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教養主義の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 司馬遼太郎人気を支えた「大衆歴史ブーム」はなぜ生まれたのか?福間良明『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』 - 明晰夢工房

    司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義 (中公新書 2720) 作者:福間 良明 中央公論新社 Amazon 「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか」とは、有吉佐和子の『坂の上の雲』評だ。このように、司馬遼太郎作品はたんなる歴史小説の枠をこえ、一種の教養本として読まれている。司馬作品は物語中にしばしば「余談」がさしはさまれ、そこでは司馬の政治や軍事、世論などへの見解が自在に語られる。こうした特徴は吉川英治や山岡荘八といった、それまでの歴史作家の作品にはないもので、読者の歴史への知的関心をかきたてるものだった。なぜ司馬の「歴史教養本」は時代に求められたのか。『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』によれば、司馬作品の人気を支えていたのは、昭和50年代に起きた「大衆歴史ブーム」だという。 昭和50年代に司馬作品を愛読していたのはおもに中年男性だが、かれらは教養主

      司馬遼太郎人気を支えた「大衆歴史ブーム」はなぜ生まれたのか?福間良明『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』 - 明晰夢工房
    • なぜ、司馬遼太郎はサラリーマンに人気だったのか? ――〝歴史ブーム〟と大衆教養主義(福間良明・社会学者)/イミダス

      加えて、大学キャンパスでも、教養主義の没落が目立っていた。大学進学率は4分の1に迫ろうとしており、エリートというほどの存在ではなくなった。無味乾燥なマスプロ講義、学生数増大に対応しきれない大学設備、卒業後の進路の平凡化への苛立ちは、大学に対する学生たちの幻滅を生み、戦後体制への疑念と大学紛争につながった。大学生という高学歴層のあいだでも、教養や知への憧憬はかつてに比べれば低下していた。 司馬作品の文庫化と「昭和50年代」の歴史ブーム じつは司馬作品が多くの読者を持続的に獲得するようになったのは、そのような時期だった。司馬の歴史小説と高度成長期の結びつきはしばしば指摘されるが、むしろ、その後の時代に司馬作品は親和的だった。 たしかに、司馬の代表作の多くは、1960年代に書かれている。『竜馬がゆく』が文藝春秋社から刊行されたのは1963年、『坂の上の雲』の新聞連載が始まったのは「明治百年」の1

        なぜ、司馬遼太郎はサラリーマンに人気だったのか? ――〝歴史ブーム〟と大衆教養主義(福間良明・社会学者)/イミダス
      • 教養主義の終焉

        1 無用化 教養知の無用化はビジネス社会からも宣言された。大学紛争の10年ほど前から、日本のサラリーマン社会にオペレーション・リサーチ(OR)やマーケット・リサーチなどのビジネス技術学が導入されはじめた。 こうしたビジネスマン時代に対応して、中央公論社から、1962年2月に臨時増刊号として『中央公論経営問題』が刊行され、数日で売り切れた。同年10月から『中央公論経営問題特集号』として季刊発行となる。技術知を旨とする経営学ブームのはじまりは、教養知が語学や外国事情に精通することによって専門知となり得た時代の終わりを示している。大企業では計量経済学の手法やマーケット・リサーチの技法などによって長期計画を立てる社長室(社長の部屋という意味ではなく、社長のブレーンとしての参謀企画室)や総合企画室、未来企画室の設立ブームになった。 このころ経済学者伊東光晴は「思想の言葉」(『思想』1967年11月号

        • 無教養主義に陥る学生たち - にゃんこと黒ラブ

          前回、学力を高めようとしない学生たちの実態を書いた。それは「この商品、いくらまで値引きしてくれますか?」と訊いてくる手ごわい消費者の態度とよく似ている。 70円で買える商品に100円出す消費者はいないでしょう。そんな事をしたら市場原理が崩れてしまう。消費者は同一商品に対しては、最低価格で購入する権利があるだけでなく、そうする義務がある。

            無教養主義に陥る学生たち - にゃんこと黒ラブ
          • 教養主義 - Wikipedia

            教養主義には、これら6つの教養をそれぞれ第一と考える6つの考え方がある。 これらのうち、A1の習得を第一とする立場はあれもこれもと学問、芸術、生活知識などを漁る生き方であり、いわば俗界教養主義と言うべきものである。A2の習得を第一とする立場はリベラル・アーツ主義とも言うべきものである。この場合はB1をも尊重することにつながりやすい。 B1の習得を第一とする立場は人文主義[注釈 5]であり、科学主義[注釈 6]とは対照的立場にある。この場合、学問を第一とすれば、それは主知主義[注釈 7]であり、学問主義(的生活)であって、芸術主義(的生活)や宗教主義(的生活)とは対照的である。B2の習得を第一とする立場は人格主義[注釈 8]である。Bの2つの立場は思想上の教養主義であり、従来とかく問題となってきたのはこの教養主義である。Bの2つの思想は哲学的には理想主義 (アイディアリズム)[注釈 9]、人

