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R.I.Pの検索結果41 - 61 件 / 61件

  • R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) | ele-king

    Home > News > RIP > R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) - 追悼:ウェイン・クレイマー ぼくの世代でMC5といえば、たとえばザ・KLFの大ヒット曲 “What Time is Love” でサンプリングされた “Kick Out the Jams” の冒頭のMCだったりする。「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーフ**カー!」。もっともこれは、ザ・KLFの前身ザ・JAMsにひっかけた洒落でもあるわけだが、それはそれとて、このフレーズが60年代カウンター・カルチャーのもっとも威勢が良く、もっともぶっ飛んで、もっとも有名な掛け声であることは間違いない。だいたいこれは、音楽史上最初に録音された「マザーフ**カー」であり 「フ**ク」であるという名誉から、リリースからしばらくして問題の部分は「ブラザーズ&シスターズ」に差し替えられている。いまspo

      R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) | ele-king
    • R.I.P. Mike Huckaby | ele-king

      COVID-19によってまたひとりの音楽家がこの世を去った。同じくデトロイトのエレクトロニック・ミュージックのコミュニティのひとり、デラーノ・スミスが治療費を募ったというが、彼のエージェントの発表によればマイク・ハッカビーは4月24日に永眠してしまった。25日は世界中のディープ・ハウス・ファンの多くがこの悲報に涙したことだろう。 マイク・ハッカビーはデトロイトのダンス・シーンに1988年から関わっていたDJであり、プロデューサーであり、ディープ・ハウスのリジェンドである。近年はワールドワイドに活躍し、日本でもプレイしている。 マイク・ハッカビーの名前が日本で知られるきっかけとなったのは、ごくごく初期のムーディーマンとセオ・パリッシュだった。96年〜97年ぐらいのことで、現在DJチーム“悪魔の沼”のメンバーであるドクター西村がこのあたりのあやしげな音源、つまりデトロイトのハウス・シーンの作品

        R.I.P. Mike Huckaby | ele-king
      • R.I.P. Giuseppi Logan 追悼 ジュゼッピ・ローガン

        text : Ring Okazaki  岡崎凛 ジャズ・シーンから姿を消して数十年後、突如ニューヨークの公園に現れ、音楽活動を再開して話題となったサックス奏者、ジュゼッピ・ローガン。先月、ついに彼の訃報を聞く日が来てしまった。YouTube 動画で何度となく見た白髪にメガネ姿の彼が、全て遺影になってしまったのは寂しい。 以下、II. が本稿のメインなのだが、I. 、III. を添えて彼への追悼文としたい。 I. 2人はともに享年84歳―ジュゼッピ・ローガンとヘンリー・グライムス II. 代表作となったファースト・アルバム『The Giuseppi Logan Quartet』(ESP 1964) III.セカンド作から45年後に出たサード・アルバム『The Giuseppi Logan Quintet』(Tompkins Square 2010) I. ジュゼッピ・ローガンがこの世を去っ

          R.I.P. Giuseppi Logan 追悼 ジュゼッピ・ローガン
        • 【R.I.P.】 ホームレスの人生を救った猫「ボブ」が永遠の眠りにつく(イギリス) : カラパイア

          ロックスターとなるはずが夢破れ、堕ちるところまで堕ち、ホームレス状態となっていた男性の人生を救ったのは、ふらりと現れた1匹の野良猫だった。 ストリートミュージシャン、ジェイムズ・ボウエンさんの飼い猫「ボブ」が、2020年6月15日、永遠の眠りについた。14歳だった。 ボブとの出会いが、住む場所を失い薬物依存となっていた、ボウエンさんのその後の人生を大きく変えたのだ。カラパイアでも以前に紹介した世界中で知られている猫である。 大切な相棒を失ったボウエンさんは、「ボブみたいな猫は今までいなかったし、これからもいない。心の光が消えたみたいだ」と哀しみを吐露した。『The Sun』などが伝えている。

            【R.I.P.】 ホームレスの人生を救った猫「ボブ」が永遠の眠りにつく(イギリス) : カラパイア
          • R.I.P. Ahmad Jamal | ele-king

