【周辺地図】 【拡大図】 渡良瀬川に沿って関東平野と日光を結ぶ国道122号の大部分は、江戸時代後期に、江戸と足尾銅山を結ぶ銅街道(銅山街道)として切り開かれた道をもとにしている。 牛馬が重い鉱石を背に幾つもの尾根と谷を越えて往来した難路に沿って、明治末から鉄道が延ばされ、大正元年には群馬県の大間々(現:みどり市)から栃木県足尾(現:日光市)まで開通した。 さらに、昭和一桁台後半には、従来の銅山街道を大幅に改良して自動車道が建設された。 昭和38年には二級国道122号日光東京線に指定され、狭隘であった谷沿いの道は各所で改良された。 昭和51年には沿線に大規模な草木ダム(群馬県東村、現:みどり市)が完成し、一般国道122号と改称されていた本路線にも水没区間が生じた。 また長い歴史を誇る足尾鉱山も観光鉱山として生まれ変わった。 現在の国道122号は、かつての路線名の示すそのままに関東と日光を最短