一度は平氏を追い出し京都を占拠するものの、源頼朝との権力闘争に敗れ、その弟、源義経が率いる軍勢に惨敗し、わずか半年で京都を手中から逃した木曽義仲。 そういう次第で、源平合戦の流れの中では、まるで本能寺後の明智光秀のごとく、「頼朝のかっこうの餌食になったカマセ」のように見られがちな人物です。しかしそれは後世の目から見た場合のこと。源義経に追いつめられた木曽義仲には、なにか勝ち筋はなかったのでしょうか? そして、対義経戦に耐えぬいた場合、義仲には引き続き権力を維持できるシナリオはなかったのでしょうか? すなわち、敢えてこう説いてみましょう。木曽義仲が源義経の攻撃をしのいだ場合、鎌倉の頼朝の立場はどう変わったのか、そしてそれによる、日本史の展開はどう変わっただろうか、と。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 姉妹メディア「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を