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山さ行がねがの検索結果321 - 360 件 / 659件

  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第126回 国道122号 沢入トンネル旧道

    【周辺地図】 【拡大図】 渡良瀬川に沿って関東平野と日光を結ぶ国道122号の大部分は、江戸時代後期に、江戸と足尾銅山を結ぶ銅街道(銅山街道)として切り開かれた道をもとにしている。 牛馬が重い鉱石を背に幾つもの尾根と谷を越えて往来した難路に沿って、明治末から鉄道が延ばされ、大正元年には群馬県の大間々(現:みどり市)から栃木県足尾(現:日光市)まで開通した。 さらに、昭和一桁台後半には、従来の銅山街道を大幅に改良して自動車道が建設された。 昭和38年には二級国道122号日光東京線に指定され、狭隘であった谷沿いの道は各所で改良された。 昭和51年には沿線に大規模な草木ダム(群馬県東村、現:みどり市)が完成し、一般国道122号と改称されていた本路線にも水没区間が生じた。 また長い歴史を誇る足尾鉱山も観光鉱山として生まれ変わった。 現在の国道122号は、かつての路線名の示すそのままに関東と日光を最短

    • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧口野隧道

      当レポートが最後に辿り着く結論は、事実と異なる誤説です。 正しい事実をお知りになりたい方は、「おぶろぐ!(2010/1/22エントリ)」をご覧下さい。 一応レポートを最後まで読まれてから確認された方が、分かり易いかと思いますが…。 上の3枚の地形図は、同じ場所を示している。 【周辺地図】 明治、戦後間もなく、そして現在─。 この一世紀のうちに地上を席巻した人間の土木力は、その動線としての道路のみならず、川の流れや海の形、地形そのものまで大規模に改変してきた。 そんなことをありありと見せつける、僅か3キロ四方の地図である。 この中に、明治時代には既にありながら、戦後間もなく地図から消滅した、“足の速い”隧道が描かれている。 仮にこれを、平行位置にある現在の国道414号口野トンネルの旧トンネルと比定し、「旧口野隧道」と名付ける。 3枚の地図を一枚に重ねてみた。 そして浮かび上がるルートの変遷。

      • 【山さ行がねが】ミニレポート

        2004.3.31撮影 宮城県志津川町 (現南三陸町) だらだらと続いてきた(オイオイ…)小ネタ集、もとい「ミニレポート」も、いつの間にやら50回を迎えた。 そして、そんな私につい先日、奇跡的な発見がもたらされたのだ。 私は、以前「クアトロ秋田」さんから“その”話を聞いて以来、ずっと探していたものを、やっと、初めて発見したのである。 嬉しくて嬉しくて、もう感激しっぱなしだったのだが、そろそろその発見を自慢したくなってきたので、ミニレポ50回の記念に、紹介したい。 みんな!注目! 私の発見に、ちゅーもくっ! ここは、海。 それも、見慣れた海ではなく、世界の海・太平洋です。 宮城県桃生郡は北上町小指という、太平洋に面した漁港に、私はおりました。 旅の目的は、もちろん山チャリ。 この時は、前夜から国道398号線をひたひたと、志津川目指し北上しておりました。 ただ走っていても、風光明媚な三陸は十二

        • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦

          本稿では。いよいよ皆さんお待ちかね、千頭(せんず)森林鉄道の奥地探索の模様をレポートしよう。 本線延長36km、支線や作業線を含めれば50kmを超える千頭林鉄のうち、平成22(2010)年4月18日~21日にかけて集中的に行った探索では、本線は起点の沢間駅から大樽沢まで、大間川支線は起点の尾崎坂から終点まで、逆河内支線も起点の大樽沢から終点まで、それぞれ探索を終え、レポートも当サイトや書籍などで順次公開済み(本線の尾崎坂~千頭堰堤間を除く)である。 支線は既に全線の探索を完了し、残るは作業線(探索を行うかは未定)と、本線のうちの大樽沢以奥の区間である。 右図は、これまでのレポートでも度々登場したが、昭和30年頃に作成されたとみられる(だからそれ以降に敷設された支線は一部描かれていない)千頭林鉄のキロ程図だ。 図中で黄色く塗ったのが未探索区間で、今回探索を企てた区間と完全に一致する。 すなわ

          • 『廃道探索 山さ行がねが (じっぴコンパクト文庫)』(平沼義之)の感想(7レビュー) - ブクログ

            意図しない廃道歩きは大変だ。廃道だと思わないまま道に突っ込んでみたら廃道だった、というパターンだ。 思い出すと、秋田県の夜明島渓谷から太平湖に抜ける夜明島林道、長野県の朝日村から木祖村への鉢盛山林道は完全に廃道だった。 道が崩れ落ち、背丈より高い木が林立し、そういうところに限って棘のある草が生えていて引っかかって痛い。 そんな道にはクマも闊歩して、出合頭に口と目をひん剝いたクマの驚いた顔を覚えている。 オブローダー(廃道マニア)にとって最も有名なサイトが「山さ行がねが」通称、山行がである。 数十年前に離散した村が建設した林道だったり、 上高地に至る幻のスカイラインだったり、 南アルプスを走った森林鉄道の長大路線跡だったり、 華厳の滝を正面に未だ残る渓谷の橋だったり。 失われた道の記憶をたどる。 そこに今でも挑戦するアホがいる。 道は人が通ってこそ道だ。 道としての機能を呼び起こすオブローダ

