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赤軍の検索結果1 - 17 件 / 17件

  • 独ソ戦に関する映画:興行収入TOP5は

    ソ連の女性パイロットたちはドイツ空軍のエースとどう戦ったのか?あるソ連の司令官はどうやって200人のユダヤ人を死の淵から救ったのか?これらの映画を鑑賞して答えを見つけよう! 1/ 『Т-34』(邦題は『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』)(アレクセイ・シードロフ監督、2018年)興行収入:23億ルーブル(2500万㌦) ドイツ、1944年。ドイツ軍司令部は、鹵獲した赤軍の兵器を使って、戦車兵を訓練することにした。捕虜となったソ連の戦車兵には、戦車「T-34-85」が与えられ、演習場に送られて、そこで標的となるはずだった。しかし、兵士たちはそんな運命はご免で、逃亡を決意した…。 俳優アレクサンドル・ペトロフは、主役であるニコライ・イヴシキン中尉の役づくりについて、こう振り返っている。 「『T-34』の撮影前に、ごく狭い部屋を数週間借りて、戦時中の写真で壁面をすべて覆った。戦士、捕虜、占領下

      独ソ戦に関する映画:興行収入TOP5は
    • 奥貫薫の学歴・経歴・生い立ち|高校時代にアイドルデビューし短大時代にCMで注目

      東京出身の女優でドラマ、映画、舞台と幅広く活躍する奥貫薫さん。 この記事では奥貫薫さんの学歴、経歴、生い立ちや、デビューのきっかけ、夫や子供について紹介しています。 奥貫薫の経歴・プロフィール 奥貫薫の経歴・プロフィール 名前   奥貫薫 生年月日 1970年11月22日 出身   東京都 身長   157cm 血液型  A型 所属   クォータートーン 奥貫薫の中学校 奥貫薫さんの出身中学校は 三輪田学園中学校 (偏差値52) 東京都生まれ。父親は滋賀県立大学名誉教授の奥貫隆さん。3歳年下の弟がいる2人兄弟の長女。 出身小学校は不明。一部では小学校に入学する時に埼玉県所沢市に引っ越し、中学校に入学する時に東京に戻って来たとの情報もありました。 小学生の時には学級委員をやっていたといいます。 中学校は三輪田学園中学校に入学。東京都千代田区九段北3丁目に私立女子中学校。 1887年(明治20

        奥貫薫の学歴・経歴・生い立ち|高校時代にアイドルデビューし短大時代にCMで注目
      • なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか「納得の理由」(現代新書編集部)

        いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。 日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が8刷とヒット中、普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。 全体主義が浸透した学校の罪と罰 学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。 こういったことは、学校以外の集団でも起こる。 たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教

          なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか「納得の理由」(現代新書編集部)
        • 辻元清美女史とリベラルの復権その他で対談をしたんですが、話が噛み合いませんでした - 無縫地帯 山本一郎ブログ

          辻元清美女史とリベラルの復権その他で対談をしたんですが、話が噛み合いませんでした 2014.12.02 辻元清美女史と対談をさせていただく機会がありまして、率直にネットでの風評や政治家としての考えなども伺ってみたのですが、思った以上に興味深いお話がたくさん聞けましたのでお裾分け。 山本一郎です。先日は学生さんに席を譲られるなど老人くささを炸裂させておりますが、まだ41歳厄年です。 ところで、先日茂木健一郎先生と噛み合わない議論]をしたり、[http://rick08.hatenablog.com/entry/2014/08/26/225002 長谷川豊とも噛み合わず]にいたところ[http://homepage3.nifty.com/jiyujoho/urak14.htm 裏紅白で相撲を取ることになるなど、さんざんな一年を送っているわたくしでありますが、ご縁があり、一部ネットではダークアイ

          • 「蓮舫赤軍」らの選挙妨害が過激化

            選挙妨害が過激化しています。とうとう小池百合子知事の演説が中断するという事態にまで発展してしまいました。 新宿バスタ前の小池百合子街頭演説。演説する小池百合子の近くで蓮舫赤軍による「辞めろ」のシュプレヒコール。確か単独のヤジはセーフでもシュプレヒコールはアウトじゃなかったっけ?これが検挙されないなら、何でもアリだろ。これ蓮舫陣営に警告出せよ!で検挙しろよ!pic.twitter.com/XxMNIBbEIg — また正義が勝ってしまった! (@Schwalbe_Kikka) July 5, 2024 なにこれ? 「小池さんの演説が中断した!民衆の怒りが~!」とか誇らしげに宣言してるが、ヤカラによる選挙妨害そのものじゃないか。まさに「こんな人達に負けてはいけない」そのものですよ。pic.twitter.com/jGeY51AM0f pic.twitter.com/SfeJZxHT8I — 丹

