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2009年12月31日のブックマーク (4件)

  • 「輝きのある日本へ」、そうだったらいいのにな♪: 極東ブログ

    鳩山政権は30日の閣議でようやく成長戦略の基方針「輝きのある日へ」(参照)を決定した。来なら経済危機の状況下では成長戦略こそがマニフェストであるべきだった。経済危機にある状況下では最初から取り得る政策は限定されているから、むしろ政治のモラトリアムこそが求められるべきだった。あるいは政権交代をするのであれば、経済危機を脱していかなる成長戦略を描くのが問われるべきだった。 しかし、民主党は成長戦略とは関係ない空疎な理想を選挙中はわめきちらし、後になって鳩山首相自身「政治主導」「官僚任せ」が「どういうものかも分かっていなかった」と告白するに至った。最初から無意味な政権交代だった。が、変わったことはあった。政権交代後になってから、民主党政権は自民党政権にチェンジした。民主党が劣化自民党に変わった。今年はつまりそういう変化の年だった。 民主党は今回の成長戦略で、国内総生産(GDP)を2020年

    rajendra
    rajendra 2009/12/31
    政治への信頼が燃え尽きた後、灰の中から甦るものは何だろうか。それは、よりグロテスクなものかもしれない。
  • 【疑惑の濁流】ブログ市長が窮地に “権力乱用”で阿久根市「非常事態」 (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    市議の不人気アンケートや1円単位での市職員全員の給与一覧を掲載した鹿児島県阿久根市長のブログが再び“炎上”している。市議会や公務員の厚遇批判で「ネット世論」の喝采(かっさい)を浴びた市長だが、障害者への差別ともとれる書き込みでは全国からの激しい非難にさらされ、窮地に立たされているのだ。反市長派との泥仕合を制した出直し市長選から7カ月。障害者団体のほか、右翼団体の街宣車も集結した地元は厳戒態勢の中にあり、支持者たちの市長離れも加速しているという。(花房壮)静かな町にある日、街宣車が… 12月21、22の両日。阿久根市役所周辺は朝から緊迫感に包まれていた。 正面玄関以外の出入り口が施錠された庁舎内外には警察官が立ち並び、駐車場の出入り口も不審車両の進入を防ぐため1カ所に制限されていた。 「竹原信一市長への抗議のため九州各地から右翼団体の街宣車7、8台が集まり、その警戒でものものしかった」 地元

    rajendra
    rajendra 2009/12/31
    首長のために価値が減じていく自治体。
  • メキシコから米国に入ってくる不法越境者を市民がウェブカムで監視  | スラド YRO

    メキシコ-米国国境では不法入国や麻薬密輸などの違法行為が絶えないそうだが、テキサス州では国境保安当局と民間企業BlueServoが手を組み、不法越境者を監視するプログラム「Virtual Border Watch」が行われているそうだ(家/.記事、BBC Newsより)。 Virtual Border Watchは国境に設置された21のウェブカムの映像を一般市民が監視するというもの。登録ユーザである「Virtual Texas Deputy(バーチャルテキサス保安官代理)」が映像をチェックし、不審な人物を発見した場合サイトから担当地域の国境保安当局に通報するという仕組みだ。登録ユーザは既に130,000人を超えており、米国だけでなく、オーストラリアやメキシコ、コロンビア、イスラエル、ニュージーランドや英国などから参加している者もいるそうだ。 2008年11月に立ち上げられたこのプログラム

  • 「寝袋、いりませんか」野宿者に配り続ける男がいる… (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    新年が間近に迫った大阪。毎年、大勢の野宿者が凍死・病死などで亡くなる路上で、野宿者に寝袋を配る活動を続けている人たちがいる。代表は会社社長の石黒大圓(だいえん)さん(62)=大阪市中央区。かつて4歳の次男を白血病で、49歳のを胃がんで相次いで失った。「愛する家族の命を救えなかった分、路上で凍え死ぬかもしれない人を助けたい」。活動の底流には、子への思いがあふれている。 「寝袋、いりませんか」 クリスマスの夜、大阪市天王寺区の路上。石黒さんは仲間3人とともに、段ボールで作った寝床で毛布にくるまる野宿者に声をかける。「おおきに」「助かったわ」…。笑顔と一緒に感謝の言葉が返ってきた。 10月末から3月まで毎週金曜の夜、日雇い労働者の街・あいりん地区や天王寺、ミナミなどを車で回り、野宿者に新しい寝袋を無料で配布している。毎年約千個を配り、今年で9年目。寝袋の購入資金は全国から募ったカンパだ。

    rajendra
    rajendra 2009/12/31
    "妻子の命を救えなかった分、恵まれない境遇の彼らを救おうと思い立った。こんな豊かな国で路上で死なせることは、大阪、日本の恥だと思って。私にとっては、背中に日の丸を背負った活動でもある"