並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 14 件 / 14件

新着順 人気順

酒宴 沼田の検索結果1 - 14 件 / 14件

  • 偽日記@はてなブログ

    ⚫︎連続講座の第一回である前回のマティスとピカソ回は、スライドが200枚ちょっとで三時間くらいだったが、今回は、桂離宮の庭園にかんするスライドだけで250枚くらいになった。 (今のところ、論文「透明性―虚と実」の解説→論文外の具体例の提示→セザンヌの作品の分析→小津安二郎と成瀬巳喜男の特定場面の空間分析と比較→桂離宮庭園回遊について、という流れで――これらすべてに関連がある――スライドが約400枚になっているが、これでも、やろうと考えていることのまだ半分くらい。) とはいえ、桂離宮については、(柄沢さんへの恩返しという意味でも)ちゃんと考えないといけないとずっと思っていたので、この講座を機会にして、その第一歩に手をつけることができた感じ。 (追記。桂離宮は、庭園だけでなく、書院群の建築の外観も超絶的に美しくて、おそらく内部空間も面白いに違いないと思うのだが、一般の人=ぼくでは、中には入れて

      偽日記@はてなブログ
    • 瞽女 - Wikipedia

      葛飾北斎『北斎漫画』第8編(文政元年〈1818年〉刊)15丁に「肉障(あきめくら)[注 1]」の題で掲載されている瞽女の顔。左列の4人と中列の右上以外の3人、計7人が瞽女。それ以外は座頭。 盲女(ごぜ) / 黒川真道編纂『日本風俗図絵』第3輯(1914-1915年〈大正3-4年〉刊行)に掲載の一図。大尽(だいじん)(富豪、あるいは、遊廓で大金を使う客。)の酒宴に招かれた3名の瞽女が、舞踊を披露する舞子(まいこ)(舞妓。※この図の左ページに描かれている。)と気を合わせて箏や三味線を爪弾いている。ここでの彼女らは流行りの髪型と豪奢な着物で美しく装っている。 瞽女(ごぜ)は、目明きの手引きに連れられて、三味線を携えて僻陬の村々を唄をもって渡り歩いた[1]日本の女性の盲人芸能者[2]を意味する歴史的名称。その名は「盲御前(めくらごぜん)」など、中世以降の貴族などに仕える女性の敬称である「御前」に由

        瞽女 - Wikipedia
      • Dead Writers Society 死せる作家の会 あの人は今……死んでから何年?

        あの人は今……死んでから何年? ~参考文献~ 岩井寛編『作家の臨終・墓碑事典』東京堂出版,1997.6.10 『広辞苑・第五版』岩波書店,1998 市古貞次編『日本文学大年表・増補版』おうふう,1995.4.25 日本近代文学館編『日本近代文学大事典』講談社,1992.2.28 『増補改訂・新潮日本文学辞典』新潮社,1988.1.20 『著作権台帳・第23版』(社)日本著作権協議会監修,1995.10 この情報については何も保証いたしません。どの事典にも間違いはそれなりに……が、間違い、追加等ありましたら、お気軽に earthian@tama.or.jpまでどうぞ。 著作権が失効(昭和二十八年までに逝去)の作家は青空文庫のリストをどうぞ。 昭和二十三年(1948) 高須芳次郎(1880.4.13~1948.2.2)「」「」 菊池寛(1888.12.26~1948.3.6)「」「」 千家元麿

        • 滝川一益 - Wikipedia

          滝川 一益(たきがわ かずます / いちます、旧字体:瀧川 一益󠄁)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老であり、主君・織田信長に従い、天下統一に貢献した。 出自と名前[編集] 父は近江国甲賀郡の国人・滝川一勝もしくは滝川資清といわれているが、どのような人物であったかは定説を見ない。また、兄として高安範勝が挙げられることもあるが、一族(父の従兄弟)とする系譜もある。また、池田恒興と同族(従兄弟)とされる場合もある[注釈 1]。更に中村一氏は甲賀二十一家の一つ・滝氏の出身ともいわれ一益の同族とする説もある。また、忍者であったという説もあるが、これも明確な根拠があるものではない。甲賀郡に対する文書で「大原」同名中の「滝川氏」として動いているものがある[3][4]。 また、一益以前から滝川氏は尾張国に在住していたとする説もあり、山科言継の日記『言継卿記』に、天文2年(1

            滝川一益 - Wikipedia
          • 畠山重忠 - Wikipedia

            畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。 源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて一族もろとも滅ぼされた(畠山重忠の乱)。館は、鎌倉筋替橋の東南。 存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。 生涯[編集] 頼朝への臣従[編集] 畠山氏は坂東八平氏の一つである秩父氏の一族で、武蔵国男衾郡畠山郷(現在の埼玉県深谷市畠山)を領し、同族には江戸氏、河越氏、豊島氏などがある。多くの東国武士と同様に畠山氏も源氏の家人となっていた。父の重能は平治の乱で源義朝が敗死すると、平家に従って20年に亘り忠実な家人として仕えた。 治承4年(

