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断片化に関するqt_fbのブックマーク (50)

  • 水戸芸術館:夏への扉-マイクロポップの時代

    Date: Tue, 12 Dec 2006 17:35:35 +0900 From: tamamik@arttowermito.or.jp Subject: [atm-info,02187] Press Release "The Door into Summer: The Age of Micropop" To: atm-info@arttowermito.or.jp Message-Id: <49257242.002F340A.00@david.arttowermito.or.jp> X-Mail-Count: 02187 ▼水戸芸術館ATM速報2006年12月12日発 --------------- Press Release 夏への扉 マイクロポップの時代 松井みどりは、美術評論家として1995年から2006年に至る 約10年間のアートシーンの中に「マイクロポップ」的表現の出現と

  • Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の究極の楽しみは「クリエイトすること」、それがWeb2.0

    昨日はWeb2.0EXPO会場で、日から来た友人たちと何人も会えた。皆、シリコンバレーの元気さ加減を羨ましく思っている口ぶりだったので、「でも日も景気いいじゃん、最近は何が面白いの?」と水を向けても、あまりパッとした答えが返ってこなかったので、ふぅむ、そんなものか・・・と黙った。 その中で出た話に、「最近のティーンは何が欲しいのかわからない、と困っているメーカーが多い」との話があった。昔の私たちの世代だと、車だとかオーディオだとかギターだとか、そういうものが欲しくて一生懸命アルバイトしてお金をためたりしたものだが、今のティーン世代はそういったものを買いたいと思わない。せいぜい、ゲーム機とケータイがあればいい。パソコンは親が持っているか学校にある。何やってるかというとケータイでメール送っているだけ・・だという。 まー確かに、ウチの子供たちを見ていても、具体的なモノを買いたいという要求は最

    Tech Mom from Silicon Valley - 豊かな時代の究極の楽しみは「クリエイトすること」、それがWeb2.0
  • Re:フィクションとノンフィクションについてつらつらと

    「事実」であるという背景に心惹かれるのは、その物語が「時間」的にも「空間」的にも自分と接触する可能性に満ちている魅力のせいだ、という要約でいい?違う? 兎にも角にも、キーワードは「プロット」だよ。来の「事実」には物語るための「プロット」がないという前提が重要だと思う。 「歴史」という概念をとりあげても、あれは○○や△△や□□な断片化した出来事をA-B-Cと筋立てすることで成立する。ノンフィクションもその類のひとつで、ある誰かの手によって事実をストーリー化する行為だ。 私たちが「事実」であるという背景を持つ物語に心惹かれるのは、普段は断片的にしか認識することのない現実が、うまいことプロットなりストーリーとして統合され作品化される事象に魅力を感じるからじゃないかなあ。 物語的認識という言葉があるけれど、まさに人は物語によって歴史や現実を認識し理解してきた生き物なので、不安定で断片的な現実の物

    Re:フィクションとノンフィクションについてつらつらと
    qt_fb
    qt_fb 2007/12/09
    物語的認識と物語のパッゲージ化
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

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  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 迷走する“著作権”――そして“共有”

    P2P技術の登場によって、著作権などの従来の概念が崩れつつある――。Winnyが開発された背景には、こんな認識があったという(5月10日の記事参照)。 「著作権法とはそもそも、著作物のコピーを禁じ、使用は認めるという法律。どんな著作物でも使用の前にコピーすることが前提にあるので、これでユーザーの使用を実質的にコントロールすることができた」と話すのは情報処理学会・フェローの名和小太郎氏。理系畑を歩んできた同氏は、理論に縛られがちな法の専門家とは一線を画した立場から、『ディジタル著作権』『サイバースペースの著作権』などの著作を発表している。 名和氏は、現在の著作権法が抱える問題点を次のように説明する。「を読むのはいいがコピーはだめ、映画のフィルムを映写するのはいいがコピーはだめ。アナログの著作物ではこれでよかった。しかし、デジタル環境あるいはネットワーク環境では、コピーのコントロールは難しく

    迷走する“著作権”――そして“共有”
    qt_fb
    qt_fb 2007/11/08
    アンチコモンズの悲劇
  • Amazon.co.jp: 意味の文明学序説: その先の近代: 今田高俊: 本

    Amazon.co.jp: 意味の文明学序説: その先の近代: 今田高俊: 本
    qt_fb
    qt_fb 2007/11/05
    模試経由。高過ぎて借りるしか無い。
  • 継続していく事が魅力なのではない - 煩悩是道場