              『廃道探索 山さ行がねが (じっぴコンパクト文庫)』(平沼義之)の感想(7レビュー) - ブクログ
            • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 沢間駅~大間駅

              本稿が取り上げるのは、千頭森林鉄道本線全長41kmのうち、その最も起点側の約10kmだ。 林鉄起点「0kmポスト」が置かれていた沢間集落から、現状では沿線最奥集落であり、南アルプス登山基地ともなっている大間集落(寸又峡温泉)までを紹介する。 この区間の大部分は、昭和44年の森林鉄道廃止と前後して車道林道化の工事が進められ、昭和43~45年の3カ年で全長11,316mの「寸又右岸林道」に置き換えられている。 ただし、例によって林道と軌道跡とは一部異なっている箇所があるので、探索はそれを主に拾っていく感じになるだろう。 長大林鉄探索の始めは、まず手頃な車道化区間といった感じなのだが、ここさえも従来はあまり「軌道跡」として探索されたことが無かったのが、予想以上の成果があった。 なお、当区間の開設に関わる歴史は「歴史解説編<2>」で取り上げているので、ここでは簡単に復習するに留める。 本区間(沢間

                【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 沢間駅~大間駅
              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道20号旧道 大垂水峠

                9:58 全長3km弱の大垂水峠旧道(相模湖側)であるが、389mの海抜を有する峠まで残り300mを切った。 前回最終地点の切り通しには348mの水準点があるようなので(図上より、現地で未発見)、ここからの勾配はかなりきつそうだ。 すでにだいぶ前より、断続的ではあるがエンジンの唸りは聞こえていた。 いよいよ、その音の姿を確かめに行くことになる。 切り通しを過ぎると、谷はこれまでの反対、左側に移った。 予想したとおり、道はかなりの急勾配となっている。 引き続き路面には落ち葉が厚く堆積しており、現道はもうすぐだというのに未だに轍は見当たらない。 最後にも何か大きな難関が待ち受けているのだろうか。 道を境にして左の崖下は一面の竹林、右の山側は杉林となっている。 急な上り坂のまま、右へねじるようなきついカーブが現れた。 その山側には深い側溝が設けられている。(写真左…振り返って撮影) 側溝は、道路

                • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道小出奥只見線 <シルバーライン> 第一回

                  私が生涯に体験したい道10選 というものがあるとしたら、確実にあの塩那道路と共にランクインする道の一つ。 それがこの、“奥只見シルバーライン”こと、新潟県道50号小出奥只見線である。 この道は、かつて日本最大の電源開発事業のために、国力をあげて開発された道である。 行く手にあるものはただ一つ、2006年時点での国内ダム総貯水量第一位の奥只見ダム(6億百万立方メートル)。 ダムを生み出し、管理するためだけに設けられた、開発道路。 それが、“奥只見シルバーライン”と後に愛称され、年間15万台が訪れる観光道路になる道の、始まりだった。 道路の開通は、昭和32年。 国営の電源開発株式会社によって施工され、3年の年月と延180万人の労働力が投入された。 開通した全長22kmの資材運搬道路には、あわせて19本、合計延長18km余りの隧道が掘り抜かれ、他に類を見ないトンネル連続道路が出現したのである。

                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 三陸海岸 真木沢隧道群

                    三陸海岸は、東北地方の太平洋岸の北半分の大半を占める、全長600kmに及ぶきわめて長い海岸線の総称で、かつてこの地方が「陸前」「陸中」「陸奥」の3国であった事から比較的近代に名付けられた。 三陸海岸と言えば全国的に有名なのが、リアス式と言われる複雑で険しい海岸線である。 中学校の地理で必ず名前が出てくることもあって、皆様の多くも「リアス=三陸海岸」というイメージをお持ちだろう。 実際に三陸海岸の大部分にリアス地形が見られるわけだが、岩手県宮古市より北側では隆起によるリアス地形、宮古以南では沈降によって生じたリアス地形というように、出来上がり方に違いがある。 無論、この違いは地形的な違いにも現れていて、南三陸ほど規模の大きな湾が多く、したがってその水深も深く、天然の良港に恵まれる。 北三陸では徐々に海岸線が海側へと後退を続けており、海岸線から垂直に切り立つ断崖絶壁という、おそらく多くの読者に

                    • 【山さ行がねが】ミニレポート 第96回 JR羽越線 鵜泊隧道の謎

                      北日本の日本海沿岸有数の観光地である新潟県村上市は笹川流れ。 奇岩や断崖絶壁が海岸線に聳え立ち、特に夕暮れが海に沈む頃には最高の景観を見せる。 ここは、その中心地から10kmほど北の鵜泊地区。 海岸線に沿う国道345号線と、それに並んだJR羽越線の単線の線路が印象的な道路景観を形作っており、私の好きな場所だ。 今回のレポートは、その国道脇から見える景色に始まる。 ちょうどここにはJRの塩害試験場が線路端に設置されており、変電所の設備や架線柱などが林立している。実際に潮風にあててその劣化具合を検査しているようである。 これが、国道からも見える、問題の景色である。 そこにあるのは羽越線の現役トンネルなのだが、よく見ると、奥にも穴が見える? ここは間違いなく単線のはずだが…?(厳密には複線だが、もう一線はより山側を長いトンネルで貫いていて、ここでは地上に出ないはず) これは、調べねばなるまい。

