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山さ行がねがの検索結果241 - 280 件 / 874件

  • 廃線レポート

    森吉林鉄の探索に私が赴いたのは、これが5度目となる。 その一度一度が、これまでの一回一回のレポートに対応している。 そして、その5回の探索の大部分を占めたのは、森吉ダム建設に伴う路線付け替えによって生じた、太平湖畔の林鉄跡であった。 この約10kmほどの湖畔の軌道は、複数の要因により、極めて探索が難しく、当初は一度目の探索で殆どを踏破する予定が、結局これほど回を重ねることになってしまった。 しかも、一人では突破できない難所も数あり、山行が史上初めての「合同調査」が、この森吉の地より始まったのも、これまでのレポートの通りだ。 前回までのレポートを通読頂いた上で、この「最終回」といって差し支えがないだろう5次探索をご覧頂ければより理解しやすいと思うが、これを見て欲しい。 1次から4次までのそれぞれの探索で攻略したのは、上図の範囲である。 となれば、最終回の予定で計画された第5次計画の探索範囲は

    • 廃道・旧道・酷道・不通道路の探険〜山さ行がねが・ミニレポート〜

      廃道・旧道・酷道・不通道路の探険~ミニレポート~

      • ミニ・レポート 第32回 ○○○○橋

        世の中には、不思議な地名がいろいろとある。 素人が由来についていくら考えてみたところで、全然分からないほど難解なものも少なく無い。 そしてまたひとつ、そんな奇妙な名を持つ橋が、私の前に現れた。 おもわず首を傾げたその名は…? 宮城県は北西の端に近い栗原市栗駒の山中に、荒砥沢ダムはある。 北上水系ニ迫川の上流に作られたこのダムは、主に感慨用途として竣工した比較的規模の大きなロックフィル式ダムである。 これ以上上流には村落もなく、麓まで立派な県道が延びているが、その先は砂利の林道となる。 このダムの周囲を周回する林道は、細々とした沢筋を何度となく小さな橋で跨ぐ。 そのうちの一本が、奇妙な名である。 林道にありがちな小さなコンクリート橋である。 全く個性のないガードレールには、これまた至って平凡な扁額が取り付けられている。 橋の四隅に扁額があるが、そのうちの3枚全てに、奇妙な言葉が刻まれている。

        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 無想吊橋

          2010/4/21 14:07 《現在地》 着いた。 いったいどれくらいの長さなんだろう。 途方もない大きさを前に、当然のように足が止まる。 そう易々と一歩目を踏み出せそうにないことは、【遠目で見た】ときから予想がついていたが…。 この橋は、フェアであると同時に残酷だ。 ここへ来る前に、その全体像を知ることを半ば強制しているのだから。 こうして橋の前にたどり着いて、いざ渡ってみようと思うとき、【あの景色】が脳裏から離れない。 空中に架け渡された板きれの列は、たおやかな懸垂曲線を描いて、対岸の山腹へと吸い込まれるように達している。 橋は見ての通り、まだ架かっている。 すぐ近くとだいぶ遠くの2箇所で踏み板が部分的になくなっているのが見えるが、それ以外はまずまず整っている …ような感じを受ける。 しかし、まだこの外見を見ただけで、渡って良いかどうかの判断は出来ない。 実際に構造をよく確かめて、体

            【山さ行がねが】橋梁レポート 無想吊橋 
          • 【山さ行がねが】橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃●●橋

            またしても、 廃橋梁の殿堂入りしそうな橋 が発見された。 そればかりか、“廃の殿堂” 入りの期待も大。 しかし、タイトルの通りこれらは“●●橋”である。 この伏せ字の答えは、現物を近くで見れば即座に明らかとなるが、●●橋には正直食指が動かないという御仁もいることだろう。 実はかく言う私も、その傾向があることは否めない。 しかし、タイトルで「パス」をせず、実際にページを開いてくれたあなたの期待には、応えるつもりだ。 このレポートを全て読み終えるまでには、きっとあなたは“予想を越える驚きの光景”に遭遇して、興奮することだろう。 そう予言出来る。 だから、あまりの興奮で思わず奇声を上げてしまった“私の発見の瞬間”まで、しばしお付き合いいただきたい。 【周辺図(mapion)】 “それら”があるのは、秋田県の中央北部に広がる太平山地に米代川の支流である小阿仁川が深く刻み込んだ、大錠(おおじょう)渓

            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危

              本編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。 一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日本海岸の高岡へ達するのである。 列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。 しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜~富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間

