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飯尾篤史の検索結果1 - 29 件 / 29件

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飯尾篤史に関するエントリは29件あります。 サッカーfootballFootball などが関連タグです。 人気エントリには 『森保ジャパン4-1のウラ側に選手も驚く〈40%の真実〉…谷口彰悟の見立て、堂安律が語っていた「ボール保持は増やしたい。ただ、60%も必要ない」(飯尾篤史)』などがあります。
  • 森保ジャパン4-1のウラ側に選手も驚く〈40%の真実〉…谷口彰悟の見立て、堂安律が語っていた「ボール保持は増やしたい。ただ、60%も必要ない」(飯尾篤史)

    サッカー サッカー日本代表 森保ジャパン4-1のウラ側に選手も驚く〈40%の真実〉…谷口彰悟の見立て、堂安律が語っていた「ボール保持は増やしたい。ただ、60%も必要ない」

      森保ジャパン4-1のウラ側に選手も驚く〈40%の真実〉…谷口彰悟の見立て、堂安律が語っていた「ボール保持は増やしたい。ただ、60%も必要ない」(飯尾篤史)
    • “ドイツを追い詰めた本当の勝因”はシステム変更じゃない…「森保さんが提示して、あとは選手が」遠藤航の言葉が示す“4年間の成果”(飯尾篤史)

      サッカー サッカー日本代表 “ドイツを追い詰めた本当の勝因”はシステム変更じゃない…「森保さんが提示して、あとは選手が」遠藤航の言葉が示す“4年間の成果”

        “ドイツを追い詰めた本当の勝因”はシステム変更じゃない…「森保さんが提示して、あとは選手が」遠藤航の言葉が示す“4年間の成果”(飯尾篤史)
      • 世界一を目標に掲げたU-20日本代表がW杯早期敗退…“うまい”の定義と「世界との差」を見直して…ここから“本当のキャリア”が始まる(飯尾篤史)

        わずかに残されていた決勝トーナメント進出の可能性は、日本のグループステージ最終戦の翌日、ウルグアイがチュニジアに1-0で勝利したことで、完全に断たれた。 冨樫剛一監督率いるU-20日本代表は、1勝2敗の成績でアルゼンチンから去ることになった。 アジア予選を通過してU-20W杯に初めて出場したのが95年のマレーシア大会。以降、9度の本大会出場でグループステージ敗退を喫したのは、今回が2度目だ。1度目の01年大会の開催地もアルゼンチンだったのは、なんの因果だろうか。 「世界との差を見せ付けられた」イスラエル戦 5月21日、セネガルとの初戦に勝利して好スタートを切った冨樫ジャパンだったが、コロンビア戦、イスラエル戦といずれも先制しながら後半に逆転されてしまった。 イスラエル戦にいたっては68分に相手が退場者を出し、グループステージ突破に向けて大きく前進したにもかかわらず、反撃を許してスコアをひっ

          世界一を目標に掲げたU-20日本代表がW杯早期敗退…“うまい”の定義と「世界との差」を見直して…ここから“本当のキャリア”が始まる(飯尾篤史)
        • 森保ジャパンを“攻略”したメキシコ五輪代表コーチ(分析担当)が明かす日本の強みと弱み「平均を出したら、日本のほうが上ですが…」(飯尾篤史)

          東京五輪でメダル獲得を目指したU-24日本代表の前に立ちはだかったメキシコ代表。分析を任された西村亮太コーチは、森保ジャパンにどう立ち向かったのか。現在の日本サッカーの課題を突いたその攻略法は、W杯最終予選を戦っている日本代表にとっても示唆に富む内容だった。<全2回の前編、後編へ> ――東京オリンピックでの銅メダル獲得、おめでとうございました。西村さんはメキシコ代表チームのコーチとして分析も担当されていましたが、日本代表のゲームは何試合くらい分析されたのでしょうか? 西村 まずは今年3月のアルゼンチン戦から見始めて、(7月の)ホンジュラス戦、スペイン戦、(グループステージ初戦の)南アフリカ戦の4試合をベースにしました。3位決定戦の前は、僕らとの試合、(準々決勝の)ニュージーランド戦、スペインとの準決勝の3試合を確認しました。例えば、ホンジュラス戦は日本がボールを握る時間が長かったので、攻撃

            森保ジャパンを“攻略”したメキシコ五輪代表コーチ(分析担当)が明かす日本の強みと弱み「平均を出したら、日本のほうが上ですが…」(飯尾篤史)
          • なぜ柿谷曜一朗はJ2徳島に移籍したのか「名古屋には申し訳ないんやけど…」 笑顔で「めちゃ楽しい」と語る“33歳の新たな挑戦”(飯尾篤史)

