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古事記の検索結果81 - 120 件 / 678件

  • 国宝・最古の「古事記」写本 81年ぶりに大須観音に里帰り | 毎日新聞

    特別公開された古事記の写本を鑑賞する人たち=名古屋市中区の大須観音で2022年3月5日午前11時半、山田泰生撮影 現存する最古の「古事記」の写本(国宝)が、所有する名古屋市中区の大須観音へ81年ぶりに里帰りし、5日、市民ら約100人に特別公開された。今年は写本完成から650周年に当たり、大須観音の岡部快圓(かいえん)貫主が「大須に国宝があることを日本中に広めたい」と名古屋市博物館などと企画した。 古事記は日本の天地開闢(かいびゃく)から推古天皇までの神話や出来事を記した書物。7…

      国宝・最古の「古事記」写本 81年ぶりに大須観音に里帰り | 毎日新聞
    • 古事記の話でも鎌倉殿の話でもありません~ブルースクリーン - のと爺の古事記散歩

      みなさんのPCで、ブルースクリーンが出たことはありますか?私のPCは今年の4月に買ったばかりのものですが、7月ぐらいからブルースクリーンが出始め、最初は月3、次第に週2ぐらいの頻度、最近は毎日、ひどいときは1日に複数回出るようになってしまいました。冒頭の写真がそれで、停止コードは必ずしも同じではなく、発生の都度バラバラです。どういう時に出るかというと、何か作業中の時もあるし、作業途中でしばらくほっておいた時にも出ます。 さすがにこれは何だということでその対処に追われ、ブログの続きを書くことはもちろん、PC使用自体がストレスになってしまいました。 1.メーカーのサポートセンターに照会 メーカー(F社)のサポートセンターに問い合わせをしました。私のPCにリモートで入り、ディスク診断をしてもらいましたが、特に問題は発見されず。後は、リカバリと再設定をしてどうなるか、という話でした。買ったばかりな

        古事記の話でも鎌倉殿の話でもありません~ブルースクリーン - のと爺の古事記散歩
      • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(10)~大宝八幡宮~関東最古の八幡様 - のと爺の古事記散歩

        今回は、関東最古の八幡様と言われる、茨城県下妻市にある大宝八幡宮(だいほうはちまんぐう)です。実は、爺さんのブログでは二度目の登場です。一度目は2019年9月でしたが、記事の内容たるや稚拙そのものでした。しかしながら、ここは爺さんが初めて御朱印帳をいただいた神社で、ちょっとばかり思い入れがあります。久々に訪れ、前回では紹介していない細かいこともお伝えします。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.摂末社 7.ご神木 8.その他境内 9.社務所 10.ご朱印 11.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 御由緒板がありましたが、ちょっと読みづらいので当社のHPから引用します。尚、以下は前回記載分をリライトしました。 白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(七〇一)、藤原時忠が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎え

          古事記の神様と神社・ご近所編Part3(10)~大宝八幡宮~関東最古の八幡様 - のと爺の古事記散歩
        • 古事記が無料で読める!國學院大学のデータベースが古典好きにとっての天国だった「古代や神話の創作にも役立ちそう」

          こうく @usedtobe_sth 国学院大学のこのデータベース、古事記や上代文学に興味ある人や古代や神話の創作する人ぜんいんに間違いなく役立つ超ヤバいページ ふと気になったときに調べたいことわりと書いてある kojiki.kokugakuin.ac.jp pic.twitter.com/SDkXvSyL2i 2023-01-04 21:20:17

            古事記が無料で読める!國學院大学のデータベースが古典好きにとっての天国だった「古代や神話の創作にも役立ちそう」
          • 「古事記も一部はラテン語に訳されています。さて、どの場面でしょう...?」→ ヤっちゃうところですかね

            terada @terada50397416 方丈記のラテン語翻訳があることを初めて知った。 一体この世の誰が読むというのか……。 日本人ですら読めない古典を西洋人ですら読めない古典語に翻訳。 カモのチョウメイが奪格で Theomaeo Camoensi テオマエオー・カモエンシーになっている。 pic.twitter.com/MnqU5n4NdJ 2019-09-25 02:10:22

              「古事記も一部はラテン語に訳されています。さて、どの場面でしょう...?」→ ヤっちゃうところですかね
            • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(51)~「からかい上手の高木さん」をご存じですか? - のと爺の古事記散歩

              連日の猛暑、不安定な天候などの影響で外出を控えていましたので、しばらく神社巡りもできませんでした。今日(7月7日)は曇天ながら気温も比較的落ち着いていましたので、半月ぶりに神社参拝に出かけました。訪れたのは、墨田区押上にある高木神社(たかぎじんじゃ)です。 爺さんは全く知らなかったのですが、人気アニメの「からかい上手の高木さん」とコラボしているとのことです。皆さんはこのアニメをご存じでしょうか? 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.その他境内 6.ご朱印 7.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 応仁2年(1468年)室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され古くは「第六天社」と呼ばれていた。明治時代の神仏分離で「高木神社」と改称。 社名はご祭神である高皇産靈神(たかみむすびのかみ)の別名が高木の神であるからと言われています。(当社HPより

