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ドーハの悲劇 メンバーの検索結果1 - 12 件 / 12件

  • サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか…金子勝彦と伝説的サッカー番組の舞台裏【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    Jリーグができる以前 日本サッカーリーグのテレビ放送は年間に数回だった そんな時代に週1回、海外サッカーを紹介し続けた番組があった 「三菱ダイヤモンドサッカー」は日本のサッカー放送の礎だった いつもにこやかな温かい声で実況していたのは まだ現役で話し続ける金子勝彦アナウンサー ずっと日本サッカーを見続けてきた人物に 映ってきた風景と現在の放送について伺った (文中敬称略) 三菱ダイヤモンドサッカーはいかにして始まったのか サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか。 私が実況を担当して1968年から1988年まで放送されていた「三菱ダイヤモンドサッカー」は、諸橋晋六さん(故人)がロンドン勤務だったとき、1967年日英経済人会議で渡英された篠島秀雄さん(故人)にBBC(英国放送協会)の「マッチ・オブ・ザ・デイ」という番組を紹介して、そこから放送することになった番組です。その主旨は「サッ

      サッカーを愛するみなさん、ご機嫌いかがでしょうか…金子勝彦と伝説的サッカー番組の舞台裏【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    • 井原正巳が考える「理想のリーダー像」元サッカー日本代表キャプテンインタビュー | さくマガ

      ≫ 【2週間無料!】初心者でもホームページが作れる!高速・安定・快適なレンタルサーバー 1997年、日本サッカー界は大きな転換期を迎えようとしていた。1998年フランスワールドカップ出場をかけたアジア予選が集中的に開催されたのだ。1993年の「ドーハの悲劇」もあってワールドカップ出場はそれまで以上の「悲願」とされた。また2002年日韓ワールドカップが決まり、それまで本大会に出場した経験のない開催国はなかったということで、このフランスワールドカップ出場は「義務」という雰囲気にもなった。 日本は何度か本大会出場の夢を打ち砕かされそうになりながら、何とか最後は出場権をもぎ取った。その厳しい戦いをキャプテンとして戦い抜いたのは井原正巳。引き分けた試合後、椅子が選手バスに投げられるなどの中で、期待を感じ、責任を受け止め、仲間をまとめながら戦い抜いたあのときの話を聞いた。 (オンラインでお話をうかがい

        井原正巳が考える「理想のリーダー像」元サッカー日本代表キャプテンインタビュー | さくマガ
      • 【サッカー日本代表】心機一転!代表ユニフォームの新デザイン発表! - 北の大地の南側から

        こんにちは! Nishi です。 今日から9月ですね。 サッカーの話題でいえば、ワールドカップまで残り2ヶ月半になりました。 今月24日と28日にワールドカップ前の最後の親善試合が組まれています。 その親善試合2試合を通して、およその代表選手の選別が行われると思います。 ワールドカップのメンバーに入れるか今が正念場ですね。 さて、そのワールドカップ本大会の前に日本代表ユニフォームのデザインが一新されました。 www.yomiuri.co.jp 先日、日本代表の新しいユニフォームのデザインが発表されました。 今回のデザインは「折り紙」をテーマとして、青色の基本色に白地で折り紙の鶴をちりばめられているデザインになっています。 現在の迷彩柄がだいぶ馴染んできたんですけどね、個人的には(^_^;) でもまぁ、この時期ちょうどデザイン更新の時期ではあります。 今回のデザインは、青と白のまぁ慣れ親しん

          【サッカー日本代表】心機一転!代表ユニフォームの新デザイン発表! - 北の大地の南側から
        • 【時には昔の雑誌を‥】1993年10月22日発行『ザ・テレビジョン』 - 日常にツベルクリン注射を‥

          【時には昔の雑誌を‥】シリーズは、筆者であるツベルクリン所有の昔の雑誌を、解説を入れながら読んで行くシリーズ記事です。今回は1993年10月22日発行の『ザ・テレビジョン』をご紹介していきたいと思います。 『ザ・テレビジョン』とは、毎週水曜日に発売される週刊誌(月刊誌もある)で、主にその週のテレビ番組表や話題の芸能やスポーツの情報が載っている情報誌です。 今回ご紹介するのは、今から27年前の1993年10月22日発行分です。アラフォー&アラフィフホイホイ記事です。どうぞご覧ください。 <目次> 表紙&サッカー日本代表特集 ドラマ紹介 話題のテレビアニメ 当時のテレビ番組表 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日 視聴率ランキング 終わりに… 表紙&サッカー日本代表特集 通常、『ザ・テレビジョン』の表紙は、レモンを持った芸能人が写ることが多いのですが、93年のこの週は、サッカ

