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yasushiに関するエントリは14件あります。 音楽映画興味深い などが関連タグです。 人気エントリには 『骨の歴史 ジョン・ルーリー 回想録|山下泰司 Yasushi Yamashita』などがあります。
  • 骨の歴史 ジョン・ルーリー 回想録|山下泰司 Yasushi Yamashita

    まるでトリュフォーのデビュー作『大人は判ってくれない』のアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオー)を見ている時のような気持ちにさせられる本だった。「アントワーヌ、それをやっちゃ絶対に良くないことが起こる」とハラハラしていると、案の定、最悪の事態になってしまうのだ。しかし、アントワーヌはまだ10代の子どもである。ここに描かれているのは、10代の時もあるが(まあ悪さばっかりしている)20代、30代、40代……と十分に大人であるはずのジョン・ルーリーなのだ。それなのに……。 ラウンジ・リザーズというバンドのリーダーとして、また映画俳優として1980年代後半〜1990年代には世界中にファンがいた、そしてファッション・リーダー的な存在でもあったジョン・ルーリーだが、この本『The History of Bones John Lurie Memoir』を読めば失意の連続の人生であったことが分か

      骨の歴史 ジョン・ルーリー 回想録|山下泰司 Yasushi Yamashita
    • 新規感染者数の推移データから再生産数を推定する方法について -西浦博氏の5月12日のレクチャーより-|池辺 靖/Yasushi Ikebe

      緊急事態宣言下において日々報道される新型コロナウイルスの新規感染者数は、国民の最大関心事だったと思います。国と自治体からの活動自粛要請が続く中、この対策がちゃんと効果を上げているのか、いつ活動を再開できるのか、あらゆる国民が数字の推移から読み取ろうとしていたのではなかったでしょうか。 そして当初の解除予定日を翌週に控えた5月1日に、専門家会議より新規感染者数をまとめたグラフとともに、“感染者数は減少しているが、そのスピードは期待よりも鈍い”、“再生産数が1を割るだけでは不十分”、“再生産数が0.5以下を維持していくことが必要”というメッセージが伝えられました。そのときに専門家会議から出されたグラフが下に示したものです。図1は全国の感染者数の新規感染者数の推移で、週末を経るごとに凹みがみられる棒グラフに、増加傾向の時の傾きと、減少に転じてからの傾きの違いが矢印で示されているのはすぐに理解でき

        新規感染者数の推移データから再生産数を推定する方法について -西浦博氏の5月12日のレクチャーより-|池辺 靖/Yasushi Ikebe
      • ANDO Yasushi🇺🇦 on Twitter: "留学中に先生に「キミらのむちゃくちゃな英語を藪を漕ぐようにして読み進めているときに、コピペ部分にたどり着くと、突然森が切れて爽やかな草原を走り出したような気持ちになるから、コピペは秒でバレる」って言われたの今でも覚えてる https://t.co/DbFMmbabYs"

        留学中に先生に「キミらのむちゃくちゃな英語を藪を漕ぐようにして読み進めているときに、コピペ部分にたどり着くと、突然森が切れて爽やかな草原を走り出したような気持ちになるから、コピペは秒でバレる」って言われたの今でも覚えてる https://t.co/DbFMmbabYs

          ANDO Yasushi🇺🇦 on Twitter: "留学中に先生に「キミらのむちゃくちゃな英語を藪を漕ぐようにして読み進めているときに、コピペ部分にたどり着くと、突然森が切れて爽やかな草原を走り出したような気持ちになるから、コピペは秒でバレる」って言われたの今でも覚えてる https://t.co/DbFMmbabYs"
        • 3/31発売『暗殺の森』UHD+Blu-rayについて①|山下泰司 Yasushi Yamashita|note