                古事記の神様と神社・ご近所編Part3(51)~「からかい上手の高木さん」をご存じですか? - のと爺の古事記散歩
              • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(55)~金刀比羅宮東京分社~水道橋のこんぴらさん - のと爺の古事記散歩

                お金が大好きな(だけど2千万など夢のまた夢やーっ!)爺さんが、金運アップを祈念してこんぴらさんへ行ってきました。といっても四国まで行けないので、東京都文京区本郷にある金刀比羅宮東京分社(ことひらぐうとうきょうぶんしゃ)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.社紋 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 香川県の金刀比羅宮が総本社で、東京分社はその末社になります。創建は文政2年(1819年)板橋市左衛門という名主が板橋の屋敷に金刀比羅大権現を勧請して祀ったことが始まりと言われています。明治21年(1888年)に神田和泉町に遷り、讃岐金比羅宮境外末社になりました。そして数度の移転の後、昭和39年(1964年)に現在地に遷座し水道橋のこんぴらさんとして親しまれています。住所は本郷なのですが、近くを神田川が流れ、水道橋という橋が

                  古事記の神様と神社・ご近所編Part3(55)~金刀比羅宮東京分社~水道橋のこんぴらさん - のと爺の古事記散歩
                • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(56)~三崎稲荷神社~徳川家光も参拝した! - のと爺の古事記散歩

                  前回のこんぴらさんの帰途、JR水道橋駅至近距離にある三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)を参拝しました。当神社は三代将軍徳川家光も自ら参拝したと言われ、諸藩の大名も参勤交代で江戸入りした際に必ず参拝し旅の安全を祈念したそうです。おそらく、家光への忖度もあったんでしょうね。将軍が行ってるんじゃ、しゃあねぇ、行かにゃなんめぇな、なんてね! 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 創建は明確ではないようで、寿永元年(1182年)、武蔵国豊島郡三崎村の鎮守として創始されたと伝えられています。平清盛が亡くなったのが1181年と言われていますので とにかく源平合戦真っ只中、めっちゃ昔ですね。知らんけど! 家康の江戸入り後、明治まで周辺の諸工事に伴って幾度か遷座を繰り返したのち、明治38年(1905年)

                    古事記の神様と神社・ご近所編Part3(56)~三崎稲荷神社~徳川家光も参拝した! - のと爺の古事記散歩
                  • 鯖神社・サバ神社・さば神社とは? : 神社と古事記

                    鯖神社(さばじんじゃ)とは、神奈川県中部の境川中流域、横浜市泉区・瀬谷区、藤沢市北部、大和市南部にかけて現存12社、「サバ」と読む社名を持つ(あるいは過去に持っていた)神社である。 サバ神社、さば神社などとも総称されるが、鯖以外に左馬、佐婆、佐波とも表記される。現社名から見ると、鯖が3社、左馬が5社、佐婆が1社、佐波が1社、その他が2社。その他2社は近代以降、地名によって社号を改称したもの。 御祭神は源義朝が9社、源満仲が3社。語源については、源義朝が左馬頭(さまのかみ)だったためともいうが、諸説あり詳細は不明。義朝・満仲の件を含め、詳細は後述するが、下記がその12社の一覧である。 瀬谷 左馬社 [祭神]源義朝 [住所]横浜市瀬谷区橋戸3-20-1 [電話]045-301-1306 - 諏訪社 上飯田 飯田神社 [祭神]源義朝 [住所]横浜市泉区上飯田町2517 [電話]045-802-1

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                    • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(76)~龍土神明宮天祖神社~ご朱印が金粉! - のと爺の古事記散歩

                      以前、高層ビルに囲まれた東京の小さな神社をテーマに数社を紹介しました。今回訪れた神社もこれに属すると言えるかも知れません。港区六本木の「東京ミッドタウン」という、年老いた爺には全く用のない街区に近く、そして住所が港区六本木7‐7‐7というなんとも縁起のよさそうな場所にあります。龍土神明宮天祖神社(りゅうどしんめいぐうてんそじんじゃ)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 南北朝時代の至徳元年(1384年)に創建された当社には、毎夜竜が御灯明を献じたと社伝に残る。周辺一帯は「竜灯」に由来し「竜土村」と称され、当社も龍土神明宮と呼ばれた。古くは武家からの信奉篤く、現在も港区六本木7-7-7に鎮座する縁起の良い神社として多くの方から崇敬を受けている。(当社パンフより) ご祭神は天照大御

                        古事記の神様と神社・ご近所編Part3(76)~龍土神明宮天祖神社~ご朱印が金粉! - のと爺の古事記散歩
                      • 古事記の暗号7 竜宮伝説と亀占い?タケミカヅチはカメの神霊? - なーまんのEye-Level

                        「鎌倉殿の13人」で活躍した三浦一族は対馬から来たアワビの好きな海人族? 以前そんな記事を書きましたが、益々確信が! 根拠は海蝕洞窟遺跡と竜宮伝説! na-mannoeyelevel.hatenablog.com これは伊勢二見ケ浦で食べたアワビの踊り焼 (^.^)v ですが・・・ 実は南房の黒アワビも奈良時代からブランド品! hachimenroppi.com 神奈川県は弥生時代が始まるのが本州で一番遅く、BC1世紀頃まで縄文時代が続きます。 貝塚から見つかるのはハマグリ、アサリ、シジミなど! アワビはありません! http:// https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/888303.pdf ところが弥生時代の海蝕洞窟遺跡からは、夥しい数のアワビの貝殻が! アワビは海女(士)が素潜りして獲りますが、縄文人にはそうした習慣が無かった様です。