            • 教養主義(きょうようしゅぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

              …実利主義的,立身出世的,政治的な明治の〈修養〉概念に対して,大正の〈教養〉には内面的,精神的,非ないし反政治的,人格主義的等々のニュアンスが強く帯びさせられているわけである。これが日本で教養という言葉のもっている歴史的含蓄であるとすれば,教養主義的偏向が強く戒められねばならないのはもとよりであるが,しかし他方,たとえば専門課程と一般教養課程とに分けられている現代日本の大学教育のカリキュラムにおいて顕著に見られる後者の軽視・蔑視などにはその裏返しの傾向も認められる。訳語としての教養という言葉,およびその実質的内容が,いまだ日本では安定を得るほどに深く根ざすにいたっていないということであろう。… 【読書】より …近代初期は,福沢諭吉ら実学的インテリゲンチャの啓蒙思想が勢力をふるい,〈実なき学問〉(《学問のすゝめ》)を排し,経国済民のためとなるような読書が要求された。しかし,明治末期から大正時

                教養主義(きょうようしゅぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
              • 背伸びしすぎな教養主義? フーコーにバタイユ… 司書が「ニュー・アカ」真っ盛りに読んだ数々 本という道しるべ あなたの読書遍歴(7)|文化|地域のニュース|京都新聞

                図書館で必要な本を探す時に頼りになるのが司書の人たち。来館者の読書の案内人として膨大な本に囲まれ仕事している司書だが、自身の読書生活は、どうなっているのだろう。京都府立図書館で司書を務める堀奈津子さんに文学から哲学、美術まで貪欲に教養を追い求める読書通の日々を明かしてもらった。 -図書館では本に囲まれて仕事できてうらやましいです。 「いろんな書棚を見ていると関心の幅を広げてもらえますよね。でも私は高校まであまり本を読んでなかったんです。

                  背伸びしすぎな教養主義? フーコーにバタイユ… 司書が「ニュー・アカ」真っ盛りに読んだ数々 本という道しるべ あなたの読書遍歴(7)|文化|地域のニュース|京都新聞
                • 日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳

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                    日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳
                  • polly越雲龍馬×THE NOVEMBERS小林祐介―〈教養〉主義のバンドマン対談 | Mikiki by TOWER RECORDS

                    宇都宮で結成された4人組バンド、pollyがファースト・フル・アルバム『Clean Clean Clean』をリリースした。バンドのフロントマン、越雲龍馬のフェミニンで繊細なハイトーン・ヴォイスと、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライド、コクトー・ツインズ直系のノイジーかつ耽美的なギター・オーケストレーションが高次元で融合した、これまでの彼らの作品から飛躍的に進化を遂げた本作。しかも、昭和のフォーク・ソングからも影響を受けたという、越雲の書く〈和〉なメロディー・ラインもユニークで、他のシューゲイズ〜ドリーム・ポップ・バンドとは一線を画すオリジナリティーを獲得している。 一方、同郷の先輩THE NOVEMBERSも、昨年リリースしたベスト・アルバム『Before Today』以来となるEP『TODAY』を完成させた。バンドの司令塔である小林祐介の、ソングライティングのルーツともいえるL'A

                      polly越雲龍馬×THE NOVEMBERS小林祐介―〈教養〉主義のバンドマン対談 | Mikiki by TOWER RECORDS
                    • 日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳

                      それではまず、「教養とは何か?」という問題を整理したうえで、次に私が考える「教養」とは何かを論じるところから、この連載を始めたいと思います。 日本語の「教養」は、中国語の同じ「教養」という言葉から来ています。「教」は「教える」で、「養」は「育てる」ですから、直訳すると「教育」ということになります。 中国語の「教養」という言葉は基本的には日本語と同じ意味ですが、「教育」により重きが置かれています。 つまり、高級官僚を登用するための試験制度であった科挙の権威を背景に、四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)を学ぶことや漢詩に通じることなど、幅広い学問分野の知識を獲得することを意味していました。 これに対して、日本語の「教養」は、社会的な素養や品位、人間性の形成など、倫理的な価値観などにより重点が置かれた使われ方をしています。 たとえば、日本語で「あの

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