              畠山重忠 - Wikipedia
            • 単語家族 和語編

              【体】 <み> 中身 身 み 禊 みそぎ =身そそぎ 自 みずから =身つから 蛻 もぬけ =身脱げ 幹 みき =身木 孤児 みなしご =身無し子 実 み 実る・稔る みのる =実成る 耳 みみ 顔についている実のような形のもの 木菟・角鴟 みみずく =耳付く。耳のような羽毛があることから。 空しい・虚しい むなしい =実無し 骸・躯 むくろ =みから(身幹) みすぼらしい みすぼらしい =身+すぼむ+らしい。身が細くて貧弱。 のみ のみ =~の身。そのこと一つに限る意を表す助詞。「学生のみ」等。 <から> 外殻 殻 から 体 からだ 亡骸 なきがら 空 から 外側だけで、中身は空 空っぽ からっぽ 軽い かるい からになって、軽くなる 軽やか かろやか 軽んずる かろんずる 枯れる かれる 死んで、からになる 枯らす からす 殺す ころす 「枯らす」の転 木枯・凩 こがらし 尽れる・末枯

              • 足利義昭 - Wikipedia

                足利 義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府の第15代(最後の)征夷大将軍(在職:1568年〈永禄11年〉- 1588年〈天正16年〉)[4][5]。 父は室町幕府の第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義輝は同母兄。 概要[編集] 足利将軍家の家督相続者以外の子息として、慣例により仏門に入って、覚慶(かくけい)と名乗り、一乗院門跡となった。 兄・義輝が永禄の変で三好三人衆らに殺害されると、細川藤孝ら幕臣の援助を受けて南都から脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗る。その後、朝倉義景の庇護を受け、義昭に改名した。 そして、織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍に就任した。その後、信長と対立し、武田信玄や朝倉義景、浅井長政らと呼応して信長包囲網を築き上げる。一時は信長を追いつめもしたが、やがて京都から追われ、一般にはこれをもって室町幕府の滅亡とされている。 しか

                  足利義昭 - Wikipedia
                • 銀河戦国群雄伝ライ - Wikipedia

                  『銀河戦国群雄伝ライ』(ぎんがせんごくぐんゆうでん ライ)は、真鍋譲治の漫画、またそれを原作としたテレビアニメ。 概要 『月刊コミックコンプ』(角川書店)で1989年11月号から1993年1月号まで、『月刊電撃コミックガオ!』(メディアワークス)で1993年2月号から2001年11月号まで連載された。単行本は全27巻まで発行され、後に『月刊電撃コミックGAO!』2003年2月号別冊付録である『銀河戦国群雄伝ライ 異聞』も単行本化された。 また、作者自身の手によって本作の二次創作同人誌化も行われている。その内容は性的なものがほとんどだが本編とリンクしているものも多く、特に「ライと正宗が肉体関係を持つ」という内容のものは前述の「異聞」と本編をつなぐミッシングリンクとして扱われている。 作品解説 神聖銀河帝国皇帝であった光輝帝が崩御したことにより帝政が崩壊する。多数の軍閥による権力抗争が始まる中

                    銀河戦国群雄伝ライ - Wikipedia
                  • 関東大震災 : なぜ、金田は朝鮮人が放火したと考えているか : 在日朝鮮人から見た韓国の新聞

                    新米帰化人です。 在日朝鮮人の3世として生まれ親戚に本当の日本を伝えるために 帰化を遅らせてきましたが、無事、帰化する事になりました。 南朝鮮新聞は独特のウラ読みがあります。 それを正しい歴史認識とともに帰化人の視点から書いて行きたいと思います。 時々、ハングル併記もしたいと思います。 今から40年以上前、父に連れられていわゆる顔役の人のところに挨拶に行った事があります。70代後半のその人を含めていわゆる私たちの中では顔の通った人たちでした。 以前、少し書きましたが金田の家系は族譜の長でもあり、金田はそこの嫡男ですから、まぁ、今でいう期待の星だったワケです。父は日本に同化する事を選び金田にもそれを望んだのでしょうが、自分の出自に対する誇りと若さ故の反抗が相まって、当時としては珍しく金田は南朝鮮への留学を選び、そして兵役にも就こうというバリバリの左派へと突き進んだのです。 父はそんな私を諌め

                      関東大震災 : なぜ、金田は朝鮮人が放火したと考えているか : 在日朝鮮人から見た韓国の新聞
                    • 坂口安吾 二流の人

                      天正十八年、真夏のひざかりであつた。小田原は北条征伐の最中で、秀吉二十六万の大軍が箱根足柄の山、相模の平野、海上一面に包囲陣をしいてゐる。その徳川陣屋で、家康と黒田如水が会談した。この二人が顔を合せたのはこの日が始まり。いはゞ豊臣家滅亡の楔が一本打たれたのだが、石垣山で淀君と遊んでゐた秀吉はそんなことゝは知らなかつた。 秀吉が最も怖れた人物は言ふまでもなく家康だ。その貫禄は天下万人の認めるところ、天下万人以上に秀吉自身が認めてゐたが、その次に黒田如水を怖れてゐた。黒田のカサ頭(如水の頭一面に白雲のやうな頑疾があつた)は気が許せぬと秀吉は日頃放言したが、あのチンバ奴(め)(如水は片足も悪かつた)何を企むか油断のならぬ奴だと思つてゐる。 如水はひどく義理堅くて、主に対しては忠、臣節のためには強いて死地に赴くやうなことをやる。カサ頭ビッコになつたのもそのせゐで、彼がまだ小寺政職といふ中国の小豪族