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                        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(3)~越谷香取神社 - のと爺の古事記散歩

                          香取神社は全国に約400社あるそうですが、埼玉県越谷市にも越谷香取神社(こしがやかとりじんじゃ)があります。この神社は、毎月のようにいろいろな行事があるのですが、今は500体以上の雛人形が展示されています。(爺さんの愛読書情報) 爺さんは特別、雛人形に愛着があるわけではないのですが、500体以上も展示されているなんて滅多にないだろうし、越谷ならそれほど遠くはないし、天気もまずまずだしということで行って来ました。金はないけど暇はあるんです。県境跨ぎ🙏。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.その他 9.ご朱印 10.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 創建は不詳ですが、約500年前応永年間に、五穀豊穣と日常生活の全てを守る神として地元の人々に深く信仰されていると伝わっています。 香取神社と言えば御祭神は経津主大神(ふつぬし

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                          • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(67)~柏神社~今年の締めです - のと爺の古事記散歩

                            今年もあと数日で終わり、新年を迎えますね。この歳になるとめでたくもあり、めでたくもなしなんですが、とにかく、コロナに感染することもなく一年を無事に過ごせたことに感謝し、しめくくりで地元の柏神社にお参りしてきました。ここ数年は年末年始は柏神社参りが恒例になっています。このブログでは同神社を幾度か書いてきましたので、今回は写真を中心にしてみました。 ▼場所 ▼社号碑と大鳥居 ▼鳥居の先の狛犬 ▼茅の輪 ▼今年の7月から大規模修繕工事が実施され、社殿や社務所がリニューアルしました。 以前は落ち着いた朱色だったのですが、紫系の色に変わっていますね。個人的には以前の色がよかった。 ▼賽銭箱の所の方は、新しい賽銭箱を設置している業者さんで不審者ではありません。 ▼由緒版と拝殿前の狛犬 ▼本殿 ▼神楽殿 ▼境内社 ▼社務所 ▼ご朱印 ▼まとめ さぁ、いかがでしたでしょうか。最後までお読みいただき、ありが

                              古事記の神様と神社・ご近所編Part3(67)~柏神社~今年の締めです - のと爺の古事記散歩
                            • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(6)~金ヶ作熊野神社~ご朱印が個性的! - のと爺の古事記散歩

                              新年度が始まりましたねー。コロナは収束どころか第四波が来るみたいだし、コロナ前の世の中にはもう戻れないかも知れませんね。世間の常識を逸脱した政治家や官僚には呆れるばかりです。自分の身は自分で守る、もうこれしかないでしょう。 ということで感染対策を施しながら、今回は千葉県松戸市にある金ヶ作熊野神社(かねがさくくまのじんじゃ)に行って来ました。ご朱印が個性的なんです! 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.ご神木 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 金ヶ作地域の鎮守として、天明3年(1783年)に創建されました。当時、この地は開墾途上でしたが、浅間山の噴火や天明の大飢饉で甚大な被害を受けてしまいます。そこで陣頭指揮をとっていた石川彦次右衛門が敷地を寄進し、熊野本宮大社より御魂を分祀したのが始まりとされています。 御祭神は

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                              • 古事記と日本書紀のちがい|なら記紀・万葉

                                奈良県 文化・教育・くらし創造部 文化資源活用課 〒630-8501 奈良市登大路町30番地 ※ 当ホームページの掲載場所等への訪問、イベント等への参加等における、けがや病気、事故等について、ホームページ管理者は一切の責任を負いかねます。 ※ イベントの参加や各施設への見学等にあたっては、事前のご確認をお願いします。 ※ 諸般の事情により内容等に変更のある場合がありますので、あらかじめご了承ください。 ※ 当ホームページについては、正確を期して作成しておりますが、取材をおこなったライターの主観や、インタビューをお受けいただいた方のご発言等に基づいて作成している部分も含まれますので、見解・学説等の相違についてはご了承ください。 ※ 当ホームページの記述・読み方については、原則として『古事記』『日本書紀』については『新編 日本古典文学全集』(小学館)、『万葉集』については『万葉集(中西進 校注

                                • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(52)~東蕗田天満社~神社巡り再開しました! - のと爺の古事記散歩

                                  7月7日に高木神社を参拝して以来、ほぼ3か月ぶりの神社巡りです。今週の天気予報を見ると、晴れ間が出るのは今日(4日)だけで翌日からは雨模様で寒くなるとのことでした。体調も戻ったし、久しぶりのドライブを兼ねて行ってきました。 行ったのは、茨城県結城郡にある東蕗田天満社(ひがしふきたてんまんしゃ)です。ご祭神は古事記の神様ではありませんが、ご朱印が有名なので一度は行きたいと思っていた神社です。曇りがちな天気だったため写真が暗いかもしれませんので、ご承知ください。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 社伝によると、創建は鎌倉時代の正応元年(1288年)で、当時の神職が「東蕗田の地に菅原道真公をお祀りするように」という霊夢をみたことから、北野天満宮から勧請したといわれています。江戸

