並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 10 件 / 10件

新着順 人気順

爾雅の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 訂正新版 図説 書誌学 [978-4-585-30010-6] - 3,850円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

    有史以来蓄積されてきた「書物」は、人間の英知・思想・思考・情感といった精神活動が、最も明瞭に集約・表出されたかたちで伝承されてきた、学術文芸の遺産である。この「書物」は、なぜここにこのように存在するのか―。「書物」との真摯な対話により、過去から現在、そして未来へと連なる人間の知的営みの一端に自らリンクすることが出来るのである。 昭和35年の開設以来、書誌学の専門研究所として学界をリードしてきた斯道文庫所蔵の豊富な古典籍の中から、特に書誌学的観点から重要なものを選出。豊富なカラー図版・解説を通覧することで、書誌学の理念・プロセス・技術を学ぶことが出来る。巻末には「書誌学用語索引」を附し、レファレンスツールとしても充実。古典籍を知る資料集として必備の一冊。 好評を博した『図説 書誌学』が、装いも新たにここに刊行! 掲載図版270点以上! ※本書は『図説 書誌学』(ISBN:978-4-585-

    • 【16-05】古代中国の祭祀文化をめぐって | Science Portal China

      朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授 中國山東省聊城市生まれ。 2003.09--2006.06 山東大学文史哲研究院 修士 2007.09--2010.09 浙江大学古籍研究所 博士 2009.09--2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員 2010.11--2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員 2011.11--2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長 2013.03--現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授 悠久の歴史を持つ古代中国の祭祀習俗は、中華文明の最も重要な要素の一つである。『国語・楚語』はこう記している。「古者民神不雑。民之精爽不携弐者,而又能斉粛衷正,其智能上下比義,其聖能光遠宣朗,其明能光照之,其聡能月徹之,如是則明神降之,在男曰覡,在女曰巫。是使制神之処位次主,而為之牲器時服,而后使先聖之后之有

      • 安積澹泊・貝原益軒周辺に見える刊本字様「明朝流」という語彙の周辺事情――元禄8年刊『和漢名数大全』「聖堂品々献上目録」は大学頭林鳳岡の目録に依拠か - 日本語練習虫

        現代の日本で「明朝体」と呼ばれ、中国で「宋体」と呼ばれるこの字様・書体の印刷文字は、日本で、いつごろから、どのようにして、「明朝」と呼ばれるようになったのでしょうか。 小宮山博史『明朝体活字 その起源と形成』(グラフィック社、2020)の「明朝体の定着 ―名称と書体」の項に「日本で明朝体という名称がいつ使われはじめ、また定着したのはいつであったのか。調べたいと思っていながらそのままにしています。」と記されているのですが(254-255頁)、仮の起点として、明治8年(1875)に書かれた『東京日日新聞』の本木昌造追悼記事に「漢字は明朝風も楷書も大小いろ〳〵あり」とあるものが嚆矢ではないかとされていました。 小宮山先生から勝手に受け取った「日本で明朝体という名称がいつ使われはじめ、また定着したのはいつであったのか」という宿題について調べ続けているシリーズの、今回は第3回になります。 まずは過去

          安積澹泊・貝原益軒周辺に見える刊本字様「明朝流」という語彙の周辺事情――元禄8年刊『和漢名数大全』「聖堂品々献上目録」は大学頭林鳳岡の目録に依拠か - 日本語練習虫
        • 「日本と中国は、それぞれの『分身』」 大胆な切り口で歴史を描いたベストセラー:朝日新聞GLOBE+

          中国は近代以降の日本をどう描くか。日本留学10年の経歴を持つ李永晶は二つの大胆な切り口でこの難題に挑んだ。一つは、日本は中国の、中国は日本の「分身」という設定、もう一つは戦前と戦後をひと連なりの精神史として描く歴史心理学の手法である。 西洋列強の干渉に対して、日中は東アジアの伝統的王権思想に基づき、尊王攘夷(じょうい)で対処した。日本は明治維新により西洋文明を教師に中華世界から離脱し、攘夷の矛先が転じて征韓論・日清戦争につながった。敗戦を契機に中国の志士たちは、倭寇(わこう)の小国・日本を師事の対象へと転向した。 帝国主義の時代、日本はアジアを舞台に植民地の獲得をめぐって西洋列強と争い、中国を侵略した。日本の第2次大戦敗戦は、植民地帝国という「旧世界」の没落であるにもかかわらず、政治学者の丸山眞男らは西洋中心の近代文明の移植を図り、戦後民主主義が開花した。一方で、王権としての天皇は象徴とし

            「日本と中国は、それぞれの『分身』」 大胆な切り口で歴史を描いたベストセラー:朝日新聞GLOBE+
          • 『漢字文化事典』

            漢字および漢字に関わる事柄に関する特徴や魅力を伝える、中項目主義の事典。編集委員によって厳選された243項目を第一線で活躍する研究者が執筆し、これを十章立てにして構成した。形・音・義といった伝統的な研究項目はもとより、漢字に関わる文献や出版、書道やデザインなどの芸術、そして教育や政策といった諸分野における応用、更にはIT技術との関係など、多岐にわたるテーマを取り上げた学際的な事典である。また、扱う地域は日本国内にとどまらず、広くアジアの漢字文化を視野に入れた章も含まれている。 第1章 漢字の形・音・義 【漢字とは】 漢字はいくつあるのか 「六書」をどう考えるか 漢字の簡略方法 則天文字 外来語の漢字表記 【字体・字形について】 偏旁冠脚 筆順と画数 正字・俗字・古字・別字 書体の変遷:楷書への過程 書体と字体 字源と語源の関係 【字音について】 中国の韻文の押韻と平仄 双声と畳韻 呉音・漢