            「話が来たのが年末で。もう12月30日から1月2日くらいの間でまとまった感じやったから」 セレッソ大阪から名古屋グランパスに移籍したのが2021年シーズンのこと。加入1年目には古巣との決勝戦を制してルヴァンカップ優勝に貢献。2年目の昨季は古傷である左足首を手術したためにシーズン途中での離脱を余儀なくされ、今オフは捲土重来を期していた。 「足首は名古屋に来る前から痛くて、いつオペしてもおかしくない状態で。プレーできんこともないし、騙し騙しやれてもいたけど、言い訳にしてる自分もおって。どこか思い切ってできん悔しさや葛藤がずっとあったから、手術するしかないなって。それであかんかったら言い訳もなく、自分の中ですっきりするかなと思って。痛みがなくなればできる自信もあったから」 手術し、リハビリを行い、2023年を迎えようとする段階では、引き続き名古屋でプレーする考えだったという。 「もちろん、名古屋

              なぜ柿谷曜一朗はJ2徳島に移籍したのか「名古屋には申し訳ないんやけど…」 笑顔で「めちゃ楽しい」と語る“33歳の新たな挑戦”(飯尾篤史)
            • 空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」(飯尾篤史)

              空白の9カ月「嫌われているのかな」 初めて日本代表に選出されたのは、プロ2年目となる1998年2月のオーストラリア合宿だった。フランスW杯本大会を前に、新戦力の発掘を目論む岡田武史監督から声がかかったのだ。 フィリップ・トルシエ監督時代に日本代表に定着し、続くジーコ監督からは10番を託され、2006年ドイツW杯に出場。自身2度目のW杯となった10年南アフリカ大会を最後に、青のユニフォームを脱いだ。 こうして日本代表の成長期を主軸として駆け抜けた俊輔には、一時的に代表メンバーから外れた時期がある。 空白の期間とも言うべき9カ月――。 ドイツW杯グループステージ最終戦のブラジル戦から、07年3月のペルーとの親善試合までの期間である。 俊輔だけではない。ドイツW杯終了後に日本代表監督に就任したイビチャ・オシムはその間、欧州組を一切招集しなかった。 「なんで呼ばれないんだろうな、っていうことは考え

                空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」(飯尾篤史)
              • 下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。「20回言い間違えたとしても……」(飯尾篤史)

                Jリーグや海外サッカー中継で人気を博す実況アナウンサーの1人、下田恒幸氏。代名詞とも言える決定機での“絶叫”は一度耳にしたら忘れられないインパクトを持つが、どのようにしてその実況スタイルは築かれていったのか――。生い立ちからターニングポイントとなった試合について語りつくした、渾身のインタビュー。 サンバを思わせる軽快なテンポも、抑揚のあるしゃべり方も、まるで良質な音楽を聞いているように心地良かった。 スタジアムに熱狂が訪れた瞬間の、爆発的な絶叫さえも――。 「ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!」 遊びたい盛りにもかかわらず、友だちに別れを告げ、地球の反対側で暮らすことになった小学3年生にとって、ラジオから流れてくるサッカー中継は何よりの楽しみで、極上のエンターテインメントだった。 もちろん、ポルトガル語など理解できない。だが、それでもスタジアムの風景が、ピッチ上の情景が、あ

                  下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。「20回言い間違えたとしても……」(飯尾篤史)
                • オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」(飯尾篤史)

                  中澤の代表復帰は、監督を務めるイビチャ・オシムたっての希望だった。通訳を務めた千田善が指揮官の様子を振り返る。 「06年10月か11月のスタッフミーティングで、オシムさんが『中澤はもう代表に呼んではいけないのか』と言って。あるスタッフが『いけないことはないんですけど、本人は代表は引退と言っているようです』と答えると、オシムさんが『そうか、もったいないな』と。それで『じゃあ、私が話を聞いてきますよ。代表引退なんて100年早いと伝えてきましょうか』という話になったんです。年が明けて、『呼んだら来てくれるか』と再度打診したら、『もう喜んで』といい返事がもらえて」 W杯が終わって半年が経ち、中澤自身のコンディションとメンタルも回復したのだろう。こうして中澤は再びW杯を目指すことになる。 「なんだ、あの態度は」別人に変貌した中澤 1999年に代表初キャップを刻み、06年ドイツW杯のピッチに立ったとは

                    オシムがW杯で見せたかった「変幻自在でエレガント」なサッカーとは? 千田善通訳がリハビリ中に聞いた「オシムジャパンの未来像」(飯尾篤史)
                  • 「クレイジージョブ? 代表監督は幸せな仕事」森保一が語った“続投”決定前の本音「批判は気にならないし、逃げ出したいと思ったこともない」(飯尾篤史)