                                    古事記の神様と神社・ご近所編Part3(52)~東蕗田天満社~神社巡り再開しました! - のと爺の古事記散歩
                                  • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(74)~荏原神社~寒緋桜が奇麗です - のと爺の古事記散歩

                                    神社巡り、ご朱印収集をされていらっしゃる皆様は、参拝する神社をどうやって決めていらっしゃいますか?私の場合は、参考文献(要するに市販の案内本)やネット検索が主ですが、もう一つ大事にしているのが読者登録をさせてもらってる方々のブログです。拝読し自分も行ってみたいと思ったところは出かけています。 今回訪れたのもあるブロガーさんの記事を見て、私もぜひ寒緋桜を見てみたいと思ったからです。すぐ近くの品川神社には参拝歴がありますが、こちらは初めての参拝です。品川区北品川にある荏原神社(えばらじんじゃ)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 元明天皇の御代、和銅二年(709年)、奈良元官幣大社・丹生川上神社より高龗神(龍神)を勧請し、長元二年(1029年)に神明宮、宝治元年(1247年)に京都

                                      古事記の神様と神社・ご近所編Part3(74)~荏原神社~寒緋桜が奇麗です - のと爺の古事記散歩
                                    • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(79)~日比谷神社~奇跡のお守りとは? - のと爺の古事記散歩

                                      何度目になるか自分でも分からなくなってきましたが、今回も、超高層ビルに囲まれた都心の小規模神社の参拝です。訪れたのは港区東新橋にある日比谷神社(ひびやじんじゃ)です。新橋にあるのに日比谷とはこれ如何に?当神社では「奇跡のお守り」をいただけるとか、詳しくは後述します。ワクワクしながら都会の真ん中のパワースポットにお参りしてきました。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.奇跡のお守り 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 創建は不詳のようですが、400年以上前、現・日比谷公園内に創建されたのが日比谷神社といわれる由縁のようです。当時は日比谷稲荷明神(旅泊(さば)稲荷明神)という名称でした。その後、1606年、江戸城築城の際に現在の東新橋に移転、1928年には都市計画整備のため新橋4丁目に移転、さらにさらに2009年には環状2号

                                        古事記の神様と神社・ご近所編Part3(79)~日比谷神社~奇跡のお守りとは? - のと爺の古事記散歩
                                      • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(61)~高円寺氷川神社~末社に日本唯一の気象神社 - のと爺の古事記散歩

                                        前回の阿佐ヶ谷神明宮の帰りにひと駅隣の高円寺で下車し、高円寺氷川神社(こうえんじひかわじんじゃ)を参拝しました。後述しますが、ここは末社に日本で唯一の気象神社があることで知られています。阿佐ヶ谷神明宮もそうでしたが、こちらも高円寺駅から徒歩で極近なのでとてもありがたいです。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿(1) 5.社殿(2) 6.気象神社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 江戸名所絵図によれば、その昔、源頼朝による奥州征伐時に、武藏国杉並の地に至り給り際、隋兵の中に高円寺村にとどまり、終に農民となる者あり。一説によれば、村田兵部稟云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家)その時、武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く採松杉繁多し遠く木田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起

                                          古事記の神様と神社・ご近所編Part3(61)~高円寺氷川神社~末社に日本唯一の気象神社 - のと爺の古事記散歩
                                        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(72)~亀戸天神社~梅まつりです - のと爺の古事記散歩

                                          早くも2月となりました。そろそろ梅の季節ですね。梅と言ったら天神様、ということで2019年2月以来の亀戸天神社に行ってきました。都内には天神社、天満宮が30数社あるそうですが、当社はそのトップクラスです。ネットを見たら2月4日から梅まつりが始まるようでしたが、爺さんは人混みが苦手なので始まる前の1日に行ってきました。梅の咲き具合はどうでしょうか。うめ~は~咲いたか~♪ 以下の写真で、所々梅まつりの設営が写っていますのでご了承ください。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.梅の花いろいろ 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 正保年間、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あっ

                                            古事記の神様と神社・ご近所編Part3(72)~亀戸天神社~梅まつりです - のと爺の古事記散歩
                                          • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(59)~花園神社~新宿総鎮守 - のと爺の古事記散歩

                                            「酉の市」は日本各地にある鷲神社(おおとりじんじゃ)で、毎年11月の酉の日に行われる行事です。そして、江戸三大酉の市と言われているのが浅草の鷲神社、府中の大国魂神社、新宿の花園神社の酉の市です。今回訪れたのは、都心のパワースポットとしても知られている東京都新宿区にある花園神社(はなぞのじんじゃ)です。 今年は三の酉まであるそうですが、私は人混みが大の苦手なので酉の市の合間の日に行ってきました。したがって、境内にはまだ残りの酉の市のための設営が残っており、普段とは異なった様相になっています。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 当社の創建の由緒は不明ながら、徳川家康の江戸開府(1603年)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵国に入った1590年よ

