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文学に関するpulltop-birthのブックマーク (8)

  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
  • ぼくがみんなに質問したいことなど皆無(かいむ)ですが、みんなに質問してほしいことがあります。 - 人力検索はてな

    ぼくがみんなに質問したいことなど皆無(かいむ)ですが、みんなに質問してほしいことがあります。 みんなが講談速記(こうだんそっきぼん)について、知りたいことを質問(しつもん)してください。 知りたいことがない人は無理矢理(むりやり)でもいいから考えて、ジャンジャン質問してください。 講談速記(こうだんそっきぼん)を知らない人は、適当(てきとう)でいいので講談速記(こうだんそっきぼん)を想像して質問をしてください。 なるべくがんばって質問に答えようと思いますから、熱意(ねつい)を持って質問をしてください。 あと夏休みの宿題で明治文学のことが出てる人がいたら、そのことについて質問してもいいですけど、その場合はぼくにカラースターをください。 それではよろしくお願いします。

    ぼくがみんなに質問したいことなど皆無(かいむ)ですが、みんなに質問してほしいことがあります。 - 人力検索はてな
  • 高橋源一郎氏自身による、’’新著『悪と戦う』メイキング’’

    高橋源一郎 @takagengen 予告編① あと少し、24時頃から「メイキングオブ『「悪」と戦う』」という連続ツイートを始めます。毎日、同じ時間に少しずつ、二週間ほど続ける予定です。中身は、ぼくの新作に関するあらゆること。具体的には始めてみないとわかりません。なにしろ、ふだん寝てる時間帯だから、起きられるか……。 2010-05-01 23:23:12 高橋源一郎 @takagengen 予告編② ツイッターを始めて4カ月、なんとなくわかったことがあります。それは、ツイッターの「公共性」が、小説の「公共性」とよく似ていることです。いや、「小説」の「なにをやってもかまわない」という性質が、ツイッターのそれとよく似ているといっていいかもしれませんね。 2010-05-01 23:25:07 高橋源一郎 @takagengen 予告編③ ツイッターという「歩行者天国」で、ギターを抱え、通りすが

    高橋源一郎氏自身による、’’新著『悪と戦う』メイキング’’
  • すばらしい日本の戦争 (@shinen_bot) | Twitter

    すばらしい日本の戦争 (@shinen_bot) | Twitter
    pulltop-birth
    pulltop-birth 2010/02/15
    一瞬しねんってなんだと思ったが『深淵』か。
  • 給湯器と我が家

    真冬ど真ん中でお湯が出ない ある時、給湯器が壊れた。 1月の冬真っ只中の故障だった。お湯が出なくなったのだ。前日はお風呂にも入っていたため、この故障には驚いた。まさか壊れるだなんて! 異常に気付いたのは平日の朝、顔を洗おうとした時だった。 「? お湯出ぇへん……」 寝起きのためはっきりしない頭で、水が出続ける蛇口をぼーっと眺めていた。そのうちお湯が出てくるのではないかと待っていたのだ。当然お湯は出てこない。5分ぐらいそうしていたかもしれない。 とりあえず、お風呂場にある給湯器のリモコンを確認した。スイッチは入っていたが、変な記号が出ていた。なんだこれ。何でこんなのが出ているんだろう。一度電源を落とし、しばし待ってもう一度入れてみる。一瞬いつもの見慣れた文字が浮かんだが、また変な記号に変わった。無言で再度、電源を入れなおしたが変わらない。 エラーの原因が不明であるため、次にガスは出ているかキ

  • 佐藤亜紀 日記: 2009.3.29

    ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上にえないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20

    佐藤亜紀 日記: 2009.3.29
  • 浅田彰【同性愛はいまだにタブーか】

    先月号で櫻井よしこが指摘している通り、有森裕子とガブリエル・ウィルソンの結婚をめぐるマス・メディアの騒ぎは、むしろ日社会の性意識の遅れを露呈することになった。人間の性的指向は多様であり、ゲイだからといって異常ということはないし、女性と結婚するのが珍しいわけでもない。そんなことはもはや常識だ。また、そう考えたからこそ、有森裕子やその家族は相手がゲイだ(った)ということを知りながら結婚に踏み切ったのであり、ガブリエル・ウィルソン自身も記者会見の場で自らゲイだ(った)ということを明らかにしたのである。その発言に飛びついて「スポーツに没頭して男を知らない女がゲイにだまされた」というような下劣な騒ぎかたをした日のマス・メディアの時代錯誤には、唖然とするほかない。 だが、事はマス・メディアだけの問題ではなさそうだ。三島由紀夫との同性愛関係を私小説的に綴った福島次郎の『三島由紀夫 剣と寒紅』が、三島

  • 坂のある非風景 ユートピアの交替劇

    ファシズムが共産主義の描いたユートピアの挫折、崩壊によるユートピア交替劇だった、といった歴史の読みを思い出すが、戦後左翼の無様さの揺り戻しが、村上春樹だったというとき、戦後左翼の見せた未来、ユートピアなんてたいした希望じゃなかった、そんなふうにも感じられる。「"村上春樹"的なるもの」とは、ユートピアの喪失が、喪失そのものの状態でみたされ、癒される時代の登場を象徴しているのだろうか。 諦念の深さ、失望の大きさが裏切られた希望の大きさを明るみに出す。しかしそれは通常は別のもので補完されてしまうだろう。村上春樹の(登場人物の)お洒落なナルシシズムは、他者へのニヒリズムを見事に補完するものだった。ニヒリズムで共鳴するものを、ナルシシズムが癒しつづける。他者(世界)へのニヒリズムで共鳴し合うふたりが、お互いの絶望によって愛し合うといった可能性も、むしろそれだけが愛の可能性であるかのように、ここに開か

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