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  • 「孤独死が発生しています」憧れだったマンション群でまさかの掲示 都心の一等地なのに超高齢社会…日本の未来の縮図で起きた悲しい現実 | 47NEWS

    遠藤シマ子さんは、86歳の今も現役のヘルパーだ。毎週2回、早起きしてバスで全身まひの男性宅へ通い、身の回りの世話全般を担当する。帰宅は深夜になることも多い。 東京・新宿区の都営団地「戸山ハイツ」で独り暮らしをしている。総戸数約3千戸の大規模なマンション群は、1960~70年代に建てられた。当時は、好立地や手ごろな価格から爆発的な人気を呼んだが、現在は住民の半数以上が65歳以上の高齢者とみられている。都心に生まれた局所的な「超高齢社会」。遠藤さんは昨夏、友人を失った。孤独死だった。「明日はわが身だわって思ったの」。日本の「未来の縮図」のような場所で今、何が起きているのか。(共同通信=鷺沢伊織) ▽70年代は入居時に抽選、1500倍 戸山ハイツは、JR新宿駅の北東約2キロの地点にある。戦後の住宅難を解消するため、GHQの提唱によって旧陸軍の学校跡地に平屋が建てられた。その後、中高層住宅への建て

      「孤独死が発生しています」憧れだったマンション群でまさかの掲示 都心の一等地なのに超高齢社会…日本の未来の縮図で起きた悲しい現実 | 47NEWS
    • 【高齢窃盗団 コードネームは "G3S" (じいさんず) 】88歳・70歳・69歳の3人組で"空き屋"専門の盗みを繰り返す 刑務所で服役中に知り合い役割分担 ネックレスなど100万円相当を盗んだ疑い

        【高齢窃盗団 コードネームは "G3S" (じいさんず) 】88歳・70歳・69歳の3人組で"空き屋"専門の盗みを繰り返す 刑務所で服役中に知り合い役割分担 ネックレスなど100万円相当を盗んだ疑い
      • 理不尽に激怒する《世田谷じいさん》急増の怪…「コロッケ無料で寄こせ!」「ここの唐揚げは固いんだよ!」世田谷区民が恐怖した体験談(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

        「井上さん、保険証を出していただけますか?」 「えっ?さっき僕は出したんだよ!」 酷暑の朝、東京・世田谷区内にある病院の待合室で本誌記者が目撃したのは、杖を突きながら歩く80代と思しき男性、井上夏雄さん(仮名)の激怒である。 【マンガ】港区での「憧れのタワマン生活」が一転…!残酷すぎる「格差の現実」 病院内では多くの人が静かに座っており、その中で怒声が響き渡った。怒りは収まる気配がなく、「僕はね、保険証は出したんだよ!」と何度も言い、受付の看護師は再度出していただく必要があると繰り返す。 近くにいた息子らしき中年男性が駆け寄り、持っていた保険証を慌てて出した後、井上さんは憤懣やるかたない面持ちで記者の隣に座った。 そして、「保険証は出したんだけどね!」と記者に話しかけてきたので、自分には落ち度がないと主張しているように思える。それを見た中年男性は申し訳なさそうに会釈した――。 いま、東京・

          理不尽に激怒する《世田谷じいさん》急増の怪…「コロッケ無料で寄こせ!」「ここの唐揚げは固いんだよ!」世田谷区民が恐怖した体験談(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
        • 2000年前のキケロ「老年論」に驚かされるばかりだった。

          キケロ ある日おれは、図書館でキェルケゴールとキケロの本を借りた。なんの意図もない。なんとなく「き」が気になったからだ。そういう日もある。 キケロの名前は聞いたことがあるだけで、何時代の何人かも知らなかった。 マルクス・トゥッリウス・キケロ – Wikipedia マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日- 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者である。 そうか、そんな時代の人だったか。おれは大学受験のために中学から世界史を優先して学ばされていたが(公立校の人は日本史に時間をとっているため、受験のときにライバルが少ないはず、という学校の方針)、なるほど三十年も経つとなにも覚えていない。 いずれにせよ、紀元前の人物だ。そのころ、日本人はなにをしていたのだろうか。こういう疑問をいだいた