                                              古事記の神様と神社・ご近所編Part3(59)~花園神社~新宿総鎮守 - のと爺の古事記散歩
                                            • 『古事記』は、むかしからある岩波文庫版がいいと思う - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                                              日本国内の物事を深く理解するためのヒントが、『古事記』にはたくさん詰まっている。 例えば、神社へお詣りすると、そこには神様が祭られている。「どんな神様なんだろう?」と思う。また、神話が絡んだ史跡であったり、地名であったり、といったものにも出くわす。そのあたりを紐解くための資料として、『古事記』はすごく重宝するのだ。 『古事記』については、たくさんの書籍が出版されているが、岩波文庫のコレがいいなと個人的には思う。初版は1963年。古い本ではあるけれど。 『古事記』(岩波文庫) 校注/倉野憲司 発行/岩波書店 古事記 (岩波文庫 黄 1-1) 作者:倉野 憲司 岩波書店 Amazon 『古事記』とは? 「ふることふみ」「ふることぶみ」、あるいは「こじき」と読む。音読みの「こじき」が一般的だろうか。ただ、『古事記』が正式名称であるかどうかは、よくわかっていない。序文の中に「古事記」を書名としたこ

                                                『古事記』は、むかしからある岩波文庫版がいいと思う - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                                              • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(65)~十二社熊野神社~ここも大都会のパワースポット - のと爺の古事記散歩

                                                一度は行ってみたいなと思っている神社がいくつかあります。そのうちの一つが熊野三山です。ただ、あと2年で後期高齢者(この言葉、私は大嫌いです)となる爺さんには実現不可能でしょう。せめてその空気感だけでも味わえればと思い、成子天神社の帰りに足を延ばしてみました。徒歩で約15分ぐらいでしょうか。十二社熊野神社(じゅうにそうくまのじんじゃ)です。 余談です。75歳以上を後期高齢者と言いますが、85歳以上は何と言うかご存じですか?「スーパー高齢者」ですって。なんじゃそれ、T大出の優秀な官僚さんが考えたんでしょうが、どうせならスーパーサイヤ人ぐらい言ったらど~や?!。( ´艸`) 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に中野長者と呼ばれた

                                                  古事記の神様と神社・ご近所編Part3(65)~十二社熊野神社~ここも大都会のパワースポット - のと爺の古事記散歩
                                                • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(78)~愛宕神社~出世の石段上りました! - のと爺の古事記散歩

                                                  「出世の石段」がある神社をご存じの方もいらっしゃると思います。私は今回で三度目の参拝となります。東京都港区愛宕にある愛宕神社(あたごじんじゃ)です。この神社は都23区内で最も標高が高い(海抜26m)愛宕山の山頂にあります。だから、あの石段があるんですね。過去の二回は普通に上りましたが、さて、今回は、この歳になってはたして上れるでしょうか。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 慶長8年(1603年)、江戸に幕府を開こうとする徳川家康の命により防火の神様として祀られました。その後、火災、震災などで全焼しましたが、明治10年に再建されたそうです。さらに戦災で社殿が焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。 そして、今まさに御創建420

                                                    古事記の神様と神社・ご近所編Part3(78)~愛宕神社~出世の石段上りました! - のと爺の古事記散歩
                                                  • 古事記の神様と神社・ご近所編(15) - のと爺の古事記散歩

                                                    前回の大洗磯前神社と関係の深い酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)です。大洗磯前神社のご由緒で話しましたが、降臨したオオクニとスクナヒコナをそれぞれ大洗と酒列にお祀りしたことからこの二つの神社は深い関係を持っており、両方をお参りして御利益アップと言われています。 1.場所 2.ご由緒&ご祭神 3.参拝 1.場所 ここです。 2.ご由緒&ご祭神 ご由緒、ご祭神とも大洗磯前神社で話したとおりです。但し、主祭神と配祀神が 逆になります。 酒列磯前神社は、 主祭神が少彦名命(スクナヒコナノミコト、少名毘古那神の別名) 配祀神が大己貴命(オオナムチノミコト、大国主神の別名)   です。 こんな小さい文字で誰が読むねん! 誰かハズキルーペ持ってるか? 3.参拝 ナビに従って道路を走っていくと、いきなりこの大鳥居が現れます。ん~っ、こりゃデカい! そして更に驚くのは参道です。樹齢300年以上の木々で

                                                      古事記の神様と神社・ご近所編(15) - のと爺の古事記散歩
                                                    • 「古事記」も「源氏物語」も実は読解不能だった…日本語学の専門家が絶賛する「研究者・本居宣長」のすごさ 「係り結び」の法則がわかったから、読めるようになった (4ページ目)

                                                      「古事記」も「源氏物語」も実は読解不能だった…日本語学の専門家が絶賛する「研究者・本居宣長」のすごさ 「係り結び」の法則がわかったから、読めるようになった 書き分けがあるのは「お」と「を」だけではなかった ③古代の日本人は多様な音を聞き分けていた 本居宣長は、『古事記』を読み解きながら、儒教や仏教などが浸透していない古代日本の人々が物事や季節をどう感じていたのだろうかということを研究します。 さて、古代の日本人は、現代人より多くの多様な音を聞き分け、書き分けていました。これは現代の言語学、日本語史研究から明らかになったことなのですが、宣長も少しだけ、そのことに気がついています。 このことが明らかにされたのは、東京帝国大学文科大学言語学科を卒業後、のちに同大学国語国文学第一講座教授となった、橋本進吉(1882~1945)によってです。 比較言語学(歴史言語学)と呼ばれる言語変化の法則を研究し

