賢二(イシダサウンド) 編集          :森寛夫 制作助手        :片山秀男 文芸進行        :鶴見和一 制作担当        :鈴木紀男 制作担当プロデューサー :黒川慶二郎 制作          :朝日放送 :アニメーション

    海のトリトン - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    今までの手塚先生の原作が使えないため、新たな企画で、ミクロイドZなど企画しようとしましたが、トリトンの外注支払いなどだけが、負債として残ってしまい、製作費の入金がないので、経営が苦しく、
  • YouTube - Kanashimi no Belladonna - Trailer

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  • アニメラマ三部作

  • ワンサーくん - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 ワンサーくんは、虫プロダクション最後のテレビシリーズ。 ワンサーくん の原作は1971~72年に「てづかマガジン レオ」に連載された。 ワンサーくんは、はじめからサンワ銀行のマスコットキャラクターとして作られたワンサを主人公にした漫画だが、テレビシリーズはほぼオリジナル作品で、手自身は全く製作には関わっていない。 とかかれているが、 当時手塚プロは練馬のサンワ銀行が、メインバンクで、サービスで給料など袋詰めをしてくれた、それを、取りに行った記憶がある。虫プロや、マッドハウスなども使用していた銀行でした。 まんが連載も手塚プロ3階で目撃している。ワンサはもちろん三和の逆さ読みである。 連載と同じくして、パイロットフィルムを制作した、ハズ、残っていないらしく発表はされていない

    ワンサーくん - 真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    これが後の「宇宙戦艦ヤマト」の複線となり、山本暎一さんが、すでに「ヤマト」の企画をしていたのは、目撃している。
  • 電脳かば -- 聖悠紀 オフィシャルサイト --

  • 超電磁マシーン ボルテスV - Wikipedia

    『超電磁マシーン ボルテスV』(ちょうでんじマシーン ボルテスファイブ)は、1977年6月4日から1978年3月25日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全40話が放送された、東映テレビ事業部・東映エージエンシー制作のロボットアニメ。 前番組『超電磁ロボ コン・バトラーV』に引き続き、作品でも東映テレビ事業部が企画し、制作を日サンライズに委託するという制作体制が採られている。メインスポンサーとしてポピー(現・バンダイ)が参加しているのも前番組と同様である。 作品は、『コン・バトラーV』に端を発する「長浜ロマンロボット3部作」の第2作に数えられている。題名の“V”は、前作『コン・バトラーV』の“V”は英字で“ブイ”と読ませるのに対し、作品ではローマ数字のVで“ファイブ”と読む。オープニングに登場する番組ロゴと、アイキャッチに登場する番組ロゴは異なり、ア

  • WEBアニメスタイル_特別企画

    ── 『千夜一夜』『クレオパトラ』でヒットを飛ばし、ついに『哀しみのベラドンナ』の制作が始まるわけですけれども。これは企画の成り立ちからして前2作とは、違うわけですね。『クレオパトラ』までのヒットを受けて、ヘラルド側は「その路線で3作目を」とは言ってこなかったんですか。 山 もう少し虫プロが続いてれば、「この路線の3作目を」と言ってきたと思いますよ。『ベラドンナ』は、それとはまた別に、さっき言った『イエロー・サブマリン』の路線を、というのがあって始まったものだから。 ── その別路線は、山さんから提案した形なんですか。 山 いや向こうから言ってきたんですよ。 ── え、ヘラルドから言ってきたんですか! それは「前衛的なもの」というような言い方だったんですか。 山 やや前衛的な要素の入ったもので。一般にも受けなきゃいけないんだけど、ちょっと前衛的なもの。 ── エロチックなものという

  • WEBアニメスタイル_特別企画

    ── この「日アニメーション映画史」のフィルモグラフィーのところ見ると「2時間23分で上がったものが、2時間8分で公開された」とあるんです。つまり、15分切られたと書かれてあるんですけど。この辺のいきさつというのは? 山 そういうかたちで切られたという事はないですね。映倫へ出したわけですよね。で、映倫から、「こことここはマズイ」って言われたの。それが2ヶ所か3ヶ所あったと思いますけどね。 ── それで短くなっただけなんですか。 山 そこを切っただけです。 ── それはどんなシーンだったんですか。覚えてらっしゃいますか。 山 …………(黙考)。後半のバドリーが薬を手に入れるために、(警察長官の)奥さんとサドマゾをやるとこね。 ── シルエットみたいな処理になっていてよく見えないですけど、今のバージョンにもあるじゃないですか。 山 もっといろいろあったんですよ。 ── 映倫にチェック

