並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 9 件 / 9件

新着順 人気順

革命の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 虎に翼脚本家「たとえ正しくなくてもアクションを起こすことが大事」

    『虎に翼』脚本家・吉田恵里香さんと考える「はて?」と声を上げる意味 https://woman-type.jp/wt/feature/34275/ 吉田 時には、たとえ正しくなくてもアクションを起こすことが大事だと思っていて。 『虎に翼』には、やじを飛ばす男性たちに寅子や同級生のよねさんが暴力という手段で対抗する場面があります。そのやり方は正しくないし、暴力を肯定するつもりもありません。 吉田 でも、正攻法では状況が変わらない、話を聞いてもらえないのが現実です。 それに、お利口な声の上げ方だけを描いてしまうと、「人格的に正しくて非の打ちどころがない人しか権利を訴えちゃいけないのか」という話になってしまう気がして。 だから、まだ若くて未熟な寅子にはあえてそういう正しくないやり方もさせています。 編集部 「暴力で対抗する描写が多い」という声はSNSでも見ましたが、意図してのことだったんですね。

      虎に翼脚本家「たとえ正しくなくてもアクションを起こすことが大事」
    • 共産党・志位和夫氏「フランスでは「革命」とは「世の中を大本から変えること」と、当たり前の人民の権利として語られている。日本でもそうしていきたい。」→批判があり自身の革命の定義をリツイート それに対する様々な意見。

      共産党の志位和夫氏が緒方副委員長の言葉を使用し『フランスの友人に日本国民の暮らしの苦しさを話すと「日本ではなぜ革命をしないのか」と。』言われたという内容をツイート 志位和夫 @shiikazuo フランスで「赤旗」特派員として活動した共産党の緒方副委員長が、フランスの友人に日本国民の暮らしの苦しさを話すと「日本ではなぜ革命をしないのか」と。 フランスでは「革命」とは「世の中を大本から変えること」と、当たり前の人民の権利として語られている。日本でもそうしていきたいものです。 2023-07-11 15:02:13

        共産党・志位和夫氏「フランスでは「革命」とは「世の中を大本から変えること」と、当たり前の人民の権利として語られている。日本でもそうしていきたい。」→批判があり自身の革命の定義をリツイート それに対する様々な意見。
      • 夕方から始まるフリマという名の“温厚で緩やかなデモ” イケてる若者が集まる、高円寺「北中夜市」

        「すごいねー、なんだか違う街に来たみたい」とすれ違い様に聞こえたのは、高円寺駅の北口に位置する商店街通り、北中通りだ。この通りでは、毎月第三日曜日の16時から「北中夜市」と称する路上フリーマーケットが継続的に開催されている。大きくはない商店街通りだが、手作りのアクセサリーや古着、古物、ローカルフードなどを販売する40店舗が軒を連ね、大変な賑わいを見せている。特筆すべきは、商店街でのフリマであるにもかかわらず、出店者・来場者ともにファッショナブルな若年層が多いこと。また、出店枠を募れば若者から応募が殺到し、すぐ枠が埋まってしまうほど人気を集めている。 北中夜市を企画するのは、高円寺の北中通りでリサイクルショップ「素人の乱」の店長である松本哉。松本は、2000年代に、「途中でやめる」の山下陽光らと共に、いたずらに消費を誘起する行事への抗議を名分に駅前でコタツと鍋を出して行った「クリスマス粉砕集

          夕方から始まるフリマという名の“温厚で緩やかなデモ” イケてる若者が集まる、高円寺「北中夜市」
        • ミャンマー少数民族の武装勢力 一斉攻撃1か月 最大の転換期に | NHK

          軍が実権をにぎるミャンマーで、少数民族の武装勢力が一斉に攻撃を開始して27日で1か月となりました。少数民族側は民主派勢力と連携して各地で戦闘を拡大させていて、ミャンマー情勢は、おととしのクーデター以降、最大の転換期を迎えています。 ミャンマーでは10月27日に、3つの少数民族の武装勢力が東部シャン州で一斉に攻撃を開始し、中国との国境周辺の一部の町や軍の施設を支配下に治めるなど攻勢を強めています。 国営メディアによりますと、11月23日には中国からミャンマーに生活物資などを運んでいたトラック120台が、少数民族側のドローンによる攻撃で炎上しました。 この2日後の25日には、中国軍がミャンマーとの国境封鎖などを想定した演習を始めたと発表し、情勢の不安定化に警戒感を強めています。 少数民族側による攻撃には民主派勢力も連携していて、このところ軍の兵士の投降も相次ぐなど、ミャンマー情勢は、おととしの

            ミャンマー少数民族の武装勢力 一斉攻撃1か月 最大の転換期に | NHK
          • 潜伏49年で死去・桐島聡が属した「東アジア反日武装戦線」とは何だったのか(太田 昌国) @gendai_biz