                                                        「古事記」も「源氏物語」も実は読解不能だった…日本語学の専門家が絶賛する「研究者・本居宣長」のすごさ 「係り結び」の法則がわかったから、読めるようになった (4ページ目)
                                                      • 古事記の神様と神社・番外編(2) - のと爺の古事記散歩

                                                        番外編第2弾です。古墳の話ですよ。私は古墳については全くの無知で、何も分かっていないのですが、芝公園に古墳があるということだけは以前から知っていました。あらためて地図を眺めてみたら、どうやら芝東照宮の裏手あたりだということが分かり、東照宮参拝の後に行ってみっか!となった次第です。 場所はここです。 さて、どこが入口なんだろうと思いながら公園内をうろうろしていると、こんな標識を見つけました。じゃぁ、ここを行ってみっぺ! そうすると、ゴツゴツした石段がありました。登っていくとさらに木階段、またまた石段、えーっ、ほんとにここでいいのかな、ちょっと不安に・・・。 ハァーハァーいいながらやっと登りきるとちょっとした広場に出ました。そして、そこにあったのが伊能忠敬なんちゃら? なにこれ? 伊能忠敬測地遺功表とありますね。表? どれが? 勉強不足でよく分かりません。 あとで調べて分かったのですが、伊能忠

                                                          古事記の神様と神社・番外編(2) - のと爺の古事記散歩
                                                        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(54)~千住本氷川神社~ラジオ体操発祥の地 - のと爺の古事記散歩

                                                          誰もが経験したであろうラジオ体操。夏休みに参加印を押してもらう紙を首から下げて学校へ走っていったのを今でも覚えています。爺さんは今でも第一、第二体操をできるだけ毎日やるようにしています。真面目にやると結構うっすらと汗をかき、いい運動になります。 東京都内にはラジオ体操発祥の地と言われる所が数か所あるそうで、そのうちの一つが足立区にある神社だということをネットで知り、早速行ってきました。足立区千住にある千住本氷川神社(せんじゅもとひかわじんじゃ)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 鎌倉時代後期の徳治2年(1307年)に下総国千葉氏により牛田(地名)に氷川社として創建されました。そして、千住が宿場町として栄えた江戸初期に現在地に分社が建てられました。明治に入り牛田氷川社を合祀し現

                                                            古事記の神様と神社・ご近所編Part3(54)~千住本氷川神社~ラジオ体操発祥の地 - のと爺の古事記散歩
                                                          • 「高橋士郎 古事記展 神話芸術テクノロジー」(川崎市岡本太郎美術館)に行ってきた - xckb的雑記帳

                                                            さて、4連休の「Go To県内」の一環として、久しぶりに川崎市岡本太郎美術館に、うちの少年を連れて行ってきました。企画展の名前は「古事記展」。 なんか「古事記展」ってタイトルからすると、ちょっと地味な展示を一瞬想像してしまうじゃないですか。いや、古事記自体は色々とんでもない物語であることは把握しているけれども、どうやって展覧会にするね、と。 …すみません私が間違っていました。 会場に入った途端に何かを勘違いしていたことに気がつきました。 なんだこれは…。 会場に入って左を見ると。 右を見ると。 なんだこいつら…しかも動くぞ…。 なんか想像していたんと全然違う! ちなみにうちの少年(小2)も大興奮! 彼は自分のカメラを持ってくるのを忘れてしまったので「ケータイ貸して!」と言うなり、会場中でiPhoneで写真を撮りまくっていました(ちなみに今回の企画展、撮影はOKです)。 コンセプトとしては、

                                                              「高橋士郎 古事記展 神話芸術テクノロジー」(川崎市岡本太郎美術館)に行ってきた - xckb的雑記帳
                                                            • 古事記の神様と神社・番外編(3) - のと爺の古事記散歩

                                                              さて、番外編最終回です。芝東照宮、芝丸山古墳ときたら、最後はどこでしょうか。東京タワー! ん~、それもありかも。でも、今回は増上寺です。みなさんは「増上寺」と聞いてどんな情報をお持ちでしょうか。私は、恥ずかしながらほぼ70年生きてきて「徳川家の菩提寺」ぐらいしか知らず、日比谷通りの赤い門は何度も見ていたのですが、中に入ったことがなかったのです。 今回は東照宮を参拝の帰り、思い切って(別にそんなに力を入れることもないのですが)中に入り参拝をしてきました。 1.場所 2.歴史 3.ご本尊 4.参拝 1.場所 ここです。 2.歴史 増上寺HPから拝借しました。 増上寺は浄土宗大本山で、三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)と言います。明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にか

                                                                古事記の神様と神社・番外編(3) - のと爺の古事記散歩
                                                              • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(73)~王子稲荷神社~大晦日の狐の行列 - のと爺の古事記散歩