              「蓮舫赤軍」らの選挙妨害が過激化
            • 松房子|「ゲバルト:制度の暴力に対する抵抗の変遷」 – artscape

              会期:2024/5/18~2024/6/16 会場:東京日仏学院、CAVE-AYUMI GALLERY、神楽坂セッションハウス 2Fギャラリー[東京都] 公式サイト:https://gewaltdantai.com/ja/「ゲバルト」展/ 太湯雅晴の《立て看 パビリオン》を横目に通り過ぎ、エントランスのドアを押す。一時的に野外彫刻と化した立て看は、歩きながら眺めたり、立ち止まったり、立ち去ったりしてもよい強制力のなさがよいと思う。 有事の際にはシールドとして、文字通り大学と学生のはざまに立つだろう「タテカン」から始まるゲバルト展は、「制度の暴力の中で特定の芸術形態がどのように発展していくか」「革命的な闘争における芸術の役割」を問うという。東京日仏学院とCAVE-AYUMI GALLERYを主な開催場所とし、それぞれに14作家、2作家が出品した。 中に入ってハンドアウト2種をもらう。入口脇に

              • 『ポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約こそが日本国の国体・国是。』

                ・大東亜戦争肯定論=日米離反こそ愛国、アメリカを憎め!というプロパガンダ 毎年、夏になると「近代史の真実」として「日本の歴史教育は自虐史観だ」という共産党の反米プロパガンダが大音量で鳴り響く。 民族派右翼のこの大東亜戦争肯定論は日本国民から史実に基づく帰納を溶解する毒薬。困ったことに日本国民の大半は哲学音痴、歴史音痴なのでこれが共産党別動隊の反米プロパガンダだと見抜いている人は少ない。 中川八洋(nakagawa yatshiro)、曽野明(sono akira)、栗栖ひろ臣(kurisu hirohomi)、竹之下義也(takenoshita yoshiya)などごくわずかな保守主義者のみがその叡智と聡明さから否定されていた。 (これら四方、尊敬する心の師ですが僭越ながら敬称を省略させて頂いております。) これらは日本人を「反米民族主義」へと駆り立てて、日米離反をしたいだけのロシアや中国

                  『ポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約こそが日本国の国体・国是。』
                • マンガの線――「描く」行為を見ること:「浦沢直樹の漫勉」を出発点に - メディア芸術カレントコンテンツ

                  メディア芸術領域の現状をより深く、広く伝えるため愛称を「MACC」とし、総合的な広報用ウェブサイト「メディア芸術カレントコンテンツ(MACC)」として令和5年2月13日リニューアルオープンしました。 (https://macc.bunka.go.jp/) 当サイトは、これまでの記事をアーカイブとして掲載しています。 第25回メディア芸術祭賞では、エンターテインメント部門の大賞にNHK Eテレの「浦沢直樹の漫勉neo ~安彦良和~」が選出された。「漫勉neo」は2014年からスタートしたテレビ番組「漫勉」シリーズのひとつで、マンガ家の浦沢直樹がゲストのマンガ家の制作現場に密着するドキュメンタリー番組である。なかでも、それぞれのマンガ家が実際に「描く」過程をじっくりと視聴者に見せることが特徴となっている。本稿では、「漫勉」を中心に、今、人々がどのようにマンガの線を「描く」行為を捉えているかにつ

                    マンガの線――「描く」行為を見ること:「浦沢直樹の漫勉」を出発点に - メディア芸術カレントコンテンツ
                  • NIDSコメンタリー 第337号

                    NIDSコメンタリー 第337号 2024年7月12日 ノモンハン事件から85年、関東軍が陥った意思決定の陥穽とは? —— 社会心理学における「集団浅慮」の観点から 戦史研究センター戦史研究室 三井 英隆 はじめに 今年、85年を迎えたノモンハン事件は、本来、モンゴル人民共和国との国境線をめぐる争いにすぎなかったが、第一次世界大戦において、国力を総動員して戦う「総力戦」を経験しなかった日本陸軍にとって、初めての本格的な近代戦となり、約2万人の死傷者が発生した。そのため、現在においても、日本陸軍の作戦における失敗事例としてのイメージが強い。「泣く子も黙る関東軍」と言われ、優秀な将校が集まっていたにもかかわらず、なぜこのような結果になってしまったのか。 米国の社会心理学者アーヴィング・ジャニス(Irving Janis)は、1961年の米国によるキューバ進攻等について、なぜ当時の大統領と優秀な