              • 【山さ行がねが】廃線レポート 奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡

                私を魅惑して止まない日原の壮絶な山道風景。(過去のレポ1,2) しかし、その景色を彩るものは天然の山河ばかりではなかった。 むしろ、彼の地で最大の存在感を有するもの…それは現役石灰石鉱山による、未曾有の地形改変によるものだった。 この地での石灰石採掘は歴史は意外に短い。 少なくとも明治、大正、そして昭和の頭まで、日原地区に埋蔵される6億トン以上といわれる石灰石は眠り続けてきた。 だが、日本の近代化と共にコンクリートの需要が爆発的に増え、全山石灰石と言っても過言ではない日原の山々が初めて認知されるに至る。 昭和12年、「奥多摩電気鉄道会社」発足。 同19年、同様の目的で鉄道を開設していた「青梅電気鉄道会社線」の終点御岳から、氷川(現:奥多摩駅)まで延伸が完了。そして開業と同時に国有化となって(→国鉄青梅線)、社名も現社名「奥多摩工業」に改称される。しかし結局、同社は戦前戦中において石灰石の採

                • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 浜隧道(仮)

                  平成21年3月19日は終日、房総東海岸を縦貫する国道128号の旧道巡りに費やした。 鴨川を夜明けと共に出発し、どこまで行けるかは敢えて問わずにひたすらに東進。 夕暮れまでに、いすみ市大原へとチャリを進めることが出来た。その後は外房線を輪行してこの日の探索を終えたのだった。 もちろん「旧道巡り」であるから、少しは準備がある。 事前に入手した明治末の5万分の1地形図を元に、最新の2万5千図に現国道と異なるラインを赤ペンで書き込み、それをプリントアウトしたものを頼りに旧道を巡り“走る”のだ。 ただ、基本的にこの方法だと地図に現れないほど小さなルート変更以外の見落としは無いが、レポートとしては映えない市街地の旧道にも多くの時間を割くことになる。 よって、ネタ収集という意味では決して効率的ではない方法だが、それでも私はこの手のロングスケールな旧道巡りが大好きである。 ピンポイントの探索では味わえない

                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 久留和漁港の海上に伸びるレール

                    今から約半年前の平成26年5月頃だったと思うが、秋田のミリンダ細田氏が興奮気味に電話してきた事があった。 なんでも、鉄道雑誌『ジェイ・トレイン Vol.54』に、彼の心を猛烈に揺さぶる廃線の写真が掲載されていたのだという。(記事のタイトルは「たかがトロッコ、されどトロッコ…」(岡本憲之氏著)) 細田氏曰わく、「●●●●(下ネタ自重)ぶっ飛びそうになった」。 そこに掲載されていた写真は1枚だけで、文章も短いキャプションだけだという。場所は横須賀市の久留和という漁港の一角らしいが、彼に代わって 「詳しく現状を調べて欲しい!」 というのが電話の要件だった。 親友の頼みだ。 ちょっとだけ遅くなったが、ちゃんと見てきたぞ。 このレポートは、秋田のミリンダ細田に捧ぐ。 輪行による三浦半島探索サイクリングの最中、時刻はまだ午後2時前だが、 日が短い時期だけに、既に探索は終盤戦といった気持ちであった。 細

                      【山さ行がねが】廃線レポート 久留和漁港の海上に伸びるレール
                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第145回 国道17号脇の「謎の暗渠」

                      【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 関東と北陸を結ぶ大幹線道路、一般国道17号。 その最大の難所である三国峠の北麓、新潟県湯沢町の神立地区にある湯沢パーキングのそばに、この不思議な構造物はある。 国道南側の空き地越しに見える、コンクリート製のボックスカルバート(暗渠)のようなもの。 その先端は森の中に呑み込まれているが、緑に囲まれてポツンと佇む姿は、未完の何かを感じさせる。 高速道路のようなものを作ろうとした名残とか…。 だとしたら大変なことだぞこれは! よく見ると、小さな川を挟んで手前側にも黒ずんだボックスカルバートがあるではないか! そして、全体が奥に向かって上り勾配となっている。 …どうやら一瞬期待した「未完高速道路説」は、早くも否定されたようだ。 これが道路を潜るための暗渠だとしたら、両側合わせて10車線もあるような超広幅員ということになってしまう。 流石にそんな物は

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 トモロ岬

                        06:26 【現在地:トモロ橋下】 全長1.2kmの廃道区間のほぼ中間にて、地図には描かれていない分岐路を発見。 この道は頭上に現国道の橋が跨いでおり、どうやら繋がっていそうだ。 やむを得ず置いてきてしまったチャリを回収するため、一旦戻ることに決めた。 道は幅2mほどのコンクリート舗装路で、非常に急勾配である事が幸いして全く藪化していない。 まるで現役の道のようにも見えるが、先に進むとそれはないことがはっきりと分かる。 いや、進まずともコンクリートの路面の裏側は洗削によって1m以上も空洞になっており、この様子から重量物が通行できない事は明らかだ。 道は橋の下を潜り、そのまま真っ直ぐ20mほど登ったところで、呆気なく行き止まりとなった。 脇には巨大な集水地があり、これに見合った巨大な導水路が斜面に設置されている。 内部へ入ったわけではないので分からないが、集まった水を逃がす場所が地上に見えな