            ジャズ・ピアニストのアーマッド・ジャマルが2023年4月16日、前立腺癌のために92歳で死去した。1930年にピッツバーグで生まれたジャマルの本名はフレデリック・ラッセル・ジョーンズだが、ブラック・ムスリムの影響を受けて22歳の頃にイスラム教に改宗し、アーマッド・ジャマルの名に変えた。 7歳の頃からピアノのレッスンをはじめ、高校で本格的に音楽の勉強をおこない、卒業後はシカゴに移り、自身のピアノ・トリオを組んでホテルなどで演奏活動をおこなっている。シカゴの〈アーゴ〉や〈カデット〉に多くのアルバムを残しているが、代表作と言えば1958年の『バット・ナット・フォー・ミー』や翌59年の『ポートフォリオ・オブ・アーマッド・ジャマル』で、特に “ポインシアーナ” を含む『バット・ナット・フォー・ミー』のセールスによって、彼は商業的な成功も収めている。 しかしながら、ジャズ評論においては高い評価を得るこ

              R.I.P. Ahmad Jamal | ele-king
            • Mimi Parker(Low)、R.I.P. - ディスカホリックによる音楽夜話

              スロコアの先駆者的なバンドLowのヴォーカル&ドラムスであるMimi Parkerが亡くなりました。まだ、55歳の彼女は2020年に卵巣癌と診断されていたとのこと。昨年の最高傑作である “Hey What” はそんな状況の中で製作されていたのですね。2001年初来日を今は無き原宿アストロホールで観ていて、様々な思入れもあり大好きなバンドです。ご冥福をお祈りします。

                Mimi Parker(Low)、R.I.P. - ディスカホリックによる音楽夜話
              • R.I.P. Milford Graves | ele-king

                ジャズ・ドラマーのミルフォード・グレイヴスが去る2月12日、難病の心疾患のために亡くなった。没年79歳。 グレイヴスは、フリー・ジャズにおいてもっとも際立ったドラマーだったのだろう。ぼくよりもひと世代上の、音楽(ことジャズ)に特別な思いを馳せている人たちはほとんどみんなグレイヴスが好きだった。間章や竹田賢一のような人たちの文章を読んでいたし、ぼくは松岡正剛さんからも話をされたことがあった。そう、だから1993年のたしか初夏だったと記憶している。土取利行が企画したライヴ公演に行かない理由はなかった。 もうひとつぼくには特別な理由があった。その年、ぼくは20代最後の1年を、大袈裟に言えば24時間テクノを聴いているような生活を送っていた。隔月で海外に行くような生活だったし、雨だろうが雪だろうが毎週末をクラブで過ごし、文字通り、寝る間も惜しんで聴いていたのではないだろうか。石野卓球との『テクノボン

                  R.I.P. Milford Graves | ele-king
                • R.I.P. Bunny Wailer | ele-king

                  ついにこの日が来てしまったか。2週間前にUロイの訃報を聞いたショックも冷めやらぬうちに、レゲエ史上最高のグループであるボブ・マーリー、ピーター・トッシュとのオリジナル・ウェイラーズ最後の生存者、“ジャー・B”、バニー・ウェイラー(ネヴィル・リヴィングストンOM)が浮世を去った。つまりただの訃報ではない。ひとつの歴史の終焉の知らせである。 73歳はいかにも早いし、Uロイより5歳も若い。しかし多くのファンは、そうしたことが起きはしまいかと心配していたと思う。2年前に軽い脳卒中を起こし、昨年の夏に再度の卒中に見舞われていた。その直前の5月末、彼が長年連れ添ってきた妻が失踪したニュースが報じられ、世界中のファンが心を痛めていた。その妻は、ウェイラーズのアイランドからのセカンド・アルバム『Burnin'』の「Hallelujah Time」や「Pass It On」に作曲者としてクレジットされている

                    R.I.P. Bunny Wailer | ele-king
                  • TVアニメ『アークナイツ【冬隠帰路/PERISH IN FROST】』ノンクレジットエンディング映像 ver.α / ReoNa「R.I.P.」