                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第151回 富山県道187号荒屋敷月岡町線

                        なんの脈絡もなく、マイナーな県道を紹介する。 富山県道187号「荒屋敷月岡町線」は、富山市(旧大山町)内の山と平野を結ぶ、幾つもある行き止まりの県道のひとつである。 全長は約12kmで、道中にはこれと言って大きな集落も、観光名所になるようなものもない。 それを敢えて紹介するのであるが、きっかけは読者さんから寄せられた情報である。 「気になる道がある」らしいので、さほどアクセスの難しいような場所でもないし、通りがかりに寄ってみたのが今回のレポートだ。 …気軽にね。 情報があったのは、この道の終点側に近い下渕地区である。 そこまで行くのも、この県道187号に拠った。 神通川支流の黒川に沿って一本だけ奥まで通じているのがこの県道で、現在のところ他に乗用車でアプローチ出来るようなルートは無い。 なお、途中は見ての通り、何の変哲もない2車線舗装路である。 むしろ、交通量の割には良く整備されている印象

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第146回 片門ダム 堤上路

                          【現在地(別ウィンドウ)】 今回紹介するのは、表題の通りの道である。 ダム堤体の上を車で通れるところは結構あるが、それらの多くは地図上でもそれと分かるように道が描かれていたりする。 だが、福島県の片門(かたかど)ダムにあるそれは、ほとんど…というか、全くと言っていいほど地元以外では知られていない。 右の地図を見てもお分かりの通り、堤上の道は繋がっていないように描かれているからだ。 また、近くには別に主要な道があって、敢えてこのダムを渡る理由も乏しいからだ。 これだけを聞いて、この場所に興味が湧いたという人は多分少ないだろう。 だが、この場所には独特の良さというか、知るものを一人ほくそ笑ませるような効果がある。 そしてもしあなたが変な道を愛するならば、或いは車でそう言うところを通りたいと願うならば、無視できない存在になるだろう。 事実、私もここを訪れたあと、自分の車で渡ってみたいという衝動

                          • 廃道・旧道・酷道・険道・未成・不通道路の探険~山さ行がねが・道路レポート~

                            わが国に残された国道の不通区間は、着実にその数を減らしつつある。国道257号の終点に近いところにあるたった3kmの不通区間にも引導を渡すバイパスの計画があり、かれこれ着工から20年あまりを経過しているが、なかなか完成のニュースが聞こえてこない。何をしているんだ岐阜県は。そんなに大変な工事なのか? 見にいってみよう。

                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 五岳荘隧道 <後編>

                              ※大変お待たせしました。 本当は再訪してからこの「後編」を書く予定でしたが、 いつまでも再訪の目処が立たないので、とりあえず書ける範囲で書いちゃいました。 いつか再訪編をやるかもしれませんが…。 2008/6/27 12:58 【現在地(マピオン)】 鎌倉市大町三丁目の一角。 普通に大通りを通っていては絶対に気づかないような場所に、新旧の関係と思われる2本の隧道が並んでいる。 目指していたのは右の石造りの隧道で、扁額に「五岳荘」と右書きされているなど、十分な古さと重厚さを感じさせる一本だが、残念なことに最近役目を終えて埋め戻されたばかりだった。 埋め戻された隧道の反対の坑口を確かめるべく、裏へまわることにした。 そのために使うのは、当然この隣にある隧道だ。 旧隧道に対する新隧道にあたる存在だが、大仰過ぎる旧に対し、極めて現実的な姿をしている。 扁額は存在せず、というか意匠自体が何もない、

                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道252号旧道 駒啼瀬

                                平成19年5月7日 午前5時30分 只見川によって路盤の大半を奪われ、恐ろしい斜面と化した場面を突破。 突入からおおよそ20分で、約600mほど進んだと思われ、生還が約束される檜原集落までの約半分を攻略した。 この道はいかにも幹線国道の旧道らしく、本来は車が離合できる幅(約6mほど)があったので、幸いにも崩壊を免れている場面では、全く転落の恐怖を感じる事はない。 もっとも、崩れていない場所は森林の一部となりつつあって、時期を誤れば進路を完全に見失うほどの藪となるだろうことが容易に想像される。 平坦な道を進んでいくと、間もなく、ガードレールに変化があった。 とはいえ、それ以外には進路の状況に変化はない。 私は、特に気にすることもなく、この写真を一枚撮っただけで通り過ぎようとした。 さらに30mほど進んだところで、再びガードレールが元に戻った。 そこに至って、ようやく気づいた。 ここが、区間内