            2000年前のキケロ「老年論」に驚かされるばかりだった。
          • 俺の人生にも「宇部新川駅」みたいな場所が欲しかったな

            最後の最後に「ここが俺のホームなんだよ」と紹介できるような場所。 もうどこにもない場所というわけでもなく、最初からどこにもないんだよ。 物心ついた辺りからずっとマンガとゲームばっかりでさ、リアルでの思い出が希薄なんだよ。 ふと思い出せる場所といえば、今はもう潰れたトイザらスのあったビルぐらいだ。 科学博物館みたいなのが併設されて、親がよく連れてってくれた。 屋上のレストラン街ではいつも同じ店で飯を食った。 コースの最後に食べるアイスが好きでさ、店の自家製だったのか外国から取り寄せてるのか、ちょっと変わった味がするんだ。 ある程度大きくなった後は一人でも行ったけど、下のゲームショップでデモ筐体を遊んでばかりいた気がする。 ビルは残ってるけどもうあの頃の店は全部潰れてる。 3階ぐらいの所に庭みたいな空間があってさ、実際には2階建て駐車場の屋上庭園なんだろうけど、そこにマックがあったんだけどさ、

              俺の人生にも「宇部新川駅」みたいな場所が欲しかったな
            • ともしび日記 8月3日|安野モヨコ

              ニュースでみた方もいると思うけど 監督が骨折してしまった。 今は複雑骨折、と言う言い方はせず 粉砕骨折か開放骨折という言い方になるそうだが その分類で言うと粉砕骨折と言う事になる。 開放骨折とは皮膚を突き破って骨が出てしまったものを 言うらしい。 幸い監督の骨はそこまでアクティブな動きはみせていなかったが レントゲン写真だと、脛の骨の下のほうと 足首のジョイント部分の骨のどちらもが ジグザグ模様のように大きくひび割れて脱臼していた。 折れたというより割れたと言うほうが しっくりくる状態だ。 それにしてもどうしてこのような怪我をしたのか?

                ともしび日記 8月3日|安野モヨコ
              • 衝撃..なんと認知症の義母79歳、知らぬまにわんこを飼いだしてた→「どうやってお世話するんだ…」「寂しかったのかな」

                てんねんDr. @adhdsavetheplan 主に小児ADHDのことを発信します。議論はしません。当事者ご本人やご家族の心情に差し障る攻撃性の高い方などは制限させていただきます。 てんねんDr. @adhdsavetheplan 【認知症】衝撃..なんと義親79歳、知らぬまにわんこを飼いだしてた。しかも私たちから隠そうとしていたのか、2階の空き部屋でこっそりとだったので、1ヶ月も前からいたらしい。

                  衝撃..なんと認知症の義母79歳、知らぬまにわんこを飼いだしてた→「どうやってお世話するんだ…」「寂しかったのかな」
                • 「うまく飲み込めない」高齢者の熱中症対策 水に“とろみ”を | NHK

                  「熱中症を防ぐため、こまめな水分の補給が必要」 このことば、連日耳にしますよね。 でも、うまく飲み込めずに気管に入ってせきこんでしまうのが心配で十分飲めない、という人も、特にお年寄りには少なくないんです。 「誤嚥」が気になる人の水分補給はどうすればいいのか、専門家に聞きました。 のどの渇き感じにくく むせるのを嫌うケースも お年寄りは熱中症にかかりやすいとされ、総務省消防庁によりますと、ことし4月末から6月までに全国で熱中症で搬送された人のうち、半数余りの57.5%に上ります。 熱中症を防ぐために、こまめな水分の補給が必要ですが、東京医科歯科大学の戸原玄教授は、年をとるにつれて、のどの渇きを感じにくくなり摂取のタイミングが遅れるほかに、飲み込む際に気管に入ってむせることを嫌い、水分を取るのを避けるケースもあると指摘しています。 戸原教授によりますと、口の中に入れたものを飲み込む際、誤って気

                    「うまく飲み込めない」高齢者の熱中症対策 水に“とろみ”を | NHK
                  • 総合馬術は「初老ジャパン」と呼ばれているが、馬術界の実態をみると"初老"どころの話ではないとわかる

                    you1 @you1 総合馬術が「初老ジャパン」と呼ばれている(チーム内でそう決めた)のですが、ロンドン五輪に史上最高齢で出場した法華津寛さんは81歳の今もなお現役。そして日本馬術連盟の会長である千玄室さんは御年101歳です。初老どころじゃねえんですわ。 リンク Wikipedia 法華津寛 法華津 寛(ほけつ ひろし、1941年3月28日 - )は、東京府出身の日本の馬術選手、実業家。アバロン・ヒルサイドファーム所属。 武蔵中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本石油に入社。 法華津が馬術を始めたのは12歳の時にサマーキャンプで馬に乗ったのがきっかけで、元外交官で極洋捕鯨の社長だった父親に頼んで、一部特権階級だけが入会を許されていた東京乗馬倶楽部に加入。学生時代から選手として数々の大会に出場した。1964年に開催された東京オリンピックに出場し、障害飛越個人40位、同団体

                      総合馬術は「初老ジャパン」と呼ばれているが、馬術界の実態をみると"初老"どころの話ではないとわかる
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