                        • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道19号伊東大仁線 宇佐美~亀石峠

                          よっしゃ!! 今日は伊東市の宇佐美から、「亀石峠」 を目指してみるぜ!!! 通る道は、静岡県道19号伊東大仁線だぜ!! ……… え? 廃道じゃあないよ。 バリッバリ現役の主要地方道だぜっ! …待って。 ブラウザ閉じないで~。 面白いからさ。   俺はチョー好きだよココ。 道路、特に峠道が好きな人だったら、おっ!と来るはずだからさ。 ヨッキれんを、猛烈にアツくさせてしまった亀石峠は、ここにある!! ↓ ↓ ↓ 亀石峠は、静岡県伊東市と伊豆の国市を隔てている、標高450mの峠である。 現在はここを県道19号伊東大仁(おおひと)線が通過している。 この県道の起点であり峠の登り口にあたる宇佐美は伊東市北部の大字で、相模灘に面する西高東低の小都会。近世には伊豆石の積出港として賑わったところでもある。 県道の終点である大仁は平成の大合併までは大仁町の中心であった中伊豆の古い商都で、南北と東西の交通路が

                          • 【山さ行がねが】“華厳滝壺道”の行き着く場所【日本の廃道】

                            ヨッキれんです。「山さ行がねが」でかつて攻略した華厳滝壺道は、あの鵲橋で終わりではありませんでした。その真の終点を探索した「日本の廃道 2008年6月号」収録「特濃廃道あるき 華厳滝壺道 完全攻略編」より、再編集した動画を紹介致します。現在の展望台では手ぬるい。完全自己責任という明治観光シーンの本気を見よ!  マイリスト>mylist/27907343

                              【山さ行がねが】“華厳滝壺道”の行き着く場所【日本の廃道】
                            • 隧道レポート 尾去沢鉱山 煙道

                              秋田県鹿角市は、十和田湖や八幡平、湯瀬温泉などの観光地に恵まれた、緑豊かな街である。 だが、市の中心地である花輪地区の西側に、まるで火山地帯のように赤茶けた、巨大な禿げ山がある。 それは、昭和53年に閉山した尾去沢鉱山の跡地である。 尾去沢鉱山は、本県を代表する金属鉱山で、日本有数の長い歴史を持っている。 その発見は、奈良時代の和銅元年(708年)に遡るという説もあり、ここで産した金が奈良東大寺の大仏鋳造に使われているとも云われる。 その後それぞれの時代の要請に応じ盛衰を繰り返しながら近世を迎えた本鉱山は、やがて主な産出物を金から銅に変えるとともに、幕末には日本三大鉱山の一つに数えられるほどに成長していた。 明治以降、遅ればせながら当地にも近代的鉱業が押し寄せ、現在も一部が残る大規模な鉱山建築物群が形成されていった。 尾去沢鉱山を通じての産出高のピークは、戦中の昭和18年で、

                              • 【山さ行がねが】廃線レポート 酒田臨港開発線

                                最上川の河口に位置する酒田港は山形県庄内地方を代表する工業港で、日本海沿岸有数の規模を有する。 この近代的な港湾地帯への物資輸送のために敷設されたのが、JR貨物が所有する羽越本線貨物支線の酒田港線(酒田駅~酒田港駅間 L=2.7km)である。 そして、これと接続して港湾内の相互輸送に利用されているのが、(株)酒田臨港開発が管理を行っている「酒田臨港開発線」である。 その路線網は右の地図の通りだが、これは他の臨海工業地帯の鉄道網と比較してもかなり緻密と言えるもので、港湾内の全地域への輸送が可能となっている。 このレポートでは、その“いま”をお伝えしよう。 意外に思うかも知れないが、私は貨物列車が好きで、鉄ちゃんを自称するような豊富な知識量こそないものの、操車場のような場所でごまごまと働く貨物も、本線上の長大編成も、どちらも大好きである。 そんな私がこの酒田港線を訪れたのは、単純に「見てみたか

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第103回 国道286号 秋保旧道

                                  国道286号と主要地方道62号仙台山寺線が分岐する地点は、現在では都会的な多重車線の三叉路となっているが、一昔前まで、国道の赤石バイパスが開通するまでは、その分岐地点は1km少々西よりにあった。 今回は、このミニ旧道をご覧頂こう。 この探索はきわめて行き当たりばったりに行われた。 ようは、国道286号をチャリで走行中に、現道と並走するようにして別れていく、ご覧の古びたアスファルトを発見。 何所へ通じるのかなどを調べもせず、咄嗟に旧国道であると判断し、進入したのである。 現道との接点は、この写真の通り緩やかな分岐となっているが、ガードレールに車が通れるような切れ目がないので、事実上廃道である。 旧道敷きには日焼けしたアスファルトが残り、行く手のカーブを予感させる道路ペイントが懐かしさを感じさせる。 最近はあまりこういう道路ペイントって見ないよね。(雪国だと特にね) 始め仲のよかったカップルが