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第210回 三厩港 国道交点

                                  【周辺図(マピオン)】 我が国の国道の中には、海上区間を有する路線(海上国道)がいくつかある。 海上区間とは、国道の路線の途中にある文字通り海上の区間で、かつ架橋されていないものをいう。 もちろん車で走行する事は出来ないので、渡船施設と一体となって交通路としての機能を発揮することが期待されている(或いは将来の架橋を目論んでいる)のであるが、本州と北海道の間には3本の国道が海上国道として存在する。 そのうちの1本は国道280号で、起点の青森県青森市からおおよそ65km走った外ヶ浜町に本州側の陸路の終点があり、そこからおおよそ35kmの海上区間を経て、北海道の福島町に上陸。道内では全線が国道228号ほかの国道と重複しつつ、おおよそ70kmで函館市の終点に到達する。バイパスを除けば約135kmの陸路と、38kmの海路からなる国道である。 (ちなみに残りの2本の海上国道は国道279号と338号で

                                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 藤琴森林鉄道滝ノ沢支線 第2回

                                    2019/10/28 9:56 《現在地》 なんなのこれ?! なんでこんなに細いの? 私もこれまで千本以上は林鉄の橋脚を見てきたと思うが、コンクリート造りでここまで細いものは初めて見る。 細い、いや、「薄い」と言った方がより正しいか。 とにかく厚みが少ない。ここから見た感じ、50cmもないはずだ。下手したら30cmくらいしかないようにも見える。 これで高さが人の背丈ほどであれば、違和感も少なかっただろうが、こんなに薄っぺらなくせに高いのである。 木造よりも高く作れることが、コンクリート橋脚の一つの利点であるが、普通のずんぐりとしたコンクリート橋脚と変わらないくらいの立派な高さがある! この高さと太さのアンバランスのせいで、なんともひょろひょろとした華奢な印象になっている。 友人のミリンダ細田氏など、私が送りつけたこの橋脚の画像に対して、「起ち上がった蛭みたいで気持ち悪い!」と嫌悪感を露わに

                                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦

                                      2010/5/5 10:31 巨大なガレ場から200mほど進んだ地点にて遭遇した、大樽沢以奥では3本目の隧道。 この区間は、携行していた探索当時の地形図には破線の道として描かれていたが、隧道は書かれていなかった。だが、あった! 目に見える周辺の地形や、前進に費やした時間などを総合して考えると(当時はGPS未装備だった)、現在位置は右図の通り、大根沢分岐から1.3km付近にある川の蛇行突端付近ではないかと思う。そしてこの読みが正しければ、栃沢停車場まで残り500mへ迫っているはずだった。 さほど長い隧道ではないと思うが、地形的にもし貫通していないと、大変に面倒なことになりそうだった。 頼むぞ……。 今回も、どうか無事に通り抜けさせてくれ! ぐぬぬ…… これは、どうだ? まだ、貫通しているのかどうかは分からない。 今回の隧道も、これまでと同様に坑口付近だけ巻き立てがあり、内部は完全な素掘りであ

                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 山形県道252号木地山九野本線旧道 管野隧道

                                        このたび rinsei氏よりもたらされた、「今を逃したら、おそらくもう二度と見るチャンスのない景色」という言葉に誘惑され、やって参りましたのは【ここ】。 山形県は南西部、置賜(おきたま)盆地の西北端に位置する長井市だ。 木地山(きぢやま)山中に源流を持ち、深い渓谷を縫って長井市九野本(くのもと)で置賜盆地へ流れ出る野川(最上川支流)は、昔から季節的な水量の変動が激しい典型的な急流河川として、下流域の住民生活に多大な影響を与えてきた。 そのため、管理者である山形県も治水と発電利用に多大な関心を持ち、昭和29年には県内最初の多目的ダムとして中流に管野(かんの)ダムが、同36年には上流に木地山ダムが相次いで完成した。 そして、この2つのダムの建設に必要な輸送を一手に担ったのが、当初はダム工事道路として建設された県道「木地山九野本線」(路線認定は昭和34年)であった。 こうして山形県による置賜野川

                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第143回 長滝沢の“ファンタジー橋”

                                          【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 “ファンタジー橋” この語から、あなたはどんな橋を想像するだろうか。 私と細田氏が、出会うなりそう命名した橋の姿を、ご覧いただこう。 橋が見えますか? → ここは秋田県北秋田郡上小阿仁村。 いまも林業が財政的基盤であるこの村には、昭和40年代まで小阿仁林鉄とその支線が根のように張り巡らされていた。 長滝沢という全長20kmほどの谷に沿って存在していた長滝沢支線の痕跡を求め、細田氏の運転で沢沿いの林道(軌道跡を転用していた)を走っていた際に、この橋は「発見」された。 自動車運転中に予想外の発見をすることを、私と細田氏は昔から「チョットチョット」と呼んでいるのだが、これなどは典型的なチョットチョットであった。 そして、私は細田氏のチョットチョットの力には大変感服している。 大概のチョットチョットは細田氏によるものだからだ。 この景色から運転中に

