連載「礎の人 ~栄光の前にこの人物あり~」第8回:大矢明彦(後編) 前編はこちら>> 大矢が手塩にかけて育てた谷繁元信はその後、2001年にFA宣言。メジャーも視野にいれながら、結果、中日ドラゴンズに移籍する。すでに大矢が、ベイスターズを退団してから、4年が経過していたが、谷繁はこの恩師に相談の電話をかけてきた。 大矢(右)は、石井琢朗(左)をサードからショートにコンバートした「そこでたいしたことは話していません。ドラゴンズもそんなに(返事を長く)待てないということだったので、『中日で頑張ったらいいんじゃない?』というアドバイスはしました。あとは、彼が中日に行って、自分の力で正捕手として本当に苦労しながら一流の道を歩いて行ったわけです」 話は遡るが、監督時代の大矢が着手をしたのは、内野のコンバート。これも一つの大きな手術であった。サードの石井琢朗をショートに、ショートにいた進藤達哉をセカン