                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第222回 錦秋湖の湖底に残された碑

                                    今回は、「廃線レポ57 横黒線(北上線)旧線 大荒沢駅跡」には、まだ続きがあった! …というお話し。 湯田ダムが和賀川を堰き止めて生み出した錦秋湖の湖底には、国鉄横黒線(現JR北上線)の旧線が沈んでいる。 2014年の9月14日に、10年ぶりのダム点検に伴う特別な低水位となった湖底に出現した大荒沢駅跡を探索し、そこで木製改札柵の現存を確認したのがこれまでのレポートであった。帰宅後の机上調査と合わせ、駅跡の探索は完結した。 だが、私とミリンダ細田氏による現地での湖底探索は、終わっていなかった。 次に我々が目指した場所は、大荒沢ダム跡である。 大荒沢ダムは戦前の発電用ダムで、巨大な堰堤がそのまま湖に沈んでいる。 大荒沢駅とともに湖底のシンボル的な遺構だが、残念ながらこちらは完全には浮上しておらず、堤上路こそ水面上に現れていたものの、細田氏が期待するようにそこを歩いて対岸へ行くことは出来なかった

                                      【山さ行がねが】ミニレポート第222回 錦秋湖の湖底に残された碑
                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) 序

                                      日本には、まだまだ凄い道がある。 それを、私に思い知らせた道がある。 栃木県一般県道266号「中塩原板室那須線」、 通称 「塩那道路」 オブローダーなら、おそらく誰しもが、一度は聞いた名である。 塩那道路という、愛称とも略称とも取れる道の名前は、そこがただの県道や林道として生を受けた道ではないことを伝えている。 いや、実は塩那道路などという道は、まだこの世には、完全に存在はしていない。 あるのは、将来の塩那道路になるはずだった、パイロット道路と呼ばれる、工事用道路。 そして、辛うじて完成している一部区間である。 塩那道路を一言で言い表すなら、 とにかく凄いところを走る道。 なんと、最高到達高度は海抜1700m。 東北地方には、ここまで高い場所を走る道はない。 塩那道路を擁する栃木県においても、標高でこれを越える道は日光近辺に幾つかあるだけで、稀である。 そして、塩那道路のもう一つの重要なフ

                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第173回 秋田県道325号あきた北空港西線 小ヶ田未成区

                                        【広域図(マピオン)】 秋田に定住していた頃から、ずっと気になっていた所である。 そこにどんな事情が秘められているのかも、うっすらとは知っていた。 しかし、実際に“探索”を試みたのはこれが初めてである。 まずは右の地図を見て欲しい。 中央を東西に横切る黄色いラインは、秋田県道325号「あきた北空港西線」である。 この道は、平成10年に開港した大館能代空港(愛称:あきた北空港)のメインルートとして整備された路線で、途中に何カ所か信号はあるものの、一部の道路とはランプで接続するなど、一般道路としては十分高規格な路線である。 それゆえ線形にも恵まれているのだが、平成24年の現在においても、一箇所だけ例外が残っている。 もう一度、黄色いラインを見て欲しい。 中央やや左寄りの鉄道線路と交差する辺りで、少々不格好な、いかにも高速走行には向かなさそうなカーブがある。 しかも、鉄道との交差は平面交差(踏

                                        • 隧道探険隊

                                          当隧道の正式な名称や延長を、書籍『奥羽鐡道建設概要』の内の表記として、『NICHT EILEN』の管理人TILL様よりご紹介いただきました。 名称:峯ノ山隧道 長さ:約 156.9メートル 廃棄(現在線への置き換え):1975(昭和50)年9月26日 国道13号線が秋田市を発し、協和町の中心地境さかいを経て国道46号線と別れるとすぐ、峰の山から繋がる稜線を越える小さな峠を越え、東北有数の規模を誇る仙北平野に達する。 この峠には、どうやら失われた道路トンネルがあったらしい。 相互リンク先である『MOTO WORKS HIRATA 』サイト内に1958年頃に撮影されたと言う、国道13号線のなぞの隧道写真を発見した事が始まりであった。 これまでも何度となく何気なく通っている小さな峠道に、重厚な石組みのトンネルが存在していたと言う事だけでも十分衝撃的であったが、何よりも、もし未だにこの隧道が残って

