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ブックマーク / www.miyadai.com (14)

  • 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日的課題 « M2Jpop批評(TBSラジオ)のオンエアは1月4日。予告編的な文章を書きました | 小林よしのり&荻上チキ&富岡幸一郎の三氏と鼎談しました。テーマは「デマ合戦」。 » いよいよ自民党の支持率が2割台前半、民主党の支持率が3割台後半になってきました。 どこぞの馬鹿がどうして宮台は自民党にロビイ活動をしないのだなどとほざいていました。 90年代半ばからの絶対得票率趨勢分析をすれば自民党に未来がなかったのだから仕方ない。 自民党ごときにひきずられて沈没したくはありません。 自民党内は一挙に政界再編にむけて動きだしつつあります。 中川昭一と平沼赳夫が安倍晋三を引き込みんで麻生太郎を代表にした保守新党を作る動きがあります。 自民党が将来的に立ちゆかないことがやっと誰の目にも明白にな

  • 映画『国道20号線』について長い文章を書きました - MIYADAI.com Blog

    ────────────────────────────────── 富田克也監督(相沢虎之助共同脚)の『国道20号線』がなぜ世紀の大傑作なのか ──映画が描く〈世界〉の中に私がいるというアレゴリカルな体験の貴重さ── ────────────────────────────────── ■この映画はいい作品かどうか。高校生の時分から映画の出来を評価する個人的な判定規準がある。第一は「〈世界〉は確かにそうなっているな」と思わせられるかどうかだ。後にヴァルター・ベンヤミンを学び、それが「アレゴリー」と呼ばれる性質に関わることを知った。 ■このような判定規準を誰かに教わったわけではない。映画の鑑賞体験を通じて自然に身についたものだ。だが私にとって決定的だった鑑賞体験がある。それは中二の時、新宿の『アンダーグラウドの蠍座』で立て続けに見た、若松孝二と足立正生の映画作品の体験である。 ■麻布中学

    puteeui
    puteeui 2008/07/21
    富田克也 『国道20号線』 「〈世界〉は確かにそうなっている」と思わせるアレゴリーを、一瞬に封じ込めたカットがあるかどうか/第一の規準が小説などにも適用可能なのに対し、第二の規準は「映画的」
  • 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 « 某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント | 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘やご意見をお待ちします。第1部 » ◯ ■1960年代後半に、先進各国で次々に反体制運動(異議申し立て運動)ないし大学紛争(学園闘争)が起こった。異議申し立ての主題は、ベトナム戦争だったり大学管理体制だったり授業料値上げだったりと一国内でも多様だったが、この多様性がこれらの闘争の共通性を逆に示唆していた。一口でいえば、実存的ないし実存主義的だったのである。 ■1966年に新聞上で戦われたミシェル・フーコーとジャン・ポール・サルトルの論争に、構図の一端を見出せる。サルトルが意味の獲得に向けて投企する主体の自由を賞揚するのに対し、フ

  • 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘やご意見をお待ちします。第1部 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘やご意見をお待ちします。第1部 « 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 | [videonews.com] マル激トーク・オン・ディマンド再放送します » ◯ ■近年「ニート」(NEET、not in education, employment and training、学生でないのに就業せず職業訓練も受けない成人)という英国政府が用い始めた言葉によって、我が国でも若者が社会性を失う現象--非社会性--が名指され、社会問題になっている。国レベルでも自治体レベルでも、政治や行政が「ニート対策」に取り組み始めている。 ■だが、我が国における問題化のされ方と他国のそれとはかなり異なる。我が国では「自立」できない若者への「自立支援」とい

  • 某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント - MIYADAI.com Blog

    某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメントが、地震で「とび」ましたので、かわりにこちらに掲載します。 **************************************************************** 社会学者の宮台真司・首都文学東京教授(49) は携帯サイトの書き込み内容からこう分析する。 『現実でも一人。ネットでも一人』『みんな俺を避けている』などの書き込みから見ると、加藤容疑者は社会に居場所が見つけられない不満を強く感じている。背景には若者文化の変質があろう。 かつては人づきあいが苦手な若者たちの『もう一つの居場所』が若者文化の中にあり、秋葉原もその象徴だった。今はオタク文化もネット文化もまったり戲れる場所。被害者の一部がそうだったように秋葉原も今は友達と連れ立っていく所だ。友達がいない者には秋葉原でさえ居場所にならない。 他方『県内トップ

