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【山さ行がねが】隧道レポート 吉倉隧道 (横須賀市の明治隧道)
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【山さ行がねが】隧道レポート 吉倉隧道 (横須賀市の明治隧道)
「吉倉隧道」および「長浦田の浦隧道」をただ「こんな隧道です」と紹介するのは容易いが、ここは敢えて... 「吉倉隧道」および「長浦田の浦隧道」をただ「こんな隧道です」と紹介するのは容易いが、ここは敢えて遠回りをしたい。 これから少し多くの図を使って、両隧道が存在する地区の「道の変遷」を見て行く。 その流れを見ていただくことで初めて両隧道の在処だけでなく、現状について説得力のある説明が出来ると思う。 2本の隧道の変化する姿を想像しながら、見ていただきたい。 なお、以降の地図の範囲はココである。(おまけにマピオン) 明治20年:十三峠の難渋 明治20年。この年に内務省は幕藩時代からの「浦賀道」を「国道45号(東京~横須賀鎮守府)」に指定した。しかしこの道が通る「十三峠」には、国道としては当時日本一急な坂があって、馬車は通れなかった。 そのため従来、横須賀と横浜方面の往来は主に海路によっていたのだが、横須賀の民港が軍港拡幅によって使えなくなったため、付近の逸見(へみ)から吉倉までは陸路をとり、吉倉港