                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                            三陸海岸は日本を代表する巨大なリアス式海岸であり、北東北三県の太平洋に臨む海岸線の半分以上は、険しい断崖絶壁となっている。 その北部に位置する陸中海岸の中心的観光地である北山崎は、岩手県下閉伊郡の田野畑村を中心に、南は岩泉町、北は普代村に繋がる、日本一の大絶壁海岸である。 その核心部分においては、海岸線から200mも一気に迫り上がる崖が南北8kmも続いている。 一帯の余りにも険しすぎる海岸には、今日に至るまで開発の手が殆ど及ぶこともなく、原始のままの姿にある。 断崖の下に僅かに点在する砂浜には小さい漁港が散見されるが、津波の危険を避けるため定住する者はなく、集落は主に海岸線から100m以上も高い台地上に点在している。 そして、集落と漁港を結ぶ為の道が多く存在するのに対し、海岸線を縦貫する様な道は地形的に無理があり、殆ど存在しない。 あったとしても、その多くは海岸から少し離れた、台地上を迂回

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                              秋田市市民の皆様、おまたせしました?! もしあなたが秋田市に子供の頃から住んでいる方なら、まず一度は絶対に登っていると思われる、太平山は旭又口。 秋田市を見下ろす海抜1176mの太平山は、市民歌を始め、市域の学校校歌でも多くが謳っている。 そんな市民なじみの山である太平山の、最もメジャーな登り口である旭又口までは、秋田市中心部から約25km。 僅かに未舗装が残る林道の終点には、巨大な駐車場があり、学校登山の大型観光バスもよく停まっている。 ここに、秋田県内はおろか、日本中を見ても最大級の、林鉄用のインクライン跡がある。 これを聞いて、「あっ アレね!」そう相づちを打つ方、 そう、アレである。 「登っているはずなのに分からないな~」という方、安心して欲しい。 私も、つい最近まで そうだった。 来るたびに少しずつだが変化のある、旭又登山口の様子。 橋を渡って正面の急な階段に進むのが、正規のルー

                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道

                                                なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。 以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。 いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。 そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。 その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。 故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。 前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。 いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。 2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 

                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第150回 小鳥谷駅そばの謎形式歩道橋

                                                  2010/5/30 13:47 【所在地(マピオン)】 ここは東北本線…と書きかけて訂正、いわて銀河鉄道線(旧東北本線)の小鳥谷(こずや)駅。 この駅に何の目的で来たのかは皆様の想像にお任せするとして、この駅のホームとホームを結ぶ跨線橋から青森方を見下ろしている時に、奇妙な光景を見た。 前方100mほど先の地上での出来事。 向かって左の小鳥谷集落から、連れだった男女がおもむろに踏みきりのない線路内に入り込むと、そのまま上下線本線と中央の側線を横断し、右の緑一面の築堤下へ消えていったのである。 2人はいずれも農民風で、初老。 次に2人が消えた築堤の下に目を向けると…。 そこには、馬淵(まべち)川の清流があった。 そして、川には橋が架けられていた。 2人はこの橋をスタスタと渡って、今度こそ対岸の緑の中に消えていったが、彼らの後に残された橋に私の視線は釘付けになった。 それは、今まで見たことがな

                                                  • 小ネタ集

                                                    2003.3撮影 山形県西田川郡温海町 温海町の五十川いらがわは、日本海に面した小さな集落だが、国道7号線とJR羽越本線という幹線が、並走している。 写真は、山間部から五十川に下ってきた県道61号線が、国道7号線の旧道に合流する地点。 この五十川の河口部が、五十川集落の中心部である。 鉄道の架線が見えているが、その向こうに現国道が、海岸線ぎりぎりを通っている。 先ほどの場所のすぐ傍、五十川を渡る鉄道の橋梁の下をくぐるとき、五十川駅側に、気になるものが見えた。 気になったので、接近してみて撮ったのが、この写真。 ここは、小ネタ集だが、個人的には、大ネタ級の驚きがあった! 確かに、こいつは一発ネタだろう。 でも…、 でも、線路と車道が一体になったトンネルって、…前代未聞!! 興奮に身を任せ、トンネル前の急登攀を一息で乗り越えて、進入。 やっぱり、鉄道と道路が、一つのトンネルを仲良く共用しており

                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第155回 日光市日向の旧竹ノ上橋

                                                      2008/5/4 15:06 《現在地》 ここは栃木県道23号川俣温泉川治線の途中、日光市日向の一角である。 いまでもまだ旧栗山村の名前で呼んだ方が通りが良いかもしれない(2006年に日光市と合併)。 写真は西を背にして撮影しており、正面にそびえる大日向山(1176m)の左側が日向、右側が日蔭というふうに地名が分けられている。 そしてそこから真っ直ぐ降りてきた境界線は、この場所のすぐ右側を通って背後に通じる。 それでは、この右側には何があるのかというと…。 ちょっと古風な吊橋主塔があった。 しかも主索が張られたままになっていて、空き地の中に確固たる意志を持ってアンカーされている。 それなのに、入口に空気を読めない重機が停まっていて、橋の先を見通すことは出来ない。 ともかくこの橋は鬼怒川に架かる橋で、鬼怒川を挟んで日向と日蔭という2つの大字が、つまり明治22年町村制施行前の日向と日蔭の2つの

