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ブックマーク / oikose.seesaa.net (2)

  • ヘナギがパスし、師匠が倒れた時、誰がゴールしたのか

    タカユキがマリノスに移籍した。 ふと、思ったのは、柳澤・鈴木のツートップが見られることはもうない、ということだ。 柳澤とタカユキが同時に、というか、片方でも日本代表に選ばれることも、もう無さそうだ。 日本代表では柳澤・鈴木ツートップ最強論というのがあった。 それはプロレス界のジャンボ鶴田最強論みたいなものか、とボケなのかツッコミなのかわからないことを、当時私は思ったものだ。 柳澤・鈴木ツートップは戦績が良い。この二人がツートップだと欧州強豪国相手でも負けない、と言うのである。 しかし、二人とも点をなかなか取らないことで有名だった。 ふと、それなら誰が点を取っていたのだろう、という疑問が生じた。いくら負けないと言っても、毎回0-0だったわけじゃあるまい。 調べてみよう。どのみち日は、いまオフシーズンだ。調べる時間はある。 トルシエ監督 2001/7/1 キ杯 日2-0パラグアイ 柳澤(▼

  • 日本の若者は、別に「世界」で勝たなくてもよいのかもしれない

    オシムの伝記「イビチャ・オシムの真実」(Gerald Enzinger and Tom Hofer著)の巻末に、このの訳者である平陽子氏の文章がある。彼女は日本代表の宿舎で仕事をする機会があったという。少々長いが引用する。 ボン合宿中に私が垣間見たものは「ストイックな戦う男たちの集団」ではなく、部屋のテレビに日ゲーム機が接続できないから困るとか、ドイツの魚は臭みがあるからべられないとか、「豊かな日で何の不自由もなく育った若者」そのものでした。また、宿舎に詰めていた警備員がある時、「日人というのは闘争心あふれる立派な国民だと思っていたのに、試合を見たら全然違うじゃないか! 負けて宿舎に戻ってきてもヘラヘラ笑っているし、朝方まで部屋で騒いだりしているし、一体どうなってるんだ?」と私に率直な疑問をぶつけてきました。彼は、スイスとのプレーオフに負けてワールドカップ出場を逃したトルコから

    rajendra
    rajendra 2007/01/19
    自分たちの豊かさに後ろめたさでもあるのかしら。世界には経済的に豊かでサッカーでも強い国なんざたくさんある。
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