                    先日、2026年W杯までの“続投”を発表したサッカー日本代表・森保一監督(54歳)。東京五輪代表チームの立ち上げから5年、その戦いぶりを現地取材してきたスポーツライター飯尾篤史氏が、多くの批判を受けながらも信念を貫いてきた勝負師の本音に迫った(全3回の1回目/#2、#3へ)※インタビューは2022年12月28日の続投会見の前に行ったものです。 ――先日、ある日本人監督の方がこんなことを話していました。「日本代表監督になるのが目標だったけど、自分には無理だな」と。「あれだけ批判され、重圧が掛かって、一筋縄ではいかない選手たちを束ねたうえで、あの舞台で結果を引き寄せるなんて、自分にはできそうもない」と。 森保一(以下、森保/敬称略) でも、責任という意味ではクラブの監督も代表チームの監督も変わらないと思いますよ。クラブの監督だって、もちろん批判に晒されますし。 ――でも、注目度や批判の量は全然

                      「クレイジージョブ? 代表監督は幸せな仕事」森保一が語った“続投”決定前の本音「批判は気にならないし、逃げ出したいと思ったこともない」(飯尾篤史)
                    • ポジショナルプレーの核心は「全員で一緒に旅をしろ」 ペップ流を知り、バルサ要職を務めたアルベル新監督のFC東京変革案(飯尾篤史)

                      予定していた45分をとうに過ぎ、1時間半に達したインタビュー時間は、指揮官のサッカー観とちょっとばかりのユーモアに満ちていた。 「もし、自分は走る必要がないくらい素晴らしい選手だと思っている選手がいるなら、私はその選手に(ジョゼップ・)グアルディオラの電話番号を渡そうと思います」 そう言って、スペイン・カタルーニャ州出身の指揮官はニヤリと笑った。 「ただ、実際には世界中を見渡しても、走らなくていい選手はひとりしかいない。リオネル・メッシのことです」 むろんジョークではあるが、単なるジョークに聞こえないのは彼の経歴のせいだろうか。 バルサのアカデミーダイレクターを務めた経歴 グアルディオラの古巣であるバルサのアカデミーでコーチを務めたのち、アカデミーダイレクターに就任。さらにグアルディオラの右腕だったドメネク・トレントがニューヨーク・シティの監督に就いた際には、コーチとしてサポートした――。

                        ポジショナルプレーの核心は「全員で一緒に旅をしろ」 ペップ流を知り、バルサ要職を務めたアルベル新監督のFC東京変革案(飯尾篤史)
                      • 「やってらんねえ!」中村俊輔や小野伸二に焦って不満爆発…“プロ失格”と言われたストライカー北嶋秀朗の再生物語「工藤壮人に託したレイソル愛」(飯尾篤史)

                        98年11月末からは心機一転、ブラジルに約3カ月間留学した。向かった先は名門・サンパウロFC。ある日、紅白戦でメンバーから外され、同じく控えに回った選手に愚痴をこぼすと、「何を言っているんだ? 俺はここから這い上がるぞ」と言い返された。 「その選手はのちにブラジル代表となるジュリオ・バチスタで。彼はその後、紅白戦で活躍して、トップチームに定着していった。その姿を目の当たりにして、不貞腐れることはダサいって気付いて、モチベーション高く日本に戻ってきたんです」 信頼するコーチから「プロとして無理だよ」 心を入れ替えてチームに合流し、復帰戦となった4月24日の浦和レッズ戦ではスタメン起用され、いきなりゴールをマークする。2トップを組むベンチーニョとフリスト・ストイチコフの壁は高く、レギュラー奪取とまではいかなかったが、出場機会を増やしていった。 ところが、ポジション取りを目論む北嶋のやる気を削ぐ

                          「やってらんねえ!」中村俊輔や小野伸二に焦って不満爆発…“プロ失格”と言われたストライカー北嶋秀朗の再生物語「工藤壮人に託したレイソル愛」(飯尾篤史)
                        • 中村憲剛、内田篤人とS級受講…コーチ業10年で悲願「監督・北嶋秀朗」をつくった5人の指導者とは?「亀仙人と鶴山人から学べたのは僕だけ」(飯尾篤史)