            1970年代中頃に起こった連続企業爆破事件に関わったとして指名手配されていた桐島聡の死去が大きな話題となった。逃亡49年の軌跡が様々に語られたが、桐島が属していた「東アジア反日武装戦線」の思想と行動が正確に振り返られることはほとんどない。 60年代から70年代的の「政治の季節」に、社会運動が犯した過ちとなし得たことを真摯に見つめてきた民族問題研究者が、「反日」の全貌を明らかにする(集中連載=全4回)。 49年ぶりに現れた「重要指名手配犯」 「自分は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」――それが、まもなく命が尽きることを覚悟した人物が、入院していた病院側に発した言葉だったという。私たちにしてみれば、交番の掲示板に貼られた重要指名手配犯の顔写真で、それとなく馴染みになっていたのかもしれない人物が、49年ぶりに現われたというのだ。 49年といえば、市井の無名人でもよいが、唐突にもわかりやすい事例を

              潜伏49年で死去・桐島聡が属した「東アジア反日武装戦線」とは何だったのか(太田 昌国) @gendai_biz
            • 水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル|K&Bパブリッシャーズ

              取材・文◎吉岡洋美 協力◎松永もうこ 2ndアルバム『満天に赤い花びら』 演奏も活動も「自分たちのやり方でしかできない」(カムラ)し、「あくまでも自分たちの面白いこと」(天鼓)を重ね続け、必然的に大手レコード会社からのリリース話を断った水玉消防団は、’84年秋、自身のレーベル「筋肉美女レコード」からリリースする新アルバム制作に入る。翌’85年3月、『満天に赤い花びら』のタイトルで発表されたこのセカンド・アルバムは難産の末に完成したという。 カムラ「セカンドは本当に産みの苦しみだった。1枚目と違って立派なスタジオも借りて、サウンド・クラフトにレコーディング、ミキシングをやってもらったんだけど、荒削りでも1枚目にあったライブ感、ドライヴ感がどうしても出なくて、ミキシングを何回もやり直してもらったんだよね」 天鼓「それでも結局、私がミキシングにどうも納得いかなくて、プロデュースを別に頼み直したん

                水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル|K&Bパブリッシャーズ
              • 水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店|K&Bパブリッシャーズ

                取材・文◎吉岡洋美 協力◎地引雄一 ハイエースに機材を積み、26箇所のライブツアー ‘81年5月、1stアルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』を自分たちのレーベル「筋肉美女レコード」からリリースした水玉消防団。これと同時に、バンドはレコ発ツアーを行う。彼女たちのツアーは、毎回、機材を積み込んだ白いハイエースにメンバーたちが乗り込み、運転も自分たちで行う。そうして各地のライブハウスをまわる。 天鼓「と言うか、運転してたのは結局、免許と一番体力のある私(笑)。あとは可夜さんが時々。その頃はナビがないから地図を見ながら、メンバーともう1人マネジャー役の女性の6人でトヨタのハイエースに乗ってね。全員があまりにぐっすり寝てるのを見るとちょっとイラッとして運転席から『起きろー!』みたいな(笑)。‘81年のツアーは、割とLPが売れちゃってたから、その余波で色々な地方から声がかかったり、大きなフェスティバ

                  水玉消防団ヒストリー第13回 1981年 全国ツアー、すぺーすJORA閉店|K&Bパブリッシャーズ
                • 水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ

                  取材・文◎吉岡洋美 水玉消防団活動休止後、ヴォイス・パフォーマーとしてヨーロッパはじめ海外でのライブ活動が多くなっていった天鼓。常に自分の直感と興味にブレることなく歩み続け、表現の可能性を広げてきた彼女だが、連載最終回は天鼓の水玉消防団休止以降から、ここ最近目を見張るほどライブ活動を行っている現在までを話してもらった。 日本の即興ミュージシャンたちの台頭 ——‘88年に水玉消防団が活動休止になった頃は、子育てと海外ツアーで多忙を極めていたと話されていました。 天鼓「その頃はヨーロッパのツアーでNYのメンバーばかりとライブしていて、NYに行ったら行ったで、たまたま出くわす友人のミュージシャンに『テンコ、NYに来てるんだったら明日レコーディングするから、ちょっと1曲やってくれ』とか、そんなのはお互いしょっちゅう。そうした、ちょっとだけ参加している作品も私には結構あるんですね。皆、いいものを作り

                    水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ
                  • 水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ

                    取材・文◎吉岡洋美 それぞれメンバー個々の仕事や活動が活発になるなか、1988年のライブを最後に活動休止した水玉消防団。ここからの2回は本連載のストーリーテラーで、現在も現役で音楽活動を続ける天鼓、カムラに、それぞれ水玉休止以降から現在までをインタビュー形式にして、連載を締めることにしよう。 まず今回は、水玉休止のあと日本を離れ、現在ロンドン生活が35年となるカムラにその後の音楽活動の軌跡を聞いた。 ◇ 水玉活動休止前年の1987年、カムラは天鼓主宰の即興ユニット「UZO-MUZO」に竹田賢一、石渡明廣とともに参加、ヨーロッパツアーを行い、ツアーが終わったその足で在ロンドンのある日本人女性を訪ねる。その女性こそ、カムラにロンドン在住のきっかけを与えた、フランク・チキンズのホーキ・カズコだ。フランク・チキンズは1982年、ホーキとタグチ・カズミの在英日本人女性によってロンドンで結成された音楽

                      水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 |K&Bパブリッシャーズ
                    1