                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 笠取峠

                                            笠取峠。 ここは日本最大級の遊歩道網である「新奥の細道」に指定されている、現役の遊歩道である。 そして、その入口近くにある案内板には、次のように説明書きがある。 (抜粋) 笠取峠は、旧羽州浜街道のうち山浜通りである三瀬村より小波渡村までの山路で、昔、旅人が峠を越えるときかぶっていた笠が、日本海より吹き上げる強風で顔に結んでいたひもを残してとられることから名付けられたと言われています。 この道筋が地図に描かれている事は前から知っていたのだが、このような説明書きがあることから、これは古い時代の道筋であって、平行する国道7号線の旧道は別に存在する物と考えていた。 しかし、東北建設協会の発行する『語り継ぐ道づくり~東北の直轄国道改修史[国道6号・7号]』によると、そうではなく、昭和36~39年に行われた三瀬~小波渡間の一次改築工事より前には笠取峠が国道だったらしい。 半信半疑の気持のまま、私は地図

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                              この小国町界隈の国道113号線には、かなりの数の旧橋・旧旧橋が存在しており、しかも、それらの多くが何らかの遺構を今に残している。 それらのうち主な物を表したのが、上図である。 このレポを執筆している段階では、東から見て行って、宇津峠・上杉橋・下杉橋、そして少し飛んで松栗沢橋を紹介している。 そして、今回は、明沢橋とその前後の旧道区間を紹介したい。 一連の旧道は、国道113号線を西進する時、現道の沼沢トンネルの手前で左に別れる。 この先はJR米坂線羽前沼沢駅を中心とした沼沢の集落であり、旧道は生活道路として大切に利用されている。 旧道に折れると即座に線路を渡る。 そして、間瀬川に迫り出した巌を切り取ったカーブの向こうに集落が見えてくる。 この場所の景色は、少しばかり目を惹く。 もともとは山際から続いていたはずの尾根が鉄道と旧国道に連続して切り取られており、尖塔のような小山を残しているのだ。

                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 千葉県道296号和田丸山館山線旧道 旧遠藤隧道

                                                平成18年3月に、に房総半島南部にある6町1村が合併して誕生した南房総市。 東本州では最も温和な一帯として知られ、冬でも菜の花が咲き、街路樹にシュロや椰子が使われている。 西は東京湾、東は太平洋に面する広大な面積を擁するが、その大部分は細かな起伏の丘陵地帯になっている。 そして、随所にトンネル・隧道が存在している。 『明治工業史 土木編』によれば、明治時代に新たに掘られた全国の隧道は358本(この数字は、県道以上と思われる)。 その20パーセントを越える76本が千葉県域にあったというから、当時間違いなく日本一の隧道保有県であった。 半島の地質が隧道を掘るのに好条件であったことはもちろん、江戸時代から“川廻し”というトンネルによる河川改良を民間レベルで多く経験してきたこと、また、古くから山間部にも人里が開けて里々を繋ぐ交通路が多く拓かれてきたことなどが理由にあると思う。 「山行が」でも、半島

                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                  今回は、林道だ。 「山行が」では、ここんとこかなりご無沙汰だった林道ネタである。 名は、ソッケ林道。 あ、待って。 名前だけの一発ネタだと思った人、待って! ちゃんと、廃道だからサ。 寄っていってよ、ちょっと。 国道341号線における、田沢湖町から鹿角市への80km近い山越えルートの前半は、ほとんどダム湖の景色である。 生保内から続く集落が尽きると、間もなく長いトンネル二本が現れる。 2本目のトンネルを出ると、エメラルドブルーの湖が左に現れる。 これが、鎧畑ダムの作る秋扇湖。 さらに、ダム沿いを橋の連続で進むと、ひときわ巨大な玉川大橋を経て、再び車窓はトンネルの連続を迎える。 そして直後、さらに広大な水面が目の前に現れる。 玉川ダムの形成する宝仙湖である。 この先、国道は延々10km近くこの湖の縁を走ることになる。 平成元年に多目的重力式コンクリートダムとして完成した玉川ダムは、県内最大の

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

                                                    決死。 そう言っても決して言い過ぎではないくらいの覚悟を胸に、2年目の雪辱に万全を期して挑んだ「清水峠リベンジ戦」。 ぎゅうぎゅう詰めの山小屋で眠れぬ夜をやり過ごした我々は、朝の6時半に清水峠を発ち、約6時間の格闘の末、4.8kmという距離を背後へと退けた。 それは、我々が去年やり残した「未踏の距離」と、そっくり等しかった。 宿願が果たされた今の時刻は、12時50分。 日没まで、約4時間。 悲しいことに、時間は明らかに足らなかった。 普通に戻ったのでは、日没までに山小屋へは帰り着けない。 そんな分かり易すぎる危機を前に、我々は当初の計画にはなかった「帰路の別ルート」を検討する必要に迫られた。 それが、右図に示した「赤色」と「黄色」の線である。 まず、赤色の線。 これは、とにかく最短距離で清水峠に戻ろうとするものである。 また清水新道を、このあと最も短距離しか歩かずに脱出できるルートでもある

                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道17号旧道 二居峡谷

                                                      2007/10/8 12:39 この日は生憎の空模様で、しばらく晴天の続いていた北陸全域が、しっとりと静かな雨に濡れていた。 そんななか、例によってチャリによる二居旧道の踏査を企てた私は、前探索地からの移動を終え、昼過ぎに新旧道の分岐地点に当たる三俣地区でチャリを降ろした。 このとき身に付けていた全ての装備は、時間を追う毎に雨と泥に濡れてゆき、やがて全身ボロ雑巾のようになって探索を終えることになるのだが、そこまでの困難を想定していなかったゆえの雨天決行でもあった。 右の写真は新旧同分岐地点を撮影したものだが、まずは画像にカーソルを合わせてくれないと意味が分からないと思う。 現在、本来の分岐地点はスノーシェッドによって失われており、それがこの写真の位置である。 分岐直後の旧道敷きは、道路補修工事の作業場として利用されていた。 ここをスタート地点として、旧道を南下開始する。 (旧道起点より0.