                          フィジカルコーチに中村憲剛、GKコーチに内田篤人、ヘッドコーチに島田裕介という顔ぶれのスタッフ陣のサポートを受け、北嶋秀朗“監督”が学生たちを指導する。 週末に控えるゲームは、ACミランとの第2戦。第1戦を2-0で勝利したインテルは、どんな準備をして第2戦を迎えるのか――。 実際にあった2022-23シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝のシチュエーションに則って、その日のトレーニング構築を求められる――23年6月29日に行われたS級コーチ養成講習会のヒトコマだ。 「僕はインテルの監督という立場でトレーニングを組み立てたんですけど、インテルの5-3-2はもともと興味のあるシステムだったので、自分の志向とも合っていて、分析するのがすごく面白かったですね。(シモーネ)インザーギ監督の守備は、攻撃するために守備をしている、カウンターを発動するために守備をしているという感じで興味深かった。シンパシー

                            中村憲剛、内田篤人とS級受講…コーチ業10年で悲願「監督・北嶋秀朗」をつくった5人の指導者とは?「亀仙人と鶴山人から学べたのは僕だけ」(飯尾篤史)
                          • 風間八宏の衝撃、1年間の無職も味わったメキシコ生活…“銅メダル”西村亮太コーチが語る東京で流した涙とロサーノ監督との出会い(飯尾篤史)

                            込み上げてくる感情を抑えられなかったのは、この世界的なGKだけではない。 「東京五輪のプロジェクトに懸けて、ずっとやってきたので。1年間の無職時代を含めて、苦労だったり、チームと過ごしてきた日々だったり、メダル獲得を目指してきた努力だったり……。そうしたことすべてが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったんです。それが最後にメダルという形となって終われたことに対する感動と、支えてくれたみんなに対する感謝の気持ちがこみ上げてきて……」 輪に加わっていたコーチの西村亮太もまた、溢れ出る涙を止めることができなかった。 2010年夏、野心を抱いてメキシコに渡り、右も左もわからぬまま突き進み、指導者としてのキャリアを切り開いてきた。 その長く苦しい日々が報われた瞬間だったのである。 それにしても、コテコテの大阪人である西村が縁もゆかりもない土地で指導者になったのは、なぜなのか――。 指導者を志したのは高校生

                              風間八宏の衝撃、1年間の無職も味わったメキシコ生活…“銅メダル”西村亮太コーチが語る東京で流した涙とロサーノ監督との出会い(飯尾篤史)
                            • 怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃(飯尾篤史)

                              チームは社会人選手と学生で構成され、元Jリーガーも昼間は社業に励んでいる。 さらに専用の練習場もなければ、ホームスタジアムもない。 関東リーグ1部にはほかに、都並敏史監督率いるブリオベッカ浦安、岡山一成監督率いるVONDS市原、前年王者で専用スタジアムを持つ栃木シティFCなど強豪チームが在籍し、「地獄の関東リーグ」と呼ばれるほど実力が伯仲している。 むろん、これらのチームも元Jリーガーを多数抱えている。 つまり、クリアソン新宿は戦力面や環境面で、突き抜けた存在ではないのだ。 それなのに、夏を迎えた頃に5位だったクリアソン新宿は、ここから一気にギアを上げ、劇的なゲームを積み重ねながら連勝街道を突き進んでいく。 「僕らは世界一を目指しています」 迎えた10月10日の最終戦の相手は、リーグ最下位に沈む流通経済大学FC。クリアソン新宿のホームゲームでありながら、流通経済大のグラウンドで開催されたこ

                                怒涛の11連勝で大逆転優勝「クリアソン新宿」の正体とは? 難敵を次々と味方につける“週刊少年ジャンプ”のような快進撃(飯尾篤史)
                              • 「7500万だったかな。倍以上だった」柱谷哲二が明かすJ開幕前の“日産→読売”禁断の移籍、和司の「行くな」とラモスの「来い」(飯尾篤史)

                                花園サッカースポーツ少年団に始まり、京都市立双ヶ丘中サッカー部、京都商業高サッカー部、国士舘大サッカー部と、兄・幸一と同じ経歴をたどった。 「僕は高校の先輩で、兄貴よりふたつ上の川勝良一さん(元ヴィッセル神戸監督など)が好きだったから、法政に行きたかった。でも、国士舘が特待生で取ってくれるというから、家庭の事情もあって、兄貴と同じ道に進んだ」 所属先のみならず、ポジションまでもが兄と同じFWだった。だが、大学4年時にセンターハーフ(ボランチ)にコンバートされ、このポジションに魅せられていく。 「B代表に選ばれて、アルゼンチンやブラジルに遠征をしたんだよね。筑波の井原(正巳)がセンターバック、ゴンちゃん(中山雅史)がサイドバックで、僕がセンターハーフ。B代表とはいえ日の丸を付けているから要求が高くて、このポジションも面白いなって。ボールの奪い方とかポジショニングを教えてもらって、そこからはセ