    雑感所詮、私に被害は及ばないのである。z0racの日記 - いじめは降りられるゲームだが…自分に被害が及ばないのならアクションを起こさないと「表明」する悪意は事なかれ主義以上の悪質さを持っている。「関係ない」なら無視すれば良いのだ。華麗にスルーすれば良いではないか。何故トラックバックを打つ。何故エントリーを書く。「被害が及ばない(だから書かない)」と表明する事で自己の「書かない事」の正当性が担保出来るのか?いじめについて意見を表明する気が無いのなら、終始一貫徹頭徹尾黙っていて欲しい。言いたい事はあるけれど、オレには関係ないから何も書かないと表明する意味が理解出来ないし、トラックバックとして表明するくらいだから何らかの意図があるんだろう。 z0racさんが当に解決方法を持っているかどうかは私にはわからない。「牛の首」かもしれない。書きかけでも非難を浴びても良いから書けば良いのに、自分の意見

  • 荻上チキ『ウェブ炎上』 - rna fragments

    ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書) 作者: 荻上チキ出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/10/01メディア: 新書購入: 18人 クリック: 298回この商品を含むブログ (169件) を見る チキさん(id:seijotcp)の単著。献して頂いたので少し念入りに紹介してみる。 どんなか このは一言で言うとウェブの「力学」を学ぶためのガイドブックだ。「炎上」という言葉に象徴されるような、ウェブコミュニケーションで見られる一見奇妙な盛り上がり(サイバーカスケード)がどういう仕組みで起こるのか、そしてそれは何を生み出すのか、ということを日のネットユーザにはお馴染みの様々な事例を通じて描き出す。 「力学」の部分は社会心理学や社会学の比較的枯れた理論を参照しており、著者自身の独自の主張は抑えられている。強めの主張の後では読者が極論に流されないように引き戻すよう

    qt_fb
    qt_fb 2007/10/30
    "切り出された閉じたネットワークは、その中で似たもの同士が出会い同調意識を高め合うような空間(エコー・チェンバー)"=タコツボ化と捉えておく
  • http://d.hatena.ne.jp/MASSY/20071024

  • 断片化社会 - 量産型ブログ

    以前書いた、上意下達右顧左眄の後、色々考えたり、「下流社会」を屋で立ち読みしたりしたのだが不意に思いついたキーワード。 断片化社会 おお、今の世の中を表すのにちょうどぴったりではないか。希望格差、階層、下流に続く社会ものの定義として俺はこれを強く推す。 GoogleでもYahoo!でもヒットしないところを見るとほんとに使われていないようだ。*1 冷静の終焉でイデオロギーが意味を失い、情報通信技術の進歩が人々を分断している現在。 かつて、インターネットは、地理的制約を超えて趣味や思想を同一にする人々を結びつける技術と見られていた。だがしかし、実際はどうだろう?帰属する共同体を持たない人達によるSNSやブログや掲示板で交わされる薄いコミュニケーションが何を生み出しただろう?分断化された人々はカルト化し、前提を共有しない議論が交わされる。 彼らがつながりを実感するのは生け贄を伴う祭りのみ。 と

    断片化社会 - 量産型ブログ
  • 人格表象の統合的把握を妨げる匿名空間の性質と、それによって誘導される人格形成上の問題及びコミュニケーション上の問題に関する懸念 - シロクマの屑籠

    匿名者は、良いことをしたとしても無名のままで、酷いことをしたとしてもやはり無名のままだ。彼らは第三者から弁別可能な人格も表象も獲得されないので、応報戦略も通じないし、相手を貶め返すことも出来ない。匿名投稿者は何らかの人格・ハンドルネーム表象を纏って捉えられないため、人と人との関係性の蓄積を期待できる存在ではない。この点、コミュニケーションの対象として匿名者は(目の前にいる他者、と比較した場合にだが)不完全な存在として現われる。個々の発言に対して罵倒や釣りや賞賛を行うことはできるけれども、私は匿名者*1個人に対して何らかの人格表象を獲得することが出来ない。 この匿名性のメリットとデメリットに関しては、様々の意見や視点があるだろうし、これまでにも多くの人達によって十分に討議されてきたわけだけれども、この、人格表象を捉えられない・蓄積できないことに関連するであろう、或る危惧について考えてみたい。

    人格表象の統合的把握を妨げる匿名空間の性質と、それによって誘導される人格形成上の問題及びコミュニケーション上の問題に関する懸念 - シロクマの屑籠
  • パンクとスタイル - 蒼猴軒日録β

    昨日のつづき。 パンクがスタイルではないとすれば、スタイルのあるものとは何か。モッド/スキンヘッド文化を、その代表として考えて良いのではないかと思う(勿論、テディー・ボーイでも、ロッカーでも良いのだが)。その服飾における細かいルール、クラークスのデザート・ブーツであれ、フレッド・ペリーのポロ・シャツであれ、スタ=プレストであれ(ここまではモッズ)、DMのチェリーレッド・ブーツ10ホール白紐通しであれ、細いサスペンダー(ブレイシズ)をベルト・ループの内側にクリップすること(スキンヘッズ)であれ、それらは、レディ=メイドを流用したモノであり、消費財としてのそれらは、来のコンテクスト(軍用、スポーツ用品、アイヴィー・ルック、足の不自由な人のための、ズボンをつりさげるためのもの)から引き剥がされ、モッドないしはスキンヘッドというスタイルの構成要素という「意味」を付与される。そして、それらの流