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線

                                                        峠までレポートしたところで、この県道の素性を示す古地形図を紹介したい。 右の図は昭和2年鉄道補入版という地形図で、実質的には明治末の状況を示している。 明治9年に県道指定を受けている「県道65号大山秦野線」であるが、図中には確かに県道を示す幅の広い二重線で描かれている。 ただし、二重線のうち一方は破線であり、これは”山行が”ではお馴染みとなった「荷車を通ぜざる部」というやつだ。 つまり、人や馬は通れても、クルマは通行が出来なかったと言うこと。 次に「寺山」というところに注目して欲しい。 当時はまだヤビツ峠へ向かう現在の県道70号は存在せず、ここに三叉路は無かったことが分かる。 今でもこの交差点には県道701号を優先していた形状の痕跡が残っていた。【写真】 そして、後の県道70号が存在しなかった当時、大山秦野線の終点はもっと秦野に近いところにあった。 地図の下に消えてしまっているが、当時は秦

                                                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 西沢森林軌道

                                                          三富村が設置した「通行不能」の看板を過ぎてすぐ、ここまで我々を誘ってくれたレールが谷底へと落ちるように消えていった。 そのまま、主を失った軌道敷きは真っ直ぐ続いていたが、それもいくらも続かない。 「通行不能」を真とする、ここまでで最悪レベルの崩壊地が目の前に現れた。 岩だらけの川原へと、万一足を滑らせたならば必ず墜落することになる。 現実離れしない高度感が、むしろ墜落の傷みをリアルに想像させ、余計恐かった。 こんな崩壊地が長く続くなら、どこかで見切りをつけ、一度川原に降りて軌道跡を迂回しつつ下から追跡する方が良いと思ったが、その提案が口にされることは遂に無かった。 先に終わりが来たのだ。 それは、唐突だった。 12:37 【現在地:西沢橋梁 東詰】 断続的な平場を拾い集め、どうにかこうにか進んでいた我々のつま先に、今度こそ迂回不可能、正対するようにして西沢の本流が現れた。 残念ながら、そこ

                                                          • 【山さ行がねが】橋梁レポート 一般国道342号 祭畤大橋 “廃橋三昧”

                                                            2011/10/24 7:15 《現在地》 この写真に写っている2つの橋。 同じ祭畤(大)橋の新旧であるが、世代的には親と孫の関係である。 大きいのが“孫”、小さいのが“親”。 生物やテクノロジの世界から見れば真逆な関係だが、土木構造物においてはこれが正常。 そして大きさだけではなく、両者の技術的な洗練度合いや利便性についても、親子を超越した差がある。 この強烈な対比は、祭畤大橋(子)の落橋が引き起こした、当地を象徴する光景の一部である。 そしてここにはもう一橋。 完全に姿を消してしまった橋がある。 世代的には子と孫の間であるが、それを「一世代」と言うには、余りにも短命であった。 この写真は読者の睦月氏にご提供いただいたもので、平成22年に撮影されたのだという。 この撮影場所については、背景に写っている2代目祭畤大橋の見え方を、上の写真のそれと比較して貰いたい。 酷似しているのが分かるだろ

                                                              【山さ行がねが】橋梁レポート 一般国道342号 祭畤大橋 “廃橋三昧” 
                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 吉倉隧道 (横須賀市の明治隧道)

                                                              「吉倉隧道」および「長浦田の浦隧道」をただ「こんな隧道です」と紹介するのは容易いが、ここは敢えて遠回りをしたい。 これから少し多くの図を使って、両隧道が存在する地区の「道の変遷」を見て行く。 その流れを見ていただくことで初めて両隧道の在処だけでなく、現状について説得力のある説明が出来ると思う。 2本の隧道の変化する姿を想像しながら、見ていただきたい。 なお、以降の地図の範囲はココである。(おまけにマピオン) 明治20年:十三峠の難渋 明治20年。この年に内務省は幕藩時代からの「浦賀道」を「国道45号(東京~横須賀鎮守府)」に指定した。しかしこの道が通る「十三峠」には、国道としては当時日本一急な坂があって、馬車は通れなかった。 そのため従来、横須賀と横浜方面の往来は主に海路によっていたのだが、横須賀の民港が軍港拡幅によって使えなくなったため、付近の逸見(へみ)から吉倉までは陸路をとり、吉倉港

                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)