                                  「7500万だったかな。倍以上だった」柱谷哲二が明かすJ開幕前の“日産→読売”禁断の移籍、和司の「行くな」とラモスの「来い」(飯尾篤史)
                                • 開幕前のJクラブ、コロナ対策をどう進めた? FC東京キャンプは“基本黙食”、部屋割りなども工夫が【写真あり】(飯尾篤史)

                                  いつもなら他愛のない会話が飛び交う団らんのひとときなのに、静まり返っている。 全員が前を向き、黙々と食事をする様子は、ちょっと異様だったかもしれない。 1月下旬から2月半ばに掛けて、Jリーグの各チームがトレーニングキャンプを行なった。世の中はコロナ禍の真っ只中だが、2月末のシーズン開幕を控え、キャンプを張ってチーム作りを進めないわけにはいかない。 どのチームも細心の注意を払って日程を消化したが、沖縄でキャンプを張ったFC東京も、そうしたチームのひとつだ。 キャンプも半ばに差し掛かった頃、キャプテンの東慶悟がこう語っていた。 「県外から来て、沖縄で感染を広めるようなことはあってはならない。ましてや僕らは感染者が最も多い東京から来たわけですから。受け入れてくれた沖縄の方々、ホテルの方々のために、節度のある行動を心がけています」 マスクの常時着用はもちろんのこと、移動の飛行機では一般客と隣り合わ

                                    開幕前のJクラブ、コロナ対策をどう進めた? FC東京キャンプは“基本黙食”、部屋割りなども工夫が【写真あり】(飯尾篤史)
                                  • 堂安律や谷口彰悟も言っていた『強豪国には“ボール保持率40%”説』を森保一監督に直撃してみた…「僕自身も」「スタッフ間でも共有しているんです」(飯尾篤史)

                                    新体制発足後、すでに4試合の強化試合を終えた森保ジャパン。9月にはカタールW杯のリベンジに燃えるドイツ、そしてトルコとの欧州2連戦が控えている。長らく日本代表を取材するフリーライター飯尾篤史氏がインタビューに応じた指揮官の言葉から「2026年W杯へのロードマップ」を紐解いた【全2回の#1/後編へ】。 7月中旬、高円宮記念JFA夢フィールドの会議室で日本代表の森保一監督は「数字に捉われているわけではない」と強調したうえで、こんなふうに語った。 「パーセンテージで言うと、僕自身も(ボール保持率)“40%・60%”が、今の日本の勝つ確率が一番高くなる、という感覚で捉えています。スタッフ間でもずっと“40%・60%”は共有しているんです――」 快勝したペルー戦「ボール保持率40%」 話は1カ月前、6月20日に大阪で行われたペルー戦にさかのぼる。 南米の強豪相手に日本はビルドアップを安定させるチャレ

                                      堂安律や谷口彰悟も言っていた『強豪国には“ボール保持率40%”説』を森保一監督に直撃してみた…「僕自身も」「スタッフ間でも共有しているんです」(飯尾篤史)
                                    • 今季34歳…森重真人が語るFC東京&自身のこれから J2降格を知るからこその「危機感」と「うっちーの引退」(飯尾篤史)

                                      悲願のリーグ制覇とルヴァンカップの連覇――。これこそ、獲得タイトル数を4つに増やしたFC東京の新シーズンのミッションだ。その目標を達成するために、浦和レッズとの開幕戦、味の素スタジアムで開催されるルヴァンカップの徳島ヴォルティス戦、リーグ2節のセレッソ大阪戦に勝利し、最高のスタートを切りたい。重要なシーズンの開幕を控え、5月に34歳となる森重真人に今季の決意や自身のキャリアと未来、チームの様子を訊いた。 ――1月4日のルヴァンカップ決勝で勝利し、念願のタイトルを獲得して新シーズンを迎えます。毎年、リーグ優勝を目標に掲げてきましたが、今季は現実味を帯びているというか、心境は異なるものですか? 「どうなんでしょうね……『どうなんでしょうね』って言うくらいなので、心境は例年と変わらないと思います(笑)。ただ、選手寿命もそれほど長くないと感じるなかで……それは個人的な感情なので胸の内にそっと収めて

                                        今季34歳…森重真人が語るFC東京&自身のこれから J2降格を知るからこその「危機感」と「うっちーの引退」(飯尾篤史)
                                      • 中田vs.名波の大雨、ドイツW杯決勝。セリエAダイジェストの神髄とドラマ。(飯尾篤史)