          2023年3月31日に、ベルナルド・ベルトルッチ監督、ヴィットリオ・ストラーロ撮影監督、ジョルジュ・ドルリュー音楽、ジャン=ルイ・トラティニャン、ステファニア・サンドレッリ、ドミニク・サンダほか出演の大名作『暗殺の森』が、4K UHDとBlu-rayの同梱という形で発売となります。発売元はWOWOWプラス、販売元はTCエンタテインメント、お値段は高くて申し訳ありませんが7,800円+税でございます。7,800円というのは、なにか出始めのレーザーディスクの一枚ものの値段だったなあ、と今、遠い目になりました。 私、シネフィルWOWOW(以前はシネフィルイマジカ)というDVD&Blu-rayレーベルでけっこう長いこと働いております山下と申します。今回の『暗殺の森』の商品化のプロデューサー/ディレクターも務めます。よろしくお願いします。 さて、『暗殺の森』のなんたるかは既に多くの方がご存知でしょう

            3/31発売『暗殺の森』UHD+Blu-rayについて①|山下泰司 Yasushi Yamashita|note
          • 僕の体験した東京の80年代 第22回 アンファン2 吾妻光良&スゥインギン・パッパーズ 平沢進 オリジナル・ラヴ 橋本一子|Yasushi Ide|note

            僕の体験した東京の80年代 第22回 アンファン2 吾妻光良&スゥインギン・パッパーズ 平沢進 オリジナル・ラヴ 橋本一子 1989年にいとうせいこう「MESS/AGE」がリリースされ、 同じく僕は自身のプロデュース作品第2弾「アンファン2」をリリースした。 クレジットを見ると、まだエムパイヤ・スネーク・ビルディングだ。 1987年にリリースした初のプロデュース作品「アンファン」が好評で、 リリースしてから割りと早い時期から続編の話が出ていた。 と言うより、自分の中では1をリリースする前から既に2を作る事は決めていた。 更に言うと、当時のインタビューをいま読み返していると、10作品出せば古典になる!とまで言っていた、最低でも5作品は出したい、と。 残念ながら今のところリリースは3作までだ。 CDという、当時の最新型を如何に上手く使って、どう表現出来るか? と、毎日のように頭を巡らせて考えて

              僕の体験した東京の80年代 第22回 アンファン2 吾妻光良&スゥインギン・パッパーズ 平沢進 オリジナル・ラヴ 橋本一子|Yasushi Ide|note
            • 僕の体験した東京の80年代 第21回 いとうせいこう 桑田佳祐 忌野清志郎 MESS/AGE|Yasushi Ide|note

              1987年「アンファン」がリリースされた同じ年に、 リアルフィッシュのあの名盤「ジャンクビート東京」がリリースされた。 矢口博康君がまだエスパー矢口名義だったかな、、、戸田誠司君率いるSHI-SHONEN、ムーンライダース周辺、高橋ユキヒロさんの事務所オフィス・インテンツォのスタッフとかと割と仲良くしていた、飲み会の写真があったりするから、きっとそうだったのだろう。 既に「アンファン2」の準備に取り掛かっていたのかもしれない。 実際に「アンファン2」には矢口博康君、鈴木さえ子さん、ムーンライダースの鈴木博文さんとカーネーションの直江政広君とのデュオ、政風会も収録されているし。 確か矢口君か戸田誠司君から僕に打診があって、桑田佳祐さんがラップに興味があるんだけど、いとうくんに参加して説明してもらってラップを一緒に、みたいな話からヤン富田さん、タイニイパンクスも参加して、、、という経緯だった気

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              • 僕の体験した東京の90年代 第7回 小沢健二|Yasushi Ide