                                                                ようやく出会えた湖底の廃線。 かなり“洗い流され”、相当に無表情な隧道達ではあったが、何という名の隧道だったのだろうか? 探索当時は古地形図さえ用意していなかった私。 あっという間に4本も見つかってくれた隧道達を名前で呼んでやる術を持たなかったが、今ならば分かる。 『三信鉄道建設概要』を閲覧した今ならば。 いきなり個人的な話になるが、『鉄道廃線跡を歩く 6』には、対岸の県道1号から写したらしき水涯線ギリギリに浮かぶ隧道群の写真が1枚掲載されていて、キャプションも付いているのだが、特に隧道一本一本の名前については一切触れていないことが気になっていた。 あの本の場合、普段ならちゃんと隧道名が(調べられて)掲載されるのに、半分以上湖に沈んだ隧道達になど名前など無いのだと言わんばかりに、無名として扱われた隧道達が不憫でならなかった。 だから、私はこの探索を行って、せめてレポートを起こすまでには、必

                                                                  【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)
                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 栃木県道62号 今市氏家線 風見不通区

                                                                  2015/5/9 7:40 《現在地》 10分以上かけて、直線過ぎた倦怠の未成道を、入口まで戻った。 次はいよいよ、メインディッシュ。 “黄色い矢印”の先に待ち受ける、鬼怒川の河川敷を通行している主要地方道の区間へ。 前回冒頭に述べた通り、地理院地図に県道として表記されたこの先の道が、確かに県道として供用されていることを、栃木県矢板土木事務所に直接問い合わせて確認している。ただし、供用済みではあるが、【自動車交通不能区間】未改良道路(供用を開始している)のうち幅員、曲線半径、勾配その他道路状況により、最大積載量4トンの貨物自動車が通行できない区間をいう。に指定しているという。 どんな景色が待っているのか楽しみだが、同時に碌でもない予感もする。 未成バイパスの封鎖されたゲート脇から右へ、鬼怒川の河川敷へ下る砂利道がある。その入口には、鉄パイプで二つ連結された「矢板土木事務所」の名の入ったA型

                                                                    【山さ行がねが】道路レポート 栃木県道62号 今市氏家線 風見不通区
                                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道229号 雷電トンネル旧道 (ビンノ岬西口攻略) 机上調査編

                                                                    今回は、ニセコ連峰が日本海へ落ち込むところにできた火山性の急崖である雷電海岸に眠る、国道229号雷電トンネルの旧道を取り上げた。 右図の通り、雷電海岸には今回探索したものの他にも多くの旧道があり、中でも雷電トンネル(3570m)に次いで長大な刀掛トンネル(2754m)の旧道は規模が大きい。そしてこの2本の大トンネルは、いずれも平成14(2002)年度に開通した双子の姉妹である。 平成14年度の2大トンネル開通によって、雷電海岸の国道229号は、ほとんど一新といえるほどの大変革を見たといえる。 一方、今回探索した旧道は昭和30年代に開通したもので、雷電海岸を初めて自動車で通り抜けられるようになった、記念すべき第1世代の車道だった。 この点でも、雷電と刀掛の2大トンネルの旧道は、同じストーリーを共有する。 さらに古い道は、雷電峠を越えた山道であり、高低差700mにも達する難道であったという。

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

                                                                      8:28 いよいよ地図の上からは廃道区間も残り少なさそうだ。 だが、景色はそれを感じさせない。 道は相変わらず際どい斜面に、ぎりぎり車一台分の幅だけをもってへばり付いている。 それにしても、関東へ来て一発目の廃道としては出来すぎな感あり。 なんというか、これほど廃道然としていながら、かつ自転車にほぼ乗ったままに走れるという好条件。 ありそうでいて、なかなかこういう道は少ない。まして、なにかの旧道というのでもなく現役の県道なのだから珍しい。 はっきり言って楽しい。 どこへ行っても舗装路は車で溢れている。 それが関東へ来て数日間の感想だったが、ここは例外だ。 ここで振り返ると初めて、“幻のダム”こと沼本ダムが、その姿を見せた。 今日は津久井湖の水位が高く、沼本ダムはまったくダムとしての用を成していない。堤体の越流水位よりも湖面が高いのだ。 よって、この日の沼本ダムはダム湖に架かる不思議な橋か、

                                                                        【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線
                                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 秩父湖一周ハイキングコース

                                                                        今回は、関東人にはお馴染みとなった行楽エリアの秩父(ちちぶ)にある、ハイキングコースを紹介しよう。 その名も、秩父湖一周ハイキングコース。 ハイキングコースとしては王道とも言える、湖畔系のハイキングコースである。 いまさら、ハイキングなんて興味はないぜ… というアナタ。 廃キング な ら ば、 どうかね? ここはガチのリスクあり。 くれぐれも、廃キングは侮るなかれ。 2012/10/12 9:05 【周辺図(マピオン)】 この探索に事前情報はなく、偶然の遭遇から始まった。 きっかけは、秩父湖畔を通る国道140号旧道で出会った1本の大きな吊り橋だった(→)。 橋は地形図にもちゃんと描かれており、湖に架かる目立つ吊橋は観光スポットであった。 もっとも、あまり流行っていない感じはしたが、決して廃吊橋ではない。 これだけのことならば、別の探索の途中でもあったし、素通りしていたかも知れない。 だが、

                                                                        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 魔の橋 (旧松峰橋)