                                        “欧州日本人対決”の先駆けとなったペルージャ中田vs.ヴェネチア名波の対決。フジテレビでの中継を凝視したファンも多いだろう。 '94年夏にカズ(三浦知良)がジェノアに加入し、日本人初のセリエAプレーヤーの誕生をきっかけに始まったフジテレビの『セリエAダイジェスト』。この画期的なサッカー番組は、しかし、カズが1年でJリーグに復帰したため、放送2年目の'95-96シーズン終了時に、いったん最終回を迎えた。 その放送では、数人のJリーガーがVTRで出演し、セリエAで印象に残った試合や選手について答えているのだが、その中のひとりに、ベルマーレ平塚に所属していたプロ2年目の中田英寿がいた。 もっとも、中田は当初、インタビュー対象者ではなかった。 ヒデが挙げていた印象的な選手って?

                                          中田vs.名波の大雨、ドイツW杯決勝。セリエAダイジェストの神髄とドラマ。(飯尾篤史)
                                        • 更迭危機でハマった森保采配… 田中碧・守田英正・遠藤航の《4-3-3》にあった布石と“サウジ戦でミス”柴崎岳投入の効果とは(飯尾篤史)

                                          5日前、痛恨の敗北を喫したアウェイゲームで――。 4-3-3は「一か八か」ではなかった 実はサウジアラビア戦でも日本はボール非保持の場面で、従来の4-4-2(4-2-3-1)ではなく4-3-3にしてボールを奪う機会を窺っていた。 遠藤航がアンカー、柴崎岳と鎌田大地がインサイドハーフの位置に構えて、相手の中盤3枚(2ボランチとトップ下)をマンマークで捕まえようとしていたのだ。 しかし、サウジアラビアのボランチが最終ラインに下がってビルドアップに加わったり、中央に侵入してくる相手のウイングを捕まえられなかったりして押し込まれ、うまくハメられないまま中途半端な出来に終わってしまう。 「中盤でマンツーマン気味にやるのはそんなに悪くなかったと思います。マンツーで付いたのは、前から行かせたかったからというのがあって。(左ウイングの南野)拓実と(右ウイングの浅野)拓磨を相手センターバックに行かせるという

                                            更迭危機でハマった森保采配… 田中碧・守田英正・遠藤航の《4-3-3》にあった布石と“サウジ戦でミス”柴崎岳投入の効果とは(飯尾篤史)
                                          • 全治3カ月の酒井宏樹が“1カ月復帰”クラブW杯、傷だらけでも燃える浦和レッズ…“世界で一番強い”マンC相手に「記念じゃない」「勝ちにいく」(飯尾篤史)

                                            その山王工業戦に喩えたものとは、いったい何か。 自身の憧れのチーム、マンチェスター・シティとの準決勝である。 「本当に世界で一番強いクラブだと思うんで、そこと試合ができることがすごく幸せだし、今日の試合をペップ(グアルディオラ)が絶対に見るわけじゃないですか。それがすごく不思議だなっていうか、嬉しいなっていう気持ちがあって――」 今季限りで退団、殊勲のシャルクが語ったこと 12月15日にサウジアラビアのジェッダで行われたクラブワールドカップ準々決勝。浦和レッズはクラブ・レオンを1-0で下し、準決勝進出を決めた。 拮抗した内容で、勝敗はどちらに転んでもおかしくなかったが、今季限りの退団が決まっているオランダ人アタッカー、アレックス・シャルクが途中出場から5分後に決勝ゴールを決めてみせる。殊勲者は試合後、興奮を抑えきれなかった。 「素晴らしいですね。本当に言葉が出ません。本当に夢のようです。試

                                              全治3カ月の酒井宏樹が“1カ月復帰”クラブW杯、傷だらけでも燃える浦和レッズ…“世界で一番強い”マンC相手に「記念じゃない」「勝ちにいく」(飯尾篤史)
                                            • 「新宿」でなぜサッカーを? 異例の百年構想クラブ認定、元Jリーガー続々加入も「チームは今、過渡期にあるんです」(飯尾篤史)

                                              「“雰囲気映画”なんですけど、新宿の街の魅力を捉えていて僕は好きです。『ブレードランナー』とか、『エヴァ(ンゲリオン)』とか、ああいう世界観が好きだから、もともと新宿に興味があったんです。(出身の)大阪ってそれだけで完結した街なので、長渕剛みたいに上京して、っていうマインドを持った人はあまりいないんですけど、僕は社会人になるなら東京で就職しようと思っていたし、新宿に住みたいなって思っていましたから」 関西学院大を卒業し、徳島ヴォルティス(当時J2)で3年間のプロ生活を送った井筒陸也は、自らJリーガーを辞めて新宿にやってきた。 新宿御苑近くの株式会社Criacaoで社会人として働きながら、クリアソン新宿でプレーするようになったのは、約束された未来だったのかもしれない。 実際に住んでみて、街の奥深さに触れている。 「新宿って、西口にめちゃくちゃ大きなビル群があったり、東口にはゴールデン街があっ