                    TVアニメ『アークナイツ【冬隠帰路/PERISH IN FROST】』のノンクレジットエンディング映像 ver.αです。 ▼エンディングテーマ「R.I.P.」 歌:ReoNa 作詞:ハヤシケイ(LIVE LAB.) 作編曲:毛蟹(LIVE LAB.) ブラスアレンジ:宮野幸子(SHANGRI-LA INC.) ▼放送情報 【テレビ放送】 テレビ東京  2023年10月6日(金)25:23~ テレビ大阪  2023年10月6日(金)26:10~ BS11     2023年10月8日(日)23:30~ アニマックス 2023年11月4日(土)22:30~ ※放送日時は変更となる場合がございます。 【配信サイト】  2023年10月7日(土)10:00以降、順次配信開始!

                      TVアニメ『アークナイツ【冬隠帰路/PERISH IN FROST】』ノンクレジットエンディング映像 ver.α / ReoNa「R.I.P.」
                    • R.I.P. Damo Suzuki | ele-king

                      「今」だけを生ききった旅人 松山晋也 昨日(2024年2月10日)の深夜にダモ鈴木さんの訃報をツイッターで知った時、まっさきに思ったのは、やっぱりダモさんの最新インタヴューもとっておくべきだったな、ということだった。2020年秋に私の編集・監修で出た『カン大全――永遠の未来派』には、本人の回顧録『I Am Damo Suzuki』の紹介記事(崎山和弥)と、セレクテッド・ディスコグラフィ(小柳カヲル)、そして私が96年にやったインタヴュー原稿を掲載したが、総ページ数に制限があったため、最新情報までは載せられなかった。まあ、ガン治療で大変そうだと聞いていた上、インタヴューしても肝心なポイント(言葉)はだいたい予想できるという思いもあったわけだが。 ダモさんには過去4回インタヴューした。「日本でのちゃんとしたインタヴューは初めて」だと言っていた最初の取材はたぶん88年だったと思う。70年代後半か

                        R.I.P. Damo Suzuki | ele-king
                      • 「R.I.P.Longcat.」ネット黎明期から猫コラ画像で”のびーるたん”の愛称で親しまれてた長猫・のび子さんが息を引きとる…

                        18歳の長寿だった様で…。 自分も初見は加工前のも「またまたそんな伸びるワケ…マジか…!?」ってなったのを覚えてます。 外国の人から、しかも色んな国から引用RTでお悔やみのツイートが来てました。

                          「R.I.P.Longcat.」ネット黎明期から猫コラ画像で”のびーるたん”の愛称で親しまれてた長猫・のび子さんが息を引きとる…
                        • R.I.P. Betty Davis | ele-king

                          私はあなたを愛したくない なぜなら私はあなたを知っているから ベティ・デイヴィス“反ラヴソング” 時代の先を走りすぎたという人がたまにいるが、ベティ・デイヴィスはそのひとりだ。彼女については、かつてのパートナーだったマイルス・デイヴィスが自伝で語っている言葉が的確に彼女を説明している。「もしベティがいまも歌っていたらマドンナみたいになっていただろう。女性版プリンスになっていたかもしれない。彼女は彼らの先駆者だった。時代の少し先を行っていた」(*) ベティ・デイヴィスは女ファンクの先駆者というだけではない。彼女は、セックスについての歌をしかもなかば攻撃的に、鼓膜をつんざくヴォーカリゼーションと強靱なファンクによって表現した。公民権運動時代のアメリカには、ローザ・パークスやアンジェラ・デイヴィスをはじめとする何人もの革命的な女性がいた。音楽の世界においてもアレサ・フランクリンやニーナ・シモンら

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                          • R.I.P. Shane MacGowan | ele-king

