Takashi Sugawa @takashisugawa Jazz bass and cello player based in Tokyo. ジャズベース&チェロを弾いてます。 Banksia Trioを主宰。 演奏やレッスンなど各種お問い合わせは、 takashisugawa@gmail.comまで。 tsgw.net
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Published 2022/03/21 21:12 (JST) Updated 2022/03/21 22:51 (JST) 鳥取県立博物館(鳥取市)は21日、鳥取藩士安達清一郎(1835~84年)に関係する文書群から、大老井伊直弼暗殺を指揮した水戸浪士関鉄之介(1824~62年)が事件後に救援を求め、安達を訪れたことが記された日記などを公開した。井伊大老を「ヒストン」(ピストル)で暗殺したと言う関の聞き取りも記されている。 事件は1860年3月3日朝に江戸城の桜田門外で発生。安達は、関から事件の様子を聞き取って詳細に記しており、日記によると、襲撃の合図のピストルを発砲すると、護衛の武士が15メートルほど退き、井伊大老は「ヒストンノ玉胸先ニ中リテ死シ」などと死因も記していた。
水戸藩に下された「戊午の密勅」を幕府に納めさせようとした大老井伊直弼 前回の「歴史ノート」で、将軍継嗣問題で敗れた一橋派が尊攘派の志士や公卿とつながっていき、安政五年八月八日(1858/9/14)に一連の幕府の政策について天皇が不満である旨の「戊午の密勅(ぼごのみっちょく)」を水戸藩に下させることに成功したことを書いた。 この密勅が出されたのち大老井伊直弼は、これは天皇の意思ではなく水戸家の陰謀とし、京都に派遣していた長野主膳や、新たに老中・間部詮勝を送り込んで情報を集めさせ、尊攘派や一橋派の大名・公卿・志士たちを徹底的に弾圧していったのである(安政の大獄)。 主だった人物の処刑が一段落したのち、井伊大老は「戊午の密勅」が水戸に存在していることは幕府の権威に関わる問題であると考えた。 そこで大老は、京都所司代の酒井忠義に命じて、朝廷から勅書返納の御沙汰書を手配させ、安政六年十二月十六日(1
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