  • 宮台真司が選ぶ『とってもエイリアンズな日本映画』10選 - MIYADAI.com Blog

    〈社会〉内での位置取りにあくせくする私たちに突如〈世界〉からの光が降り注ぐことがある。そう。〈社会〉をどう生きるかなど実はクダラナイ。ところがそういう〈脱社会的〉な視線を採った者(エイリアンズ)にだけ見えてくる〈社会〉のかけがえのなさがある。そのことを感じさせる教材的な日映画を挙げた。簡単には観られない映画も含まれる。 ──────────────────────── 【1】足立正生監督『銀河系』(67)[ビデオやDVDなし] 【2】鈴木清順監督『殺しの烙印』(67) 【3】若松孝二監督『現代性犯罪絶叫篇・理由なき暴行』(69)[ビデオやDVDなし] 【4】川島透監督『押繪と旅する男』(92) 【5】相米慎二監督『お引っ越し』(93) 【6】石井隆監督『ヌードの夜』(93) 【7】黒沢清監督『CURE キュア』(97) 【8】岩井俊二監督『リリイ・シュシュのすべて』(99) 【9】高橋陽

  • 昨年の映画を総括しました〔一部すでにアップした文章と重なりますが…) - MIYADAI.com Blog

    宮台:今年の映画を語るときにはずせないのは『恋空』です。年長世代である私たちにしてみると、のけぞる映画です。結論からいうと、携帯小説映画で意識的にシミュミレートしようとして、わざと短絡的に作った映画でしょう。さもなければ、とてもじゃないが理解できません(笑)。 輪姦されても彼氏が抱きしめれば一瞬で回復するし、セックスすれば一瞬で妊娠するし、妬んだ女が突き飛ばせば一瞬で流産するし、次の男があらわれれば一瞬でくっつくし、という短絡ぶり(笑)。別れた彼氏が癌だったとなれば元のさやに納まり、最後には何事もなかったかのように家族の元へ帰る。 携帯小説の編集者によれば、情景描写や関係性描写を省かないと、若い読者が「自分が拒絶された」と感じるらしいんです。情緒的な機微が描かれていない作品、単なるプロットやあらすじの如き作品が望まれる。「文脈に依存するもの」を語らず、「脊髄反射的なもの」だけを描く作品で

    puteeui
    puteeui 2008/01/11
     「狂った田舎」 若松の風景への言及
  • MIYADAI.com Blog - 尊敬する中平卓馬に言及した文章をアップします

    ──────────────────────── 映画『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』に、「どんな星座も構成しない 瓦礫の山、それが〈世界〉だ」という究極のアレゴリーを見出し、深く納得する。 ──────────────────────── ■前回、映画(を含めた表現全体)に関わる重大な問題を、文章の前半で提示した。だが一部の読者から意味がよく分からないという指摘を受けた。そこで承前ということで、映画(を含めた表現)と現実との間の関係、並びにそれに伴う今日的困難について記述する。 ■古い話だが、映画批評家・蓮實重彦を論破したことが神話的に語られ、蓮實重彦的な映画批評の理論的基盤を与えた──少なくとも蓮實より以前に恐らくベンヤミンを参照しながら基盤を準備した──伝説的写真家・中平卓馬について語ることから、始めようと思う。 ■2003年に開かれた「中平卓馬展 原点回帰−横浜」のパンフ

    puteeui
    puteeui 2007/10/31
    中平卓馬
  • まもなく『週刊金曜日』上にジャ・ジャンクー監督へのインタビュー記事が掲載されます。 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > まもなく『週刊金曜日』上にジャ・ジャンクー監督へのインタビュー記事が掲載されます。 « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » 聞き手役の宮台からの発言のみを掲載いたしますので、監督の回答は誌で読んで下さい。 ●宮台真司インタビュー:『長江哀歌』監督ジャ・ジャンクー(中国) ーー観客の質が下がって一義的で分かりやすい作品が多い最近の日映画の流れと、監督の最新作『長江哀歌』は対照的です。埃と汗と轟音と歌謡曲が大変印象に深く残る映画です。 総論的には、両義性や曖昧さが心地良いと同時に、そうした曖昧さを世界の真実だと感じさせます。例えば映画では、ダムを造ろうとする国家権力に人々が抗わず、変わっていく風景に適応して生きていきつつ、それでいて輝くのです。監督は三峡でドキュメンタリ

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    puteeui 2007/07/25
    ジャ・ジャンクーと宮台せんせ
  • 抒情的な我々の限りない貧しさを照射するキム・ギドク前期作品群 - MIYADAI.com Blog