                            野田努 2002年の日韓ワールドカップのときのことだ。抽選でチケットの買えた試合が、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)で行われたアイルランド・サウジアラビア戦だった。緑色のユニフォームを着た大勢のアイルランド人たちのほぼひとりひとりが、缶ビール500mlの6缶入りのパックを手にぶら下げて、あるいは、スタジオ周辺の道ばたで試合開始の数時間前から座って飲んでいる。道中にあった立ち食いそば屋も缶ビールを手にしたアイルランド人たちで占拠され、なかばパブと化していた。こうなれば頭のなかはザ・ポーグスだ。このバンドからはいくつかのアイルランド民謡を教えてもらった。“ウイスキー・イン・ザ・ジャー”、それから“アイリッシュ・ローバー”。初めてロンドンを訪れたときは、ソーホーを歩きながら“ソーホーの雨の夜”を思い出した。映画『ストレート・トゥ・ヘル』も忘れられない。ご多分に漏れず、クリスマスには何回も

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                            • R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた

                              R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた2020.10.08 18:0018,835 岡本玄介 躍動感のあるイラストが秀逸! しかもこの顔! 伝説のハードロック・バンド、Van Halenのギタリストであるエディー・ヴァン・ヘイレンが、2020年10月6日、闘病の末に喉頭がんで死去しました。悲しみに暮れながら彼を懐かしみネットで情報を追っていたら、1985年に、とある発明で特許を申請していたという情報にたどりつきました。 それは肩に掛けるエレキギターを、あたかもスチールギターのような角度で両手タッピングをするため、ギター背面に折りたたみ式のサポート板を取り付ける、というもの。 Google Patentsを見ると、出願者の名前は本名のEdward L. Van Halenとなっており、これが紛れもなくエディー本人であることがわ

                                R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた
                              • R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた(ギズモード・ジャパン) - Yahoo!ニュース

                                躍動感のあるイラストが秀逸! しかもこの顔! 伝説のハードロック・バンド、Van Halenのギタリストであるエディー・ヴァン・ヘイレンが、2020年10月6日、闘病の末に喉頭がんで死去しました。悲しみに暮れながら彼を懐かしみネットで情報を追っていたら、1985年に、とある発明で特許を申請していたという情報にたどりつきました。 【全画像をみる】R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた それは肩に掛けるエレキギターを、あたかもスチールギターのような角度で両手タッピングをするため、ギター背面に折りたたみ式のサポート板を取り付ける、というもの。 Google Patentsを見ると、出願者の名前は本名のEdward L. Van Halenとなっており、これが紛れもなくエディー本人であることがわかります。しかも目を引くのは提出された

                                  R.I.P. 発明好きのギターヒーロー。エディー・ヴァン・ヘイレン、ギターに関する発明で特許申請していた(ギズモード・ジャパン) - Yahoo!ニュース
                                • R.I.P. Biz Markie | ele-king

                                  ヒップホップ・シーンの中でも唯一無二なユーモアあふれるキャラクターで、多くのファンから愛されていたラッパー、Biz Markie (本名:Marcel Theo Hall)が7月16日、メリーランド州ボルチモアの病院にて亡くなった。享年57歳。妻である Tara Hall に看取られながら、息を引き取ったという。 死因は発表されていないが、一部では糖尿病による合併症と報じられている。Biz Markie は2010年に2型糖尿病と診断され、昨年には糖尿病治療の入院中に脳卒中になり、一時は昏睡状態になっていたとも伝えられていた。その後、意識は回復していたものの闘病生活は続き、今年7月頭には Biz Markie が亡くなったという噂がインターネット上で広まり、代理人が否定のコメントを発表するという騒ぎも起きていた。 1964年にニューヨーク・ハーレムにて生まれ、その後、ロングアイランドにて育

                                    R.I.P. Biz Markie | ele-king
                                  • R.I.P. Amp Fiddler | ele-king