  • クレオパトラ - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 千夜一夜物語につぐ、第二作アニメラマは「クレオパトラ」にきまりました。 山暎一さんは、虫プロをお辞めになっていたが、手塚治虫と共同監督ということで、作品に参加していただくことになりました。 プロデューサーは「おとぎプロ」の横山隆一先生の次男横山隆二さんに依頼したが事情があって降板し 営業部にいた米山安彦さんがプロデューサーとなりました。 キャラクターデザインに昭和44年暮れ手塚先生が「小島功さん」に依頼しました。 音楽は冨田勲、そして手塚先生の構想をシナリオにしていただいたのが、新劇の「自由劇場」の里吉しげみさんでした。 製作は第二スタジオでおこなわれ最終的には「あしたのジー」班「ムーミー」班も協力しました。 また4人の宇宙人が会議をしているシーンでは実写の人物にエリアル

    クレオパトラ - 真佐美 ジュン
  • ムーミン - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 昭和44年10月に「ムーミン」の放映が始まった。 当時原作者の名前すら知らなかった。カバなのか、ピーナツに手足を付けたものなのか、そんなことはどうでも良かった。岸田今日子さんの声と相まって可愛いのであった。どんな経緯(いきさつ)で、3クール目から虫プロで制作するようになったのかは、定かでない。東京ムービーで制作していたが、ディレクターのりんちゃんあたりが、仕事のない虫プロの窮極を救おうと、回してくれたと、感謝をしていた。「日誕生」の制作室の隣へいきなり、ムーミンの制作室ができた。そしてプロデューサーは永井安昌嗣さんであった。事務の女性も、一緒に来ていた。その後虫プロのAP岩崎 正美さんがプロデューサーとなったが、永井さんが、どうしてその後タツノコのプロデューサーとして、活

    ムーミン - 真佐美 ジュン
  • ムーミン - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 ほかのお話でもそうであるが、ムーミンは、原作にとらわれることなく、お話を作っていった。それは、昔聞いたことのある、日の昔話や、西洋の昔話であったような気がした。 インターネットが、発達したのは、大変良いことだと思う、しかしながら、聴きたくなかった、雑音も入ってきてしまう。 原作者はこれらのムーミンを認めていない。という雑音も其の一つだし、初めに作られた2クール東京ムービーのものと、虫プロのものと、どちらがすぐれているか、などというものまである。こんなのは、ほんとうに、よけいなお世話である。当時同じアニメを作る会社として、当然ライバル心はあったが、けして、相手を陥れようなどと言うものではなく、お互い助け合っていく精神を持っていた。だから、よし良いもの、さらに子どもに喜ばれる

    ムーミン - 真佐美 ジュン
  • さすらいの太陽 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 虫プロには変な伝説があった。 手塚の漫画は売れないというものであった。 出所は、営業か、役員あたりからであったと思う。 つまりパイロットフィルムを作っても、営業できないのであった。 その言い訳にテレビ局側が「視聴率が取れなきゃ、うちは。困るんですよ。いまは、劇画のブームです。手塚先生の丸っこいキャラクターは子供たちも、もう飽きちゃったんですよ。 手塚先生の原作以外だったら、話を伺いましょう。」 と言われた。というのである。 営業自分たちの無能のせいで、セールスできないのを、手塚先生のせいにする、最低の者たちであった。 東京のテレビ局はNHKを含めると6局あったが、そのすべてをまわることすらしていない。ましてや、大阪や名古屋など、地方に目を向けるものなど皆無であった。 手塚治

    さすらいの太陽 - 真佐美 ジュン
    prisoner022
    prisoner022 2007/12/18
    いまは、劇画のブームです。手塚先生の丸っこいキャラクターは子供たちも、もう飽きちゃったんですよ/虫プロは、アニメの夢集団から、単なる漫画制作工場の道を選び、(コメントにトリトンの話)
  • 手塚治虫 虫プロ社長辞任 - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 つい最近のこと、突然、編集部に、こんな挨拶状が舞い込んだ。(71年7月1日週刊平凡) 小生このたび、思う所ありまして長年御愛願いただきました虫プロダクションの社長としての役職から、円満に退くことになりました。 虫プロの挫折は、何としても作品の失敗である。しかし、それと同時に、人事的なアクシデントが余りにも多いことが致命的だったと思う。 「虫プロは儲かる」という噂で、利権を欲しい人間が、蟻のようにどっと虫プロへとびついてきたことは事実である。 また当初にあったファイトや熱気が冷えるにつれ、いたずらに、合理化をかざして会社としての組織化、打算的な仕事の受注を始めたこともまずかったと思う。 合理化はスタッフへの締めつけとなり、従来は思いもよらなかった動画プロの労組結成という結果を

