東京マスコミの偏向報道 リンクと引用・転載について サイト内検索 全国紙・東京キー局、その他の東京マスコミによる地域的な偏向報道・偏向放送です。 左右の偏向ではありません。あしからず。
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「マスコミの人がちゃんと質問しないなら、私のほうから今日の試合について話します」 2006年8月16日、サッカー日本代表はアジア杯予選のイエメン代表戦に臨み、2対0で勝利した。オシム監督は、試合後の記者会見でこう切り出し報道陣を驚かせた。なぜオシム監督はマスコミに対して、このような態度を取るのか。 この日の記者会見で「2戦目で進歩はあったか」との質問に、オシム監督は次のように切り返した。 「私ですか?選手ですか?」 マスコミの質問のあいまいさを鋭く突いた発言だ。 新聞記者は戦争を始めることができる オシム監督の初戦トリニタード・トバゴ戦に勝利した後のインタビューでも、「今日は親善試合で次は公式戦ですが」との記者の質問に、「今日は公式戦じゃなかったからどんな試合だと言うんですか」「私にとっては親善試合も公式戦も同じように大切だ」とオシム監督はいい、記者をたじろがせた。 以前、J-CASTニュ
TBSはきっと買われるでしょうね。フジテレビの時は、テレビ各局が「テレビは公共のものだ」とか訴えて世間の論調も何となくそっちの方向に傾きましたが、今回はそうは行かないような気がします。 何しろこの半年くらいの間で、少なくてもぼくの中ではテレビの公共性などというセリフは加速度的に説得力を失いました。 選挙報道を巡っては、自分たちで激しくワイドショー選挙をあおりながら、方やそれを批判したりして分裂気味。今でも「小泉チルドレン」とか「タイゾーくん」とか、安い合い言葉を振り回すばかりで国会関連のニュースを見るのもつらいです。 もちろんシリアスな顔をして小難しい伝え方をすればいいというものではないし、おもしろくおかしくしてわかりやすく伝えるのはいいのですが、そのやり方がとにかくダサクて安っぽくてワンパターン。ぼくもその一員ではあるのですが、恥ずかしくてとても公共に奉仕しているなどと言えません。 ハリ
読売テレビ系 「たかじんのそこまで言って委員会」での宮崎哲哉氏の発言(関東では見れません)。 ・中学生は両親から「信仰心が足りない」と迫られて殺害を思い立った ・マスコミはそれを報道しない という内容のようです。 実際に見た方、フォローお願いします。
私(竹内謙)は6月23日〜25日に韓国・ソウルで開かれた世界市民記者フォーラムに参加し、『JanJan』についての報告をしました。実際のスピーチは英語でしましたが、その日本語テキストを紹介します。時間の関係で省略したところがあることをお断りしておきます。 ◇ ◇ ◇ 竹内謙の『JanJan』報告(日本語テキスト) 会場の皆さん、オ・ヨンホさん、このフォーラムに参加することをうれしく思います。私は日本から来た竹内謙です。日本インターネット新聞社の社長であり、日本語のインターネット新聞『JanJan』の発行人です。 私がはじめて『OhmyNews』を訪問したのは2001年8月です。訪問のきっかけは「記者クラブ」問題でした。 当時、私は東京から南へ50kmほど離れた鎌倉市の市長をしていました。私は市役所の記者クラブを廃止しました。もっと正確に言うと、大きな新聞やテレビの記者だけに
小中高生にブログ(日記風の簡易ホームページ)を持たせ、国のIT(情報技術)力向上を目指そうとする総務省に、ブロガー(ブログの執筆者)たちが猛反発している。 総務省の姿勢を伝えるヨミウリオンラインの「子どもはみなブログを持て!」(今月14日掲載記事)には、都内のネット系雑誌編集者から「多くのブログに引用されている」という情報が寄せられた。 たとえば、ブログサービス「はてなダイアリー」では、85件の日記がこの記事を引用していた(23日朝現在)。さらに、このサービスの利用者がブックマーク(気になるサイトやページ)をコメント付きで公開し合う「はてなブックマーク」(http://b.hatena.ne.jp/)では、121人が引用していた(同)。 また、ブログで引用された記事や書籍などの引用回数ランキングを提供している「1470.net」(http://1470.net/)の集計でも59回(同)を数
(以下は実話である。もちろん、肝心の要素はいくつかボカシている。ここに記すかどうかということ自体で、ずいぶんと悩んだ。しかし、こうした「事件」を闇から闇へと追いやることは、決して得策ではないし、日本のメディア全体の問題なのだ) 昨年秋のことだ。 道外のある警察記者クラブに所属する30代の記者が、ある夜、事件関係者の自宅に取材に出掛けた。警察による立件が間近に迫っていた時期だ。 時刻は午後7時半ごろ。記者が玄関のインタホンを押したが、返事がない。そこで、しばらくインタホンを押したり、少し中を伺うようにしていたという。そのとき、どこからか民間警備員がやってきた。何をしているのかと聞かれたものの、それを説明すればその家が事件関係者だと分かってしまう。すると、警備員があらかじめ呼んでいたのか、ほどなくしてパトカーが2台到着した。バラバラと警察官が降りてくる。 その記者は警察担当であり、いわば「仲間
前編では京都アニメーション放火殺傷事件でのファクトを整理したが、今回は実名報道がなぜ必要とされたのか、そしてそれに対する批判について、記者経験者の話を交え取り上げる。話を伺ったのは、自身も記者出身ながら、日本の事件報道の匿名化を訴えている浅野健一元同志社大学教授だ。 共同通信記者であった浅野氏は、自身が取材した冤罪事件をきっかけにして事件報道に疑問を持ち、1984年に『犯罪報道の犯罪』を発表。被害者・犠牲者にとどまらず、被疑者についても匿名での報道を主張し、公人を除いて被害者、被疑者問わず匿名が原則となっている、スウェーデンに代表される北欧型の『匿名報道主義』の導入を訴えている。 なぜマスコミが実名にこだわるのか、その問題点は。事件報道の構造的な問題にまで踏み込んで話を伺った。 なぜ実名にこだわるのか? 前編で触れたように、日本のマスコミの大勢は、被害者も含めた実名報道を肯定している立場だ
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