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                        不老倉は、"フロクラ〝と読む。 一帯は、秋田県の北端である鹿角市の東山中に位置し、青森県二戸郡田子町や岩手県岩手郡安代町とは、奥羽山脈を隔てて接している。 17世紀に不老倉鉱山が発見され、昭和初期まで採掘が続けられた。 ほかにも、付近には多くの銅山が稼動していた時期があり、小坂・尾去沢にも並び賞される大鉱山街を形成したこともあった。 また、同地域の入り口である大湯温泉から、不老倉経由で奥羽山脈を峠越えし、青森県田子町へと抜ける来満街道は、藩政時代から盛んに利用されたが、現在の国道103号及び104号線が来満峠を経由しない北寄りルートを選択したことにより、車輌交通時代には取り残されて久しい。 現在は袋小路の不老倉地区だが、その最奥部まで一本の林道が延びている。 便宜的に不老倉林道と呼ぶが、明治時代には林道ではなく、現在でいう県道の地位にあった。 当時はまだ、来満峠を隧道で貫通する新道路の建設

                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編

                                                          山形県北部、秋田県境に接する丁(ひのと)山地の一角に、かつて真室川森林鉄道はその役目を全うした。 真室川町は森林鉄道の保存に積極的で、同町の真室川町資料館では当時の機関車の動態保存が行われており、休日には多くの人で賑わっている。 保存運転が行われているのは、元来の線路とは全く別の新設された小さな周回コースであるが、かつての路線跡もまた、町内にはよく残っている。 その現状は、今から3年ほど前に何度か当サイトでもレポートしており、駆け足ながらもその概要を紹介している。 (参考レポ:廃線レポ「真室川森林鉄道(安楽城線)」・「一号隧道」) 真室川林鉄安楽城線には合計3本、小又線には1本の隧道が確認されているが、うち安楽城線の2号隧道は内部が水没しており、坑口から20m程度しか判明していない。 貫通しているかどうかも不明なままであったが、3年ぶりに再訪を果たしたので、そのレポートをお伝えしよう。 前

                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                            2003.4撮影 秋田県能代市 鶴形 奥羽本線は、明治期に竣工したことことから、その後の電化などに伴うトンネルの改廃などがあり、当サイトの格好のネタとなっている。 同じ“本線”とはいえ、県内には目立った遺構のない羽越本線とは、対照的である。 さて、今回も、やはり昭和43年から46年にかけて行われた、奥羽本線秋田以北の電化工事によって、付け替え・放棄された隧道を紹介しよう。(ミニレポートでの紹介は初めてだが) JR奥羽本線は、能代市街地の東端に東能代駅を設け、その後は進路を東に変える。 大館市までの40km余りに渡って、米代川や国道7号線に沿って東進する訳だ。 途中、能代市と二ツ井町のあいだの鶴形地区、そして、二ツ井町と鷹巣町のあいだの前山地区と、小さな山越えとなる区間が二つある。 いずれも、国道7号線を車で通り抜ける分には、何てこと無い峠なのだが、勾配にもカーブにも弱い鉄道にとっては、同じ

                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第92回 小倉隧道

                                                              国内にここだけという極めて珍しいダブルアーチ形式の大倉ダムは、昭和36年に完成した多目的ダムである。 ダブルアーチ形式は、アーチダムを二つ繋げた独特の形状であり、上から見ると羽ばたくカモメのような形である。 ここ数年来、ダムサイトを通る県道を通行止めにしての大規模な改修工事が行われているのだが、その迂回路として利用されている市道には、かつて存在した隧道の痕跡が鮮明に残っている。 左の写真は、改良工事で通行止中のダムサイト。 本来はこの狭い道が県道である。 冬真っ盛りの1月末、私が訪れた時には大倉湖は一面の厚い氷に閉ざされ、湖畔に僅かに残る集落を含め、動くものの何もない静寂の景色となっていた。 遠くに見える高い雪山は信仰の山でもある船形山だ。 山の向こうの山形側では御所山と呼ばれている。 この小倉隧道は、現在市販されている地図にも大半は普通に描かれているのだが、実際にはご覧の通り埋め戻され、

                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第93回 洞門の橋の洞門

                                                                そのような事例はおそらく全国でもここだけと思われるのが、県都の中心駅が終点となっていた仁別森林鉄道。 廃止されてもう久しいが、今もそのほぼ全線をサイクリングロードとして辿ることが出来る。 山行がでも部分的に紹介してきたが(起点部分となる「旭又インクライン」や「旭川ダム直下部分」など)、今回は、沿線最大の集落であり中間土場ともなっていた仁別駅と一つ下流の集落であった藤倉までの区間に潜む奇妙な隧道を紹介したい。 秋田市民ならばその存在を知っている方も多いことだろう。 だが、その正体をご存じの方は少ないはずだ。 山間の村であった仁別地区も、太平山の観光開発に伴って大きく地図が塗り替えられている。 集落の南側の山間部は広大な公園となっており、様々な施設が憩いを提供している。 かつての森林鉄道は、現在の県道15号線(主要地方道秋田八郎潟線)とは並走するがその多くの部分で重ならず、代わりに雄和仁別自転