                    • クズマ・デレビヤンコ - Wikipedia

                      太平洋戦争を公式に終結させた短い式典で、ソビエト連邦を代表するデレビヤンコ中将は、戦艦ミズーリに乗って降伏の文書に署名した。 クズマ・ニコラエヴィチ・デレビヤンコ Kuzma Nikolayevich Derevyanko (ウクライナ語: Кузьма Миколайович Дерев'янко、ロシア語: Кузьма́ Никола́евич Деревя́нко、Kuzma Mykolaiovych Derevyanko、1904年11月14日 - 1954年12月30日)は、ウクライナの軍人。ソ連軍中将。ジェレヴャンコとも表記。 生涯[編集] デレビヤンコは1904年11月14日にロシア帝国(現ウクライナ)キエフ県、Umansky Uyezd、Kosenivkaの村に生まれた。 1945年4月赤軍を指揮しウィーン攻勢、5月8日にドイツ軍が無条件降伏、6月5日にベルリン宣言により

                        クズマ・デレビヤンコ - Wikipedia
                      • 九州の朝課外や福岡県立修猷館高校、筑紫丘高校の恫喝校歌指導(応援歌指導)など

                        福岡県立修猷館高校の校歌指導(応援歌指導) このまとめは、下記の埼玉県立浦和高校についてのTogetterから九州の高校に関連する部分を抜き出し、九州関連ツイートを大幅に追加したものです。 まとめ 【暴力かパワハラか】埼玉県立浦和高校・今も続く恫喝校歌指導について 共学化か別学維持かに揺れる埼玉の公立トップ高、埼玉県立浦和高校(男子校)ですが、入学式翌日に新入生から十数名を見せしめに選んで、真っ暗な体育館の中で数時間罵倒し続ける「伝統行事」があります。見せしめに選ばれた新入生に一人ずつスポットライトを当て、竹刀で床をバシバシ叩いて威圧する上級生が取り囲み、泣くまで怒鳴りつけ罵声を浴びせ自己否定と謝罪を絶叫させ、全新入生の前でステージ前で正座(年によっては起立)させ、歌詞カードを渡して、行事の終了時刻も伝えないまま、行事が終わるまでに校歌・応援歌(合計で8曲ぐらい)を暗記させ歌わせる(叫ばせ

                          九州の朝課外や福岡県立修猷館高校、筑紫丘高校の恫喝校歌指導(応援歌指導)など
                        • 【日本雑学】ポーランド孤児を世界で唯一救った100年前の日本の誉れとは? | keriブログ

                          今回紹介するのは100年前の日本がポーランド孤児をシベリアから救出した話です。 ポーランドでは結構知られた話として有名です。 でも私も含め知らない日本人が多いのではないでしょうか? ポーランドの人々は知っているのに、日本人が知らないのはなんだかさみしいですよね。 資料も豊富には残っておらず、当時救助されたポーランド孤児の人々も亡くなってしまいました。 それでもポーランドの人々は子どもへ伝え、孫に伝え、日本との絆の歴史を紡いできてくれました。 ぜひこの機会に歴史に埋もれた100年前の日本の功績を知ってもらえたら幸いです。 ※注意点※ イラストはすべてAI技術を用いて筆者が作成した完全なオリジナルイラストです。 それ以外の写真などは実際の写真を引用サイトから使用しています。 オリジナルイラストはあくまで筆者が作成したものであり、その人や建物に対して忠実なものではない場合があります。 ポーランド

                          • 映画「ゲバルトの杜―彼は早稲田で死んだ」に寄せて - ynozaki2024の日記

                            この小文は、映画『ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ』が特別先行上映として、2024年5月5日に早稲田奉仕園スコットホールにて上映された際に、会場で配布されたものである。 会場には約140人ほどが集まり、用意した70部が払底した。上映後に何人もの参加者から要望があったので、ここに掲載する。 会場では原作者の樋田毅氏、監督の代島治彦氏、劇パート演出の鴻上尚歴史氏によるシンポジウムも行われ、関係者と云う事で私を含めて4名がそれぞれ短いスピーチを求められた。それは当日急に言われたので、この小文に書いた事を話した。好評を博したようで、中には早大生とそのご両親がやって来て立ち話になったりした。感想等のメールも数日以内に多くあった。 (この映画そのものは、2024年5月下旬から公開されるので、ご関心のある向きは足を運んで頂ければ幸いです。) 映画「ゲバルトの杜―彼は早稲田で死んだ」に寄せて ―あの時代の

                              映画「ゲバルトの杜―彼は早稲田で死んだ」に寄せて - ynozaki2024の日記
                            • 山本直樹、仙川での40年。唯一無二の漫画家が見てきた街の移り変わり|さんたつ by 散歩の達人