                                                                前々回、鉄砲洲稲荷神社の記事で、東京で有名な稲荷社として王子稲荷神社の名前を挙げました。で、はたと考えました。王子神社は過去に参拝したことがあるけど、王子稲荷神社はなかったな。ほんとにメジャーなのかちょっくら行ってみっか。てなわけで行ってきました。東京都北区王子にある王子稲荷神社です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.王子狐の行列 4.参拝 5.拝殿 6.本殿 7.境内社 8.その他境内 9.ご朱印 10.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 康平年(1058~1065年)中に征夷大将軍、源頼義により「関東稲荷総司」の称号を頂く。小田原北条氏についで、徳川将軍家代々の祈願所と定められてきた。現在の御社殿は十一代将軍家斉公により新規寄進されたもの。落語「王子の狐」の舞台でもある。 (東京都神社庁より) ご祭神は 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)・・・稲荷神 宇気母智之神(うけ

                                                                  古事記の神様と神社・ご近所編Part3(73)~王子稲荷神社~大晦日の狐の行列 - のと爺の古事記散歩
                                                                • 佐々木 中 @AtaruSasaki 日本のネトウヨは古文も読めない和歌も読めない古事記も日本書紀も読めない能も連歌も知らない文楽も歌舞伎もわからないとうぜん日本の建築や美術も全く知らない。そして仏像が渡来人が作ったと聞くと東大寺で暴れて坊さんに叱責される。何が日本を愛してるだ。

                                                                    佐々木 中 @AtaruSasaki 日本のネトウヨは古文も読めない和歌も読めない古事記も日本書紀も読めない能も連歌も知らない文楽も歌舞伎もわからないとうぜん日本の建築や美術も全く知らない。そして仏像が渡来人が作ったと聞くと東大寺で暴れて坊さんに叱責される。何が日本を愛してるだ。
                                                                  • 古事記編纂者・太安萬侶の生・死に迫る 没後1300年:朝日新聞デジタル

                                                                    教科書でもおなじみ。現存する日本最古とされる歴史書に関わった有名人に光をあてる展示だ。奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で、秋季特別展「古事記編纂(へんさん)者 太安萬侶(おおのやすまろ)」が開かれている。今年は太安萬侶が亡くなって1300年。その生と死を想起させる資料350点を展示している。 「古事記」は奈良時代初頭に完成した。編纂し、元明天皇に献上したのが太安萬侶。いつどこで生まれたのかははっきり分かっていないが、いまの田原本町を拠点とした多(おお)氏の出身とされる。一方、亡くなったのは723年と分かっている。それを物語るのが、今回も展示されている墓誌(重要文化財)だ。 墓誌は被葬者の名前や生前の地位、経歴などを金属板や骨蔵器などに記したもの。太安萬侶のものは短冊形の銅製で没年があった。1979年、奈良市此瀬町の茶畑で墓が見つかり、「世紀の大発見」と注目された。会場には、壬申

                                                                      古事記編纂者・太安萬侶の生・死に迫る 没後1300年:朝日新聞デジタル
                                                                    • 神社巡り復活までのあいだに~鎌倉殿の13人的研究(2)~保元の乱 - のと爺の古事記散歩

                                                                      後白河天皇(ネットから拝借) さてさて、今回から本題に入っていきますが、皆様に予めご承知いただきたい点があります。 ①記事内は写真が少なく文章が中心になりますので途中で飽きちゃうかも知れません。 ②資料は自作のものとネットからのものと混在します。 ③記事の内容はあくまで爺さんの勝手な解釈によるもので、正誤についての責めは負いません。また、講義をするわけではないので、一つ一つの事象を深く掘り下げることはしません。 要は、ちょっとばかり歴史好きの年寄が勝手に書いているもので、気楽に読んでいただけると幸いです。と、まぁ、言い訳が先になりましたが、そこんとこ、ヨロシク! 今回は保元の乱(保元元年 1156年)についてお話します。 1.平安時代の政治体制 2.保元の乱の背景 3.保元の乱勃発 4.保元の乱の終結 5.崇徳院の怨霊伝説 6.まとめ 1.平安時代の政治体制 平安時代(794~1185年)

                                                                        神社巡り復活までのあいだに~鎌倉殿の13人的研究(2)~保元の乱 - のと爺の古事記散歩
                                                                      • 古事記の神様と神社・ご近所編Part2(29)~稲毛浅間神社 - のと爺の古事記散歩

                                                                        浅間神社の本宮と言えば、富士山本宮浅間大社ですね。いつかは行きたいと常々思っているのですが、このコロナ禍では拙宅から東京経由で静岡方面へ行くのはどうしても足が遠のいてしまい、いまだに実現していません。そこでと言ってはなんですが、千葉市稲毛区にある稲毛浅間神社(いなげせんげんじんじゃ)に行って来ました。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.一の鳥居は海上にあった? 4.参拝 5.拝殿 6.境内 7.摂末社 8.松林 9.ご朱印 10.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 大同3年(808年)、富士山本宮大社から勧請したと言われています。その後、源頼朝や豪族千葉氏に信仰されてきました。当社の社紋の九曜紋は千葉氏の紋所であることからもその信仰の厚さがうかがえます。文治3年(1187年)の社殿再建に際して、富士山の形に土盛りし、参道も富士登山道にならい三方に設け、社殿は富士山に向かって建

                                                                          古事記の神様と神社・ご近所編Part2(29)~稲毛浅間神社 - のと爺の古事記散歩
                                                                        • 【町田康×こうの史代】関西弁とボールペンで「古事記」を表現したら、神話の世界が身近になった!(町田 康,こうの 史代)