                                    デトロイトが生んだ偉大なミュージシャンのひとり、アンプ・フィドラーことジョセフ・アンソニー・フィドラーの訃報が12月17日に届いた。1958年5月17日デトロイト生まれの享年65才。巨大なアフロ・ヘアとヒゲがトレードマークのキーボード奏者/シンガー/作曲家だが、2022年より原因不明の病に罹って闘病生活を送っており、地元デトロイトでは12月10日より治療費を賄うためのクラウド・ファンディングが開始されたばかりだったが、その矢先のことだった。 彼の訃報はジョージ・クリントン(Pファンク)やクエストラヴ(ザ・ルーツ)などのSNSで伝えられたのだが、誰もが知る著名なミュージシャンというわけではなく、ソロ・アーティストとして活躍するよりも、スタジオ・ミュージシャンとかバック・ミュージシャンといった仕事で力を発揮するタイプだった。デトロイトにはモータウンの昔からそうした裏方仕事をするミュージシャンが

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                                    • 【号外】 R.I.P 教授、YMO は永遠のスーパーバンド!! - ゼロ からの DTM 日記

                                      #179 坂本龍一 が亡くなった… 僕ら世代はやはり、Y・M・O 日本の、東洋のロックを証明して見せた、すごいバンド。 教授は 高橋幸宏 を追いかけてしまったね、残念です。 '79年のアメリカツアーのライブ映像、今でも見るとゾクゾクする。 ギターは渡辺香津美。 テクノがバンドのウリなんだけど、幸宏のリズムも相まって、むしろロックを感じる。 細野晴臣がプレシジョンベースを手に取ると、グルーヴは更に加速する。 世界に導いたのは、教授、あなたでしたね。 R.I.P by  Rint Tak ランキング参加中エレキギター

                                        【号外】 R.I.P 教授、YMO は永遠のスーパーバンド!! - ゼロ からの DTM 日記
                                      • R.I.P. Wayne Shorter | ele-king

                                        モダン・ジャズの黄金時代である1950年代末から1960年代、エレクトリック・ジャズやフュージョンによって新時代を迎えた1970年代、そして現代に至るまで、長きに渡りテナー・サックス奏者の第一人者として活躍してきたウェイン・ショーターが、2023年3月2日に89歳の生涯を終えた。1933年8月25日にニュージャージー州ニューアークで生まれたショーターは、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ファラオ・サンダースなどとともに、ジャズの歴史を動かしてきた真の伝説的なミュージシャンと言えるだろう。 ウェイン・ショーターの活躍期間は大まかに1950年代末のジャズ・メッセンジャーズ加入から1960年代中盤のマイルス・デイヴィス・クインテット時代、1970年代から1980年代中盤にかけてのウェザー・リポート時代、ウェザー・リポート解散後から現在に至るソロ活動期と分けられる。

                                          R.I.P. Wayne Shorter | ele-king
                                        • 塚本浩司(PRINCE R.I.P) on X: "今年になり、外国人の来店者が増えてから、ペットボトルや缶(中身が入ったままも含めて)が捨てられることが事実として増えてきた。が、今日のこれはあまりにもひどい。もちろん外国人がやったとは限らない。日本人だって道端にポイ捨てする人はいる。ただ事実として、去年までは記憶にない出来事だ。 https://t.co/4C44zJJiWP"

                                          • R.I.P. 南正人 | ele-king

                                            年明けからほどない1月7日夜、シンガーソングライターの南正人氏が亡くなられた。facebookの公式アカウントにご子息泰人氏がよせた動画内の説明によれば、横浜のライヴハウスでの演奏中、2曲目の途中でハーモニカを交換しようと椅子にすわりなおしたさい倒れ、バンドメンバーとしてドラムを叩いていた泰人氏の腕のなかで帰らぬひととなったという。直後からネットにも舞台で息をひきとった南氏をさして音楽家冥利につきるとする投稿も散見できたが、私は自由な反骨のひとがまたひとり、音楽の場を離れることに下唇を噛む思いだった。いや南氏の場合、「離れた」というより「旅立った」というべきかもしれない。なんとなれば、本邦音楽史彼ほど旅を愛し、愛された音楽家はいないからである。 南正人は終戦の1年前の1944年のひな祭りの日に杉並区阿佐ヶ谷で産声をあげた。中学、高校と順調な学生生活をおくるも、東京外語大のスペイン語学科に入

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