                                                「新宿」でなぜサッカーを? 異例の百年構想クラブ認定、元Jリーガー続々加入も「チームは今、過渡期にあるんです」(飯尾篤史)
                                              • オシム通訳・千田善はなぜ一度だけ勝手に言葉を変えたのか? 数日後に気づいた“とんでもないミス”「オシムさんが本当に言いたかったのは…」(飯尾篤史)

                                                ところが、思わぬオファーが届く。 ベオグラードでセミプロ経験を持つ2人の通訳がピッチでオシムをサポートすることになっていたが、それとは別に、会見やミーティングでの通訳を日本サッカー協会は探していた。そして、オシム家と共通の友人だったボスニア人が、千田のことをアシマ夫人に話したのである。 「それで僕に声が掛かって、面接をすることになった。JFAに行ったらミーティングルームに通されて、そこにオシムさんやコーチングスタッフの方々がいたんです。スカウティングの和田(一郎)さん、技術委員長の小野(剛)さんたちもいらっしゃって、『これからミーティングを始めます』と。面接はなくて、採用が決まっていたんです(笑)」 「なぜ、阿部や遠藤を呼べないんだ」 7月25日に行われた最初のスタッフミーティングでは、いきなりオシム節が全開だった。8月9日に予定される初陣のトリニダード・トバゴ戦は、A3チャンピオンズカッ

                                                  オシム通訳・千田善はなぜ一度だけ勝手に言葉を変えたのか? 数日後に気づいた“とんでもないミス”「オシムさんが本当に言いたかったのは…」(飯尾篤史)
                                                • 室屋成が語るドイツ移籍とFC東京愛。「健太さんが“頑張って来いよ”と」(飯尾篤史)

                                                  その間、脳裏に浮かんだ風景は、どんなものだっただろう? 大学3年で明治大サッカー部を退部して、FC東京入りを決めた入団会見の風景か。 初めてFC東京のユニホームをまとってJ1のピッチに立った、2016年7月9日のヴァンフォーレ甲府戦か。 今季の横浜F・マリノス戦をはじめとする、数々の好クロスのシーンか。 昨季のリーグ終盤、優勝を目指して戦った、痺れるような日々か。 それとも、小平グランドでチームメイトと談笑した、他愛のない日常か……。 2018年4月、鹿島戦でのリーグ戦初得点。 記者席から見た室屋のプレーで、個人的に強く印象に残っているのは、リーグ戦初ゴールを決めた'18年4月、味の素スタジアムでの鹿島アントラーズ戦だ。 自陣深くから走り出すと、ハーフウェーラインを越えたあたりで永井謙佑のヒールパスを受けて一気に加速し、ゴール前まで運んで右足を振り抜く。 直後、渾身の一撃が、ニアサイド上段

                                                    室屋成が語るドイツ移籍とFC東京愛。「健太さんが“頑張って来いよ”と」(飯尾篤史)
                                                  • ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」(飯尾篤史)

                                                    「湘南の暴れん坊」と呼ばれたベルマーレ平塚は1994年のニコスシリーズ(2ndステージ)で2位に躍進した勢いをそのままに天皇杯で優勝し、Jリーグ初参戦のシーズンを締めくくった。 その年のベストイレブンにはベッチーニョと名塚善寛が選出され、新人王には田坂和昭が輝いた。さらに、岩本輝雄と名良橋晃が日本代表デビューを飾るなど、ベルマーレ旋風の巻き起こったシーズンだった。 そんなタレント揃いのチームで翌95年、なんと高卒ルーキーがポジションを掴みとる。 93年のU-17世界選手権に出場した中田英寿である。 シーズンの幕開けを告げるゼロックススーパーカップで中田は途中出場してデビューを果たす。 「スーパーカップのときは、そこまで凄いとは思わなかったな。ただ、中田が中盤に入ったことで、俺が左サイドバックに戻って。中田はよく動くし、何かが違ったんだよね」 その何かが岩本の中ではっきりと理解できたのは、J

                                                      ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」(飯尾篤史)
                                                    • カズにデル・ピエロ、叫ぶ青嶋アナ。セリエAダイジェスト伝説と遊び心。(飯尾篤史)