            • 正名 (思想) - 正名 (思想)の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

              ウィキペディア 索引トップ ランキング カテゴリー 正名 (思想) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 10:24 UTC 版) 藤田幽谷。江戸時代に『正名論』を著した。→#江戸時代 概要 「正名」という語句は、『論語』の中の孔子の教えに由来する。具体的には、『論語』子路篇における、子路と孔子の会話に由来する。 【原文】 子路曰:「衞君待子而爲政,子將奚先?」子曰:「必也正名乎!」子路曰:「有是哉?子之迂也!奚其正?」子曰:「野哉,由也!君子於其所不知,蓋闕如也。名不正,則言不順;言不順,則事不成;事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」[1] 【書き下し】 子路曰く、衛君、子を待って政を為す。子将に奚をか先にせんとす。子曰く、必ずや名を正さんか。子

              • 狸(リ)は狸(たぬき)ではない

                以前、日経新聞の文化欄、「美術になった猫(十選)」というコラムに、宋代の画家、李迪の「狸奴小影図→」が紹介されていた。「題が面白い。猫と書かず狸(たぬき)なのである。漢字のルーツにかかわりがあるのか、それとも子猫のポーズが狸を連想させたからか。奴は家っ子のことで、愛らしいしもべと訳す…」と選者の画家は書いている。 しかし、中国の狸(り)はタヌキではない。野猫である。人家近くで生活していたらしく、非常に身近な獣だったようだ。だからペットとして飼われ、絵になったのがこの「狸奴小影図」なのであろう。家猫ではないから、ちょっと変わった首の長い猫図になっている。 下の絵を見ると猫に見えるから、猫の意味で使われているのかもしれない。しかし、原初はニワトリやアヒルを盗まれた百姓が「貍のやろう(狸奴)!」とののしる言葉だったのではないか。猫という言葉と文字があるのだから。 狸の成獣がどんな形か知りたいもの

                • 辞書とはなにか? いつもわたしたちの身近にある「辞書」の歴史をひもとく|じんぶん堂

                  記事:朝倉書店 文字が出現したことによって、文字表記を知るための辞書が作られることとなった。 書籍情報はこちら 辞書のはじまりは文字の誕生とともに 辞書は文字の誕生とともにその萌芽が見られる。紀元前3400 年ごろに古代メソポタミアにおいて文字が誕生したと考えられているが、ウルク遺跡(ユーフラテス川の下流にある)からはシュメール語(膠着語の一種)の語彙リストが楔形文字で書き記された粘土板が発掘されている。それは、さまざまな日用品名、動物名、職名などの文字表記を知るためのテキスト、いわば表記辞典とでもいえるものである。書記官は行政における文書作成のために専門的な書記法に習熟する必要があり、世襲されていったと考えられる。このように、文字が出現したことによって、文字表記を知るための辞書が作られることとなった。 紀元前2350 年ごろ、シュメール人を駆逐してアッカド王朝が建国されるが、行政のうえで

                    辞書とはなにか? いつもわたしたちの身近にある「辞書」の歴史をひもとく|じんぶん堂
                  • まなざしの論理 theory of Eyes/ まなざしの論理no.14

                    まなざしの論理no.14 対象「a」としての水墨画という大和絵、雪舟論 事実の対象と知の対象★ わたしたち美術家は、視角九〇度の西欧絵画のまなざし、視角四五度の中国山水図のまなざし、視角二二、五度の大和絵のまなざしとして種別化していますが、それはどこまでも制作者のまなざしの種別性です。その制作者のまなざしの種別性が西欧油彩画や中国山水図や大和絵のそれぞれの作品表象に固有な特徴を示しています。その一方で、西欧油彩画は視角九〇度で鑑賞することで制作者のまなざしを把握することができ、中国山水図は視角四五度で鑑賞することで制作者のまなざしを把握することができ、大和絵は視角二二、五度で鑑賞することで制作者のまなざしを把握することができるということです。 sakura takwara sagasi 2017 ここで鑑賞者が発見する西欧絵画、中国山水図、大和絵の制作者の三つのまなざしの違いは一体どこから

                    • 小さな猛禽・モズも求愛期に入る二月。「如月」に込められた本来の意味とは?

                      かわいい姿ですが猛禽です 二月になりました。寒中も終りを告げ、2月4日の立春から暦上では春となりますが、平地や暖地でも積雪が多くなるのはむしろこれから。とはいえ、樹木の花芽も少しずつ大きくなり、近づく春の気配が感じられます。二月は旧暦の和風月名では「如月(きさらぎ)」として知られますが、新暦と旧暦の二月では季節的に時期が異なるため、「きさらぎ」という名称の本来の意味が感じ取りづらくなっているようです。 都市伝説にも登場?和風月名「きさらぎ」考 よく見れば足元には春の気配が 異界に存在する「きさらぎ駅」という、インターネット発祥の怖い都市伝説でも使用された「きさらぎ」という月名。語源には諸説があり定まっておらず、「鬼」という当て字もあったりと、何だかちょっとミステリアスで不穏な雰囲気もあります。 「新暦(グレゴリオ暦)が採用されるまで、日本では十二の月を風情のある名前で呼んでいた」と、歳時記

                        小さな猛禽・モズも求愛期に入る二月。「如月」に込められた本来の意味とは?
                      1