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日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳
それではまず、「教養とは何か?」という問題を整理したうえで、次に私が考える「教養」とは何かを論じ... それではまず、「教養とは何か?」という問題を整理したうえで、次に私が考える「教養」とは何かを論じるところから、この連載を始めたいと思います。 日本語の「教養」は、中国語の同じ「教養」という言葉から来ています。「教」は「教える」で、「養」は「育てる」ですから、直訳すると「教育」ということになります。 中国語の「教養」という言葉は基本的には日本語と同じ意味ですが、「教育」により重きが置かれています。 つまり、高級官僚を登用するための試験制度であった科挙の権威を背景に、四書五経(「論語」「大学」「中庸」「孟子」「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」)を学ぶことや漢詩に通じることなど、幅広い学問分野の知識を獲得することを意味していました。 これに対して、日本語の「教養」は、社会的な素養や品位、人間性の形成など、倫理的な価値観などにより重点が置かれた使われ方をしています。 たとえば、日本語で「あの