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2011年4月2日のブックマーク (5件)

  • asahi.com(朝日新聞社):会津若松へ長州・萩から義援金 旧敵でも「ありがたい」 - 社会

    福島県会津若松市は2日、山口県萩市から震災の義援金2200万円の目録と、保存や下着類、ランドセルなどの支援物資を受け取った。幕末の戊辰戦争で両市にそれぞれ拠点を置いた会津藩と長州藩は激しく対立。今もわだかまりを抱える関係にあるが、震災を受けて萩市が支援を申し入れた。  萩市の槌田郁利・総合政策部長らが会津若松市役所を訪れた。同市の菅家一郎市長は「歴史的な課題もあるなか、萩の皆さまの温かい支援はありがたい」と応じた。物資は会津若松市内にいる避難者や、同市に集団移転する福島県大熊町の住民への支援に役立てられる。  萩市は福島県の富岡町や大熊町、須賀川市から被災者計10人を受け入れており、市民や企業が「東日地震災害を救援する萩市の会」を結成して募金活動などに取り組んでいる。萩市の地元JAは会津若松市の避難所での炊き出しや、萩市内での会津産野菜の販売を計画しており、過去の対立を乗り越えて福島県

    rajendra
    rajendra 2011/04/02
    天災は雪解けを促すか。
  • 白田秀彰先生「原発推進派や反対派があるのなら、原発白樺派や原発耽美派があってもいいのでは?」

    法政大学社会学部准教授の白田秀彰先生(専門:知的財産権法・情報法) のつぶやきです。あまりに出来がいいので保存用にトゥギャりました。誰でも編集可にしてありますのでご自由にどうぞ。 ロージナ茶会 http://grigori.jp/ ロージナ茶会の日常を、あなたに(ブログ) http://grigori.sblo.jp/ http://grigori.sblo.jp/

    白田秀彰先生「原発推進派や反対派があるのなら、原発白樺派や原発耽美派があってもいいのでは?」
  • 福本伸行、被災者に3000万円を寄付「絶対に負けないっ!!」

    ヤングマガジン(講談社)の公式サイトでは、福による応援メッセージイラストを公開中。「賭博黙示録カイジ」の主人公カイジが「絶対に負けないっ!! オレたちには『日』しかないんだよっ!!!」と熱く叫ぶ姿が描かれている。 福伸行からのメッセージ 東日大震災の被災者の皆さんへ 自ら親族を喪われる被災に遭われながら、 被災者の方々へのボランティアや、 復興へ向け懸命に活動されている姿は 感動的です。 その姿は僕たちの誇りであり、希望です。 僕も微力ですが、皆さんの力になれば… と思い、募金させて頂きました。 この未曾有の危機、災害、悲しみを、共に 手を取り合い、分かち、乗り越えられれば… と、思っています。願っています。 平成23年4月1日

    福本伸行、被災者に3000万円を寄付「絶対に負けないっ!!」
    rajendra
    rajendra 2011/04/02
    "「絶対に負けないっ!! オレたちには『日本』しかないんだよっ!!!」"
  • asahi.com(朝日新聞社):避難渋滞、津波被害を拡大 促しても車降りる人少数 - 社会

    東日大震災の地震の直後、被災各地で渋滞が起こり、車列ごと津波に流されていたことが、生存者らの証言で分かった。車による避難は渋滞を招いて被害を拡大させるという防災関係者の懸念が、車社会を襲った初の大津波災害で現実となった。  宮城県警によると、津波の被害の大きかった宮城県名取市では地震直後、海岸線に並行して延びる県道の渋滞が確認されている。  同市に隣接する仙台市若林区の渡辺静男さん(59)は、避難場所の小学校へ駆け足で向かう途中、信号の消えた県道交差点で車が立ち往生しているのを見た。警察官は車をたたいて避難を呼びかけたが、車を捨てて逃げる人の姿は見なかった。小学校に駆け込むと同時に津波が到来。校舎は3階まで水没し、車列が濁流に流されていたという。  同県石巻市や気仙沼市、岩手県釜石市でも、被災者が渋滞を目撃したり体験したりしている。  釜石市では、国土交通省の港湾事務所付近の国道が渋滞し

    rajendra
    rajendra 2011/04/02
    車列の中で車を捨てる判断を下すのは難しいだろうな。後続を巻き込むことになるし。徒歩圏内に避難所が確保されているようにするしかないのか。
  • 時事ドットコム:災害派遣中の隊員死亡=初の休養、翌朝倒れる−陸自

    東日大震災写真特集 岩手県被災地 宮城県被災地 福島県被災地 福島原発特集 災害派遣中の隊員死亡=初の休養、翌朝倒れる−陸自 災害派遣中の隊員死亡=初の休養、翌朝倒れる−陸自 陸上自衛隊は1日、東日大震災で北海道旭川市の第2師団第2特科連隊から災害派遣されていた50代前半の曹長が、体調の異常を訴えて病院に搬送され、同日午前11時半ごろ死亡したと発表した。自衛隊員が今回の災害派遣中に死亡したのは初めて。防衛省が公務との因果関係を調べている。  陸自によると、曹長は小隊長を務めており、地震発生翌日の先月12日に旭川市を出発。岩手県北部の沿岸部を中心に、当初は行方不明者の捜索やがれきの除去、最近では、隊員の事管理などの後方支援業務に当たっていた。  30日からは同県滝沢村内の国立宿泊施設で、派遣後初めて休養を取っていたが、31日朝に不調を訴え、救急車で盛岡市内の病院に運ばれた。(2011/

    rajendra
    rajendra 2011/04/02
    前線の過酷さを思う。