            【時には昔の雑誌を‥】1993年10月22日発行『ザ・テレビジョン』 - 日常にツベルクリン注射を‥
          • "ドーハの悲劇"のメンバーだった森保監督が29年後に"ドーハの奇跡"に導いた→W杯でドイツに勝つことがどれだけ奇跡なのかという話

            みやまき👑 @_miyamaki_ 「『ドーハの悲劇のあとに産まれた選手たち』がドーハの奇跡を起こした」という事実に、おじさん感動と動悸が止まらないよ。 もにあ @Morning_Arrow 「悲劇」と母音を合わせるために「ドーハの奇跡」と言いたい気もするし、「奇跡」と言い切ってしまうのは選手に申し訳ない感じがして「ドーハの歓喜」と言いたい気もする 金沢 容 @kanazawa_you わかる人だけでいい。シンジ、シュンスケ、ヒデ、イナで無理やったけど香川がでてきて、淡い期待をして、また辛酸なめて、そしてドラゴンじゃない久保世代が盛り上がってきて、そして今日のドイツ戦で魂を救われたおじさん達がたぶん200万人くらいおるんや。ドイツに勝つなんてもうそれだけでええんや

              "ドーハの悲劇"のメンバーだった森保監督が29年後に"ドーハの奇跡"に導いた→W杯でドイツに勝つことがどれだけ奇跡なのかという話
            • 柱谷哲二が語るドーハの悲劇。 イラク戦で投入してほしかった選手の名は(webスポルティーバ) - Yahoo!ニュース

              私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇~ 柱谷哲二(3) 【写真】U-23代表齊藤未月の反省があぶり出す「きれいすぎるチーム」の問題 第1回はこちら  第2回はこちら 1993年10月、アメリカW杯最終予選に向けての日本代表メンバー22名が発表になり、初のW杯出場を目指す日本代表を応援しようと国内の熱が高まっていた。Jリーグが開幕し、日本中がサッカー一色になり、その勢いが日本代表にも伝播したのだ。 W杯最終予選前に、国内でアジア・アフリカ選手権が開催された。 この大会前、日本代表のキャプテン・柱谷哲二は、肝機能を低下させるウイルス性の風邪のために8月上旬から1カ月ほど入院生活を送った。コートジボワールとの試合の時は復帰して2週間しか経過しておらず、ぶっつけ本番だったのだ。 ハンス・オフト監督からは「前半だけ出ろ」と言われたので、そのつもりでプレ

                柱谷哲二が語るドーハの悲劇。 イラク戦で投入してほしかった選手の名は(webスポルティーバ) - Yahoo!ニュース
              • 【映画座談会】『奥様は、取り扱い注意』は期待できるのか? - コピの部屋

                okusama-movie.jp www.youtube.com 期待できないわね え~~~っ お読み頂き、有難うございます。 コピでございます。 本日は6月に公開される映画『奥様は、取り扱い注意』の出来栄えを予想してみよう!という記事です。 座談会方式でお送り致します。 座談会は、いつものメンバーです。 www.copinoheya.com コ:コピ 毒:毒春 け:けん坊 コ い、いきなりですか?毒春さん け いきなりでしゅ 毒 そうよ。この映画、期待できないわね コ その理由は? 毒 そもそもこのドラマを映画化する必要あるの? コ 評判が良かったらしいです 毒 けん坊!このドラマの視聴率どうなの? け 最高視聴率14.5%、最低が11.2%、平均が12.7%でしゅ 毒 ごく普通よね コ そう・・・ですね 毒 けん坊!その前のクールにやっていたドラマは? け 『過保護のカホコ』で平均11

                  【映画座談会】『奥様は、取り扱い注意』は期待できるのか? - コピの部屋
                • 池田監督はなぜ準々決勝でテンパってしまったのか? - sugarless time

                  出典:なでしこジャパン | JFA|公益財団法人日本サッカー協会 www.asahi.com 結果からいうと知らない人もいるかと思いますが2023FIFA女子ワールドカップは準々決勝でFIFAランキング3位のスウェーデンにFIFAランキング11位の『なでしこジャパン』は1-2で負けました。 なんで知らない人と前置きしたかというと、当日は友人とテレビが視聴できるカラオケボックスの大画面テレビで観戦していたのですが、試合が終わり店外に出て次の店を物色しながら敗戦理由をそこそこ熱く話していたんですけど・・・ 行き交う人々、街の雑踏からは『なでしこジャパン』敗戦を感じなかったから、それとこれも遠い昔にもこんな思いもしています。 それは忘れもせぬ1992年10月28日、その日は友人宅に友人3人と遠いドーハ(カタール)で行われていた1994年FIFAワールドカップアメリカ大会アジア最終予選のイラク戦、