    パンクとスタイル - 蒼猴軒日録β
  • ネットの可能性は「バカ」にある - 萌え理論ブログ

    メディアの条件 萌え理論Blog - ネットばかり見てるとバカを見る ネットが頭を良くする(悪くする)というのは迷信に近い。そうではなくて、地理的物理的なコストを下げて、流通的な障壁を無くすのがインターネットの意義である。 前エントリで、経済格差が情報格差になる、という主張を批判したのは、当に深刻な格差社会の現実を隠蔽してしまうからだった。「情報格差──これから始まろうとしている当の格差社会」などと、「格差」の文句で脅す一方、「パソコンとインターネット」さえ使えれば格差社会を勝ち抜ける、という甘い妄想を振りまく。そして、PC・Webでその記事を見ている読者は慰撫される構図となる。しかしもし、記事の言う通り「10歳程度までに」「少なくとも義務教育レベル」「もしかしたら高校レベル」「大学の一般教養レベルにも達する可能性すら」あるのなら、格差を制するのは読者ではなく、次の世代の天才児たちだと

    ネットの可能性は「バカ」にある - 萌え理論ブログ
  • 情報の断片化と文脈の多様性 - 森の日記

    blogツールの普及によって、情報の単位が「ウェブサイト」単位から「記事」単位に断片化してきているという話: 「サイト」単位と「記事」単位の情報の流れ、アルファミームの発見(付:はてな各サービスの使い分け) [絵文録ことのは]2005/06/01 ブログの登場で、今までの「ウェブサイト」を主体とした情報の流れとは別に「記事」を単位とした情報の流れが明確になり、またそれに対応したサービスも登場している。しかし、ネット内には今もまだ「サイト」単位を中心とした情報の流れしか理解していない人たちもいる。一方、「サイト」単位と「記事」単位をうまく使い分けている人もいる。 その「断片」をどういう「文脈」に位置づけるかということもまた重要であるという話: 内田樹の研究室: お断りの日々 メディアの仕事は、世界にうずまくカオティックでアモルファスな出来事の渦の中に手を突っ込んで、ひとつながりの「情報単位」

    情報の断片化と文脈の多様性 - 森の日記
    qt_fb
    qt_fb 2007/10/23
    はてなでの「断片化」の使われ方は「記事ごとに読まれること」
  • 東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版

    はじめに さる2007年6月5日に行われた東浩紀と伊藤剛の対談「『テヅカ・イズ・デッド』から『ゲーム的リアリズムの誕生へ』」のダイジェスト版と私的な感想をまとめた。すべてを網羅するのではなく、個人的に印象に残った部分のみを断片的に抜き出すようなかたちになっている。これはエントリの目的が対談のレポートにあるのではなく、個人的な感想を述べることがメインになっているからである。 抜き出した部分にはこちらで勝手にタイトルをつけて、大まかな性格を与えた。まずは“1.『ゲーム的リアリズムの誕生』について”。ここでは、東浩紀自身が自著についての説明を行った箇所のみを引用している。来は、対談の中での伊藤剛とのやり取りの一部分にすぎなかったものだ。しかし、『ゲーム的リアリズムの誕生』の読者にとってはある程度参考的な内容となるのではないかと思う。 “2.キャラクター文化にとっての美とは?”とその次の“3.

    東浩紀×伊藤剛対談『テヅカ・イズ・デッドからゲーム的リアリズムの誕生へ』ダイジェスト版
  • 『人間(ハート)失格』見た - 生首の『・・・・・』

    http://www.potudo-ru.com/ http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html 新世界の神が表紙であるところの『人間失格』を読んで「これはぼくのことだ!」という芝居を観て「これはぼくのことだ!」と思った、という話。 あ、劇中での小道具は小畑版ではなかったです。 オレは 自意識に感謝している 自己ケンジシャンにならなければ Dan!Pen!175 になっていたから…… 情報Aをαと受け取ったとき、「αってことか」「αじゃん」と表明することを、<ネットイナゴ><断片化>と言うらしいです。へーへー。へーボタン押してやりたい。そういえば、はてなに投げモヤっとボール機能がつきました。たくさんクリックすると1ヵ月後には伊東四郎の頭部が大変なことに!それだけが生きる希望です。対して、生きる絶望は星の数ほどあります。だ

    『人間(ハート)失格』見た - 生首の『・・・・・』
  • http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070219/p1