    ■キム・ギドク作品は明白に叙事的で、抒情性を徹底的に否定する。因みに叙事的とは〈世界〉が主観に収まらない出鱈目に満ちていること。抒情的とは〈世界〉が主観に収まり得ること。 ■最近作『サマリア』(04)も、抒情的な「援交映画」──トラウマやリグレットに満ちた何物か──を期待すると、完全に裏切られるだろう。 ■自分が手引きした援交の現場に警察が踏み込んで友人が転落死することによる少女のリグレットは、程なく消失。いつの間に父と娘のロードムービーに変じた映画には神話的身振りが溢れる。 ■この叙事性は何に由来するか。彼の前期作品が手掛りになる(彼自身『コーストガード』までを前期と呼ぶ)。例えば『受取人不明(01)。他の映画なら物語上の大事件をなす痛々しくも残酷なエピソードが天こ盛りだ。 ■だがそれらは過剰な意味を帯びない。むしろ〈世界〉にはそうした不条理がありふれていると言わんばかりに、後続するエピ

  • 「悲劇の共有」と「叙事への意志=叙情否定の意志」の関係について記しました - MIYADAI.com Blog

    ───────────────────────────────────── 観客を動員できる作品ほど質が低いという日映画バブルの逆説に抗うヒントを、 自主映画『蛆虫が飛ぶとき』と韓国映画『鰐』における「叙事への熱情」に見る。 ───────────────────────────────────── 【質の低下による日映画バブル】 ■周知のように日映画大バブルだ。商業映画はDVDオンリーも含めて1000近く作られ、年間100人の新人監督がデビューする。7年前に水戸映像祭の審査員になった頃、才能ある自主映画監督を商業映画の世界にどうつなげるかを画策していたことが懷かしい。 ■現在必要なのは無数の商業映画を「売れているけどいい」「売れているけどダメ」「売れてないけどいい」と宣言する仕組みだ。ヨーロッパの映画祭は元々そういうものだ。売れる売れないに関係なく、いい映画にお墨付きを与える。日

  • MIYADAI.com Blog - 『文庫増補版・サブカルチャー神話解体』(筑摩書房)がまもなく出ます

    ──────────────────────── 文庫増補版へのあとがき ──────────────────────── 【再び書成立の経緯へ】 ■単行へのあとがきで、書が成立する1993年までの事情を紹介した。だが、今回、文庫増補版へのまえがきで記した通り、私が修士論文を提出した1982年から1993年までの11年間に比べると、1993年から今年(2007年)までの14年間の方が遥かに長い年月だ。 ■ここでは単行版上梓後の社会的変化を踏まえて、改めて書成立事情を再帰的に記そうと思う。再帰性(reflexivity)概念には、社会学に限定すれば、社会システムに準拠したルーマン的用法と、人格システムに準拠したギデンズ的用法とがある。説明しておこう。 ■ルーマンの用法は、ベイトソン(Gregory Bateson)経由で数学概念を転用したもので、学習についての学習に見られるような「

  • 日本のサブカルは今年もますます「痛み」や「悲劇」から遠ざかりました - MIYADAI.com Blog

    ──────────────────────────────────────── 「死にオチ」作品が溢れる日。少しも痛みを感じない。真に痛いのはこちらに突き刺さってくる悲劇のみ。真の悲劇を映画『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』に見出す ──────────────────────────────────────── 【だらしない「死にオチ」を越えよ】 ■過去8年間、年末になるとTBSラジオで宮崎哲弥氏と一緒に年間音楽の総括番組『M2:J-POP批評』を放送し続けている。実は「J-POPは終った」は三年前の物言い。今や常態なので話題にもならない。以降は番組名に反して映画漫画テレビをも取り扱ってきた。 ■番組で私は、年間の音楽映画漫画などのサブカル全体を一言で括ることにしている。昨年は「主語の欠落」。誰が主語であってもいいような入替可能なモチーフの隆盛を言う。今年は「痛みの欠落

  • MIYADAI.com Blog - 「まぶだち」キム・ギドク監督に関係する原稿です

    ──────────────────────── 映画うつせみ(空き家)』に、キム・ギドク監督の“「シニフィアンの戯れ」を享受する「幽霊」になるべく「激烈な痛み」を体験せよ!”という煽動的メッセージを見る ──────────────────────── ■昨年12月にNHK大阪で『第二回・日韓若手文化人芸術家シンポジウム』の収録があった。監督とは三時間収録の番組内で一時間、打ち上げの席で一時間ほど、ほぼ一対一で話し合えた。番組では「キム・ギドク作品から見た日韓映画の現状」を監督と話し合った。 ■この主題設定は不可解だろう。キム・ギドク作品の韓国での観客動員は十万前後。ヒット作品の動員数が数百万から一千万を越える(人口四千八百万人)韓国では、マイナーだ。幾つもの映画祭を席巻し、最近作が数十カ国で公開されているというのは、国外での話だ。 ■経歴も風変わり。映画の専門教育を受けていない。高卒

    puteeui
    puteeui 2006/09/28
    キム・ギドクについて
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