                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第123回 二戸市福田の桟橋

                                                                  この写真は、ネット上に「中国に実在する登山道」などとして紹介されているものである。 見ての通り、とんでもない恐ろしい桟橋である。 これで一般の登山道らしいのだから、かの国の観光客は皆、オブローダーライセンスA級を所持しているのだろうか。 私も、もし目の前にこんな橋があったら、精一杯強がりながら、きっと渡ってみせるだろう。 しかし、海外旅行などに興味のない私は、生涯ここへ行くことはなさそうだ。 ただ、我が日本国内にこれに匹敵するような道を探すだけである。 で 見つけちゃった。 えへへ。 まあ、ミニレポな時点で、読者の大半はもう(・∀・)ニヤニヤなのだろうが… 侮るな! …どこにあるかといえば…。 この橋のすぐ傍である。 県道6号の青海橋を渡っているときに、ちらりと見えたのだ。 凄まじい桟橋の姿が! 旧青海橋のレポートは、その桟橋へ行くための副産物に過ぎなかった。 実は。 ん? とても険しそう

                                                                  • 【廃線・廃道】【歩いてみた】原町森林鉄道 新田川支線

                                                                    「やっぱ林鉄は楽しい!」心からそう思わせてくれる物件です。あくまでも目的地は隧道だったのですが、道中で早くもメロメロにwPS.しもた!今日は金曜じゃん!w てなわけで、これが今年最後のうpになります。 お陰様で今年も何とか生きて年を越せそうです。 と言いつつ、今日もこれから歩き納めに行きますがw 来年正月うpはちょいと無理なので、次回は年明け1/7(金)になる予定です。 ではでは、皆様もよいお年を・・参考:「山さ行がねが」様他作品→mylist/17704932

                                                                      【廃線・廃道】【歩いてみた】原町森林鉄道 新田川支線
                                                                    • 小ネタ集

                                                                      2003.3撮影 山形県温海町 温海温泉 場所は、新潟県温海町のJR温海温泉駅近く。 国道7号線の旧道に、そのトンネルはある。 その名を、釜谷坂隧道という。 生活道路として現役で利用されており、なかなか車通りの多いトンネルだ。 ただですら2車線ぎりぎりいっぱいの決して広くないトンネルの上部には…、 「トンネル内せまい  注意」 3列に配置された白色の内部灯は、コンビニ店内のような明るさを醸し出している。 昭和12年竣工というかなりの年代物だが、さすがに一級国道に供されていたトンネルだけあって、矍鑠としている。 しかし、先ほど入り口で見た気になる注意は、なんだったのか? 155mの全長の真ん中付近、そのトンネルはまるでパチンコ屋のような電飾に彩られていた?! 半円形の断面は、中央付近の30mほどに渡って、ひとまわり狭くなっている。 一体何ゆえにこのような状況になっているのか? 昭和10年代の

                                                                      • 隧道探険隊

                                                                        山行がの歴史に欠くことの出来ない1ページを刻んだ笹立隧道。 2003年の2月初頭、善法寺側から雪の山道を辿り隧道に至り、そこで自身の限界と戦いながら、閉塞寸前となったおおよそ200mの洞内を、潜り抜けた。 その模様は、隧道レポートに認められているから、古い読者ならばご存じの方も多かろう。 しかし、今当時のレポートを改めて読み直してみると、誠に恥ずかしい部分が多い。 それは、文章の拙さや大仰な表現といった部分だけではなくて、むしろ、あの頃の現実そのものであった、装備の未熟さによるところが大きい。 そこがまた、必要以上に、私に苦痛と、恐怖感を強いていたのだろうし、穿った見方をすれば、そこが、レポートとして評判が良かった理由かも知れない。 話がそれた。 私は、あれから3年あまりを経た2005年の6月1日に、再訪した。 そして、隧道自体については、難なく通り抜けることも出来た。 一度は通り抜けてい

                                                                        • 岩手県の仙人峠方面へ、ドライブ。

                                                                          どもでっす。 近所の月極駐車場に、スズキSX4が二台も隣り合って停まっていましたが、どっちのSX4も見かけなくなって、買い換えられたようですが、その車種が…。現行ポ■テとア△アって組み合わせ…。ガラパゴス系ヨタ車ってのが、ワダスをかなすぐさせですまっちまうね(直訳:私を悲しくさせてしまっちゃうね)…。違う人、家族が乗っていたであろうオレンジと薄い緑のSX4、なかなか得難い組合せだったと思うんですが。どちらかが買い換えた後に、見栄か何かでもう一方のSX4の人も乗換えたんでしょうかど、SX4的なモノ、もっとマシなのは無かったのかと…。ガラパゴス系はスキじゃないです。 一昨日のことですが、岩手県の仙人峠のほうに、愛車318tiを走らせて来ました。遠野市と釜石市に跨る峠でありますが、何故か私は、岩手県の地名に旅情を掻き立てる何かを、強烈に感じ取って惹かれてしまう、世間一般の「普通・平均・一般」か

