興味深い連載が、2006年7月13日付けの業界紙「新文化」ではじまりました。現役の書店員である伊達雅彦さん(匿名か本名かは不明)による連載で、タイトルが「傷だらけの店長 ――それでも本屋を続ける理由――」。私の世代ですと、このタイトルには敏感に反応してしまいます。「傷天」を見てましたからね。 内容を読みすすめていくと、なんともいえない気分になりました。以下、簡単に紹介します。 書き出しは、書店の閉店時の様子。スタッフが帰ってからはじまる本格的な仕事を、有線で流れる歌に合わせて大声で歌いながらこなす。補充分の棚入れ、常備の入れ替え、返品の整理……。終電を気にしながらこなす、山のような仕事。「書店員にとって『明日やろう』という言葉はない」。 妻に「先に寝なさい」と電話をする。また仕事をやる。このように「忙しいわりには給料が低い」。日中は「事情をよく知りもしない他人から『ラクそうだ』だの『ろくに
2006年07月16日 母親だけが、悪いのか。 カテゴリ:社会のできごと 畠山被告が衝撃の「自分の娘を橋から突き落とした」発言をしました。 これがほんとなら彼女は自分の子どもを殺したことになります。 さらに今度は愛知県でも9歳の娘を突き落として母親が殺してしまいました。 畠山被告はシングルマザー、愛知県の母親はご主人がいました。 でもどちらも子どもを突き落としました。 これで「なんて鬼母だろう。自分の子どもを殺すなんて」と眉をひそめることは、簡単です。 でも、この母親達が異常なのだ、と片づけて、それで終わっていいわけないのです。 私はずっと畠山被告は自分の娘までは殺していないはずだと思っていたし、信じていました。 でも現実は(彼女の証言が本当ならば)どうやら違うようです。 でもこれで「ほらやっぱり」で終わっていいのだろうか、と強いギモンがあります。 私は幸いにも作家という職業に恵まれて、今
YouTubeと著作権の話に絡めた話。ちょっと長くなる。 1971年の著作権法改正 今はコンサートで他人の歌を演奏したり、カラオケ業者が営業するために著作権料を支払うというのは当たり前の感覚だと思うけど、これが義務付けられたのは1971年の著作権法改正以降のことに過ぎなかったりする。 このような著作権料の支払いを義務付けられた背景には、1960年代の音楽業界の産業構造の変化があった。当時の構造の変化は大きく2つある。 映画からテレビへ レコード会社から音楽プロダクションへ 前者はそのままの意だけど、後者は少しややこしい。後で述べる。 この両方に大きく関わっているのがナベプロ。というかこの二つの出来事をナベプロ側から眺めると、ほぼ同じ出来事にしか見えない。 映画からテレビへ 当初はレコードを発売するレコード会社の主なタイアップ先は映画会社だった。石原裕次郎や美空ひばりといった映画スターが歌う
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く