                富ヶ谷にあった僕の事務所は地下にあって、ちょっとした異空間だった。 初めての自分だけの場所。 それは幼少期から作っていた「基地」だったかもしれない。 「宇宙」をテーマに。 デスク・スペースには銀色の鉄板がテーブル代わりに。 そこに60年代に実際に使用されていた電話、とアクリルで出来た椅子。 そこに僕が東急ハンズで毎日のように買ってきたホワイト、ピンク、ブルーの風船が膝丈くらいまでに。 それをかき分けないと電話すら取れない。 またもう一つの打ち合わせスペースには巨大な宇宙のポスターが。 その星を一つずつを蛍光ぺンで塗り、ブラックライトで照らしていた。 扉にはP-Funkのポスター。 ちなみにブラックライトはオリジナル・ラヴ「Love!.Love!&Love!」のアルバム・ジャケットで使用したものだ。 毎週木曜日の夜12時には事務所がバースタイルに。色んな知り合いがふらっと来ては語らい、飲んで

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                • 僕が体験した東京の90年代 第3回 オリジナル・ラヴとブルートニック 必然性のある偶然の出会い|Yasushi Ide

                  初の渋谷クアトロ・ワンマンを大成功に終え、 3カ月毎のクアトロでのレギュラー・ライブがスタート。 田島君のやりたいサウンドにメンバーが入れ替わり、立ち替わり。 そんな中、レッドカーテンの頃からのオリジナル・メンバー小里誠が去ることになる。(その後彼はコレクターズから自身のユニット、フランシスで活動中。うちのパーティにも参加してくれている。) ベースを誰にしよう?オーディションを繰り返す。 そんな時、あ、井上富雄君はどう?と田島くんに提案した。 ブルートニックを解散したばかりだし、彼ならではのブルーアイド・ソウル・フィーリングはいまのオリジナル・ラヴのサウンドにピッタリなのでは! 早速アポを取り、2人で井上君宅へ。 聞けば、ザ・ルースターズを辞めてからはベースは弾いておらず、そもそもベース自体も手放してしまっていた。 思えばブルートニックではベースではなくギターだったし(汗)。

                    僕が体験した東京の90年代 第3回 オリジナル・ラヴとブルートニック 必然性のある偶然の出会い|Yasushi Ide
                  • 僕が体験した東京の90年代 第4回 オリジナルラヴ、そしてジャズで踊るムーヴメント。|Yasushi Ide

                    1991年1月25日から遂にオリジナル・ラヴはメジャー・デビュー・アルバムのレコーディングに入る。 4月14日に終了。 これはリリースに先駆けて、メディア関係者向けに配ったものだ。 デビュー・シングル「Deep French Kiss」及びデビュー広告らのメイン・イメージは横浜の老舗ライブ・ハウス、エアジンで撮影。 女優の高岡早紀さんのお父上がオーナーだとは最近知った。彼女のジャズ・アルバムもどおりで素敵なはずだ。 この場所を選んだのは、ジャズの持つ凛としたダンディズムなセクシーさが必要だったからだ。 デビュー・アルバムのビジュアル・イメージはジミ・ヘンドリクスの歴史的名作「エレクトリック・レディランド」をモチーフにした。 この辺りからは、ほぼ毎日はオーバーだけど、当時中目黒にあった信藤三雄さん率いるコムテンポラリー・プロダクションに本当に良く通った。(実際に後にクレモンティーヌ、ボニー・

                      僕が体験した東京の90年代 第4回 オリジナルラヴ、そしてジャズで踊るムーヴメント。|Yasushi Ide
                    • 僕が体験した東京の90年代 第2回 ピチカートファイブとの出会い。|Yasushi Ide

                      田島貴男君との出会いの前に、 やはりピチカートファイブとの出会いの話になるかな。 初めてピチカートのライブを見たのは渋谷パルコ・パート3だったと思う。細野晴臣さんのノンスタンダード・レーベルのイベント。 ブルートニックとピチカートファイブの対バン、に僕がDJとして参加。 まだデビュー・シングル「オードリー・ヘップバーン・コンプレックス」がリリースされたあたり。 その後、CBS SONYから出た初アルバム「カップルズ」があまりに素晴らしく、当時僕が担当していた雑誌「ホットドッグ・プレス」の巻頭ページ、Viewのコラムで「カップルズ」を紹介してから、小西君と仲良くなっていった。 ちょうどその頃、青山にあったサル・パラダイスでの僕と東京スカパラダイスオーケストラのドラマー青木達之とのレギュラー・DJパーティにも小西君がゲストでDJで参加してもらったりするようになったり。 そういえば、小西君が当時