                                                                          秋田県、特に県の北部に長くお住まいの方ならば、1960年代に嵐のように巻き起こった『黒鉱ブーム』というのを覚えておられるだろう。 これは、当時既に秋田県第二の都市であった大館市の北部にて、銅や亜鉛を多量に含む、『黒鉱』と呼ばれる鉱石の埋蔵が発覚した事による、日本版のゴールドラッシュと言える。 当時真剣に、“埋蔵量は無尽蔵”と言われた巨大な鉱床は、市街地にかなり隣接したそれまで単なる水田だった場所や、小山の地下にも埋蔵していることが明らかになり、瞬く間に一帯には大鉱山街が形成され、それまでの大館市の中心部さえ多少北側に引っ張ってくる程の勢いだった。 松峰鉱山、釈迦内鉱山、深沢鉱山、松木鉱山、餌釣鉱山などが大館市街地を取り囲むように相次いで開発され、もとより鉱山の多い地域柄もあって、秋田県北部全域を巻き込んでの大盛況となったわけである。 しかしその後、鉱業界の経済構造の変化などにより、黒鉱はな

                                                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道27号旧道 吉坂隧道

                                                                            【位置図(マピオン)】 これから語るのは、少しだけ悲しい隧道の物語である。 舞台は、京都府と福井県の境界をなす、吉坂峠(きっさかとうげ)だ。 標高約120m。丹後・若狭国境における最低鞍部であるこの峠には、古くから両国を往来する街道(丹後街道)が通じ、若狭側の麓にあたる蒜畠(ひるばたけ)には近世を通じて関所が置かれていた。 現在は国道27号が全長343mの青葉隧道で越えている。 右図は峠周辺を描いた最新の地理院地図だ。 京都府舞鶴市と福井県大飯郡高浜町を隔てる峠の下には、国道27号の青葉隧道とJR小浜線の吉坂トンネルが描かれているほか、峠の上には旧道とみられる道も描かれている。 いかにも典型的な幹線道路上にある小さな峠の風景だ。 この峠に廃隧道の存在を疑うきっかけになったのは、「道路トンネル大鑑」(建設省土木研究所/昭和43(1968)年刊)巻末のトンネルリストであった。 右図がそのリス

                                                                            • 【山さ行がねが】廃線レポート 大間線〈未成線〉 下風呂~桑畑 その1

                                                                              着工区間では最も終点よりの区間が、この下風呂~桑畑間である。 津軽海峡に面した集落も疎らな草原地帯を通過しており、距離も約5kmと他の区間より長い。 途中には、いくつかの橋や隧道が設置されていたが、その中の焼山隧道には、他の隧道にはない変わった歴史がある。 また、下風呂駅付近には大間線遺構としては最もよく知られた13連アーチ橋がある。 この区間は、このレポートのトリを飾るに相応しい盛り沢山さがある。 本州最北端の温泉郷、下風呂(しもふろ)。 我々が訪れたときは、夕暮れと夜の境、海と地上の境、そのどちらもが曖昧な独特の雰囲気だった。 想像以上に背の高いホテルが、狭い町並みに聳えているが、それを含め周囲に明かりの点いている建物は疎らで、国道に面した大きな案内看板も朧げ。 この町に、大間線は何を残しているのだろう……。 その答えは、ひとたび小径に入るとすぐ現れた。 【午後5時20分 下風呂駅跡よ

                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下河原線

                                                                                道路レポート「福島県道318号上小国下河原線」(以下「本編」と呼ぶ)を公開した数日後、 地元に住むというある読者様から、レポート投票欄経由で一通の感想メールが届いた。 子供の頃よく行き来した道です。 昭和30年前に隧道建設をしましたが、工事費、町村合併などの理由から工事は中止されたと聞いています。 昔は、入口までの道があったのですが、今は解らないでしょう。 これはッ! と思った。 山行がをやっていて一番嬉しいのは、地元の方や実際にその道の現役を体験した人からの感想や情報を貰ったときである。 しかもその内容は、私にとって非常に衝撃的なものであった。 本編を見返して貰えると分かると思うが、この僅か0.7kmの自動車通行不能区間に車道は存在しない。 小さな切り通しの藪道があるのみで、歩いてやっと通り抜けられるような代物だった。 しかしこの情報によれば、ここで昭和30年以前に隧道の建設が行われたと

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 国道459号 和風月名隧道及び橋梁群 後編

                                                                                  スノーシェッドで繋がった隧道が3発続いたが、外へ出るとすぐに旧暦5月を意味する皐月(さつき)を冠した橋が現れた。 何の変哲もない橋だが、おそらく日本全国において、この「皐」の字を用いた橋はここだけだろう。 一度見ると忘れられない文字というのがあると思うが、私にとってこの字がそんな一つである。 日本語ではおそらく、植物の皐(さつき、ツヅジ科の低木)と、「皐月」にしか使われない字だろう。 「皐」は「神に捧げる稲」という意味を持つ字で、皐月は稲作の時期であったことに由来するのだという。 こんなレアな字というのは、なんとなく気高い気がして、印象に残る。 橋自体にネタが乏しいので、ちょっと脱線してしまった。 おっと、忘れた頃におにぎり出現。 黙って左に取り付ければいいのに。おにぎりも日なたは苦手? さてさて、行く手には、早くも次なる季節が見えて来た。 暑い夏。 もちろんそこには熱い道が欲しいところ。