                    池田監督はなぜ準々決勝でテンパってしまったのか? - sugarless time
                  • 大番狂わせを演じてスペイン、ドイツを撃破❗W杯ベスト8なるか❔ | blueblue

                    サッカーW杯に日本中が沸いている。ついこの間までサッカーのルールも知らなかった人も暗い世相を忘れるように『ブラボー、ブラボー』と騒ぎまくっている。オリンピックに次ぐ一大イベントになったのは確かだが、熱しやすく覚めやすい国民性なのかW杯が終わった途端興味もなくなるのが分かっていながら盛り上がっている。 もちろん、ここまで盛り上げてくれたのは森保一監督をはじめ、予選リーグを突破した選手達だが、これがいつまで続くのかと考えると心細くなる。日本はとにかく野球第一という現実があって、プロ野球とJリーグの間には厳然たる格差がある。今回、さらに勝ち進んでその壁を乗り越える第一歩になれるか注目したい。 これまでのW杯成績 W杯そのものは1930年から始まっているが、当初日本は財政難などで参加出来ず、その後第二次世界大戦などもあって最初に予選に参加したのは1954年。韓国に1分1敗で敗退し出場を逃した。アマ

                      大番狂わせを演じてスペイン、ドイツを撃破❗W杯ベスト8なるか❔ | blueblue
                    • レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】 - DELPINOTE-とあるゲームディレクターの不思議な日常-

                      先日のルヴァンカップにて、日本サッカーのキングこと三浦知良選手(以降、カズ選手)がスタメン出場をし、同大会の最年長出場記録を更新。偉大な記録にまた一歩、新しい記録がつきました。そこで今回は、カズ選手の功績について振り返っていきたいと思います。 レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】 レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】 1986年ブラジルでプロデビュー! 1993年、Jリーグ開幕・優勝・初代MVP、そして・・・ 1994年、日本人初のセリエA移籍! 1998年、W杯メンバー落選 1999年、2度目の海外移籍でクロアチアの名門へ 1986年ブラジルでプロデビュー! カズ ブラジル時代(coritiba) カズ選手のプロサッカー生活は今から34年前、19歳のとき

                        レジェンド・オブ・レジェンド|三浦知良、キングカズの軌跡まとめ(前編)【日本サッカー界の伝説:動画あり】 - DELPINOTE-とあるゲームディレクターの不思議な日常-
                      • サッカー日本代表は頑張った。しかしPKは運ではないです。

                        先日から申し上げている通り、わたしはサッカーファンと言えるほど熱心に今回のカタールWCを観戦してはいません。 しかし昨夜は一旦うたた寝してそろそろ試合が終わったかしら?と思う時間にたまたま目が覚めると、まだ決着がついていなくて、米国株の様子を見ながらダラダラと延長戦の模様を眺めていました。 今回のWC、その時初めて代表戦をリアルタイムで観ました。だから逆にとても新鮮な気持ちで選手たちの動きを追うことが出来たかもしれません。 もうそこにはかつてドーハの悲劇で予選敗退した時代の面影は全くなく、前大会で準優勝のクロアチア相手に一歩も引けを取らない日本代表の素晴らしい勇姿がありました。 え?これがあの日本ですか?さすが海外のチームでたくさんの選手が活躍してるだけのことはあるなあと。そして、これはもしかしたらもしかするかもなんて、淡い期待ではなく、正々堂々と彼らの実力で勝てる試合だと思いました。 し

                          サッカー日本代表は頑張った。しかしPKは運ではないです。
                        • カーリング女子「銀メダル」の舞台裏、ロコ・ソラーレを支えた原動力とは

                          1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。サンケイスポーツの記者として、前身の日本リーグ時代からサッカーを取材。1993年10月28日の「ドーハの悲劇」は、現地の記者席で目の当たりにしている。角川書店との共同編集『SPORTS Yeah!』を経て2007年に独立。フリーランスのノンフィクションライターとして、サッカーを中心に幅広くスポーツを追う。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 日本の冬季五輪史上で最多となる、金銀銅合わせて18個のメダルを獲得して、17日間に及んだ北京五輪が閉幕した。大会最終日の20日に最後のメダリストとなったのは、カーリング女子代表ロコ

                            カーリング女子「銀メダル」の舞台裏、ロコ・ソラーレを支えた原動力とは
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