                      • ヒグマの血を満身に浴び、下敷きとなって圧死…助けてくれた恩を仇で返して返り討ち - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

                        ヒグマの血を満身に浴び、下敷きとなって圧死…助けてくれた恩を仇で返して返り討ち 社会・政治 投稿日:2023.06.03 06:00FLASH編集部 クマが人間を助けたという話は意外に多く残されている。そのなかでも感動的なのが、『北越雪譜』に収録されている『熊 人を助く』の挿話である。 『北越雪譜』(鈴木牧之編)は、1835年(天保6年)頃に刊行された越後塩沢の風俗を記録した民話集である。内地なのでヒグマではなくツキノワグマではあるけれど、その内容は非常に興味深い。現代語に改めた上で以下に抄出してみよう。 関連記事:人食いヒグマの口にぶら下がった人間の内臓…胃袋からは大量の人骨と未消化の指が【沼田幌新ヒグマ事件】 著者の鈴木が若い頃、魚沼に用事があって3日間逗留したが、そのとき、宿の主人がとある老人を紹介してくれた。 「この親父は若い頃、熊に助けられたことがある。危うい命を助けられて、今年

                          ヒグマの血を満身に浴び、下敷きとなって圧死…助けてくれた恩を仇で返して返り討ち - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
                        • 天正壬午の乱の全容 神流川の戦いから北条・徳川の勢力争い

                          天正壬午の乱とは 天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)は、1582年6月、織田信長の死後、空白地帯となった甲斐・信濃・上野にて、勢力を争った広範囲に渡る、いくつもの戦いの総称です。 その範囲は現在の長野県・山梨県を中心にして、群馬県・静岡県と4県も巻き込んだ非常に広い範囲で戦闘があっただけでなく、関与した大名も徳川家康、北条氏直、上杉景勝、木曾義昌、真田昌幸などと多く複雑なのです。 そして、それぞれの思惑も異なっていたため、流れが非常にわかりにくく、小生もすべて把握するのに何年も掛かりました。 単に武将だけで追いかけますと、その武将が関与した戦しかわかりませんので、信濃・甲斐を巡る争いがどのような混戦状態だったのか、つかみにくいのが天正壬午の乱です。 しかし、お陰様でそれらの武将を調べてきた結果、ここ最近ようやく全容が見えてきたような気がいたしますので、今回「天正壬午の乱の全容」として、

                            天正壬午の乱の全容 神流川の戦いから北条・徳川の勢力争い
                          • 偽日記@はてなブログ

                            ⚫︎引用、メモ。桂離宮とその庭園について。エリー・デューリング「脳に反して思考する アルゴリズム空間のパフォーマンス」(『柄沢祐輔 アルゴリズムによるネットワーク型の建築をめざして』所収)。 (以前も、ほぼ同じようなところを引用したことがあるかと思うが、改めて復習として。) 《(…)知覚できる建築の範囲においては視覚的距離については分離を、また動的近接(私たちの境界のある要素が「手の届く範囲内」にあると瞬間的に感じる感覚)については接続を思考することが自然である。もちろん、遠位と近位、視覚的と動的は程度の問題として連続的な言葉と理解することができる。ゲシュタルト心理学によって掘り下げられた知覚の法則(例として、図地反転の裏に潜む知覚の法則)は概して局所的な一連の行動の原則に従う平衡化のメカニズムに究極的には依存する。そういう意味では、「遠くの行動」は存在せず、遠位とはただ異なる、または遅れ

                              偽日記@はてなブログ
                            • ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクター - Wikipedia

                              ゲゲゲの鬼太郎の登場キャラクター(ゲゲゲのきたろうのとうじょうキャラクター)とは、水木しげるの漫画作品およびそれを原作とするアニメ、映画『ゲゲゲの鬼太郎』にて登場する架空のキャラクター(大半は伝承上の妖怪などで占められている)の一覧。貸本劇画版である『墓場鬼太郎』にて登場した人物や妖怪などについては墓場鬼太郎の登場人物を参照。『ゲゲゲの鬼太郎』の登場人物として個別の項目がある登場人物及び本編以外の伝承上の妖怪としての詳細は各リンクを参照。 鬼太郎とその仲間たち[編集] 鬼太郎には同じ妖怪や人間、動物などの生物、神仏など異次元の存在も含めて幅広い仲間・理解者がいる。ここでは鬼太郎と身近な仲間から、協力してくれる者たちや最初は敵対するも後に分かりあえる関係になった者たちを含めて仲間たちを挙げる。 鬼太郎ファミリー[編集] 主人公の鬼太郎とその父親である目玉おやじ、そして彼らの主要な仲間達。砂か

                              1