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ブックマーク / umiurimasu.exblog.jp (2)

  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
  • TRPG小説を除外するSFの定義 | 族長の初夏

    「その世界での厳密なルールの範囲内で、すべての事象が起きる」がハードSFの定義だとTRPGの小説版はすべてハードSFになってしまうので、もっと別の言い回しか補足が必要 SFムーンストーン enziの日記こういうときは、SFとファンタジーのちがいに関するテッド・チャンの意見とかを利用してみるといいんじゃないかと思います。「ファンタジーでは宇宙の法則が個人の個性を区別するが、SFでは区別されない」ってやつ。 チャンの言い分は、砕いていえば「SFの主眼はキャラクター固有の物語ではない」ということです。主人公の成長とか冒険とか生きたとか死んだとか、そういう個人の運命の話がファンタジーでは重要です。TRPG小説にも似たようなのが多いんじゃないかな。でもSFの主眼はそういう部分には置かれません。SFで肝心なのは、「ルールに厳密にしたがった結果、その世界が現実と比べてどのようにズレたものに変わるか」とい

    TRPG小説を除外するSFの定義 | 族長の初夏
    rajendra
    rajendra 2008/11/21
    "SFで肝心なのは、「ルールに厳密にしたがった結果、その世界が現実と比べてどのようにズレたものに変わるか」というところです。"
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