                                                                            岩手県の仙人峠方面へ、ドライブ。
                                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第185回 上小阿仁村の晴れていてもびしょ濡れになる道

                                                                            2012/5/1 11:18 【位置図(マピオン)】 ここは秋田県北秋田郡上小阿仁村にある萩形(はぎなり)ダム。 その堤上路は林道として解放されており、冬期閉鎖中でなければ誰でも立入る事が出来る。 この一帯は県都秋田市から見ると太平山という標高1200m弱の山塊の真裏に当たる場所で、地図上ではそんなに山奥とも思えないが、現実には交通不便のため一般の人はあまり訪れない、秘境と言っても差し支えのないエリアである。 そしてここは、私が中学から大人になるまで秋田の住人であった頃に、“山チャリ”でさんざんブイブイ言わされてきた(今となっては恥ずかしい懐かしのレポもあり)山域なのだが、東京に引っ越してからはめっきり訪れる事も少なくなっていた。 久々にちょっと様子を見に行ったところ、ちょっとばかり凄い光景に出会ったので、今回はそれをお伝えしようと思う。 堤上路より見る、“小阿仁湖”と名付けられたダ

                                                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

                                                                              現在地は、「上の分岐」から2.4kmを下った一本松沢。 一本松尾根の直線距離で約50mを越すのに、50分近くの時間を費やしてしまった。 まさに、越えはしたが、とても大きな痛手を被ったという状況。 清水国道の踏破達成まで、残り約1.4km。 急げば1時間でたどり着けるだろうか。 正午までには前進を終えなければならない。 それは、我々が明るいうちに山小屋へ生還するための明瞭な条件だった。 だが、時間切れの場面を想像してみて欲しい。 そのときに、再び今度のような難所に阻まれるのならばいざ知らず、淡々と続く道を、時間切れのために放棄して引き返すことなど… 考えられない! おそらくそれは、もっとも悔しい敗退といえるだろう。 どんな結末よりも避けたい敗北だ。 我々は、本当に急ぐことにした。 身体の限界を超えて、行くことにした。 それが、どんな結果を生むかを想像する余地は、眼前に示された「成功」と「敗北

                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)

                                                                                チャリ回収成功。 廃道からの生還が約束される「夏焼集落入口」まで、残り800mほどの地点へと私は辿り着いた。 ただし、リュックをボンガ塚沢南の尾根上に置き去りにしているので、この回収を行わねばならない。 脱出は、その後だ。 間もなくスタートから10時間を経過するこの日の探索も、いよいよ最終局面。 願わくば最後まで大きな取りこぼしをせず、少なくとも自分自身には「完全攻略」と言えるだけの達成を果たしたいところだが、いかんせん… ――日が暮れてきた。 2009/1/24 16:54 期待を一身に背負うであろう「最終回」でありながら、今回は言い訳ばかりの回になるかも知れない…。 もう、まともな写真を撮影できる「光量」ではなくなっていたし、それ以前に、チャリ迂回のための大幅な体力消耗によって、これ以上探索を続行をする気力が萎えていた。 私が今したかったことは、さっさとリュックを回収し、大嵐駅のベンチ

                                                                                • かつて各地の山中で木材輸送に活躍した森林鉄道について語ろう! : 登山ちゃんねる

                                                                                  2018年02月23日 かつて各地の山中で木材輸送に活躍した森林鉄道について語ろう! カテゴリ電車・新幹線・リニア Comment(5) 1: 名無しさん 2012/10/20(土) 21:37:59.66 かつて各地の山中で木材輸送に活躍した森林鉄道について語ろう 5: 名無しさん 2012/10/20(土) 22:02:02.55 森林鉄道なんて語れるほど思いつかないわ 6: 名無しさん 2012/10/20(土) 22:06:04.08 廃線を歩こうってのならいいかもしれんが 7: 名無しさん 2012/10/20(土) 22:14:03.81 兵庫県の宝塚と西宮名塩の間にある廃線歩きは渓流沿いで景色良さそうですね 8: 名無しさん 2012/10/21(日) 10:35:13.86 >>7 あれは森林鉄道じゃない 関西なら京都北山の芦生に森林鉄道があるね 今も時々トロッコが走るらし

                                                                                    かつて各地の山中で木材輸送に活躍した森林鉄道について語ろう! : 登山ちゃんねる