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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (8)

  • [書評] やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(渡航): 極東ブログ

    令和の時代とやらになっても特段に変わることなんかあるわけないだろ、ばーか、という気分でいたのだが、いざなってみると、自分が、老人になっていた。思わぬ体調の不全があって死ぬかもと思ったせいもあるが、うひゃあ老人になったちゃったよ俺感が充溢してしまった。2歳下のなるちゃんが天皇になって新時代を頑張るというのに俺のほうが終わりかあみたいな。で、なぜか、アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』2期のエンディングを見て、あれ?という気持ちになった。 いや、何が言いたいのかこれでは伝わらないだろうと思うが、書いている自分もよくわかっていないのだ。ただ、その「あれ?」のひっかかりから、終わりの2話を見直したら、なおさら「あれ?」だったので、一期から全部見直した。三度目になる。 呆れた。まったく新しく見る感動とまではいかないが、以前、俺は何を見ていたんだろうくらいの感想はあった。そこで「あれ?」

  • やまもといちろう氏のツイッターアカウント凍結で思ったこと: 極東ブログ

    ブログの話題でもないかもしれないし、私が取り上げる話題でもないだろう、そもそもそれほどたいした話題でもないんじゃないかか、と思い数日過ごしていたが、日のブログのブログの歴史を振り返ってみると、というのも大げさだが(アルファブロガーなんちゃら)、案外私もコメントしておいてもいいかもしれないと思い直し、わずかだが、やまもといちろう氏のツイッターアカウント凍結で思ったことを簡単に書いておく。凍結というのは、発言禁止ということ、「おまえここでこれ以上、つぶやくなよ」ということ。なお、気取るわけでもないが、この話、あくまで日のブログ史の資料程度ものであって、同氏への関心というものでもないので、そこはそういうことで。 そもそもこれがニュースなのか、つまり、ツイッターのいちアカウント凍結がニュースなのかというと、普通は、その凍結された人の重要性が問われるだろう。そうした意味で、やまもといちろう氏が、

    rAdio
    rAdio 2018/07/27
    『小学校で、廊下を走るのはやめましょう的な何か』
  • 非モテとインセルの違いについて: 極東ブログ

    ブログを書いていると、知りもしない話題をブログ記事なんかに書くなという罵倒をもらうことがある。しばしばある。というか、この手のナイス・マウンティングは実際にはもう制度化していて、まさか罵倒している人もそうした思想制度に絡め取られているんじゃねーのといったメタ・マウンティング返しをしていると、ほらぁ、はてな的世界の螺旋地獄はとまらなくなるし、あー、ここは、はてなじゃねーよ。 と切り出したのは、この螺旋マウント地獄のノリがはてなっぽいんじゃないかと思えたこともあるが、こうした一種の対話的な機能が、はたからは地獄に見えても、他面では低能先生の実効をそれまで抑止していた対話機能なんじゃないかと思うからで、そこの点が、非モテとインセルの大きな違いなんじゃないかというのが、この記事の結論で、それだけでわかった人は以下読む必要はないんだけど。あと、この記事が何言っているのか、まるでわからないという人も

    rAdio
    rAdio 2018/07/05
    まあ、モテ/非モテの話題になると、右も左も誰も彼もが皆、示し合わせたようにシバキアゲ自己責任のテンプレを吐いて矮小化しにかかってくるのも、ここ17年近く変わってはいない。
  • [アニメ] 魔法少女まどか☆マギカ: 極東ブログ

    『魔法少女まどか☆マギカ』をたらたらと見た。見ろと勧められたというほどでもないが、それに近いようなことがあって、なんとなく見始めて見終えた(映画は見ていない)。この手のアニメのキャラクター・デザインは私は苦手なのと、オタクっぽさを感じさせるアニメはそもそも苦手なんで、こんなの俺が見るかなあ、と思っていたが、たらたらと見ることの利点もあるもので、しだいに面白くなった。というか、これはなるほど重たいテーマなのだなと理解した。 以下、ネタバレを含む。それと、この記事は批評的なものではない。感想というか連想というか、そういうものだ。まあ、どうでもいいという類でもある。 この作品で魅力的なキャラクターは、何と言っても、と言っていいのではないか、キュゥべえだろう。古典的な文学作品の文脈で言えば、悪魔の類型になるのだろうが、悪魔が通常、悪なるものを定義する形で表現されるのに対して、キュゥべえは、悪を止揚