                              —— 大学周辺で行ってらっしゃったお店はありますか。 山本 居酒屋の「呑兵衛」かな。高田馬場に東京ヴォードヴィルショーの事務所があって、柴田理恵さんとかも飲んでたらしいです。 —— 『レッド』では連合赤軍を描かれていましたが、当時の早稲田は? 山本 僕が入ったころは全く。タテカンとかは並んでましたけど。 —— ご自身は? 山本 ノンポリです。モダンジャズ研究会に入ってました。 —— ライブはどちらで。 山本 リサイタルを年に1回。九段会館の横の千代田区公会堂かな。 —— 割と大きいホールですよね? 山本 そうですね、1年の時の司会はブレイクしたてのタモリさんでした。10年先輩なんです。60周年のリサイタルをやった時もタモリさん出ました。重鎮です。 —— 新井薬師前のあと、福生の米軍ハウスに住まれたとか。 山本 知り合いの女性が出る入れ替わりで。当時ハウスは借りにくくなってて、誰かの後釜とい

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                              • 「パレスチナ解放闘争史」書評 「ここ」と「よそ」の間を見つめる|好書好日

                                「パレスチナ解放闘争史」 [著]重信房子 映画作家のゴダールは、かつてパレスチナで解放闘争を続ける戦士たちの映画を作ろうとして挫折し、そのことを踏まえて映画『ヒア&ゼア・こことよそ』を発表した。「ここ」が平穏なパリで「よそ」が流血のパレスチナを指す。このような落差が抱える困難は、現在イスラエル「と」パレスチナのあいだで起きている凄惨(せいさん)極まりない事態に、わたしたちがどう向き合うかについても、まったく同様だろう。 肝心なのは、これらの「と」をめぐって過去になにがあったか「知る」ことだ。本書は現在、両者のあいだで起きていることを、かつて日本赤軍最高幹部としてパレスチナ解放闘争に参加した立場から「味方の側の決して美しくないあやまちや事実も含めて」欧米やアラブ諸国、旧ソ連から現ロシアに及ぶ、より大きな世界的構図から可能な限り詳細に綴(つづ)る。 だが「読書」には適さないこのような「通史」を

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                                • 【連載版】もしも田中角栄がヒトラーに転生したら - 第14話 聖者と俗物

                                  ソビエト連邦外相、ヴャチェスラフ・モロトフは扉の前で大きく深呼吸をした。だが、繰り返せば繰り返すほど、全身に汗がにじみ出る。 もうかつてとは違うんだ。そう自分に言い聞かせるが、どうしても血なまぐさい記憶が蘇ってくる。 クレムリンの書記長執務室。この部屋で、あばたの男は数多の国民を凍土に送り込こむことを決めた。いや、シベリア送りならまだマシだった。記録にさえ残らず、人知れぬ間に銃殺されていたり、拷問で廃人になったりした数多の例をモロトフは知っていた。 「鉄の男」の機嫌を損ねれば、モロトフのような高官でさえも命は危うい。この部屋の前に立つと、そんな地獄のような時代が思い出されてくる。 「昔が忘れられませんか」 背後には、襟に星を付けた軍服を嫌味なく着こなす男がいた。 ミハイル・トゥハチェフスキー。四十七歳という若さにして、その天才的戦略家ぶりから元帥という頂きに上り詰めた「赤いナポレオン」。N

                                    【連載版】もしも田中角栄がヒトラーに転生したら - 第14話 聖者と俗物
                                  • 雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/「女」を背負って殺された彼女 ~ジェンダーの視点から読み解く、半世紀前の連合赤軍事件/イミダス

                                    「今年はなんの年?」 そう聞かれたら、あなたはなんと答えるだろう。 戦後77年。コロナ禍3年目。そうして令和4年。いろいろな言い方があるが、私にとって今年は「連合赤軍事件から50年」の年である。 事件についてはのちに触れるが、そんな節目の年の2022年5月、元日本赤軍最高幹部の重信房子氏が20年の刑期を終えて出所したニュースが大きく報じられた。同年同月、やはり半世紀前、早稲田大学で学生が殺された事件を描いた樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋、2021年)が大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。さらに6月、連合赤軍事件で犠牲となった遠山美枝子氏について書かれた江刺昭子著『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』(インパクト出版会、2022年)も出版された。 と書いても、「なんのこと?」と思う人が大半だと思う。全部わかるという人は、アラ古希(アラウ

                                      雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/「女」を背負って殺された彼女 ~ジェンダーの視点から読み解く、半世紀前の連合赤軍事件/イミダス
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