                                                      イタリアの歴史的建造物やバチカン宮殿の天井のヴィジュアルイメージとともに、勝利の讃歌として知られるオペラ「アイーダ」の「凱旋行進曲」が流れ、ひとしきり盛り上がったあとに聞こえてくる、人気DJによる番組名のコール――。 「世界最強リーグ、セリエ・アー・ダイジェスト!」 すると今度は、けたたましいドラム音とアップテンポなサクソフォーン――ダルファーの「ミッキー・マウス」――がスタジオに鳴り響く。 サッカー番組なのに、サッカーのプレー映像が一切流れない。そんなオープニングが、未知なるものと出会う期待感を膨らませた。 1993年5月にJリーグが誕生して1年半、日本代表はまだW杯に出たことすらなく、各局がJリーグの関連番組の制作にやっきになっているときに、海の向こうのプロサッカーリーグのハイライト番組を民放が放送する――。 '94年10月にフジテレビで始まった『セリエAダイジェスト』はなんとも野心的

                                                        カズにデル・ピエロ、叫ぶ青嶋アナ。セリエAダイジェスト伝説と遊び心。(飯尾篤史)
                                                      • タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。日本人指導者への期待と現地事情。(飯尾篤史)

                                                        2015年途中から鹿島アントラーズを率い、翌シーズンにリーグ王者へと導いた石井正忠氏が、2020シーズンからタイ1部リーグのサムットプラーカーン・シティの監督に就任した。タイ代表の西野朗監督を筆頭にアジア各国に日本人指導者が渡る中で、石井監督は何を考え、タイの地で指導しているのか。前編では就任の経緯、現地での期待値、強化に向けての施策を聞いた。 ――大宮アルディージャの監督を退任してから約1年休養されて、再び現場復帰に向けて動き出したとき、最初にオファーをくれたのが、このサムットプラーカーン・シティだったそうですね。 「昨年10月ですかね。勤めていたところを辞めて現場に復帰するための準備を始めた頃、オファーをいただいて。海外のクラブからオファーが来るなんて、考えてもいなかったので驚きました。オーナーの話を聞くと、私に興味を持っていると。 日本人監督というだけではなくて、私個人に興味を持って

                                                          タイ1部監督・石井正忠に聞く、前編。日本人指導者への期待と現地事情。(飯尾篤史)
                                                        • 永里優季インタビュー 男子サッカーの中で感じる「強み」、価値観が変貌した米国生活とは(飯尾篤史)

                                                          永里優季にとって、2020年は大きな挑戦の1年となっている。シカゴ・レッドスターズに在籍する中で9月、神奈川県リーグ2部の男子チーム「はやぶさイレブン」に期限付き移籍。10月に公式戦デビューを飾ると、2試合連続で出場している。 男性の中でプレーする女子サッカー選手――人々の価値観をアップデートするような行動を取っている永里。男性とともにサッカーをプレーするために、どのようなことを考え、何を積み上げてきたのか? 全3回(#2、#3はこちら)にわたるインタビューで解き明かしていく。 ――面白い記事を見つけました。2010年2月の『サッカーダイジェスト』に永里さんのインタビューが載っているんですけど。 「ずいぶん昔の記事ですね。ポツダム(ドイツ1部)に移籍してすぐの頃だ」

                                                            永里優季インタビュー 男子サッカーの中で感じる「強み」、価値観が変貌した米国生活とは(飯尾篤史)
                                                          • Jリーガーを辞めてJリーグを目指す“矛盾” プロ3年で引退した井筒陸也の今「僕がJリーガーに戻ることにはなんの意味もない」(飯尾篤史)

                                                            井筒陸也はある日突然、現れた――。 2018年2月、noteに投稿された彼のコラムを読んだサッカーファンやサッカーメディアの中には、そう感じた人も少なくなかったことだろう。 関西学院大時代にはキャプテンとして大学4冠(総理大臣杯、全日本大学選手権、関西学生選手権、関西学生リーグ)を経験し、徳島ヴォルティスではプロ2年目となる17年シーズンに出場機会を大きく増やしていたから、決して無名というわけではない。 だが、当時の徳島はJ2である。井筒自身も年代別の代表に選ばれたことはなく、全国的に知られた存在ではなかった。 そんなJリーガーによる『「結果がすべて」なんて大嘘』と題されたコラムのインパクトは強烈だった。プレーヤーとしての彼のそれとは比べものにならないほどに。 自身の体験談をベースに、スポーツをすることの意味について綴った文章は、ユニークな切り口と深い考察によってたちまち話題となった。 多

                                                              Jリーガーを辞めてJリーグを目指す“矛盾” プロ3年で引退した井筒陸也の今「僕がJリーガーに戻ることにはなんの意味もない」(飯尾篤史)
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