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    rAdio 2018/03/21
    ザ・衒学。
  • その問題で思った、もう一つのこと: 極東ブログ

    昨日の記事に含めようとしたものの、話がいつにもましてごちゃごちゃするといけないから避けていたことがある。この問題、黒子のバスケ脅迫事件で考えさせられた、もう一つのことだ。結論から書くこともできるのだけど、あえて、これを考えたきっかけ話からだらっと書いてみたい。 きっかけは、ドミニオンである。 ドミニオンというのは、カードゲームだ。自著にも書いたが、私はけっこうカードゲームをする。 ドミニオンがどういうゲームなのかというのを、まったく知らない人に伝えるのは難しい。多分、ウィキペディアには解説があるだろうと覗いて見ると案の定あるのだが、まったく知らない人がこれで理解することはできないのではないだろうか。しかし、難しいゲームではない。小学生でもできる。これが、けっこう面白いのだ。 ドミニオンをあえてごく簡単に言えば、トランプゲームのようなものだが、日トランプゲームにありがちなストップ系(早く

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    rAdio 2014/03/26
    「ボードゲームあるある」からこうもってくるか。確かにそうだ。だから俺はそういう「不規則性」が苦手だ。
  • 「再配分連盟」と「合理的な無関心」: 極東ブログ

    古い話題だとばかり思っていたが、「再配分連盟」と「合理的な無関心」は意外と今後の日政治に重要な視点かもしれないと思い直したので、少し補足的に書いてみよう。話の元はピーター・タスカ『JAPAN2020 不機嫌な時代』(参照)である。 「再配分連盟」とはなにか 「再配分連盟」は、ごく簡単に言えば、利権集団と言ってもよいだろう。ただし、ややこしくなるが、学術概念でもあるので、もう少し丁寧に見てみたい。 「再配分連盟」は"redistributional coalition"の訳語だが、訳語としてこなれているとも思えない。定訳語なのかもしれないが、この概念を提出したマンサー・オルソン(Mancur Olson, Jr.)の、邦訳書『国家興亡論―「集合行為論」からみた盛衰の科学』(参照)のオリジナル"The Rise and Decline of Nations"をネット上のリソースで検索すると

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    rAdio 2013/01/02
  • 誰が弱者か?: 極東ブログ

    2ちゃんねるのまとめサイトだろうか、「どっちが弱者ですか?」(参照)というネタが上がっていた。ネタだというのは一目見ればわかるが、この絵はちょっと奇妙な後味を残す。誰が弱者か?という難問の、どこかしら質を突いているからだろう。 5人の人がいる。左から。 (a)貯金4000万円の働かなくても年金生活の老人。 (b)年収300万円の疲れ切ったブラック会社員。 (c)年収250万円の派遣社員。 (d)年収200万円のフリーター。 (e)旦那が年収1000万円の専業鬼女。 もちろん、ネタ元の「あなたの優しさで席をゆずりましょう」というときは、妊婦(e)や老人(a)に席を譲ろうという話だったのだが、これを「弱者」に問題をすり替えたとき、譲られるべき老人(a)も妊婦(e)も社会的な「強者」ではないのかというアイロニーである。 もちろん、とまた言うが、この局面では座っている権利を持っている人が身体的な

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    rAdio 2012/07/30
  • 日韓の友好は冷静に考えればありえないだろう: 極東ブログ

    語で読めることもあって、東亜日報、中央日報、朝鮮日報の三紙のサイトはざっと眺める。が、最近はしだいに嫌になりつつある。竹島問題といい扶桑社の教科書問題といい、そんなことが話題なのかという感じが私にはする。こうした話題に巻き込まれるのが楽しい人も双方いるのだろうが、私にはどうでもいいことだ。三紙が韓国民の声をそれほど反映しているわけでもないことは、韓国のフリーペーパーの動向などからも察せされるのだが、それにしても、こうした反日嫌韓的な騒ぎの根はそれなりに深いのだろう。どうしたらいいのかと多少は思うのだが、どうにもならないのではないか。そんなおり、日版ニューズウィーク(3・16)に掲載されているピーター・タスカのコラム"日韓関係にひそむ危険な「純愛幻想」"が相変わらず秀逸だった。 タスカはクリアにこう指摘する。 では、日が誠意をもって過去の過ちをわびれば、韓国、さらには中国との関係が改

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    rAdio 2005/03/29
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