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                      • Time Machineが遅いときの対処方法 - 瀧(TAKI,Yasushi)/紅呪(kohju)のBlog

                        Time Machineが遅いときの対処方法 あまりにも極端に遅くなるので、まるでなにか別の根本的な問題がありそうに見えるのですが、単に「マシンが重いから」という理由であることが大半みたいです。 遅いというのは、だいたい、1分に数MBytes単位しか進まないぐらいです。 速度は厳密にではなく、TimeMachieの設定パネルで、現在のバックアップ済みのサイズが出力されるので、これを目視で見ています。1分に数MBytes程度の速度だと、数百Gbytesクラスのストレージのバックアップが、到底、一晩、二晩でで終わらない速度になるのですが、下記のことを一式やることにより、1分にGBytes程度まで出るようになりました。これぐらいだと、ノートなら一晩でフルバックアップが終わりますよね。 TimeMachineを妨害している処理は、だいたいはSpotlightの検索インデックス、つまりmds関連プロ

                        • 僕の体験した東京の80年代 第16回 80年代前半、怒涛の来日ラッシュと東京ロッカーズ|Yasushi Ide|note

                          今年惜しくも亡くなったハル・ウィルナー。 彼が手掛けた作品はどれも本当に美しかった。 なかでも、1981年にリリースされた「アマルコルド-ニーノ・ロータ・メモリアル・アルバム」は、もとの映画音楽、ニーノ・ロータのことも好きだった僕には格別だった。 これこそが"コンピレーション"だ! このアルバムと「星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界」がなければ、マーティン・デニーのコンピレーションも、そしてのちに触れていくことになる、僕の初めてのプロデュース作品「Les Enfant」も存在しなかったと思う。

                            僕の体験した東京の80年代 第16回 80年代前半、怒涛の来日ラッシュと東京ロッカーズ|Yasushi Ide|note
                          • 僕の体験した東京の80年代 第17回 TRA|Yasushi Ide|note

                            カセットマガジン「TRA」と出会ったのは、池袋西武にあったストア・デイズだった、と思う。 その圧倒的なカッコ良さにやられてしまった。 TRA自体は集合体であり、カメラマンの伊島薫さん、デザイナーのミック板谷さん、そしてプロデューサー、後にThe Thrill(ザ・スリル)の指揮者にもなる式田純さんから成り立っていた。 TRAに関する実務は式田さんの会社「パーソナリティーズ」が行なっており、僕はこちらに所属、勤務することになった。 式田さんは元丸紅の商社マンで、だからなのか、は未だにわからないのだが、メモ書きなどの文字は全てカタカナで統一だった。外国人が読みやすかったからなのかな。ならばローマ字の方が良いような気がするけど。 朝は9時半に西麻布の事務所に出社。終業は毎晩終電ギリギリ。 家に着くのが深夜1時近い毎日だった。 当時、フィオルッチ、ストレンジ・クラシックなどの代理業務をやっていたの

                              僕の体験した東京の80年代 第17回 TRA|Yasushi Ide|note
                            • ANDO Yasushi🇺🇦 on Twitter: "Twitterで流れてきて面白そうだった「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」が届いたんだけど、とにかく読みにくくてしょうがない。なんだこれ? https://t.co/iUIWe3YyZx"

                              Twitterで流れてきて面白そうだった「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」が届いたんだけど、とにかく読みにくくてしょうがない。なんだこれ? https://t.co/iUIWe3YyZx

                                ANDO Yasushi🇺🇦 on Twitter: "Twitterで流れてきて面白そうだった「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」が届いたんだけど、とにかく読みにくくてしょうがない。なんだこれ? https://t.co/iUIWe3YyZx"
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