                                                                          約1300年前に書かれた日本神話を現代に生まれ変わらせた、町田康さんの『口訳 古事記』が話題です。本書の刊行を記念して、町田さんと、漫画『ぼおるぺん古事記』の著者・こうの史代さんの初対談が叶いました。古事記の世界を関西弁で口語訳した町田さんと、ボールペンで漫画化したこうのさんに、古事記の魅力と、それぞれの表現方法について語り合っていただきました。(「コトゴトブックス」で配信中の全編動画から、一部を抜粋してお届けします。) 古事記との出会い 町田 『口訳 古事記』を出したことでいろんな取材をしていただいていると、まず聞かれるのが、「なんで古事記やねん」と。なので今回は僕がまず聞いてみたいんですが、こうのさんは「なんで古事記」だったんですか? こうの 古事記はもともと大好きで、いつか漫画にしたいと思っていたんです。最初に好きになったのは小学一年生のときで、『日本の昔ばなし』という子供向けの本に

                                                                            【町田康×こうの史代】関西弁とボールペンで「古事記」を表現したら、神話の世界が身近になった!(町田 康,こうの 史代)
                                                                          • 『古事記』~”古事記にもそう書いてある”編纂版~

                                                                            マキオ@ただの会社員 @makio_elecom なんで1日って24時間しかないんですか????やりたいこといっぱいあるし、どう足掻いても見たい配信・動画を全て見るのは不可能だから1日は40時間になるべき、古事記にもそう書かれている 2019-11-30 13:54:45

                                                                              『古事記』~”古事記にもそう書いてある”編纂版~
                                                                            • 大阪市東住吉区 古事記に登場する中筒男命がご祭神『湯里住吉神社』は航海安全にご利益あり。 : 勝手に堺市広報大使

                                                                              前回『鷹合神社』を紹介しましたが、鷹合神社付近にある『湯里住吉神社』にも参拝しました。全国各地にある住吉神社の社名に地元・湯里の地名が合わさり現在の社名がつけられています。創建年代は不詳のようです。 湯里は元来『摂津国住吉郡富田荘』と呼ばれ中臣須牟地神社を産土神社としていたようです。その後富田荘が分割され、中臣須牟地神社の鎮座していた地域が河内国丹比郡に編入されることになり湯里は氏神様を無くしてしまったそうです。 そこで中臣須牟地神社のご祭神だった『中筒男命』を分霊してもらいこの地に『湯里住吉神社』が創建されたとのことです。 古事記にも登場する中筒男命は住吉三神の一柱で航海安全の神様として知られています。住吉三神があわせて祀られているのが住吉大社です。よければこちらもあわせてお読みください。 境内には拝殿の他いくつかの末社が鎮座していました。こちらが正面鳥居付近にある楠社です。背後には大き

                                                                                大阪市東住吉区 古事記に登場する中筒男命がご祭神『湯里住吉神社』は航海安全にご利益あり。 : 勝手に堺市広報大使
                                                                              • 【真実】古事記って江戸時代まで半分偽書扱いだったんだよ。古事記の真実をここで伝えたいと思う | 不思議.net - 5ch(2ch)まとめサイト

                                                                                『古事記のおかしなとこ』 ①勅撰史書であり和銅5年に天皇に奏上された(と古事記序文は自称している)筈なのに、正史とされる「日本書紀」や「続日本紀」には古事記のコの字も出てこない。 ②天武天皇が編纂命じた(と古事記序文で自称している)筈なのに推古天皇[~628]の代までしか書かれていない。 ③先に『古事記』が出来た筈なのに、「日本書紀」と天皇の没年齢が一致しない致命的なミス。 →日本書紀の編者は古事記を参考にしていない? ④『古事記』は、勅撰史書の筈なのに【無官】で日本書紀や続日本紀に登場しない謎人物「稗田阿礼」が編纂している。 (1)本当に太安萬侶が文学性豊かな『古事記』の撰録者であれば全4500種が集まった『万葉集』の歌の中に一首ぐらい彼の歌があって当然だと思うが、無い。 (2)稗田阿礼も日本書紀や続日本紀に登場しない。

                                                                                  【真実】古事記って江戸時代まで半分偽書扱いだったんだよ。古事記の真実をここで伝えたいと思う | 不思議.net - 5ch(2ch)まとめサイト
                                                                                • 古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩

                                                                                  東京都港区愛宕にある愛宕神社です。赤い大鳥居の奥の石段が不気味だなぁ~、なんだこりゃーー! この神社は東京23区でもっとも標高が高い(海抜26m)愛宕山の山頂にあります。だから、あの石段が・・・。なんでこんな高い所に造ったの?いやな予感がするぞーー。 1.場所 2.ご由緒 3.ご祭神 4.故事、伝承 5.参拝 1.場所 ここです。 行ってみて分かったんですが、現在、境内整備工事中で一部参拝ができなかったりしているので、写真もそんな感じになっています。 2.ご由緒 慶長8年(1603年)、江戸に幕府を開こうとする徳川家康の命により防火の神様として祀られました。その後、火災、震災などで全焼したこともありましたが、明治10年に 再建されたそうです。さらに戦災で社殿が焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。 3.ご祭神 主祭神は火の神で

                                                                                    古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