    手塚治虫 虫プロ社長辞任 - 真佐美 ジュン
  • 哀しみのベラドンナ - 真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 「哀しみのベラドンナ」 アニメラマで アジをシメタ、(←下品な言い方)日ヘラルドは、毎年、アニメの配給を考えたが、虫プロでは、毎年の制作がムリなことが、判ってきた。丁度そんなときに、東京テレビ動画、から、谷岡ヤスシの原作での劇場アニメの売込みがあり。アニメラマをポルノとに換えポルノラマとして、「ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!」を上映した。 封切りしてみると、散々なもので、閑古鳥が鳴き、当初の2週間を急遽1週間で、打ち切るという、惨敗に終わった。 そこで再度虫プロに、お願いすることになった、が、すでに虫プロには、手塚治虫は、居らず、仕方なく役員会は、山暎一さんに、虫プロに戻って、総監督の、労を担ってもらうよう交渉した。 山さんは『千夜一夜物語』『クレオパトラ』でも、

    哀しみのベラドンナ - 真佐美 ジュン
    prisoner022
    prisoner022 2007/12/18
    映像的には、イラストレーターの深井国をフィーチャーし、彼の画を活かすかたちで全編を制作。セル画のテイストを極力排し、静止画を多用する、あるいはイラストを動かすという手法がとられた。
  • 「虫プロ」のブログ記事一覧-真佐美 ジュン

    昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」 3時45分、目を覚ましトイレ、 テレビをつけ 4時03分、血圧を計り記録する 血圧128、55、脈拍、54、体温、36.0、腹囲82.0 体が、だるい、寝たままでいる、 6時00分、落語特選会 「居残り佐平次」三遊亭圓生 6時25分、テレビ体操、予約で切り替る、 6時35分、落語特選会に切り替え聞いている、 6時50分、体重を計り、歩行計にデーターを 6時55分、歯磨き洗顔、お勝手整理、 6時57分、Bi-LINK 体重、72.1㎏、筋肉率、30.5%、体脂肪率、22.6%、内脂肪レベル、12、 基礎代謝、1628Kcal、BMI、24.1、体年齢、61才 6時55分、パソコン、体重表に記入 歩数:4803歩、しっかり歩数:1168歩、しっかり歩行時間:10分、 消費カロリ

    「虫プロ」のブログ記事一覧-真佐美 ジュン
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    prisoner022 2007/12/18
    「虫プロ外伝」は痛切。(ブクマすると昨今の“残酷物語”に引用されそうで嫌だなぁ)
  • ミカエル晴雨堂の晴耕雨読な映画処方箋 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 ストレス解消活劇〔4〕

    晴雨堂ミカエルの飄々とした晴耕雨読な映画処方箋。 体調に見合った薬膳料理があるように、 料理に合う葡萄酒があるように、日常の節目に合った映画があります。映画の話題をきっかけに多彩な生活になれば幸いです。詳しいレビューは「続きを読む」をクリックしてください。 「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」 映画化の希有な成功例。 【公開年】1984年  【制作国】日国  【時間】115分 【監督】石黒昇  河森正治 【原作】スタジオぬえ 【音楽】羽田健太郎 【脚】富田祐弘 【言語】日語 ゼントラーディ語 一部イングランド語 【出演】飯島真理(リン・ミンメイ)  長谷有洋(一条輝中尉)  土井美加(早瀬未沙少佐)  羽佐間道夫(ブルーノ・J・グローバル艦長)  小原乃梨子(クローディア・ラサール大尉)  神谷明(ロイ・フォッカー少佐)  市川治(ゴル・ボドルザー)  蟹江榮司(ブリタイ70

    prisoner022
    prisoner022 2007/12/18
    「この映画は、歌手リン=ミンメイの壮大なプロモーションビデオだ。そう思って観ればええやろ」